第三十二話(地図) 追撃戦③ ロマノフ家の麒麟児
ヤコブーツクを占領してからも、俺達は息を着く事は出来ない。
今後はここを拠点として、エロシン領北東部を完全に制圧する予定だからである。
先ずは西部のキローフ村だ。
恐らくここにはエロシン軍が対ロマノフ家用に残してきた兵が、五十人程度はいるはずだ。
次に北部のスカラ村だ。
ここにも対アキモフ家用に残してきた五十人程度の兵がいると思われる。
既に逃げている可能性もあるが……。
この二つの村を占領すれば、エロシン領北東部は、完全に手中に収めたと言っても良いだろう。
しかし、気になるのアキモフ家とロマノフ家だ。
この二家が漁夫の利を狙おうとして、出張って来る可能性を十分考慮に入れておかないといけないな。
今は、迅速に行動する事が俺達には望まれているのである。
ヤコブーツクを占領した翌朝、俺達は再び進軍を開始する。
次なる標的はキローフだ。
ロマノフ家の出方次第だが、事によっては事態が急変する可能性があるので注意が必要だ。
また、ヤコブーツクには、身代金となる捕虜が大勢いる。
なので、万が一に備えレフを含め十人の兵を残しておく事にした。
町を出てから街道を北西にひた走る。
キローフまでの距離は約二十五キロメートル、やはり時間にして二時間程かかる。
だがヤコブーツクで早馬を調達したので、多少は時間が短縮されるだろう。
馬を走らせる事一時間半、思いの外早くキローフ村に到着した。
途中ビアンカとチカは可哀相なので、馬に乗せてやった。
だがキローフ村の様子がおかしい。
耳を澄ますと、金属のぶつかり合う音や、さらには人と思える叫び声が聞こえてきた。
これは戦闘音楽だ。
恐らくロマノフ家が仕掛けているのだろう。
これは先を越されたかもしれない。
ここは彼らに加勢をして、しっかり権利を主張せねばならん。
「ロマノフに遅れを取るな! 突っ込むぞ!」
俺は一喝飛ばすと、脇目も振らずに全速力で突出する。
付いてこれるのはリリとバレス、遅れてビアンカ、チカが並んで続く。
一分も満たない内にキローフ村へとたどり着くと、そこは絶賛戦闘中だった。
俺はエロシン軍の装備をしている兵士に、手当たり次第攻撃を掛ける。
その攻撃は敵にとっては奇襲であり、均衡が崩れ、一瞬で戦局が傾く。
さらに、俺に続いてリリ達も加わった為、ものの五分で敵軍は崩壊した。
元から敵は五十人程度の兵しかいなかったので、俺の参戦は決定的だったようだ。
掃討戦はバレスに任せて、俺はロマノフ軍の将へ会いに行く事にした。
ロマノフ陣営へと向うと、将と思われる人物が兜を脱ぎ俺を出迎えてくれた。
だが兵数はそんなに多く無いな。
三十に欠ける程度だ。
よくぞこんな人数で攻めたもんだと感心しながら将に近づく。
「初めまして、あなたが秀雄様ですね。私はマルク・アレクサンドロヴィチ・ロマノフが次男、コンスタンチン・マルコヴィチ・ロマノフと言います。コースチャと呼んで頂ければ幸いです」
コースチャって愛称なのね。
なんかいいにくいから、コンチンって呼ぶことにしよう。
それにしても俺の名を知っているとは驚きだ。
「確かに俺が松永秀雄だ。コンスタンチンさん、今の俺の気持ちが分かるかな」
心の中では「てめえ調子に乗るんじゃねえ。俺の土地を横取りしやがって」と思っている。
「ええ、もちろん。この村はクレンコフ家に差し上げます。我々は同盟者としての振る舞いをしただけですよ」
えっ、こいつ案外いい奴じゃないか。
でも俺の事の知っていたし、なんかきな臭いな。
「それだけとは思えんがな。ただくれると言うなら貰っておく」
「どうぞどうぞ。では、折角知り合ったのですから、少しお話でもしませんか。こちらで茶を用意しますので」
ほらきた。
絶対腹に一物持っているな。
でも頂く物も貰ってしまったから、聞かんわけにもいかんな。
「分かった、聞くだけ聞いてやるよ」
俺は僅かな護衛と共に近くの空家へと入る。
するとコンチンが茶を入れようとするが、俺が制してリリにワインを出させる。
「戦勝祝いに一杯だけだ」
このあとスカラ村への進軍を控えているから、本当に一杯だけだ。
「ありがたく頂戴します」
俺達は乾杯をして一気にワインを飲み干した。
「で、言いたい事はなんだい」
俺はスカラ村へ急がねばならないので、とっとと本題に入る。
「はは、秀雄様には敵いませんね。私の願いはあなたと個人的な契約を交わし、いざと言う時は身の保障をして頂きたいのです」
よく何を言っているのか良く解らなかったから、詳しく聞いてみた。
コンチンの話によると、彼は側室の子である為、立場が低いらしい。
それだけならいいのだが、現当主マルクが老齢で、もし彼が死んだら、コンチンは兄から粛清される恐れがあるそうだ。
