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第三十九話 「夜道の殺意」

「すっかり遅くなったな。急いで帰ろう」

「本当ですよ。まぁ、明日が休みだからよかったですけど」

 その日の夜十一時頃、私立探偵の榊原恵一とその自称助手である女子高生・深町瑞穂は、埼玉県西部の人通りのほとんどない広い道路を榊原の運転するレンタカーで走っていた。この日は埼玉県内のある旧家に保管されていた家宝の巻物に書かれた暗号を解読してほしいという珍しく殺人とは何の関係もない依頼を受け、ついさっきそれを解決したばかりであった。が、解読に思った以上に時間がかかってしまい、屋敷を出たときにはかなり遅くなってしまっていたのだった。

「家には連絡してあるかい?」

「もちろんです。お父さんも、先生が一緒だったら安心って言っていました」

「信頼してもらえるのは嬉しいが、何とも複雑な気分だ」

 そんなころを話しながら走っていると、不意に前の方に赤い光が点滅しているのが見えた。近づくと、それは停車しているパトカーのランプで、警官が交通規制を行っているところだった。近くには救急車やレッカー車の姿も見える。

「何でしょう?」

「事故かな」

 そのまま近づいていくと、どうやら榊原の言うように交通事故の現場らしかった。現場には白いワゴン車と黒い乗用車が真正面からぶつかっていて、見る影もないほど無茶苦茶になっている。

「正面衝突だな。これだと運転手は助からないかもしれない」

「ひどいですね……」

 とはいえ、交通事故なら榊原の出る幕ではない。おとなしく事故現場の前で速度を緩めると、捜査中の警官の一人が駆け寄ってきた。

「すみませんね。ちょっと大きな事故で……」

 そう言いながら運転席を覗き込んだ中年の警官だったが、そこにいる榊原の姿を見ておやっという風に表情を変えた。

「あの、もしかして私立探偵の榊原恵一さんですか?」

「そうですが……」

「やっぱり! いやぁ、榊原さんの事は鈴木警部からよく聞いていました。元警視庁捜査一課のブレーンで、推理にかけては右に出るものはいないと」

 鈴木警部というのは、おそらく榊原とも何度か一緒に捜査している埼玉県警刑事部捜査一課の鈴木章弘すずきあきひろ警部の事だろう。どうやら、向こうは榊原の事をよく知っているらしかった。榊原は深いため息をつく。

「大げさな話です。今の私は一介の私立探偵に過ぎないんですがね」

「まぁまぁ。あ、自分は埼玉県警交通安全部の谷垣惣二たにがきそうじ警部補であります。ところで、今日はどうして埼玉に?」

「仕事です。もう解決して、帰るところですが」

 と、ここで助手席の瑞穂が身を乗り出して訪ねた。

「あの、事故みたいですけど、何があったんですか?」

「君は?」

「先生の助手の深町瑞穂です」

「自称だがね」

 榊原がぼそりと呟く。一方、警官……谷垣は少し表情を真面目なものにして瑞穂の問いに答えた。

「ちょっと、厄介な事故でしてね。やっぱり、気になりますか?」

「……ないといえば嘘になります」

 榊原はため息をつきながら答えた。結局、そのまま谷垣から事故の説明を聞く事になり、谷垣は少し張り切った様子でその詳細を説明してくれた。

「事故が起こったのは今から一時間ほど前です。ご覧の通りここはこの辺の主要幹線道路なんですが、夜になると人通りが少なくなる場所でスピードを出す奴が多く、普段から交通事故なんかも多いんです。それで我々としてもパトロールを強化していたわけなんですが、ここから五十メートルほど先の場所を自転車でパトロールしていた近隣の交番勤務の乙島成之おとしまなりゆき巡査に向かって、いきなり前方から黒い乗用車が突っ込んできたんです」

