第五十三話 バラキン領攻略戦 ②
「レフ! これは一体どういうことなの?」
ナターリャは意味が分からないといった様子で問いかける。
「私もさっぱり解りません。ですが好機なのは間違いないです。先程の話とは真逆になりますが、ここは混乱に乗じて攻撃を仕掛けるのが良いかと思います」
レフも突然の出来事に驚いているようだが、すぐに冷静さを取り戻し、的確な判断を下した。
「そうだな、私もレフに賛成だ。すでに敵は混乱し本丸へと退却を開始している。母様、ここは一気に攻め立てましょう」
いつもは慎重なマルティナもここは攻め時と捉えたのだろうか、追撃を進言してきた。
元から攻める気に溢れてたナターリャは、その言葉を待ってましたという感じで、
「了解よー! みんな、この機に城を落としちゃいなさーい。全軍突撃ー」
と上機嫌で命令を下す。
そして、再び太鼓がドンドンドンドンと打ち鳴らされると、座り込んでいたバレス隊の面々や、松永軍の精鋭達はさっと立ち上がり、綺麗に隊列を組みなおすと、本丸を目指し攻撃を再開した。
ナターリャは先頭に立って、ぐるぐると迂回している狭隘な坂を登る。
彼女を守るは、セルゲイにマルティナ、そしてバレス隊の勇士達である。
レフは後方で指揮をしなければならないので、攻撃には参加していない。
「やっぱり敵の抵抗が少ないわねー」
ナターリャが呟いた。
既に二の丸深部まで到達している。
その割にはここまで、敵の攻撃をほとんど受けていない。
「やはり本丸で何かあったのだろうか……」
マルティナが顎に手を当てながら独り言をいう。
「それならば好機! さっさと本丸を落としてしまいましょう!」
セルゲイは彼女の言葉を聞き逃さなかったらしく、脳筋的な言葉を返した。
しかし、
「ちょっと待って! 何か来るわ!」
気が緩みかけていたところを、ナターリャが何かが猛スピードで近づいてくるのを感知した。
すぐさま全員に警戒を促し、攻撃に備える。
ナターリャは完璧には認識できなかったものの、何かの動きを感じることができた。
そして何かに距離を詰められる前に殺ってしまおうと考えたようで、急ぎ氷の矢を作る。
懐に入られる前に、魔法を放とうとしたそのとき、
「ナターリャ様ー! お待ち下さいー! 私は段蔵ですー」
と遠方から大声が飛んできた。
「えっ、段蔵ちゃん?」
しかし既にナータリャの手からは氷の矢が放たれていた。
高速で飛ぶ矢は一瞬で段蔵がいると思われる所へと飛んでいき、そこでガシャリと氷が砕け散った。
「はっ、母様……」
マルティナが顔面蒼白となりナターリャに視線を送る。
セルゲイはそ知らぬ顔でマルティナの影に隠れてしまった。
「…………どっどうしよー、もしかして当たっちゃった……?」
ナターリャは縋るような瞳で、二人を見つめる。
しかし誰も視線を合わせようとはしない。
さすがにこれはまずいと思ったのだろうか。
彼女の頬からは冷や汗が滴ってきた。
しばらく沈黙が続く。
無言の圧力にナターリャが耐え切れずに、泣き出しそうになったとき、三人の前に煙幕が立ち込めたかと思ったら、その中から頬に切り傷を負った段蔵が姿を現わした。
「段蔵ちゃん!!」
心からの安堵の表情を作りながら、ナターリャは思わず彼に飛びついた。
「お止めください。私はかすり傷を負った程度ですので。それよりも既に本丸は制圧致しました。そのことを報告しに参ったのです」
彼は頬から滴る血液を拭いながら、ナターリャに報告をした。
「えっ、それってどういうことなの?」
彼女は本丸が落ちたことを聞くと、すぐに指揮官の顔つきへと戻り、詳細をたずねる。
それに続きマルティナにアンドレも同様の反応を示した。
「私が秀雄様の特命を受け、チェルニー家とチュルノフ家に対し戦への協力を申し出ました。それは皆様ご存知ですね」
もちろん主な面々は秀雄から聞いているので、三人は一様に頷く。
