第二十九話(地図あり) クレンコフ村の戦い②
「ここまでは順調だな。敵も既に退くに引けない状況にまで来ているんじゃないかな」
大手門をエロシン軍にわざと明け渡してから、俺達は被害を出さない事を第一に考え、ちまちまと敵を削りつつ、「これは敵わん」と言った素振りをしながら、少しずつ戦線を後退させている。
既に予定通り、二の丸の奥まで敵を誘い込む事に成功した。
これまでの間で、敵の被害はさらに百近くが上乗せされているだろう。
緒戦の分と合わせると、計二百人以上の被害が出ている。
従来の戦なら、エロシン軍の大敗は決まったようなものなのだ。
だがバレス達の巧みな演技で、あと少しで本丸の突入出来そうだと敵を思い込ませている為、敵も勝利が目前だと勘違いしているのだ。
その為、現在の所エロシン軍からは撤退する気配は微塵も感じられていない。
「そうだな。勢いは衰えたものの、まだまだ退く気は無いみたいだな。だが確実に戦線は延びている……」
狭隘かつ曲がりくねった坂路を右往左往しながら登ってくる敵兵に、ちまちまと魔法をお見舞いしながら、マルティナも言葉を飛ばす。
「そろそろ仕上げと行くか。リリ、ビアンカ、チカ、作戦開始だ!」
「おー!」
「かしこまりました」
「はいにゃ!」
俺は物見櫓からヴィクトルの位置を確認すると、村の側面にある急斜面を下る。
並の人間では怪我をする恐れがあるので、連れて行くメンバーは空を飛べるリリと獣人故の身体能力を見込んで、ビアンカとチカを選んだ。
予想通り、ビアンカとチカは楽々と急斜面を下り終えた。
もちろん俺とリリもかすり傷一つない。
そして俺達は崖を背にして、三の丸方面へと下っていく。
なぜならそこには、ヴィクトルが既に勝利を確信して、僅かな護衛と共に高みの見物をしているからだ。
もちろん虎の子魔法隊は前線に投入されているので、護衛は雑魚ばかりだろう。
敵に気付かれないように、崖下から三の丸へと進み急斜面をよじ登る。
上に出た俺達は木々や建物の陰に隠れながら、ヴィクトルを探索する。
皆、声を殺し、足音を消しながら慎重にだ。
するとビアンカが耳に右手を当てながら、左手で一方向を指差す。
人間には聞こえない音量の僅かな音が、聞こえるのだろう。
俺は斥候役のリリに偵察を頼む。
すると、しばらくしてリリが手でマルを作りながら帰ってきた。
ビンゴだな。
俺達はリリに従い、ヴィクトルの下へと近づいて行く。
そしてゆっくりと進む事数分後――、いた、ピカピカの悪趣味な鎧を着飾ったおっさんが。
あろうことか、既に勝利の前祝とばかりに酒を呷っていやがる。
十人程の護衛はさすがに飲んではいないが。
「俺がヴィクトルを殺る。三人は護衛の相手を頼む」
小声で伝えると、三人は躊躇いなく首肯した。
それを確認すると、俺はファイアーサテライトを作り、ヴィクトル目掛け叩き込む。
リリもウインドボールを、護衛目掛け発射した。
その成果を確認する前に、俺は全力でヴィクトル目掛け駆け出す。
もちろん俺に遅れを取るかとばかりに、三人も続く。
十秒程走った所で、俺はヴィクトルの居場所へとたどり着いた。
先制攻撃は上々のようだ。
ヴィクトルはかすり傷程度だが、彼の事を身を挺して守った護衛四人が既に事切れていた。
俺は右腕を抑えているヴィクトルに、名乗りも上げずに突撃する。
いちいちそんな事をしている暇は無い。
とっとと殺して、援軍が来る時間も与えないようにしないといけない。
ヴィクトルもようやく俺が敵だと認識したようだ。
魔法を放とうとするが、既に俺に距離を詰められており、仕方なく剣を手に取り応戦しようとする。
だが酒の入った体では足元がおぼつか無い。
ヴィクトルから放たれた突きを難なくかわすと、無言のまま顔面に一撃を食らわし、そのまま大外狩りを掛け、奴を押し倒す。
そしてそのまま馬乗りになり、顔面に頭突きを連発した。
数発頭突きを加えたら、既に相手は意識が朦朧としているようなので、腰からナイフを取りその首を掻っ切った。
「ふー、ふー」
俺も必死だったので、なんとか息を整えている所だ。
少し落ち着いたので、周りを見ると護衛は既に全滅していた。
三人がしっかり仕事をしてくれたようだ。