「それは……随分な話ですね」

 榊原としてはそうコメントする他ない。

「幸いにも乙島巡査は助かりましたが、自転車ごと跳ね飛ばされて全身打撲の重傷です。ただ意識はあったらしく、地面に倒れたままその車の動きを追っていると、問題の乗用車黒のは停車する事なく、ぶつかった衝撃で対向車線にはみ出したまま走り去ろうとしたんだとか。ところがその時運悪く対向車の白いワゴンがやって来て、そのまま避ける間もなく正面衝突したんだそうです」

 確かに、事故車両を見ると正真正銘の正面衝突をしたという感じだった。

「肝心の運転手は?」

「黒の乗用車、白のワゴン車双方ともに即死でした。黒の乗用車の運転手は園池松雄そのいけまつお、一方の白のワゴン車の運転手は天満久彦てんみつひさひこ。死因は、両名とも全身打撲によるショック死で、特に頭部への挫傷が致命傷になったようですね。ただ、それだけに厄介な話になっていまして……」

「どうして園池が警察官を轢くなどという行動に出たのか、という事ですか」

 榊原の指摘に谷垣は苦り切った表情で頷いた。

「何しろ当の園池は死んでしまっていますからね。車内から発見された名刺によれば園池はこの近くにある配管工場の社員らしいです。普段からこの道を通って帰宅をしていたようですね」

「相手側の天満とかいう男は?」

「そっちも名刺が見つかりました。個人経営の寝具店の経営者らしいです。家族に連絡したところ、今日は同窓会で近くの温泉旅館に行っていたらしく、そこから帰ってくる途中に事故に遭遇したようです。もっとも、彼は下戸だったらしく飲酒運転の可能性は低いですが」

「その旅館はどこに?」

「ここから四百メートルほど先にある交差点を左に曲がって少し行ったところですね」

「そうですか……まぁ、この場合職業はあまり関係なさそうだが」

 そう言いながら、榊原は少しため息をついて車のドアを開けた。

「乗り掛かった舟です。現場を見せてください」

「あ、じゃあ私も」

 瑞穂も後に続き、二人は最初に園池の自動車が乙島の自転車にぶつかった現場に案内された。おなじみの交番で使われている自転車が道路に転がっていたが、すっかりくしゃくしゃになっている上に、周辺にバンパーやガラスの破片が散らばっている。

「ひどいな。よくこれで助かったものだ」

「彼はすでに病院に搬送されています。搬送前に話を聞きましたが、向こうから猛スピードでライトが迫って来て、咄嗟に自転車を乗り捨てて避けようとしたと。それでも足の辺りがぶつかったらしく、地面に叩きつけられたそうですが」

「なるほど」

 榊原はしばらくそこを調べていたようだが、続いて二台の自動車がぶつかった現場へ戻った。

「見事に正面衝突していますね」

「えぇ。園池の黒の乗用車が反対車線に飛び出して、そのまま対向車にぶつかった形です。天満の白いワゴン車は避ける間もなかったようですね。ハンドルもそのままでした」

「遺体は?」

「先程回収して解剖に回しました。特に園池の車は鍵がかかっていて、搬出が大変でしたよ」

「ふむ……」

 榊原はそう言いながらこちらもしばらく事故車両をジッと観察し、さらに周囲をぐるりと回ってブレーキ痕などを確認していく。瑞穂も確認してみたが、黒の乗用車側にブレーキ痕はなく、それに対して白のワゴン車の方には一、二メートルほどのブレーキ痕が確認された。明らかに黒の乗用車はブレーキをかける事無く突っ込んできているのがわかる。

「それで、現段階における警察の判断は?」

「まぁ、悪質な交通事故といったところですかね。さっきも言ったように園池がなぜこんな無謀な運転をしたのかまではわかりませんが、本人が死んでいる以上、書類送検に回すしかないかと……」

