第六十八話 蜂蜜を補充に行こう
昨夜はビアンカの実家で一泊した。
広さ的に全員が寝転がれなかったので、ニコライとヒョードルの体格がよい二人には、隣の小屋の藁布団で眠ってもらうことにした。
ちゃんと新品の藁に換えてやったから、寝心地はよかっただろう。
これで当初の目的も達成したので帰ろう、と言いたいところなのだが、もう一つ行かなければならない場所ががある。
それは最初に飛ばされた森だ。
俺はリリの棲家に行き、そこで蜂蜜の補充をする予定である。
しかしその森は犬狼族の村からだと、距離的にも離れている上に、森の細道を進まなければならない。
ここは俺とリリの二人で、急ぎ取りに行ってこようと思う。
皆で行くと、往復で一週間は見込まねばならないが、二人で行けば二日は短縮できるだろう。
それに俺達が不在のうちに、ビビアーナさん達が荷物をまとめておいてくれれば丁度良い。
「それでは行ってきます。ニコライ、ヒョードル護衛は任せたぞ」
『はっ』
彼等を残しておけば、なにかあっても対処できるだろう。
さて急ぎ向うとしよう。
俺とリリは犬狼族の村を出ると、速度を上げて森の中を走り出す。
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道なき道を進むこと二日目。
木々の間をショートカットしてなるべく迂回しないように走り抜いたお陰か、既に亜人領域を抜け、始まりの森に足を踏み入れていた。
「ここから始まったんだよな……」
俺は相変わらず鬱蒼とした雰囲気の森の中を歩きながら、リリとの出会いを思い出す。
あれから一年足らずだが、随分と前の出来事のように感じる。
その間、濃密な時間を過ごしたせいかもな。
日本で生きてきた二十一年間以上のイベントは、既にこなしたような気がする。
「懐かしいねー。でもあたしはここはあんまり好きじゃないなー。一人の思い出しか残ってないからかも……」
リリは棲家へと案内しながら寂しげに語りかけてきた。
「だがここにリリがいなければ俺達は出会うことはなかったんだ。殺風景な所だが、俺は嫌いじゃないぜ」
「そっかー。ここはヒデオと会えた森なんだよねー」
彼女はうんうんと感慨深げに頷いた。
そして森のなかを駆けると、リリの棲家の入口へ到着した。
前回のようにグリーンウルフに襲われることもなく、順調に進む事ができた。
「ここだよー。じゃああたしはヒデオの頭に乗るから、ゆっくり前に進んでねー」
「ああ」
俺はリリに従い慎重に前進する。
そしてほんの僅かの違和感を感じると、すでに目の前には広大な花畑が広がっていた。
やはり二度目でも感動するもんだな。
俺はしばらくその景色を目に焼き付けていた。
「ねー、蜂蜜取りに行くんでしょー?」
痺れを切らしたリリが相手をしてくれと急かしてくる。
「ああ、そうだったな。待たせてごめんな。では行くとしよう」
俺は花畑から視線をはずし、蜜蜂の巣があるという奥の林へリリに連れられて歩いていく。
前回は気付かなかったが、随分と広いんだな。
川も流れているし、木々も生い茂っている。
そして既に俺の周囲には、蜜蜂が俺達を警戒してブンブンと飛び回っている。
この辺りに蜂の巣があるのだろう。
「久しぶりにきたから、一杯巣ができてるー」
リリは嬉しそうにくるりと回ると、ウインドカッターで蜂の巣の一部を切り取った。
するとなにやら煙幕を放ち、切り取った巣の中から蜂を追い出すと、一気に巣を魔法で絞り上げ蜂蜜を抽出する。
垂れてきた蜜を、持参した瓶の中へと器用に入れる。
「上手に取るもんだな」
俺はリリの見事な手際にパチパチと手を叩く。
「へへーん、すごいでしょー。こうやってちょっとだけしか取らなかったら、また蜂たちが巣を作り直してくれるんだよー。殺したら作れなくなっちゃうからねー」
へえ、これも生活の知恵なんだな。
こうすれば半永久的に蜜を取り続けることができる。
上手く考えたものだ。
「なるほど、リリは賢いな。これならずっと蜂蜜を採り続けることができるな」
「うん! お母さんが教えてくれたんだー」
やはりか、リリの母は彼女が一人でも生きていけるように色々と教えたのだな。
