第百三十八話 リリの願いと今後の方針
熱々の茶がかかった口元を撫でながら、リリに従う妖精たちに視線を送る。
同時にジュンケーから冷たいおしぼりを受け取り患部を冷ます。
「リリさん、とりあえず落ち着こう。一先ずお願いはいいとして、後ろの妖精たちはどういうことなの?」
流石に妖精の大群が部屋に入ってくるとは思わなかった。
俺はリリに落ち着けといいながら、心の中で深呼吸をし冷静に努めようと腐心する。
「あのねー、このローラお姉ちゃんがお母さんのこと教えてくれたんだー。お母さん、今妖精たちを率いて悪い魔族と戦っているんだって……。でもなかなか大変みたい。そこでヒデオ助けてもらおうと思ったんだー」
んん、お母さんが魔族と戦っている!?
そしてお母さんは妖精たちを率いていると。
リリさん、あんたしれっとすごいこと言っちゃったよね。
よし、落ち着こうここは久しぶりに素数を数えるか……。
一、三、五、七、九……、おっと九は素数じゃないか、いかんいかん。
「リリ様、ここは私が代わってお話してよろしいでしょうか?」
「うん、任せたー」
俺が素数を数えながらリリから振られた話を咀嚼していると、彼女の後方に控えていた妖精のリーダーと思われる一人が前へと出てきた。
「初めまして秀雄様。私はナヴァール湖に在る水妖精たちの長のローラといいます。我ら水妖精が一族はリリ様に付き従うことを決めました。そしてリリ様に導かれこちらへご挨拶に参りましたわ」
「これはご丁寧に……、俺は松永秀雄だ。先日この地域を領した者だ。それにしてもナヴァール湖に妖精がいたのか、驚きだな。だがリリに従うとはどういうわけで?」
「リリ様は、ここ一帯を束ねる妖精族の貴種であられます。故に我らが従うのは当然のことですわ。また、我々はナヴァール湖中央に結界を張り暮らしておりました。周囲には水竜がいるため出入りが容易ではなく、行動が制限されていました。そのため人族が我々を目にする機会がなかったのでしょう」
ななな、リリが妖精族の貴種だとぉ。
聞いてないぞ。
むむ……、確かにこれまでのリリのお母さんの話や、置き土産のあの空間、そしてリリのSランク魔獣という種族を鑑みれば、そこまで不自然でもないが。
ふむ、事実このローラという水妖精が言っているのだから、さっさと受け入れるとしよう。
「なるほどな、大体事情は分かった。俺もリリの実力は並みの妖精離れしていると思っていたからな。貴種というのなら納得がいく。でだ、例のお願いとは一体何なんだ?」
「はい、実は妖精族の置かれている状況は芳しくありません。そこで秀雄様に我々のお手伝いをしていただきたいのです。これから妖精族の現状を詳しくお話したいのですが、よろしいでしょうか」
「うむ、勿論だ。お願いするよ」
俺がそうローラに告げると、彼女はペコリと首肯し、机上に置かれていた地図を用いてかれこれ三十分程説明を行った。
「以上が私が知っている全てになります」
ローラは解説を終え、判断を俺に委ねた。
さて、今の話をまとめるとしよう。
端的にいうと、妖精族は魔族に攻め入られ本拠地であるフェアリーガーデンを失った。
しかし兵力はまだまだ健在である。
現在妖精族は、南方諸国からノースライト帝国の各地に点在する数十のミニフェアリーガーデンに引いている。
松永領内にはナヴァール湖と、チェルニー領南の森深くの未発見迷宮の最下層、この二ヶ所にミニフェアリーガーデンが存在する。
辺境の地だけあり二つもあるとは運がいい。
迷宮探索は嫌だが、俺が出向くことも考えねばならんな。
だが魔領域にあった十程度のミニフェアリーガーデンはすでに占領されているとのこと。
各地のミニフェアリーガーデンに引いた妖精たちは現在戦力を蓄えている最中らしい。
幸いミニフェアリーガーデンと魔領域とは直接に接していないため、差し迫った状況ではない。
その一方で、魔軍の勢力拡大を防ぐためにリリの母である女王ララは、精鋭を引き連れて魔領域でゲリラ戦を展開し補給網に打撃を与えようと試みている。
妖精たちは空を自由に飛びまわれ、姿も小さいので奇襲はお手のものだ。
