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第四十三話 「救世主」

「はぁ……はぁ……やった……ついに、やってやった……」

 俺は自分の足元に転がる死体を見ながらそう呟いていた。そこには、ついさっきまで「自分は不死の存在である」などと適当な事をほざいていた男が虚ろな視線で俺を見つめていた。

 この男は『銭々教』なる意味のわからない新興宗教団体の教祖だった男だ。新興宗教団体とは言っているが実態は信者から詐欺まがいの手法でお布施を巻き上げて一人大もうけをしているインチキ団体で、しかもたちの悪い事に信者側は自分が騙されている事に気付いていないため被害の実態が表沙汰にならないという組織だった。そして、そんなこのインチキ宗教に俺の妹が引っ掛かったのがすべての始まりだった。

 当時大学生だった妹は友人から紹介されたセミナーか何かに参加したのをきっかけにこのインチキ宗教にのめり込み、湯水のように金を注ぎ込み続けた。大学の授業料のための貯金などあっという間になくなり、その後は俺たち家族と大喧嘩した末に勘当同然で家を飛び出すと、大学もやめて音信不通になってしまった。

 そんな妹がいきなり俺のアパートに現れたのは一ヶ月ほど前の話だった。正気に戻ったのかと期待した俺の願いもむなしく妹は未だにあのインチキ宗教から抜け出せずにおり、教祖を「救世主」などと崇めて日雇いの派遣業で稼いだなけなしの金を全て貢ぎ続けるという生活を送り続けていた。だがそれも限界に来ており、ついには兄である俺に金をせびりに来たのである。俺はそんな妹を頭ごなしに怒鳴りつけた。そして、妹は俺をののしりながら家を飛び出し……その三日後、遺体となって発見された。

 自殺だった。残された遺書によれば、金を払えなくなった妹に対して教団は手のひらを反すように冷たい言葉を浴びせ、それで絶望した妹は首を括ったのである。しかし、そこまで追い込まれたにもかかわらず遺書には金を貸さなかった俺に対する恨みが長々と書かれており、しかもこの自殺事件から妹がカルト教団の信者だった事が付き合っていた彼女の両親にばれて、そのままなし崩し的に別れる事になってしまったのである。どころかこの事は俺の職場にも伝わり、クビにこそならなかったが冷たい視線に俺はさらされる事になってしまった。

 俺は誓った。妹をこんな目に遭わせたばかりか、俺自身の人生をも無茶苦茶にしたこの男を生かしてなどおけないと。何が『救世主』だ。そんな存在が世の中にいるはずがないし、いたとしても奴がしでかした事で俺はどん底まで落ちてしまった。俺は奴の周囲を徹底的に調べ尽し、やがて奴がお忍びで週末の夜に愛人の家に入り浸っている事実を突き止めた。そしてその帰り道に奴が不用心にも人気のない道を一人で歩いているところを襲撃して近くの雑木林に引きずり込み、そこで奴の首を絞めて殺害する事に成功したのである。やる前は緊張したが幸いにも目撃者はおらず、我ながら完璧な犯行だった。

 さて、目的を果たした以上、次に問題になるのはこの男の処分である。もちろん俺だって、こんなクズを殺して警察に捕まりたくなどない。ゆえに、この男の死体は隠さなければならなかった。これについては色々と考えたが、最終的にはオーソドックスにどこかに埋めてしまうのが一番だという結論に落ち着いた。

 とはいえ、山の中なりに埋めてもいつかは発見されてしまうかもしれない。だが、俺には遺体の隠し場所に確固たる勝算があった。それがなければ、今回この男を殺す決断に踏み切る事はできなかっただろう。

