第三十九話 シチョフ領攻略戦
ロマノフ家からの帰り際、コンチンと話をした。
「エゴールは思ったよりもしたたかなようだ。愚か者ならば廃してしまおうと思ったが、そう簡単にはいかなそうだ。なんとかお前の安全と権益を保障させるに留まったが、それで勘弁してくれ」
当初はロマノフ家をコンチンに継がせるつもりだったが、そう簡単にはいかなそうだ。
軌道修正を計らなければならなくなった。
「いえ、あの場で私の事を気にかけて頂けただけ感謝致します。これで私も羽を伸ばして領地に帰る事が出来そうです。あっ、もちろん帰るのは偶にで、秀雄様の補佐はしっかりさせて頂きますのでご安心を」
当たり前だ、コンチンが居なくなったら政務が回らなくなる。
嫌でもここに残って貰うつもりでいるからな。
「その言葉を聞いて安心したぜ、正直お前に抜けられるとキツイからな」
「そう言って頂けると働き甲斐が有るものです」
と、こんな感じの会話であった。
それからは茜に命令して他家の様子を探らせつつ、内政に励んだ。
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三ヶ月が経過した。
季節は廻り、大山脈の雪模様も薄くなり、雪解け水が麓を潤す。
間も無く春の到来である。
冬に行った事は、土地の開墾、灌漑整備、成果システムの導入くらいだ。
本業に支障が出ない範囲でゆっくりやってもらっている。
紙工場については専門家が居ないので、どうする事も出来なかった。
なので今はこの世界の紙の作り方の本を取り寄せて、自分で勉強している所である。
そして軍に関してだが、徴兵に応じると言う男が思いの外多く集まってくれた。
これも減税の効果だろう、徴兵に中立的な態度を示していた者達が応じてくれたのだ。
現時点で召集する事の出来る兵力は、クレンコフ家も含めて二百三十人程だ。
それにアキモフ家とロマノフ家を加えれば四百以上の兵を動員出来る事になる。
また南方三家とも事務レベルでの会談は行っている。
ただしお互いの領地を確認し合う位で、協定などの話は出て来ていない。
ああ、大切な事を忘れていたな。
先月ようやく結婚式を挙げたのだ。
マルティナ、ビアンカ、チカの三人と同時にだ。
式は簡素な物だったが、三人とも喜んでくれた。
そして俺は名実共にクレンコフ家当主となった訳である。
四ヶ月の間に行った事は大体こんな感じである。
さて式を挙げたと言うことは、言い換えれば領内の状況も安定したと言う事だ。
ならばやるべき事は一つしか無い。
国盗りだ。
次なる標的はシチョフ家。
理由はエロシン家を切り崩すよりも簡単だと思ったからだ。
エロシン家は当主が変わったばかりで家中が一枚岩ではない。
特にヴィクトルの弟にはそれが顕著に表れている。
なので、もしシチョフ領を攻めたとしても、援軍に回せる兵力は少ないと踏んでの事だ。
それにシチョフ家を落とせばエロシン家を挟撃できる事になり、戦略上優位に立てると言う理由もある。
今回の進軍ルートは松永領から入る。
クレンコフ領からだと山道になるため、進軍が容易でないからだ。
陣容は松永家から百五十人、旧クレンコフ家から五十人、アキモフ家から五十人、ロマノフ家から五十人の計三百人である。
そして留守にはナターリャを残しているので、何かあっても簡単に落ちる事は無いだろう。
進軍開始は五日後だ。
季節を越えても全く褪せることの無い、初陣の感触を思い出しては、身震いし鳥肌が立つ。
だが今は右肩には家名を担ぎ、左肩には女を担ぐ。
さらに背には己の野望まで乗せている。
いまさら後に引くことなどできない。
俺は決意を新たに、己を強く持ち戦へと望む。
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五日後、予定通り俺達は進軍を開始した。
まずはシチョフ領の各村落をじわじわと占領して行く予定だ。
シチョフ家の本拠地は山城が築かれていて、籠もられては攻略が難しくなる。
その為、他の村を次々と落としシチョフ家の面子を潰し、敵を炙り出そうと言う考えだ。
しかし進軍を開始するや否や、いきなり問題が生じた。
アキモフ軍とロマノフ家が俺達の進軍速度に付いて来れないのである。
この四ヶ月間俺は、戦衆を農業から切り離して徹底的に鍛え上げた。
ナターリャとバレスの鬼教官により、クレンコフ流軍学を叩き込んだのだ。
その為、松永軍は他家の兵よりも一段は錬度が高い。
俺は仕方なく二家の兵百を切り離し、エロシン家からの援軍対策にシチョフ領とエロシン領の領境に張らせる事にした。
本気でエロシン軍と戦わせると後で面倒なので、コンチンに足止めをするようにと伝えてある。