ただし、同じく魔軍と領地を接しているノースライト帝国と協力関係にはなく、独立して行動をしている。
またノースライトより東のローザンヌやその他の国々の情勢は勢力圏外であるので、詳細は分からないと言っていた。
ちなみに魔王は一人ではなくて、何人かいるらしい。
魔領域内でも魔王たちが対立をしており覇権を争っているとの話もあるようだ。
つまりは、人族でいう国一つの王が、魔軍でいう魔王ということだ。
まだピンとはこないがそんな感じと思っておこう。
「つまりは俺に魔軍を何とかしてくれということだな」
「はい。心苦しいですが……」
「これはリリの願いでもある。喜んで受けよう。ただし今すぐには無理だ」
「はい……」
「まだ南方諸国に敵が残っている。少なくとも南方諸国で覇を唱えてからでないと、遠征を行う国力もないだろう。その上進路には亜人を差別する三公国がある。奴らは大人しく通してくれんよ」
「ええ、それはこちらも承知しておりますわ。秀雄様には将来お力を付けたときで構いませんので、我らにお力を貸して下されば十分ですの。先程のお話しましたが、我々は魔領域と接してはいませんので幾分かの余裕はありますから」
「うむ、ならばそれでよし。松永家は将来妖精族に組し魔軍を退けることを約束しよう」
「あっありがとうございます」
「流石はヒデオだねー。アタシも頑張るよー」
ふう、クラリスの故郷を取り戻すことに、妖精族の本拠も取り戻すことになってしまった。
ようやく名が売れ始めた頃なのだが、これだけの大風呂敷を広げてはこんなところで止まっていられんな。
教会を退けホフマン領を手にした喜びは完全に消えた。
浮かれている暇はない。
敵はでかすぎる。
松永家はさらに発展を遂げねばならないのだ。
身内の幸福のために、そして己が野望を満たすために。
さて、意気込みを語るはこんなもので切り上げ、気になることがある。
「ところで現在リリの母の所在地は分かるのか? 分かるのならばリリを返してやりたいのだが」
寂しい気もするが、リリも十分成長した。
魔軍との戦いで大きな戦力になるだろう。
それにまだ少女であるリリは母親と共にいた方がよいだろうしな。
「いやー! あたしはヒデオと一緒にいるのー!! ビアンカもチカもヒデオと一緒にいるでしょー! あたしも同じがいいよー」
俺が返すという単語を発したら、すぐにリリが反応し俺の目の前にブーンと飛んできて、瞳を赤らめながら抗議をしてきた。
「おいおい、リリはお母さんと一緒にいたくないのかい?」
「お母さんのとことにはヒデオが連れてってくれるでしょー? それで十分だよ。あたしヒデオと出会って森からでて一緒に行動したいままでのあいだが、生きてきた中でいちばんたのしかったの。嬉しかったの。あったかかったの。これからもヒデオ一緒にいたいよー」
リリはついにポロポロと涙をこぼしてしまう。
「そうか……。リリがここまで俺を思っていてくれて嬉しいよ。これからも一緒にいてくれよ」
「ほんと?」
「本当だ」
「うん!! あたしずっとヒデオと一緒にいるね!」
リリはこれまでで一番の笑顔を浮かべると、ゴシゴシと涙を拭い俺の頭上をブンブンを飛び喜びを表現した。
「ところでローラさん?」
「はっはい、ララ様は現在魔領域にいらっしゃるはず。まれに補給のために各地のミニフェアリーに戻ることがある程度と思われますわ」
ローラは喜び飛び回っているリリに目を細めていたところに話を振られ、すぐに気を取り直し返答をした。
「タイミングが合わねば難しいか」
「ですが、私が使いの者を飛ばし、ララ様をお探しすることは時間がかかりますが可能かと」
「ふむ、ならばそれでいこう。タイミングが合ったところで感動の再開といこうじゃないか」
「承知しましたわ。では早速使いの者を前線のミニフェアリーガーデンに飛ばしましょう」
「ああ、頼んだぞ」
ローラは俺の提案に対し納得の表情で同意をした。
「さて、最後になるがもう一つ聞きたいがことがある。水妖精の棲家……ミニフェアリーガーデンは、ナヴァール湖の中心地であり魔力が濃厚なのだったな?」