「それに対し、チュルノフ家はまだ態度を明確にしていませんが、チェルニー家は快諾してくれまして、早速兵を提供して下さいました。そして彼らと共に、ここバラキン村へとたどり着いたのです。そうしたら丁度敵が松永軍にかかりきりだったため、我々が防御の薄い搦め手門から攻め込んだのです。結果は見てのとおりであります」
彼の話を聞き、ナターリャとマルティナは納得した顔つきになった。
セルゲイはいまいち理解していないようである。
「そう、段蔵ちゃんもやるじゃないの。じゃあ、敵の残党を蹴散らしながら本丸に行きましょうか」
「はい、私がご案内します」
少し残念そうな面持ちのナターリャであった。
しかし口には出さずに、素直に段蔵に連れられ本丸へと登り、チェルニー家の面々と顔を合わせることになる。
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俺が率いるエロシン方面軍は、オホーチカ村を出立してから二日が過ぎようとしていた。
既にエロシン領東部の半分は手中に収めることができた。
あとは長くとも三日あれば、残りの領域も占拠することができるだろう。
しかし気になるのはピアジンスキー家の動きだ。
先程茜からエロシン領にて動きがあるとの報告があった。
ピアジンスキー家から百五十騎、バロシュ家から五十騎が援軍として既にエロシン領内に入っているらしい。
はっきり言って想定外の行軍速度だ。
俺が攻め入ってからピアジンスキー家へ早馬を飛ばして一日。
すぐに出兵の準備をおこなったとしても二日は掛かるだろう。
そしてピアジンスキー領都から、松永軍までは約百キロメートルだろうか。
一日五十キロメートルを駆けると仮定すると、ここまでくるのに二日の計算だ。
つまり俺の計算では援軍が到着するまでには最速で五日はかかると思っていた。
それが松永軍がエロシン領内に入って三日目にして、既に近くまできているという。
恐らく明日にでも、両軍は顔を合わせることになるだろう。
通常ならば、彼らの電光石火の行軍速度には驚かされるところである。
しかしこちらは、千代女、お銀、茜が引き継ぎをしながら、それぞれが全速力で駆けるため、一日に二百キロメートルの距離を駆け抜けることができる。
なので前もって敵の来襲を知ることが可能なのである。
そのためまだ時間は一日以上はあり、事前に防衛準備を整えることができる。
「ピアジンスキーが動いたぞ! これから予定通り、バラキン領境へと移動する!」
バラキン領近くになると急な坂が続く。
俺はそこに陣を敷き、街道を押さえて援軍を食い止める予定だ。
その間にバラキン方面軍が仕事をしてくれれば、敵も目的を失い引き上げていくだろう。
ここから布陣を予定する坂までは街道を東に約十五キロメートル先だ。
整備された道を進むので数時間後には到着するだろう。
「急がず進め、時間はまだたっぷりあるからな! 今回は守るだけだ。敵はすぐに引き上げるだろうから安心して動け!」
エロシン方面軍の兵はマツナガグラード周辺から徴兵された者が多く、まだ錬度が低い。
そのためピアジンスキー軍の襲来を知らされ、多少浮き足だった感はある。
しかし、ここを上手く纏め上げられなければ、勝利は掴めないことは解っている。
今回は兵の質で大きく劣るので、俺が前に出て兵達を勢いを付かせなければならないだろう。
少し頼りなさげな兵達には懸念はあるが、ここで逃げ出すことはできない。
今回は苦戦するかもしれないと思いながらも、俺はピアジンスキー軍が期待はずれであることを祈りながら軍を進める。
進軍を開始して五時間程が経過した。
途中で小休止を挟みながらも、なんとか目的地まで到着した。
「これから兵達には昼飯を取らせろ。その間に、俺とリリとセーラの三人で陣を敷くに適切な位置を、探ることにする」
そうビアンカに伝えると、俺は二人を引き連れて守る易い地形を探しに、地図を片手に散策を開始した。