第四十二話 エロシン領侵攻①
既に天国だったシチョフ領から離れ、本拠地のヤコブーツクへと帰還してしる。
シチョフ領は現在、バレスやナターリャを中心として建て直しをしている最中だ。
人的被害は少なかったので、恐らく数ヶ月もすれば完了するはずである。
占領地の税制はもちろん、松永領と同じ税目に税率を適用することになっている。
本家への上納金は暫く保留だ。
家臣達の懐に余裕が出来てからでも構わないだろう。
また進軍再開は早くとも二ヶ月は掛かりそうである。
軍の再編をしなければならないからだ。
恐らくその間に、エロシン家は領境の防備を固めて来るだろう。
これで簡単に攻め落とすのは難しくなったな。
エロシン家は防衛時ならば八百人以上の兵力は動員できるはずである。
地の利があちらにある状況で、これだけの兵に引き籠もられたら、力でねじ伏せるのは困難だ。
上手く兵力を分散させて立ち回らないと、勝機は訪れないだろう。
現時点でヤコブーツクから見て、エロシン家の最前線はココフ砦になる。
この砦の前にはウラール川が流れており、渡河する部隊に対して容赦ない攻撃が加えられる為、無傷で城壁に取り付くことすら困難と思われる。
迂回して渡河する事も考えられるが、他の支城から後詰が出される事を考えると二の足を踏む。
挟撃をされた場合、退却路が眼前のウラール川になるからだ。
その時は少なくない被害が出ると予想される。
ココフ砦を抜けると、領都エロシングラードまで然したる砦も無く一直線になる。
そのためエロシン家もココフ砦は全力を挙げて死守してくるだろう。
ならば旧シチョフ領から攻め入る事を考えるか。
シチョフ家は長年エロシン家に従っていたため、両者の間に砦らしき施設は存在しない。
強いて挙げるとすればママノフ館くらいだ。
こちらはココフ砦に比べれば、攻め入る事が容易なのは間違いない。
若しくはバラキン家とガチンスキー家から先に切り崩し、エロシン家を丸裸にするのも悪くない。
もちろん南方三家の動きを注視せねばならないが。
南方三家の内、特に重要視せねばならないのがバロシュ家である。
ここは前にも述べたと思うが、ピアジンスキー家と言う豪族と手を組んでいる。
両家を合わせると人口二万五千人にもなるので、軽視する事は出来ない。
バロシュ家を考えると、バラキン、ガチンスキーを取った場合、エロシン家の弱体化が顕著になり介入が入る可能性が高まるだろう。
ならば先にエロシン家とケリを付け、余勢を買って他の二家を滅ぼす方が俺の好みだな。
もう横取りされるのはこりごりだ。
三策あるが、旧シチョフ領からエロシン領に攻め入ることが最善と思える。
これを評定で議題に挙げ皆で詳細を煮詰めていくとしよう。
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軍の再編中にできる事は内政くらいだ。
既に指示を出しているので俺がする事は見学程度。
ナターリャにバレスも自身の所領に掛かりきり。
なのでやることといえば戦衆と陣形の確認や、魔法の訓練位だ。
はっきり言って暇である。
やることも無いので、冒険者紛いの活動をしたり、取り寄せた本を読んだり、時には嫁イチャイチャしたりと惰眠を貪っていた。
するとある日、茜が会わせたい人がいると申し出てきた。
松永家に仕官をしたいと言う一族の者達が、遥々東方は旭国から訪れたのである。
暇を持て余していた俺は、早速彼らに会うことにした。
既に応接室で待たせているとの事なので、急ぎ足で部屋へと向う。
ガチャリと扉を開けると、そこには黒装束の忍が四人と子供が三人。
「待たせて済まなかったな。俺はここの当主の松永秀雄と言う。遠方から来てくれて感謝する」
すると茜が一人の男を除いて通訳をしてくれる。
三公国を中心とした地域はヨーロッパのように言語体系が似ているので、なんとなく言っている意味は解る。
だが東方は文字からして違うので、言葉が通じないようだ。
俺はこの世界に飛ばされた時の頭痛で、この地の言語がインプットされたと思っていた。
だが茜に旭国の言葉を話して貰ったところ、全く意味が解らなかった。
恐らく飛ばれた地点の言語が頭に刷り込まれたのだろう。
今更言語に関しての考察をしても意味が無い。
話に集中しよう。
そろそろ、代表の男が口を開くみたいだしな。
「こちらこそ、望外の歓待を受けました事に大変感激しております。私は茜の父で三太夫と申します。この度は茜より秀雄様が忍を求めていると伺いまして、一族を率いて参上致しました」
なんと家族全員で来たみたいだ。
「それは大変だっただろう。乳飲み子を抱えての旅路はさぞかし困難だったはずだ。ビアンカ、先に子供に湯と飯を用意してやってくれ」
俺は横でメイドとして控えているビアンカに指示を飛ばす。
「かしこまりました秀雄様」
ビアンカ一礼し子供達を引き連れて部屋から退出する。
三太夫も思わず頭を下げることしかできなかった。
それにしても家族全員で来るとは驚いた。
さぞかし決意が要っただろうと思う。