「はい」
「では、そこで養蜂をした場合、採取できる蜜は魔力が豊富になるだろうか」
俺はミニフェアリーガーデンがリリのいた空間と類似していると踏んだ。
「いいえ、残念ながらリリ様がおられた空間は花妖精の本拠であるフェアリーガーデンも模したものですわ。ここでは養蜂できるほどの花はありません。ちなみにフェアリーガーデンから撤退する際に、オリジナルのミツバチたちも同時に引き払い、花々もできる限り燃やし、井戸には毒を撒いておきましたので、魔軍は我々が生産していたようなレベルの蜂蜜を作ることはできないでしょう」
残念、養蜂はできないみたいだ。
もしできたのならば、廉価版の蜂蜜を大量生産できる土地が手近でできたのだが。
それにしても妖精たちもやる。
焦土作戦を行うとは、気合が入っているじゃないか。
気に入ったぜ。
「ただ、蜂蜜には及びませんが、小島の中心部から湧き出る地下水には多くの魔力が含まれております。それを飲めば、回復力の向上が見込めると思いますわ」
おおう、流石は妖精が住む地だけあり旨そうな水があるではないか。
「それは面白い。湧き水の出所周辺に井戸を掘れば大量に採取できそうだ」
「でも取りすぎると、ナヴァール湖の魔力が枯渇する恐れがありますので注意が必要ですわ」
「ならば湧き水を採取することに留めておくのが無難か」
「それがよいと思いますわ」
「うん、ではそうしよう。有益な情報感謝する。ローラさんたちはリリに従うということなので部屋を用意しよう。また快適に過ごせるように例の湧き水のプールを造らせるとしよう」
「本当ですか!?」
「ああ」
「秀雄様のお心遣い感謝いたします。水妖精一族はリリ様の下、松永家に従うことをお誓いします」
「おお、それは心強いな。有難う。頼りにさせてもらうよ」
「頼りにして下さいね」
「うむ、では一先ずは好きなように羽を休めてくれ。妖精が空きそうな菓子を用意させるからな」
「はい!」
俺は話がまとまったローラたちに部屋を宛がい退出してもらった。
ローラら約五十人の水妖精たちはお菓子の甘い匂いにつられて、大いに喜んでジュンケーに案内されていったそうな。
ふう、まだまだ戦後処理が残っているのにすべきことが増えたな。
「おーい、ジーモン。バレス、ナターリャさん、コンチンを呼んでくれ」
さて、まだ重臣たちがこの地にいるうちに今の話を伝え、それを踏まえて今後の方針について話し合うとしよう。
「わっ分かりましたのでおじゃるー」
ジーモンは何気に小姓が板についているよう見える。
この前火球を目の前に置き脅したことが効いているのだろうか。
何にせよい傾向だ。
ジーモンはまだ若い。
今後の成長にもそれなりに期待できるかもしれんな。
さて、コンチンらがくるまで俺は休憩するか。
まだ昼前だというのに今日はいろんなことがありすぎた。
俺は椅子に深く腰掛け、脳内かあら熱を発散させるために瞼を閉じた。
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つかのまの休息のあと、呼寄せた三人が到着し、先の話の内容を簡潔に話した。
三人は想定外の規模の大きなことに流石に驚きを隠せないでいた。
とりあえず落ち着いてもらうために、時刻も昼なので食事をとりながら会議を続けることにした。
「リリちゃんってお姫様だったのねー。もしかしてと思ってたけど、なるほどねー」
「うむ。リリ殿の魔法を見れば納得ですわい」
「これでリリさんの謎が解けましたね」
俺たちは昼食として用意させたサンドイッチをパクパクとつまみながら会話をしている。
「えへへ、それほどでもあるかなー。みんなもあたしのお願い聞いてくれてありがとー」
リリは褒められて少し照れくさそうにしながら、三人に対しペコリと頭を下げ謝意を示した。
「リリちゃん、水臭いことはなしよー」
「そのとおりじゃ。わしが生きている限りは協力しますぞ」
「同じ船に乗っている者として、見過ごすわけにはいきません」
これに対し三人も協力して当たり前といった態度である。
すんなりと受け入れてくれて安心した。