 遅ればせながら、俺はある住宅メーカーの営業部員をしている。その仕事の中で同僚の一人がある夫婦の住宅建造契約を取り付け、ある住宅街の空き地で一戸建て住宅の建設が始まっているという話を聞いた。俺が考えたのは、この建設中の俺とは何の関係もない家の土台部分に遺体を埋めてしまおうという考えだった。念のために営業の途中でその辺りを通ってみたりもしたが、工事はちょうど土台の部分を作っているところで、もう少ししたらコンクリートによる基礎固めも始まるだろうかという段階だった。

 俺はコンクリートの基礎固めが始まる前に、その部分にこのクズの死体を埋めてしまう事にした。そうなれば、上に建つ建物が解体でもされない限り死体が見つかる事はほぼ永久にあり得ない。万が一そんな事があったとしてもそれは何十年か後の話で、そこまでいけば証拠その他はすでに消えている可能性が高い。俺はこれにかける事にした。

 ひとまず足元に転がっている奴の死体をトランクに詰め、近くに停めてあった俺の車に乗せて出発する。警察に停められたら一巻の終わりなので、努めて安全運転を心がけながら夜の東京を走っていく。やがて車は人通りのほとんどない閑静な住宅地に到着し、しばらくするとお目当ての空き地が見えてきた。

 空き地にはすでに土台の骨組みが完成していて、すぐにでもコンクリートを注ぎ込める状態になっている。人は誰もおらず、真っ暗ではあるが月明りで見えないほどでもない。俺は敷地の一角に車を停めると、軍手をしてから近くにあったスコップを適当に拝借し、土台のほぼ中心辺りで足を止めた。ここに埋める事に決め、スコップを手に闇夜の中で穴を掘り始める。音を立てるわけにはいかないので少しずつではあったが、それでもあのクズの棺桶となるべき穴は、着実に深くなりつつあった。

 と、その時だった。不意にスコップの先が地中の何かに当たってカツンという音がした。暗くてよく見えないが石か何かに当たったのかと俺が目を凝らしてその辺りを見たその瞬間……



 俺の目の前がいきなり真っ白になり、そのまま何が何だかわからなくなった……



 ……それから約一時間後の事である。

「一体、これは何があったんだ!」

 パトカーから降りたところで、現場に臨場した警視庁刑事部捜査一課第十三係の橋本隆一警部補はそんな事を叫び、その隣で相棒の榊原恵一警部補も眉をひそめていた。

 そう叫びたくなるのも当然といえば当然で、現場は凄惨の一言に尽きた。住宅街のど真ん中にあるその敷地の周囲には粉砕された建物の破片が散乱し、敷地の周りの住宅も窓ガラスが割れたり外壁が破損したりするなどかなりの被害が見える。そして、その敷地の中央には、人の手で掘られたとは思えない巨大な大穴がぽっかりと口を開けていたのである。

 現場周辺には榊原たち警察関係者の他、消防や救急、さらに自衛隊の関係者と思しき迷彩服を着た面々までうろついている。とにかく状況がわからないとどうしようもないので、二人は飛び散った残骸を避けながら事情を知っていると思しき所轄署の担当刑事に近づいて声をかけた。

「あ、本庁の方ですね。ご苦労様です」

「状況を教えてください。これは何があったんです?」

 橋本が尋ねると、その刑事は緊張した様子で答えた。

「本日午前二時頃、住宅街の真ん中にあるこの敷地内で突如爆発が発生し、周囲の建物に大きな被害を与えました。詳しくは現在も確認中ですが、飛び散った残骸や衝撃波によって、少なくとも周囲の家屋二十八軒に何らかの被害が発生しているようです。幸いにも付近住民に死者は出ていませんが、何人か怪我人はいて、現在救急が対処しています」