「……いえ、それはやめた方がいいでしょう」

 不意に榊原はそんな事を言った。

「やめた方がいい、というのは?」

「これはすぐにでも鈴木警部に連絡をした方がいいと考えます。おそらく、管轄はそっちです」

「鈴木警部……って、まさか?」

 谷垣は目を見開いた。それに対し、榊原ははっきり告げる。

「えぇ、私はこれは単なる事故ではなく殺人事件であると考えます」

「さ、殺人ですか? しかし、被害者の乙島巡査は生きていますし、その後でワゴンにぶつかったのは言い方は悪いですが事故死で、殺人の故意を証明する事は……」

 だが、これに対して榊原は首を振った。

「私は乙島巡査に対する殺人容疑だと言ったつもりはありませんがね」

「……違うんですか? じゃあ、天満に対する殺人容疑という事ですかね?」

「それも一つではあります」

 意味がわからなかった。それは瑞穂も同じようで、じれったそうに言う。

「先生、もっとわかりやすく言わないと誰もわからないと思いますよ」

「……まぁ、そうだね。私も早く帰りたいし、手早く済ませようか」

 そう前置きすると、次の瞬間、榊原は何気ない口調のままこんな爆弾をその場に叩き込んだのだった。

「要するに、私は『天満久彦』と『園池松雄』を殺害した容疑で『乙島巡査』を調べるようにと言っているわけですが……これでご理解頂けますかね?」

 その瞬間、谷垣はポカンとした表情を浮かべた後、慌てたように榊原にまくしたてた。

「ど、どういう事ですか! 乙島巡査を殺人容疑で取り調べろとは一体……」

「そのままの意味です。今から詳しく説明します」

 榊原はそう言うと、推理をスタートさせた。

「まず、乙島巡査の話だと、彼はパトロール中に黒の乗用車に轢かれそうになって全身打撲の重傷。その後黒の乗用車は対向車線に飛び出し、自転車との衝突現場から五十メートルほど離れた場所で対向車のワゴン車と正面衝突した事になっています。間違いありませんね?」

「え、えぇ。その通りですが……」

「ですが、その話と現場の状況に矛盾が生じてしまっているんです。これが乙島巡査を怪しいと思う理由です」

「矛盾、ですか?」

 同じ現場を見ていたはずの瑞穂が首をひねる。それは谷垣も同じようだった。

「一体、何がおかしいんですか?」

「彼の話では、問題の事故の際、正面から猛スピードでライトが迫って来て慌てて避けようとした。しかし避け切れずに体がぶつかって地面に叩きつけられ、そのまま車は対向車に飛び出していった、という事になっています。ところが、それだとその後で対向車と正面衝突した事に説明がつかないんです」

「説明がつかないって……」

「では聞きますが、正面からライトの光が迫っているにもかかわらず、白のライトバンの運転手がハンドルを切って避ける動作もしないという事があり得ると思いますか?」

 その言葉に、谷垣はハッとした表情を浮かべた。一方、榊原は推理を続ける。

「ここは確かに街灯もない暗い道路ですが、ライトがついている車が正面から来ているのにわからないという事はないはずです。少なくとも乙島巡査の話では衝突直前まで黒い乗用車のライトがついていたのは確実で、しかもその後二台が正面衝突したのは最初の現場から五十メートル程しか離れていない場所。逆算したとしても自転車にぶつかった時点での白ワゴン車は自転車との衝突現場から百メートルは離れていません。だとすれば、白のワゴン車は自転車にぶつかった後でこっちへ突っ込んでくる黒乗用車を確実に見たはずです。にもかかわらずハンドルを切る動作さえせずに走り続けるというのはあまりにも不自然な話です」

