第十七話 マルティナの事情
俺は憤っている。
それはマルティナの置かれた事情が、あまりにも理不尽だったからである。
彼女の本名はマルティナ・レナートヴナ・クレンコヴァと長ったらしい名前だ。
姓は最後のクレンコヴァだが、家名はクレンコフ家。
女性と男性で姓が違うらしい。
なんかロシアっぽい名前だな。
名前については置いておいて、クレンコフ家は南方諸国の北東に位置する、ウラールと言う山岳地帯に根を張る土豪だ。
この地域は、エロシン家という豪族を除いて、殆どが人口一万人以下の小勢力が集まっている。
クレンコフ家は超が付く程の弱小で人口が二千人強しかいない。
その為、民とは全員顔見知りらしい。
そして小勢力同士が時には反目し合い、時には血縁を結んで手を取り合い、と言った関係が長らく続いてきた。
もちろんクレンコフ家もその一員だったのだが、マルティナの父の死によって事情が変わる。
その理由は、父が残した子は、ハーフエルフのマルティナのみだった事にある。
マルティナの父は若き時分冒険者をしており、その関係で、後にマルティナの母となるエルフに知り会ったらしい。
そのエルフと間にマルティナが生まれたが、元来エルフは子が出来にくい性質の為、父は側室を娶り、後継者たる男子を作るべく尽力した。
しかし、その半ば、父は突然の病で急逝してしまった。
そこで、後継問題が浮上する。
マルティナはハーフエルフなので、悲しいかな彼女を差別する土豪もいた。
その為代替わりしても、それらの勢力と同盟関係が維持できるかは疑問だった。
しかし、マルティナしか嫡子がいない為、半ば自動的に彼女が家督を継承する運びとなる。
彼女が実際に家督を継承した事で、懸念していた事柄が的中した。
数家の土豪からマルティナの継承を認めず、同盟を解消する旨が申し渡された。
特にエロシン家からの絶縁は堪えたようだ。
そして絶縁された勢力の中の一家から嫁いで来た側室も、クレンコフ家から出て行く事にもなった。
同盟を解消されただけならまだ良かったのだが、運が悪い事にクレンコフ家は、主に林業を生業としており、それを元に他家との貿易で食料を輸入していた。
同盟を打ち切られた事で、まともに食料が調達できなくなったので、急遽自給を始めるが、元々作物の育ちにくい土壌のため、満足いく量を収穫する事も出来る当てもない。
マルティナはまだ同盟を維持してくれている勢力に、頭を下げて頼み込んだが、エロシン家の影響力を恐れた事と、余剰食糧もそれ程ある訳ではない事を理由にされて、申し訳程度の食料した提供してくれなかった。
しばらくして備蓄している食料も底を尽き掛け、なにか方法はないのかと試行錯誤している時に、このタイミングを見計らったかのようにエロシン家から申し出があった。
「エロシン家が当主ヴィクトル・ヴァシーリエヴィチ・エロシンが側室にマルティナ・レナートヴナ・クレンコヴァを迎い入れたい」と。
言い換えれば、マルティナと領地を差し出せば食料をくれてやる、という事だ。
なんとゲスい男だろう、ヴィクトルと言う輩は。
流石にエロシンという姓だけあるわ。
マルティナは民の為を思い、一旦はヴィゥトルの下へ嫁ぐ事を決めた。
しかし、すべての民が館の前に集まり、マルティナがエロシンに嫁する事を撤回するようにと、直談判をして来た。
民の熱意に感銘を受けた彼女は輿入れを撤回し、飢えようとも民と共に生きていく事を決意した。
そして収穫までの繋ぎとして、多少魔法の腕に覚えのあるマルティナは、エルフの母を防衛の為に残し、当座の食料を買い込む為の資金を稼ぐ目的で、僅かな供をつれて強力な魔獣が生息するステップ地帯へと足を踏み入れたのである。
そして偶々みつけた地竜の卵を、親竜が怒るのは知っていながらも、背に腹は代えられずに親竜がいない隙に持っていったが、休憩場で一休みしている所を匂いを辿って追いかけてきた親竜に見つかり、先程の状況となっていたのである。
その事をマルティナが冷静に話しながらも、時には沈痛な面持ちを見せて、俺に説明をしてくれた。