「この場所には元々何が?」

「最近まで空き地だったんですが、不動産会社の話ではある夫婦がここを購入して家を建てる事になり、現在はその建設途中だったとの事です。

 二人は思わず穴のある辺りを見やる、こう言っては何だが、こうなっては元々そんなものがあったなどとは到底信じられない状況である。

「それで、肝心の爆発の原因は? ガス漏れですか? それとも……何かの事件ですか?」

「それなんですが……」

 と、そこへ現場の辺りを調べていた自衛官と思しき男が話に割り込んできた。

「見分が終わりました。さらに詳細に調べる必要はありますが、ほぼ間違いなく不発弾かと思われます」

「ふ、不発弾、ですか」

 予想外の物騒な単語に橋本はギョッとした表情を浮かべ、榊原は苦々しい表情を浮かべながら呻き声を上げる。それを受けて自衛官が説明する。

「この辺は第二次大戦中に大規模な空襲があった場所ですからね。その際に爆発しなかったものが地中に埋もれ、それが今回の工事で地表近くにまで出たところで何らかの衝撃が加わって爆発した……と考えるのが妥当でしょう」

「つまり……不運な偶然が重なった事故、という事ですか?」

 榊原の問いに自衛官は頷く。

「一応確認しましたが、ひとまず他の不発弾はなさそうです。もしあったらこの爆発の衝撃で確実に誘爆しているはずですから。もちろん、明日にもう一度こちらで再確認をするつもりではありますが」

 不発弾の処理は基本的に自衛隊が管轄する。ここは任せておくのが一番だろう。

「しかし、解せませんね。これが事故となれば、殺人担当の捜査一課は管轄外のはず。にもかかわらず、我々に出動要請が来たのはなぜですか?」

 榊原のもっともな問いかけに答えたのは所轄の刑事だった。

「それなんですが、ちょっとこちらへ」

 そう言われて案内されたのは、爆心地から少し離れた場所でひっくり返っている乗用車だった。爆風でガラスは全て割れ、車体も上下逆になってひしゃげている。刑事に言われて車内を覗くと、そこにはふたの開いたトランクが転がっていて、その中に虚ろな視線をした男の死体が詰められていた。

「……死者は出ていなかったのでは?」

「『爆発による近隣住民の死者』は出ていません。この男の死因は爆死ではないようです」

 そう言って刑事が首筋を指さす。榊原たちが確認すると、遺体の首筋には索状痕と思しき痕と、抵抗した際に被害者が引っ掻いてついたと思われる、鑑識用語で『吉川線』と呼ばれる傷跡が確認された。

「絞殺か」

「吉川線がある上に、このトランク詰めされている状況から考えると自殺ではなく他殺……なるほど、俺たちの出番というわけか」

 二人はそう呟くと、背後の刑事に質問する。

「身元は?」

「まだわかっていません。今、前歴者の問い合わせを行っています」

「この車の所有者は?」

「それも問い合わせ中です。捜査会議までには判明すると思います。ただ、状況から考えて爆発時にこの敷地内に停車していたのは間違いなさそうです。もちろん、工事中にこのような車両が敷地内に停車していなかったのは現場の作業員たちの証言で確認済みです」

「つまり、この車は真夜中に工事中のこの敷地内に死体を積んで停車していたわけか。随分不自然な話だ」

 榊原がそう呟いて何やら考えているところに、爆心地付近を調べていた別の刑事が駆け込んできた。

「少しいいですか? 爆心地の辺りでとんでもないものが見つかりましたよ」

「とんでもないもの、というと?」

「見た方が早いです。こちらへ」

 榊原たちが爆心地付近に行くと、そこに広げられたビニールシートの上にそれは置かれていた。それを見て榊原たちの表情が険しくなる。

「これは……」

 それは、一本のひしゃげたスコップだった。爆心地付近にあったのか大きくねじ曲がっており、爆発の衝撃の強さを物語っている。だが、そんな事よりも衝撃的なものがそのスコップには付属していた。

「……腕、だと?」

 ……そこにはボロボロの軍手をはめた一本の右腕が、絶対に放すまいと言わんばかりにスコップの握り部分を強く握りしめて残っていた。肘から先の部分は存在せず、他の部分は跡形もなく吹っ飛んだらしい。一見すると悪い冗談にしか見えないが、生憎これは現実である。榊原は冷静に事実を告げる。