「た、確かに……」

 言われてみれば確かに妙な話である。一方、瑞穂はこう反論してみる。

「例えば、天満さんの方が運転中に何かの操作をしていたとか、そうでなくてもカーナビを見ていたとかはどうですか?」

「だとしても、自転車にぶつかった時点で音が出るはず。それに気づかないのは変だ」

「まぁ……それはそうですよね」

 一方、谷垣もこんな問いを発してきた。

「ですが、自動車事故では咄嗟に判断ができなくなることも多いですから、ハンドルを切れずに固まってしまう場合もないとは言い切れません。これだけでは……」

「もう一つの根拠はそこにあるブレーキ痕です」

 そう言うと、榊原は天満が運転していた白いワゴン車のすぐ後ろへ回った。そこにはさっき瑞穂が見た通りはっきりとブレーキ痕は残っていたのだが……。

「これが妙に短すぎる」

 確かにブレーキ痕はせいぜい一、二メートル程度しか残っていなかった。

「この道路の制限速度から考えても、急ブレーキをかけた車のブレーキ痕がこれだけしか残らないというのは異常です。この状況になるのは、ブレーキをかけてから完全に停車するまでの間に対向車と衝突してブレーキ痕が途切れた場合だけ。つまり、天満はブレーキをかけてから二メートルほどの距離で相手の車と正面衝突をしている事になります。ところが、さっきも言ったように乙島巡査の話だと園池の車はライトをつけていたという事になっています。ライトをつけた車がぶつかってくる直前までブレーキを踏まなかったというのは、さっきのハンドルの件も合わせると明らかに不自然な話です」

「それは……確かに」

 そもそも正面に何かあった場合ブレーキを踏むという行為は人間の意思というより無意識の反射行動に近い。にもかかわらず、ハンドルを切らなかったばかりか、ライトがついている車が目の前まで来ているのに反射行動のブレーキさえ踏んでいないというのは明らかにおかしな話である。

「あ、でも、天満さんが居眠り運転していた可能性はあるんじゃないですか? で、ぶつかる直前に目が覚めて慌ててブレーキを踏んだとか」

 瑞穂が再び自分の意見を言うが、榊原は首を振った。

「それはないな。なぜなら天満は、温泉旅館での同窓会帰りだったからだ」

「……意味がわからないんですけど」

 瑞穂が首をひねる。それに対し、榊原は丁寧に解説した。

「さっき谷垣警部補が言っていただろう。問題の温泉旅館はここから四百メートルほど離れた場所にある交差点を左に曲がったところにあると。つまり、旅館を出発した天満はその交差点を右に曲がってここに来ているわけだ。となると……」

「あ」

 瑞穂が何かに気付いたように声を出した。

「少なくとも、交差点をちゃんと右折しているいる人間が居眠り運転をしていたとは思えない。そして、その交差点から事故現場のここまでわずかに四百メートル。居眠りする時間もない」

「この状況で居眠り運転はあり得ないですね」

 谷垣もそう認める。

「つまり、天満は居眠り運転をしていなかったにもかかわらず、ライトがついている車が正面から突っ込んできているのにハンドルを切らず、衝突直前までブレーキをかけなかった事になってしまう。これは明らかに事故としては不可解な状況です。そして、この奇妙な状況を解決しようと思ったら、その可能性は一つしかありえません」

 榊原はその答えを告げた。

「すなわち、『園池の車が本当はライトをつけていなかった場合』です」

 その言葉に、谷垣と瑞穂は息を飲んだ。

「もし園池の車にライトがついていなかったとしたら、この奇妙な状況に説明がつく。何しろここは街灯一つない夜道な上に、園池の車は黒い乗用車です。ライトがついていなければ、衝突直前までに気付くのは至難の業になります」

「ライトがついていない黒い車であったがゆえに、気付いたときにはもうどうしようもなかったという事ですか?」

「気付いたときには目の前で、反射的にブレーキを踏むのが精一杯だったんでしょう。この奇妙な現場の状況を説明する可能性はこれしかありません。しかし、そうなると明らかに矛盾している情報があります」