そんな彼らを無下に扱う事はできない。
「それでだ、俺は茜の働きを見てあなた方の実力は解っているつもりだ。もちろん当家で働いてもらうよ。そちらが気にするのは報酬の件だと思うが、とりあえず東方流に言うと、二百石の知行地の他に契約金として金貨三百枚を与えようと思う。あなた達に求める仕事は、諜報活動をすると同時に、その知行地で忍びを育成することだ。どうだ、受けてくれるかな?」
村一つとそこそこの金で忍の里が作れるなら安いものだ。
すると三太夫達は面食らい、すぐさま床に手を付き頭を垂れる。
見事な迄の土下座である。
「我々はこの時を以って松永家に忠誠を誓うことを約束します。これがその証です」
三太夫は髪を小刀で切り捨て俺に差し出して来た。
後に彼に聞いてみたら、異国の地で手柄も立てていないのにこのような待遇を受けたら、その気持ちに答えるべく我も忘れての行動だったらしい。
「お、おう。三太夫さんの気持ちは解った。今日からは思うがままに当家で力を振るってくれ」
「承知いたしました」
そしてその晩は、皆に三太夫一家の顔見せも兼ねた歓迎会を開き、久方ぶりの美酒を楽しんでもらった。
宴会の間はずっとコンチンが恐縮しきりだったのは言うまでもない。
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二ヵ月が経過した。
その間、三太夫も加入した事だし、エロシン家に調略をかけてはみた。
標的は後継者争いに敗れたヴィクトルの弟だ。
彼は不満が溜まっているようなので、我々が攻め入った際に呼応して領都を突いてくれと言う風に。
報酬には現エロシン領の半分を差し出すと言う約束でだ。
しかし彼は全く振り向かなかった。
少しは色気を見せるかと思ったが、ロジオンが上手く家中をまとめているらしい。
身代金に釣られて返還してしまった事を少し後悔した。
だが仕方が無いのでバラキン家とガチンスキー家に標的を変えた。
対エロシン戦でこちらに付けば本領安堵に加え、エロシン領から加増をしてやると。
しかし彼らも首を縦に振らなかった。
それはそうだ、国力ではまだ上回っているのだから。
仕方無い、自力で何とかするしかない。
ようやく旧シチョフ領の兵も訓練を重ねたことで、多少は物に成ってきた所なのでなんとかなるだろう。
兵も整備された所なので、そろそろ進軍準備を始めるとするか。
俺は臨時評定を開き皆を集める。
「さてみんな。分かっていると思うが、そろそろエロシン領に攻め入ろうと思う」
松永家の主な面々は皆一様に頷く。
「わしらは既に準備万端ですぞ。何時でもいけますわい」
「私も今度こそ思いっきり魔法を撃ちかましたいわー。もう留守番は嫌よー」
バレスとナターリャはやる気に満ちているようだ。
他の騎士達も右に同じのようである。
「では私から作戦の説明をさせて頂きます」
すでに主な面子には話しをしてあるが、改めてコンチンから作戦を伝えてもらう。
「今回は旧シチョフ領から進軍をします。なぜならばヤコブーツクから進軍致しますと、ココフ砦を落とさなくてはなりません。ここはご存知の通り川に面した要害であり、たとえ落とせたとしても多数の被害が予想されます。それに比して旧シチョフ領からばママノフ館までは然したる障害もありません。皆さん、ここまでは大丈夫ですか?」
コンチンは知力不足の者が理解する時間を与える為に一呼吸入れる。
しばらくして皆が頷くと再び解説を始める。
「ですので旧シチョフ領から攻め入りますと、エロシン軍は我々を何処かで止めないと領内を蹂躙されてしまいます。なので彼等は野戦を仕掛けてくるでしょう。その場所は恐らくここです」
コンチンは地図の一点を指し示す。
「エロシン領内はお義父上のお働きで、既に丸裸になっております。旧シチョフ領からママノフ館までの進軍ルートで、敵が待ち伏せるのに最適な場所がこの辺りにあります」
彼は再び皆(特にバレス)を見回す。
そしてバレスが頷くのを見てから口を開く。
「ここの道の脇には布陣するに最適な丘があるのです。既に井戸が掘られ水も確保してあります。敵軍はこの丘に陣取り、地の利を生かし我々に相対すると思われます」
流石にエロシン軍にもまともな奴はいるようだ。
「なるほど、ここで決戦と言う訳だな」
バレスがしたり顔でコンチンに話しかける。
「流石はバレス殿、その通りです。恐らくエロシンの兵力は総動員をかけても八百程。対する我々は四百。しかしロマノフ家とアキモフ家にココフ砦に攻め入る素振りをさせますので、全兵力を決戦には回せません。恐らく我々が相手をするのは五百程度でしょう。ならば将兵の質に大きく勝る我が軍ならば、勝利を収めるのは十分可能でしょう」
バレスは固まってしまった。
やはり知力不足は否めない。
後で俺が噛み砕いて説明してやろう。
セルゲイらも纏めてな。
「皆解ったな。作戦開始は十日後、合流場所はシチョフ村だ。各自領地へ帰り戦の用意を始めてくれ」
これで評定はお開きにした。
いよいよエロシンと雌雄を決するときがやってきたようだ。