兵の錬度を見た限りではあまり期待は出来ないが、彼が上手くやるだろう。
松永軍二百は次々とシチョフ領内の村々を占領していった。
各村の僅かな守備兵では、大軍には抗う事はできないので、魔法を一発打ち込み降伏勧告をすれば殆どが応じてくれた。
その為進軍は順調に進み、二日間でシチョフ領の北側の七割以上は攻め落とす事が出来た。
と言うのも殆どの兵はバラキン家の援軍と共に、本拠地のシチョフ村に籠もっているからである。
だがここまで領地を蹂躙されれば、そろそろ顔を出してもおかしくない頃合いだ。
翌日、さらに俺たちは進軍を続け、遂にはシチョフ村と目と鼻の先までたどり着いた。
しかしシチョフ軍は動く気配を見せない。
あくまで籠城戦にこだわるつもりのようだ。
エロシン家の援軍待ちだろうか。
ならばあれを試してみるか。
それが駄目なら収穫前の麦畑を焼いて炙り出すしかないな。
松永軍はシチョフ村の目の前に近づくと、攻める素振りすら見せずにそのまま通り過ぎる。
ついでに村の中に罵詈雑言の書かれた矢文を放ちながらだ。
そして村の前を通り過ぎると、そのままシチョフ領南部の攻略に乗り出す。
これは、かの有名な三方ヶ原の戦いの武田信玄の策を真似たものだ。
俺はシチョフ軍が徳川家康のように出てくるのを願っている。
もし出てきたら、糞を漏らさせる暇も与えずに、葬ってやるつもりではいるがな。
そして近隣の村を攻略しようと準備を始めた所、茜から連絡が入った。
シチョフ軍が俺達の背後を突かんとしているようだ。
ふふふ、やはりしびれを切らして出て来たな。
ここで武田は反転し魚麟の陣で待ち構えたらしいが、ここは少し工夫するとしよう。
「ここは背後を付かれた振りをして、わざと中央突破をさせろ。そして敵が深入りした所を包囲殲滅する。数はこちらの方が多い。作戦通り戦えば、負ける事は無いはずだ」
俺は確実に頭を取る策を全軍に伝える。
こう言う時の為に、常備兵化して厳しい訓練を積んで置いたのだ。
出来ない訳がない。
しばらくすると敵が挑発に乗ってホイホイとやって来た。
きっと奴らは俺達が気付いていないと思っているのだろう。
そして罠だと知らずに、まんまと突撃を開始して来た。
俺達は不意を突かれた振りをして、程々に戦っては横に割れを繰り返し、徐々に陣形内深くに敵を食い込ませる。
しばらくやられた振りを繰り返すと、勢いづいたシチョフ軍は気付けば松永軍のど真ん中まで侵入していた。
良い感じで罠に引っかかってくれた。
そろそろ頃合いだな。
「今だ! 全軍反転。包囲殲滅せよ!」
俺は大声で指示を出すと、合図代わりに魔法を一発叩き込み、突撃を開始する。
すると四方八方から攻められたシチョフ軍は面食らったものの、騎士達を中心に方陣を作りなんとか耐えようとする。
しかし俺とリリがバーストやウインドストームの範囲魔法を密集地帯に叩き込むと、戦線はたちまち崩壊した。
俺達の魔法を捌ける者はシチョフ軍にはいなかったのだ。
陣形が崩れた今、後は掃討するだけだ。
しばらくすると誰かが敵将を討ち取ったようだ。
これ以上敵に被害を出しても後々困るので、潮時とばかりに降伏勧告を出した所、頭を失った集団は我先にと競うように剣を捨て出した。
またしても僅かな被害で大勝を果たしたのである。
兵数的には五分だったが、こうまで上手くいくとはな。
そして大将首を掲げながらがら空きのシチョフ村へと進軍し、間髪入れずに降伏勧告をすると、領主を失った為かあっさりとそれに応じた。
労なくしてシチョフ村を占領する事が出来たのだ。
しかしまだ終わってはいない。
コンチン達の様子が気になるのだ。
リリに一っ飛びしてもらった所、現在エロシン軍を足止めしている所らしい。
コンチンが頑張っているようだな。
ここは彼にやられた振りをして道を開け、こちらに誘導し、上手く挟撃したい場面だ。
俺はリリにもう一っ飛びお願いし、コンチンに作戦を伝える。
そして俺は百五十の兵を率いて、既に落ちたとも知らないシチョフ村へと、援軍に向うエロシン軍二百五十へ向けて進軍を開始する。
両者はシチョフ村から十五キロメートル程の地点で相対した。
地形的に松永軍の方が山側なので、必然的に上に布陣する。
その為、数の不利にもかかわらず兵の質も相まって、松永軍が有利に合戦を進める。
これは不利と見たエロシン軍は一旦退却し陣形を建て直そうと試みるが、その瞬間背後から一度は蹴散らしたはずのアキモフ・ロマノフ連合軍が襲って来た。
教科書に書いたような挟撃を受け、エロシン軍は相当数の被害を出し、ほうほうの体で本領へと退却したのだった。
これで完全に敵軍を排除した松永軍は、改めて残りの村々を平定し、完全にシチョフ領を手中に収めたのである。