第七十話 猫族の隠居おじさん②
「はぁ、はぁ」
俺はなんとか息を整えながらアルバロに視線を送る。
しかし彼は大の字になりピクリとも動かない。
只でさえ獣化で体力を使った上に、並の者ならば一撃で致命傷となるような魔法を、何発も喰らったのだから、そうでないと俺の立場がない。
俺は蜂蜜を舐め魔力を回復すると、立ち上がりチャレスへ文句を言いに行く。
「はぁ、この人は何なんですか。いきなり獣化するなんて、非常識にも程があるでしょうに。俺じゃなかったら、下手したら殺されてましたよ」
非難めかした目つきでチャレスを見つめ、倒れているアルバロに言いたいことを、代わりにぶつける。
「すまん……勘弁してくれ。この人は思い立ったらすぐ行動する、単純極まりない性格なんだ。そのくせに腕力は、全盛期より衰えたとはいえいまだ猫族でも五指には軽く入る。これで少しは大人しくなってくれればよいのだが……」
チャレスは申し訳なさそうに謝ってきた。
それにしても、アルバロとかいうおっさんは相当な実力者だな。
チャレスが猫族のトップレベルだとすると、彼はそれに一段劣るレベルか……。
恐らく全盛期はチャレスクラスだったのだろう。
まともに戦ったら俺は勝てる自信はなかった。
しかし、今回相手が馬鹿で、いきなり獣化してきたのが助かったな。
二、三分守りに集中すれば、勝ちが決まるからな。
まあそれでも獣化状態の攻撃を捌き切るのは、並大抵の仕業ではないと思う。
以前の俺ならば、二分ともたずにやられていただろう。
これも日々の鍛錬の成果や、死線を潜り抜けてきた経験が生きたのだろうか。
――恐らく後者だろうな。
場数を踏んだことで、より冷静に対処することができたと思う。
特に炎の壁を、奥の手と思われる咆哮でかき消された時は、正直終わったと思った。
しかしあれから獣化が解けるまでの間粘れたのは、経験からくるものだと思う、
チャレスとやった頃だったら、パニックになってお終いだったはずだ。
手合わせの回顧はこの辺りでいいだろう。
さてアルバロのおっさんはどんな感じだろうか。
戦闘が終わってすぐにクラリスが駆け寄り、拙い回復魔法をかけてやっている。
これでも気休め程度にはなるだろうよ。
「まったく……今回はなんとか対処できたんで目をつぶりますよ。それに俺としても、実戦さながらの経験ができたのでよしとしておきます」
俺はチャレスが可哀相なので、彼に気遣いの言葉を投げかけてから、アルバロの下へと足を運ぶ。
近づいてみると意識はあるようだ。
胸を大きく膨らませながら呼吸をしている。
「大丈夫か?」
勝者として、目線も言葉使いも上からだ。
「ぐっ、うっ噂に違わぬ魔法の腕……恐れ入った。わしは平気だ。この嬢ちゃんお陰で少し楽になったわい」
と言いクラリスの頭を撫で出した。
「むー、じっとしてるのじゃー」
クラリスは汗まみれの手を気持ち悪そうに振り払い、回復魔法を連発している。
彼はなんとか声を絞り出し、俺を称えてくれた。
あんたがもう少し頭を使った攻撃をしてきたら、立場は逆だったかもな。
魔法士と戦士との戦闘では、戦士の魔防が高いと、圧倒的に魔法士が不利になる。
これまでは、身体能力の面でも太刀打ちできる相手が多かったが、獣化したトップクラスが相手となるとそうはいかないな。
今後の課題にしよう。
「俺も危ないところだったよ。獣化しての咆哮はまさかと思ったからな。自慢の炎の壁をぶち破るとはね……」
「ははは……、あれはわしの必殺技だからな。あの技を受け止められては成す術も無いわ。完敗だ」
あれを何発も撃たれたら困るよ。
しかし負けたからか、先程と変わって随分と大人しくなった。
だとすると、かえってこれで良かったかもしれないな。
「あんたも大したもんだったよ。だがこれからは、いきなり人様に襲い掛かるような真似は、よしてくれよ」
これ以上の被害者が出ては可哀相なので、少しきつめに言い放つ。
しかしアルバロは堪えた様子は無い。
「わかったわかった、もうせんわい。これからは松永殿と毎日稽古をするのだからな。楽しみじゃわい! ハハハハハ」