話を聞いて俺は素直に怒りを覚えた。
特にエロシンとやらは気に食わん。
人種を理由に同盟を解消し、その上民を飢えさせて、最終的にその勢力を吸収するというやり方はゲスい。
元から対立している者同士なら解らないでもないが、元同盟勢力を背後から槍で突くような形で、強引に取り込むのは最低最悪だ。
特に最後のマルティナを側室に加えると言う点が非常に許せん。
これが一番頭にくる。
ハーフエルフを蔑視しておきながら、結局はやる気マンマンだって事じゃないか。
既にヴィクトルとやらは男らしさの欠片も無い、陰湿なむっつりスケベだと俺の中で確定している。
俺は話を聞いた時点でマルティナに与力し、ヴィクトルと征伐する事を決めた。
なぜならマルティナの境遇が、日本での俺の置かれた状況に似ていると感じたからである。
理不尽な力により謂れの無い被害を被る。
規模は違えど、その点が俺の就活と似ている。
俺はマルティナにシンパシーを覚えたのだ。
もしくは、日本で蓄積された恨み辛みを、マルティナと言うフィルターを通して、この世界で晴らそうとしているのかもしれない。
それにクレンコフ家の周辺に、逆立ちしてでも勝てそうに無い大勢力がいないのは大きい
それだけで十分勝算は出てくる。
なんだかんだ言っても、俺達のパーティーはかなりの戦力を有していると自負しており、上手く立ち回れば小勢力ならば何とか出来ると思っているからである。
もちろん敵に、強力な個体がいないのが前提ではあるが。
「とりあえずエロシンとか言う奴は許せんな。マルティナさん、俺はあなたに協力するよ。食い扶持は余裕が出来るまでは貸しでいい。それに少ないが手持ちの金も貸してやる。ただ一つ条件がある」
マルティナはいきなりの展開に、まだ頭が追いついていないようだ。
それはそうだ、卵の件を見逃してもらい、さらには地竜の素材も半分譲ってくれる。
そして極めつけは、誰もがそっぽを向ける状態のクレンコフ家に、与力してくれると言うだから。
しかし、彼女は秀雄の事を天与の好配とでも思ったのだろうか、すぐにはっとした表情となり口を開く。
「秀雄殿の言っている事が本当なら、ぜひともご協力をお願いしたい! あなたの言う条件だが、出来る事ならなんでもする! だが既に私の体は地竜での支払いで予約済み、もう与えられる物は何もないんだ……」
マルティナは最後は自嘲気味に言葉を紡ぐ。
「いやいや簡単な事だ。俺達の活躍で切り取った領土は全て俺の物になると言う約束をしてくれればいい。ただそれだけだよ」
当初はマルティナに仕官して、伸し上がるつもりだった。
だがあまりにもクレンコフ家の状況が良くないので、多少無茶な条件を付けてみたのだ。
俺の言葉を聞いて、彼女は一瞬「何を言っているんだ?」と言っているような表情を作ったが、すぐに元の顔つきに戻し返答する。
「ハハハ、もしそんな事が出来たら、どうぞ持っていって下さいだ。その時は私も一緒に貰ってくれれば、なおさら当家は磐石になる事は間違いないな」
ほっほー、今の言葉で俺のモチベーションは天井知らずで上昇中です。
マルティナは半ば冗談だと思っているようだが、俺は本気の本気だ。
今の言葉覚えておくからな……、飲み込むなよ。
「よし、これで話は決まったな。では皆の顔合わせも兼ねて飯にしよう。食材は沢山あるからな、腹いっぱい食わしてやるよ!」
「……ゴッ、ゴクリッ…………。すっすまない、……恩に着る。実は、ここ最近まともに食べることができていなかったんだ」
マルティナは思わず唾を飲み込んだ。
その音が俺に丸聞こえになったのに気付いたのか、顔を真っ赤にしながら礼を言って来た。
クール系美女(眼鏡付き)の焦る姿、これまた一興だな。
ついでに彼女に続いて、連れの兵士と裏に隠れていた少年の口元からも、生唾を飲み込む音が聞こえた。
そして、俺はマルティナと話している間に、地竜を解体してもらっていたビアンカ達を呼び寄せて、夕食作りを始めたのだった。