その為、今回無理を押してまで俺に恩を売っておき、後の安全を確保しようとしたのである。
俺の事は彼独自のルートで仕入れていたらしい。
ふむ、そう言う事なら納得してもいいだろう。
それにしてもコンチンは中々有能だな。
僅か三十人足らずで、五十人の兵といい戦いを繰り広げてたんだからな。
これは俺が後ろ盾となり、コンチンをロマノフ家の次期当主にさせれば面白い事になりそうだ。
「成る程な、あんたの事情は解かったよ。いざと言う時は俺を頼って来な、悪いようにはしないからさ。それとも俺の直臣にでもなるか? もしなれば、お前を次期当主に力ずくでも勧めてやるぞ」
するとコンチンは目の色が変わり、
「本当ですか!? それはとても魅力的な話ですね。実は、私はもう命を狙われる生活はもうこりごりなんですよ。秀雄様のお役に立てるよう精一杯頑張りますので、ぜひとも宜しくお願いします。」
と逆に懇願してきた。
おおっ、あっさりと能臣を手に入れたぞ。
だが信じきるまでは時間が必要だ。
めでたい事は確かだな。
「そうかい。ではこれからお前の事はコンチンと呼ぶ事にする。これから宜しくな! 話はこれでお終いだ。俺達は次を急ぐからな」
「コンチンですか……、はい、それでいいです。あと忠誠の証として私も同行願えませんか。こう見えて回復魔法を多少は使えますので」
コンチンはなんと回復魔法が得意らしい。
これはいいぞ、彼のようなタイプはクラリス以外一人も居なかったからな。
「それは心強いな、ぜひ同行願おう。手勢の者は疲れているだろうから、この村の後処理を頼む。いい守りにもなるだろうしな」
「お心遣い有難うございます。ではそのようにさせて頂きます」
「では早速行こう」
俺達は昼飯を済ますと、キローフ村から北東の方角へスカラ村を目標に進んだ。
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キローフ村からスカラ村までは上り坂が多い為、四時間程の道のりとなった。
そろそろ日も落ちる。
短期決戦と行こうじゃないか。
だかリリに様子を探らせた所、村には兵士が居ないようである。
ならば好都合と思い、一気に村を占領した所、面白い話を聞く事が出来た。
村民によると、エロシン家より派兵された領境の常備兵五十人は、ヴィクトルが死に、俺達が領内を荒らしまわっている事を聞き付け、逃げ出したらしい。
位置的にも早く逃げないと包囲される事になるから仕方無いのかもしれない。
だがその動きを嗅ぎ付けたアキモフは、漁夫の利狙いで動くかもしれないな。
恐らく俺の予想だと、既に動いているだろう。
もう少しで夜だが、今日中にいける所まで行くしかないな。
俺達は疲れた体に鞭打ちながら一つ先の小村まで行き、そこで一晩を越した。
明けて翌日、俺達はアキモフ家に掻っ攫われる前に、出来るだけ多くの村を確保しようと思い、早朝から出発をする。
昼前までに三箇所程の小村を支配下に置いた所で、遂にアキモフ軍と鉢合わせた。
するとボリスがいい笑顔で俺を出迎えて来る。
「おお、秀雄殿! この度は大活躍だったそうではないか。私もそなたに協力せんと思い兵を動かしたのだ」
何いってんだよ、この風見鶏が!
火事場泥棒とはお前の為にあるような言葉だぜ。
「それは有難うございます。ボリス殿は追撃戦が大変お得意と伺ってますし、とても助かりました」
少し嫌味を込めて言った所、少しムッとした表情になり、
「いや、秀雄殿がエロシンに一矢報いた時は協力するように、と要請されたからそうしたまでだ」
と怒り気味でまくし立てて来た。
確かにそう言ったが、やり方が気に食わないんだよな。
「そう言えばそうでしたね。ではもちろん協力と言う形ですので、ボリス殿が占領した村はこちらに譲っていただけるのですね」
するとボリスは苦虫を噛み締めたような顔つきでこう言い放った。
「私と秀雄殿での協力の解釈が違っていたようだな。私の思う協力は、共にエロシン領を切り取り合おうという風なのだがな」
はい、そう来ると思いましたよ。
ここでこれ以上揉めても、敵に付け入る隙を与えるだけだな。
今日は仕方無いが引き下がってやるよ。
だがこの借りは必ず返すから覚えとけよ。
「それもそうですね。今回が私が言いすぎました。ボリス殿がお取りになった村は、そのままアキモフ家の物となるのが筋かもしれませんね」
するとボリスはにやりといい笑顔を浮かべながら、
「解ってくれたか。まあそれが筋と言うものだよ。秀雄殿はこの辺りのしきたりに疎いのだろうが、こちらではそれが普通なんだ」
としたり顔で、しゃあしゃあと口を開いて来た。
胸糞悪いが、ここは我慢だ。
最後は締まりが悪かったが、これで当初の目的だったエロシン家北東部は、殆ど占領する事が出来た。