「そうだったのか……」
「そうそう、まだまだ一杯巣はあるからヒデオも手伝ってよー」
早くも一つ目の巣から蜜を絞り終えた彼女は、次の巣へと魔法を放っていた。
と同時に俺に大瓶を手渡してきた。
「分かった分かった。ほれ準備はできたぞ、蜜を垂らしてくれ」
「うん」
再びリリは切り取った巣を絞り上げ蜜を垂らす。
そして俺はそれを瓶に入れる。
一回で二リットル程度は入りそうな瓶の半分は蜜で満たされた。
巣自体が大きいから結構な量になるんだな。
あとはこれを繰り返すだけだ。
そうして俺達は延々とこの単純作業を繰り返した。
「ふう、これで蜂蜜のストックも随分たまっただろ」
「うん、いっぱい取ったから最初に持ってったくらいには戻ったかなー」
結構取れたみたいだな。
途中から数えるのも面倒になるほどの蜜を瓶に受け止めたからな。
これならわざわざここまできた甲斐があるってものだ。
「よしこれでしばらく蜂蜜は安心だな。後は持ってきた巣箱を置いてしまおう。これでまたしばらくしたら取りにくればいいだろう」
新たに置く巣箱の中には、ウラールで仕入れた蜜蜂が入っている。
俺はこの空間に生息する、魔力花とも言うべき花からとれる蜜が、秘薬レベルの魔力回復薬になると考えた。
そのため普通の蜜蜂を放ってみて、どのような蜜が取れるか試してみることにしたのだ。
もし秘薬とまでは行かなくても、そこそこの回復効果のある蜜が取れれば、松永家の特産品として大金が転がり込んでくるだろう。
もちろん自分達の分が最優先であるがな。
「おっけー。新しい巣箱は別の林に置こうね。蜂同士がはちあわないようにしなくちゃねー」
「ははは。リリもダジャレを言うようになったじゃないか」
「へへへー、そうでもあるかなー」
リリは少し恥ずかしそうな様子で、ピューンと巣箱を設置する場所まで飛んでいってしまった。
続いて俺もリリの飛んで行った方向へと走り出し、彼女を追いかける。
そしてしばらく走ると、既にリリが巣箱を設置してくれていた。
「遅いー、もう終わっちゃったよ」
「悪い悪い、ありがとな」
「しょがないなー。でもこれでもうやることはないよね」
「ああ、ここで一晩過ごしてから犬狼族の村へ戻るとしよう」
「うん!」
こうして無事に蜂蜜を手に入れることができ、俺達は花布団の上で一夜を過ごした。
リリの寝床は林の中にあるのだが、妖精サイズなので俺は入ることができず、前と同じように二人で花の上で寝ることにしたのである。
そして目が覚めてから俺達はリリの棲家を離れ、皆が待つ犬狼族の村へと出発した。
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「なあ、リリの家ってあそこからしか入れないのか?」
帰りの道中、休憩をしている時に気になったことを聞いてみる。
今後養蜂業が軌道に乗ったとしたら、わざわざ時間を使いここまでくるのは大変だからだ。
「うーん、あたしは時魔法はよくわかんないけど。別の場所に入口を作ればいけそうな感じもするよねー」
俺もリリと同意見だな。
腕の立つ時魔法の使い手がいれはこの質問にも答えてくれそうなのだがな。
「ああ。リリは時魔法を使える人は知っているのかい」
「お母さんが少し使えると思うよー。だって入口を作ってくれたのはお母さんだからねー。後は知らないなー」
お母さんで少しか……。
だとするとあの空間は相当な時魔法の腕がないと作れないだろう。
恐らく妖精族の家宝的なものなのではないだろうか。
そう考えるとそれを受け継いだリリは……、邪推はやめておこう。
「ならば仕方無いか。しばらくは定期的に通うことにするか。悪いがリリにお願いしてもいいかな」
「えー、しょうがないなー。また温泉に連れて行ってくれたら、考えてもいいかなー」
リリは最近交換条件という子供の知恵を身につけたらしい。
恐らくチカ辺りから教わったのだろう。
「わかったわかった。また連れてってやるから、頼むよ」
「うん! 頼まれた! 温泉の件は覚えておくよーに」
リリに念を押され、俺は頷くことしかできなかった。
こうして休憩がてらに交わした、時魔法に関する話を切り上げ、俺達は再び森の中を走り出す。