「乙島巡査の証言、ですね」

 さすがに、ここまでくると谷垣も事態の深刻さを理解し始めたようだった。

「さっきも言ったように、乙島巡査は自分を轢いた黒い車について『ライトをつけていた』と証言しています。ところが、現場の状況は園池の車がライトをつけていなかった事を明確に示している。ここへきて現場の状況と唯一の生存者の証言の間に矛盾が発生しているわけですが……この場合、疑うべきは証言の方だというのが捜査の鉄則です」

「乙島巡査が、嘘をついているという事ですか」

 それは、谷垣としては受け入れがたい話だった。

「少なくとも、ライトをつけた車が自分目がけて突っ込んできたというのは明らかな嘘と言えるでしょう。そして、問題はなぜ乙島巡査がそんな嘘をついたのか、という事になります」

「その理由も、榊原さんにはわかっているんですか?」

 谷垣の問いに榊原は答える。

「あくまで現段階では推測に過ぎませんがね。それを証明するために、一つはっきりさせておかないといけない事があります」

「それは?」

 榊原は真剣な表情でこう告げた。

「暴走した黒い車の運転手である園池松雄。その死因が、本当に正面衝突による全身打撲なのかどうか、です」


 その翌日、東京・品川の榊原探偵事務所に、埼玉県警刑事部捜査一課の鈴木章弘警部から報告を兼ねた電話が入った。近くでは瑞穂が興味津々と言った風に話を聞いている。

『交通安全部の谷垣警部補から例の事件をこっちで引き継いで、園池と天満の遺体を正式な司法解剖に回しました。その結果、天満の死因は予想通り交通事故による全身打撲でしたが、園池はそうではなく後頭部打撲による脳挫傷が死因でした。正面衝突でこの死因は考えづらく、少なくとも事故より前に園池が死んでいたのは確実です』

「やはりそうですか……」

 榊原は苦々しい表情を浮かべた。

『そうなると榊原さんの言うように、事故当時問題の黒い乗用車を園池が運転するのは不可能です。何しろ彼は死んでいたわけですからね。そして、もちろんその車と正面衝突をした天満が運転していたわけでもない。そうなると、事故の関係者で黒い車を運転できるのは……』

「現場で重傷となって発見された乙島巡査だけ、という事になりますね」

『その乙島巡査の怪我についても、精密検査の結果、自動車に跳ねられた傷とは言い難いというのが医師の見解です。こちらでは榊原さんの言うように、走行中の車から飛び降りた際の怪我である可能性を考えています』

「となると、やはり私の推測通り……」

『えぇ』

 電話口の向こうで鈴木が深いため息をついた。

『乙島巡査が何らかの理由で園池を殺してしまい、それを自動車事故という形でごまかすために園池の遺体を車に乗せた上でたまたま通りかかった天満のワゴン車にわざと正面衝突させた……どうやら、その最悪の推理が当たってしまったようです』

 昨晩、榊原が現場で谷垣に行った推理は、次のようなものだった。

 仮に、園池の死が自動車事故以外のものであったとした場合、残る関係者の中で黒い乗用車を運転できるのは乙島巡査だけである。さらに、現場の状況から黒の乗用車がライトをつけていなかった事は明白で、これは衝突直前まで黒の乗用車の存在を対向車に察知させないための工作だった可能性が強く、明らかに意図的なものである。つまり、この推理が正しかった場合、乙島は園池の遺体が乗った車を運転してわざとワゴン車に正面衝突させたことになってしまう。これは園池の死のみならず、天満の死にも明らかに殺意があったという事になろう。

 具体的な方法として、榊原は以下のような推理を行った。まず黒の乗用車が乙島を狙って突っ込んできたように見せかけるためにわざと無人の自転車を轢き、その上で対向車線側にて対向車がやって来るのを待つ。そして、対向車がやって来た瞬間にライトをつけないまま黒い乗用車を発進させ、アクセルを固定した後あらかじめ割っておいた助手席側の窓から道路に飛び降りる。一直線の道路なのでアクセルを固定さえしておけば無人でも車が曲がる心配はなく、後はそのまま対向車と正面衝突するのを待つだけという恐ろしい仕掛けである。しかも車体に仕込んだ多少の工作は事故の衝撃でほとんどが破壊されてしまい、そうと気づかない限り証拠もほぼ出ないという念の入れようだ。