クラリスのお陰でかなり回復したのか、彼は上体を引き起こし豪快に笑う。
えっ! そんなこと聞いてないんですけど。
もしかしてこの人、隠居後の暇つぶしにきたんじゃなくて、仕官にきたのかよ。
「あんたもしかして、松永家に仕官するつもりなのか?」
俺は信じられない、といった感じで問いかける。
すると彼は何を今更という風に、
「当たり前ではないか、でなければここにくるわけがなかろう。まあ松永殿が言葉倒れだったら、すぐに帰っておったがな」
と鼻息をふんっと噴出してやる気をみせる。
「そうだったんだ……」
まさかこのクラスの人物が仕官にくるなどとは、思いもよらなかった。
「そうだそうだ。松永殿の下ならば隠居後の人生も退屈することはなさそうだからな。でどうなんだ。わしを登用してくれるのかのう?」
それはもちろん願ったり敵ったりだ。
かなり知力は低そうだが、彼の武勇は魅力的だ。
登用しないなんてことは考えられないな。
「ええ、あなたのような武勇の持ち主は歓迎する。ぜひ獣人部隊を率いてくれると助かります。だが松永家に仕えるとなったら、先程のような考えなしの行動はしないと約束してくれ。戦ではそれが命取りになることも十分あり得るのだからな」
「ええ、ええ。もちろん約束するぞ。では雇ってもらえるんだな。以後は松永家のために尽力しますぞ、殿!」
彼は俺のことを殿と呼ぶと一礼してきた。
「あっ、ああ、宜しく頼むよ。だがあなた程の地位のある者が、身一つできてもいいのかよ」
「ああ何も問題ないわ」
アルバロに言っても駄目だと思い、チャレスの方を見て判断を仰ぐ。
「叔父上は村に帰っても何もすることがないのだ。すでに村の運営は数年前から息子達に引き継がれている。かえっていないほうが楽かもな……」
なんか定年後で居場所を無くしたおっさんって感じだな。
しかし松永家はそんな人材も、能力とやる気があれば活用しますよ。
「そういうことなら、遠慮なくにウラールへ連れて行けますね」
「ああそういうことだ。それと、叔父上が目立ちすぎて影が薄くなってしまったが、彼以外にも腕の立つ若者も集まってくれたぞ。ぜひ彼等にも目を掛けてやってくれ」
チャレスはアルバロから離れ、先の戦いを観戦した後なので、呆然とした雰囲気の猫族の若者らを紹介してくれた。
「ええ、では早速みてみましょう」
俺は広場の隅で固まっている若者たちの側へと向う。
先程魔法を連発したので、巻き込まれないように隅に逃げたのだろう。
「一人ずつ名前と年齢を言え。まずはお前からだ」
一番強そうな者を指差し、簡単な紹介をされる。
「わっ私はトマスと言います。年は十七ですっ!」
猫族の若者は直立不動でガチガチに緊張している。
無理も無い、俺は猫族でもトップクラスの実力者であるアルバロを退けたのだからな。
「よし次」
続けて隣のネコミミ少女を指差す。
女の子の姿も数名みられるな。
猫族はチカといい、積極的な娘が多いのかもな。
「私はアイナと言いますにゃ。十六歳ですにゃ」
アイナね、覚えておこう。
そうして、全部で十三人の猫族の若者と顔を合わせた。
「皆はわざわざ仕官に来るだけあって、なかなか腕が立ちそうだ。だが無条件で雇うのもどうかと思う。ここはひとつ試験を行うことにする」
俺はニコライ、ヒョードルに加え、ボリバルら犬狼族の戦士たちを呼び寄せる。
「お前らは彼等に胸を貸してやれ。彼等がどの程度使えるのか見てみよう」
『『ハッ!』』
俺はビアンカの膝枕で、疲れを癒しながら見学と行くか。
「ビアンカ膝を貸してくれ。体力を使ったので少し横になりたい」
すると彼女は地面にささっとござを引くと、腰を下ろし膝を差し出してくれた。
「どうぞ秀雄様」
「ああ、すまないな」
ビアンカの匂いを堪能しながら、蜂蜜を舐め模擬戦を観戦する。
するとビビアーナさんとチカが、頼んでもいないのにマッサージをしてくれた。
あー気持ちいー、最高だぜ!
俺はあまりの気持ちよさにウトウトしながらも、王侯気分で家臣らの戦いを観察する。
あたかもこれが権力者のあるべき姿だと、若者達に見せつけるように。