「どうやら、今度は正真正銘の爆死者がいたようだな。しかも状況から見て腕以外は木端微塵なっているようだから、どうもこいつは爆心地にいたらしい」

「爆心地でスコップを持っていた人間、か。普通に考えれば、こいつがスコップで地面を掘っているときに不発弾に行き当たって爆発に巻き込まれた、って事になるんだろうが……」

「問題は、真夜中に誰もいない工事現場の真ん中で穴を掘る行為に何の意味があるか、だ」

 先程の遺体と併せて考えれば、こんなものは簡単に答えが出る話だった。

「どうもこの事件、後味の悪いものになりそうだ」

「同感だな」

 榊原と橋本はため息をつくと、それでも真剣な表情で現場を調べ始めたのだった……


「……それで、その後どうなったんですか?」

 それから十数年後、品川の榊原探偵事務所。警察を辞めて今は私立探偵をしている榊原に対し、自称助手である立山高校ミス研部長の深町瑞穂は興味津々に尋ねた。

「まず自動車の遺体の身元が判明して、詐欺めいた手法で信者から多額のお布施を巻き上げていた荒島大命あらしまたいめいという新興宗教団体の教祖だとわかった。同時に遺体が乗っていた自動車の所有者が水沼則也みずぬまのりやという人物だとわかり、自宅に残されていた彼の指紋と発見された右腕の指紋が一致した事で、爆心地にいたのが水沼である事が確定した。そして、水沼の妹がこの新興宗教にのめり込んで全財産を注ぎ込んだ末に死亡していた事が発覚するにあたり、捜査本部はその恨みから水沼が荒島を殺害し、当時建設中だった問題の家の土台の下に遺体を埋める事で事件の隠蔽を図ろうとしていたという結論を出した。問題の爆発は、遺体を埋めるための穴を掘ろうとした際にたまたま地表近くに出てきていた不発弾にスコップの先端が接触し、その衝撃で不発弾が爆発した結果発生したと判断されている」

「何というか……運が悪い殺人犯ですね」

 まさか遺体を埋めようとした先に不発弾があるなど普通は想像できないだろう。殺人という行為に対する因果応報を全力……というかオーバーキル気味に受けたようにしか思えない話である。

「事件後、荒島が率いていた『銭々教』とかいうわけのわからない名前の新興宗教団体には警察の強制捜査が入り、教壇の幹部たちは信者に対する詐欺、強要、傷害など数々の容疑で逮捕された。教祖自身が死亡した事もあってまとまりを欠いた教団はこの逮捕をきっかけに解散。今は跡形も残っていない」

 そう言った後、榊原は少し複雑そうな表情を浮かべた。

「ただ、これは結果論ではあるが、水沼があの夜あの場所で穴を掘ったりしなければ、被害者はもっと増えていた可能性が高いとされている。もしあの夜の爆発がなければ翌日工事は何事もなく進められていたはずで、そうなれば土台工事の過程で地表近くにまで出ていた不発弾に衝撃が加わり、通行量の多い真っ昼間に多数の作業関係者がいる中で不発弾が大爆発を起こしていた可能性が高い。そんな事が起こっていたら、爆発の規模から考えると数十人単位の死者が出ていてもおかしくなかった」

「それじゃあ、水沼の隠蔽工作がたくさんの人の命を救った事になるんですか?」

「何度も言うが、結果論ではあるがね」

 何とも言えない空気がその場に漂う。

「皮肉な話だが、『救世主』の存在を否定して荒島を殺した水沼は、荒島のようなインチキではなく本当の意味での『救世主』になってしまったというわけだ。もっとも……殺人という手段は許される事ではないがね。まぁ……世の中何がどう転ぶかわからないものだよ」

 榊原はそう言いながら小さくため息をついたのだった。

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