 もっとも、これらの推理は園池が事故より前に死んでいた事が前提となるものである。なので榊原は昨日のうちにこの推理をした上で、園池の死因が確定するまではあくまで推測に過ぎない旨を谷垣に念押ししておいた。この段階で乙島を追及しても、ライトの件は見間違えだったと白を切られて終わりだと判断したからである。だが、今日になって正式に園池の死因が確定した事で、事態は本格的に榊原の推理通りに動き始めたのである。

「乙島巡査への尋問は?」

『医師の立会いの下、病室で行いました。最初は否定していましたが、榊原さんの推理をぶつけたところ、比較的簡単に自供しました』

「認めましたか……」

 榊原は大きく息を吐いた。解決はしたが、何とも後味の悪い話だった。

「天満を殺した正面衝突事故に関しては園池の死を事故に偽装するための工作で、つまり誰でもよかったというのが私の推論です。ですが、肝心の園池の死に関しての動機は私にもわかりかねます。その点に関してはどう自供していますか?」

『乙島巡査の自供では、現場周辺をパトロールしていた時に道路脇に停車している園池の車を発見。不審に思い職務質問をしたという事ですが、そこで口論になって反射的に路面に突き飛ばしてしまい、園池は打ち所が悪くて死んでしまったとの事です』

「口論って……職務質問でなぜ口論になるんですか? 百歩譲っても、それなら正当防衛が主張できるかもしれないはずですが」

『それなんですが、口論はどうも職務質問と関係がなかったようです。実は、調べた結果、園池と乙島巡査は大学時代の知り合いだった事が判明しました』

「確かですか?」

『はい。しかも、在学中に乙島が別れた女性がその後園池と付き合っていて、最終的に園池と結婚しています。まぁ、それ自体は「仕方がない」と乙島は割り切っていたようなのですが、問題は園池とその女性が最近園池の浮気に耐えかねて自殺未遂を起こしていた事で、その事を乙島が知って口論になってしまったようです』

「なるほど。職務と関係のない口論となれば、正当防衛はまず認められませんね」

『で、パニックに陥った乙島は咄嗟にこの他人を巻き込む残虐なトリックで殺人を誤魔化す方法を思いつき、実行に移してしまった……という事らしいです。ちなみにアクセルの固定には、園池の車に積んであった配管を使ったようですね』

「……この事件、誰が一番かわいそうかと言えば、何の関係もないのに通りがかっただけで殺された天満ですね」

 榊原の言葉に、鈴木も同意を示した。

『その通りです。この件については我々も徹底的に追及する構えです。身内だからと言って容赦するつもりはありません。乙島の怪我が治り次第、正式に逮捕をする方針です。何はともあれ、榊原さんがいなかったら乙島の思惑通り事故として処理されていたかもしれません。谷垣警部補も礼を言っていました』

「いえ、私はただ通りすがって推測しただけですから」

『それでもです。ひとまず、今日はご報告まで。それでは失礼します』

 電話が切れる。傍にいた瑞穂が、少し悲しそうな表情でこちらを見ていた。

「何というか……ちょっと考えさせられる事件です。本当に、人生って何が起こるかわからないものなんですね。いい事も……悪い事も」

 その言葉に対し、榊原は受話器を置きながら、ふうとため息をついてこう呟いた。

「人生は夜道のようなものなのかもしれないな。すぐ先であっても何が起こるか全くわからない。一寸先は闇とはよく言ったものだ……」

 瑞穂は何も言えないまま、小さく息を吐いたのだった。

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