周りに敵がいないのを確認してから、ヴィクトルの首をザシュっと斬り取る。
「リリ、これをマルティナに」
生首をそのままリリに渡し、本丸にいるマルティナへ届けさせる。
「うへー、気持ち悪いー。すぐ行って帰って来るー!」
リリはしかめっ面をしながら、放たれた弾丸のような猛スピードで本丸へ向けて飛んで行った。
そして、俺は成功の合図として空中に火球を打ち上げる。
さらに大声で、
「エロシン家当主ヴィクトル、この松永秀雄が討ち取ったりー」
と声高に宣言したのだった。
すると、声の出所がヴィクトルの居場所から出て来た為、エロシン軍に動揺が走る。
誰もが勝利は目前と思われていた所に、総大将が討たれたのだから当然だな。
さらに数分後、その動揺が悲鳴に変わった。
本丸でヴィクトルの首が掲げられたのだろう。
先程まで勢い良く攻め立てていたエロシン軍が、蜘蛛の子を散らすように退却を開始したのだ。
この戦、完全に決まったな。
後は追撃するのみだ。
すると、生首を運ばされるという嫌な役回りを与えられたリリが、猛スピードで戻ってきた。
「ヒデオー、大成功だね! もうマルティナ達がやりかえしてるよ!」
既に、予定通り追撃戦に移っているようだな。
俺は予め、ヴィクトルを討ち取った場合は追撃戦に移るようにと、バレスらに強く言い含めておいた。
たとえ言わなかったとしても、歴戦の猛者のバレスならば、自分で判断して攻撃を加えただろうがな。
「よし、俺達も行くぞ! バレス隊と挟み撃ちにすれば敵はお終いだ!」
「うん!」
「はい!」
「はいにゃ!」
山場だったヴィクトル討伐を成し遂げた今、これからは楽しい時間の始まりだ。
やはり苦しみにの先には快楽が待っているって言うしな。
あれっ、意味が違ったかな。
まあいい、戦意喪失したエロシンの雑兵共の背中に魔法を撃ちまくる事が先決だ。
獲物は待ってはくれないからな。
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『おらおらおらおらー!』
俺は我先にと逃げ出す敵兵を、櫓の上から次々と撃ち殺している。
リリも俺の掛け声を真似しながら、同じ様に敵を屠っている。
敵は俺達の事など脇目も触れずに、逃げる事に必死だ。
ちなみに大手門前に掛けられた橋は俺がご丁寧に焼き尽くしてあげたので、敵さんはあっぷあっぷしながら水堀を泳いでいる。
しかし水堀を泳ぎ切ったとしても、そこは俺達が逃がすまいと魔法をバンバンと撃ち込む。
一方、泳ぐのを逡巡すれば、後ろから鬼神バレスが先頭に立って追い立ててくる。
奴らは正に、「進むも地獄退くも地獄はこの事だ」と死を目前にして、改めて思っているだろうな。
おお、そろそろバレス達が追いついて来たようだ。
バレス隊は必死で逃げ惑うエロシン兵に飛び掛り、日頃の恨みでも晴らさんとばかりに後ろから斬りかかっている。
櫓の上から見ても生き生きとしているのが手に取るように分かるぜ。
どれだけエロシン家の事嫌っていたんだよ……。
バレス隊に追い詰められた敵兵達は覚悟を決めたのか、俺とリリが放つ魔法の十字砲火ポイントに突っ込み始めた。
さすがに大勢の敵兵が雪崩れ込んで来た為、全員を撃ち殺す事は出来なかったが、それでもかなりの数を屠った。
取り合えずはこんなもんだな。
一先ずバレスと合流する事にしよう。
「おーい! バレスさーん」
俺は櫓を降りて、大手門前で追撃戦の疲れを癒しているバレスに声を掛ける。
「おお、秀雄殿ではないか! 見事憎きヴィクトルを討ち取ってくれた! おかげで敵は総崩れだ。この戦いで奴らは四百を越す死者を出した程だからの。負傷者も入れれば、エロシン軍はしばらく身動きがとれんだろうの。ハハハハハ! 久方ぶりにいい気分じゃわい!」
おっさんは興奮しているのか、でかい声で長々と話し掛けてくる。
滅亡寸前からの大勝利、と事情が百八十度変わればそれは無理もないか。
だがまだ気を抜くのは早いぜ、バレス。
「まだまだこれからだろバレスさん。疲れている所悪いが、予定通りがら空きのエロシン領、切り取ってやろうじゃないか」
そうこれこそが、わざわざヴィクトルを殺す事にこだわっていた、一番の理由なのである。