よい家臣を持ってちょっと感動してしまったぜ。
「ところでナターリャさん」
「なあに秀雄ちゃん」
「ナターリャさんが住んでいた地域には妖精はいなかったんですか?」
ナターリャさんらエルフが住む大山脈を跨いだ亜人領域は、ローラの話によれば花妖精の勢力外とのこと。
「妖精はいるわよー。でも大山脈より東にいる妖精たちは女王様が違うの。私もそこまで詳しくは分からないけどねー」
「そうですか。分かりました、ありがとうございます」
「いえいえー、私の知っていることだったらなんでも教えてあげるわよー」
なるほど、大山脈以東に根を張る妖精たちもいるのだな。
おそらくそちらの王も花妖精のような貴種なのであろう。
確か魔獣図鑑でSランクの妖精は数種類いた。
そのうちの一種が長として君臨しているのかな。
「また何かあったら聞きますね。さて、妖精族についてはすぐに遠征をするわけではない。次なる手はどうするべきか」
そういい、俺はコンチンに視線を送る。
バレスとナターリャさんは俺とコンチンを信頼してくれて、戦略はほぼ丸投げなのでコンチンの発言を待つ。
「ゴホン、まずはピピン家に使者を送り、所領安堵を条件に正式に傘下に入るよう使者を送りましょう」
「うむ、ポポフが俺の直臣になったのを見れば、馬鹿でなければ向こうから編入を申し出てくるだろうな」
「ええ、ピピン家はそれで問題ないでしょう。次なる標的は、ドン家かヴァンダイク家又はシュミット家でしょうか」
「当初の予定ならドン家だな」
「はい、ドン家ならばミュラー家と挟撃が可能で攻めやすくなります。兵力においても他家からの援軍がない限りは上回るはずです」
「ドン家を攻め取るとピアジンスキー家は四方を我らに囲まれ、降るしかなくなる。一石二鳥だ」
これがホフマン家からドン家を攻め取る狙いだからな。
ピアジンスキー家の有能な人材と騎馬を確保するのが。
特にエミーリアが。
ピアジンスキー家は弱小から成り上がっただけあり将兵の質は高い。
まるまる貰ってやろう。
「はい。あとよろしければドン家に攻め入る前に、ダミアン=ピアジンスキーに使者を送り優しさを見せてはいかがでしょうか」
「優しさか……。具体的にはなんという」
「これから松永家はドン家を攻める。ピアジンスキー家の良識を期待すると」
「なるほど……」
松永家がホフマン家を吸収したことで、松永家と従属勢力に同盟勢力を合わせると、その石高は二十万石を越す。
それに加え松永家の将兵の質である。
教会神聖組を退けたことからも、その実力は折り紙つきだ。
「ダミアンほどの才覚の持ち主ならば、きっと松永家に利する行動をとってくれるかと」
「教会も一度破れた今、再度編成するには時間がかかる。援軍がきてもヴァンダイク家やアホライネン家からで、過大に見積もっても三千程度かな。ドン家の動員数が二千としても計五千か」
「はい逆に松永家の動員は約五千でしょうか」
兵力では実質上回っているな。
「だが兵が同数ならば、城にこもられたら厄介だが」
「いいえ、人族同士の戦ならば確かに厄介ですが、こちらは亜人や妖精も居り攻め手は色々あります。こちらが有利には変わりません」
だよね。
新加入の水妖精たちが夜闇に紛れ忍び込み城内を水浸しにするだけで、小城なら終わりな気がするもの。
「ダミアンは俺たちに協力してくれるかもな」
「おそらく。彼は教会などとのしがらみは少ないと思いますから」
「うむ。だが皮算用はよくない。一応現戦力でドン家を落とすことを考えよう」
「はい、承知しました」
「よし決まりだ。次なる標的はドン家だ。バレスにナターリャさんも依存はないな」
「おう、ドン家のバリスタ兵突き倒してやりますわい」
「もちろんよー、今から楽しみだわー。マルちゃんやビアンカちゃんたちの子が安心して暮らせるように、国力はつけないと駄目だものねー」
バレスとナターリャさんも二つ返事で賛成だ。
「よし決まりだ。軍備が整い次第ドン家へと攻め入るぞ」
「おう!」
「はーい」
「ははっ」
次なる標的は決まったな。
よし、戦までのあいだ雑用を済ませるとしよう。