第三十七話 「あなたはこの事件についてどう思いますか?」
日本中央テレビの女子アナウンサー・中平詩音は張り切っていた。今日は入社して初めて、事件現場での単独リポートを任されたのである。
苦労して憧れの女子アナウンサーになったまでは良かったものの、競争の激しいこの業界の中で次第に存在感を示せなくなっていき、今では焦りさえ感じ始めていた。同期入社の矢頼千佳という女子アナウンサーなど、最初こそ地味だったのに何をどうやったのか最近発覚した自衛隊の不祥事に絡む大スクープをものにして、それ以来局内でめきめきと名を上げているのである。にもかかわらず自分はまだパッとしないまま。それだけに、今日のリポートはしくじるわけにはいかなかった。
「ファイトよ、私! せっかくつかんだチャンスなんだから、絶対にものにするわ!」
詩音はそう独り言を呟くと、いざ現場へと突撃していったのだった。
『こちらは現場です! 事件から一夜明けた今になっても、現場周辺では捜査関係者による捜査が続いていて、周辺住民は不安そうな表情を浮かべています。事件は昨日深夜、この先にある喫茶店の店内で発生しました。この店のオーナーである茶原紅代さんが何者かによって殺害され、朝になってアルバイトの従業員に発見されたのです。警察の発表によると、茶原さんは背後から包丁で刺されて死亡していたという事で、警察は背後関係などを徹底して洗っているとの事です。この事件について、周辺住民はどのように思っているのか、今からインタビューをしてみたいと思います』
・インタビューその一 茶原の友人だったという女性
『気さくでいい人でしたよ。町内会のイベントなんかにもよく出ていて、いつも明るい人でした。何であんないい人が……正直かなりショックです。殺人犯が近くにいるかもしれないと思うと、怖いですよね。子供もいますし、早く捕まってほしいです』
・インタビューその二 店の常連だったという男性
『テレビのニュースで事件の事を知って、驚いて飛んできたんですけどね。包丁で後ろから刺すなんて何てひどい事を……。茶原さんがかわいそうです。誰にでも分け隔てなく優しくできる人で、辛い事があったときなんかによく愚痴を聞いてもらっていたんですけどね。一刻も早く、事件が解決してほしいですよね』
・インタビューその三 近所の住宅に住む女子高生
『正直、怖いです。私、部活とか塾とかで帰りが遅くなることが多いから、こんな事件があって人を殺した人がうろついているかもしれないって思うと……。茶原さんとはたまに朝に出会って挨拶したりしていました。あの人、朝になると店の前の花壇に水をやっている事が多かったんです。本当に……残念です』
・インタビューその四 近所のアパートに住む浪人生
『え、茶原さんが殺されたんですか! いや、ずっと部屋で勉強していたから知らなかった……。あの喫茶店で勉強する事も多かったし、茶原さんにはよくしてもらったから、ちょっとびっくりしています……。犯人を許せませんね。いきなり刺されて死んだ茶原さんが気の毒すぎます。警察には頑張ってほしいです』
・インタビューその五 近所の住宅に住む主婦
『そうなんですよ! さっき茶原さんが殺されたって聞いて、もうびっくりしてびっくりして! 何かに間違いだと思ったんだけど、警察とかいっぱい来てて、あぁ、本当だったんだなぁって……。普段から翌パート帰りに店に寄って、紅茶とか飲みながら色々お喋りしていたんですけどね。何でも、旦那さんを亡くされて子供が独立してから始めた店らしくって、本当に紅茶もおいしかったんですよ。もうあれが飲めないなんて……。あ、ごめんなさい、話がそれちゃったわね。犯人? そんなの絶対に許せるわけがないじゃないですか! 怖いし、一刻も早く逮捕されてほしいですね』
「……うーん、何て言うか、ありきたりなコメントばかりね」
五人ほどインタビューした後、詩音は思わずマイクに入らないようにそんな事を呟いていた。何というか、みんな定型通りの事しか言わないので、インパクトが弱いのである。
「やっぱり、こういう事件だとみんな言う事なんて一緒になるのかなぁ。いっそ、本当に関係なさそうな通行人に話を聞いてみた方が面白いかもしれないわね」
と、そこへおあつらえ向きに道の向こうから一人の中年男性が歩いてくるのが見えた。年齢は四十代前後だろうか。どこか疲れたサラリーマンといった風貌で、手には黒のアタッシュケースを持っている。その様子から、何も知らずにたまたま仕事か何かでこの辺に来ているように見えた。
「ちょうどいいわ。次はあの人にインタビューしてみよう」
そう言うと、詩音は無礼を承知でその男性へ向かって突撃していったのである。
「すみません、ちょっとお聞きしたい事が……」
・インタビューその六 通りすがりの中年男性
『何ですか、今、急いでいるんですがね。……この近くで殺人事件? はぁ……それは何というか、大変ですね。それで、事件があったとして私に何を聞きたいんですか? ……事件についてどう思うか? いやいや、どう思うも何も私はその事件とやらについて何も知らないんですよ。せめて、どんな事件なのか概要を説明してください』
やむなく、詩音が事件の状況を男に説明する。
『……なるほど、喫茶店で女主人が殺された事件ですか。それはまた随分過激な事件ですね。この事件についての感想ですか? いや、そんな事を聞かれても、いきなり答えるのは無理でしょう。第一、部外者が事件について好き勝手言うのは関係者に失礼でしょうし。……え? 何でもいいからとにかくコメントしてほしい? えーっと、その発言はインタビュアーとしていろいろと問題じゃないんですかね。うーん……なら、せめて今までインタビューしてきた人たちの映像を見せてください。みんながどんな風に答えているのか気になりますし。……はい? みんな同じようなコメントだと困る? そう言われましても……見せてもらえないなら、私はこのまま失礼します。別にインタビューに答える義務はないはずですし』
すったもんだの末、結局詩音は男に今までのインタビュー映像を見せる。
『……なるほどね。みんなこんな風にインタビューに答えているんですか。大変参考になりました。まぁ、いいですよ。ここまでしてもらったんですから、質問には答えます。でも、正直テレビに顔が出るのは遠慮したいので、流すときはちゃんと顔を隠してください。それが最大の譲歩です。……そうですか、約束してもらえて何よりです。では、質問をどうぞ。……改めて、この事件についてどう思うか、ですか。そうですね……』
『私にわかるのは、この事件の犯人が、四番目にインタビューした浪人生だって事だけですかね』
『……えっと、すみません、インタビュアーに固まられてしまうと、私としてもどうしたらいいのかわからなくなってしまうのですが。……何でそんな事がわかるのかって? いや、今までの話と、さっきのインタビュー映像を見れば一目瞭然でしょう。まず、問題の浪人生はこのインタビューがあるまで事件の事について一切知らなかったと言っているんですよね。でも、それにしては妙な事を口走っているんです。例えば、二番目の男性はニュースで事件の事を見て飛んできて、その上で被害者が後ろから包丁で刺されたと言っています。これについては自然な話です。被害者が背後から包丁で刺された事はニュースでも何度も言っていますから。でも、問題の浪人生は事件の事を知らなかったと言った上で、なぜか被害者が「刺された」事を知っているんです。事件の事を知らなかったと言いながらこのような事を知っていたのだとしたら……それはもう、彼自身が目の前で被害者を殺害した張本人だとしか思えないんですよ。え? 本当は事件を知っていたけどテレビの手前、見栄を張ったのかもしれない? いや、問題のインタビューを見るとそれだけでは説明のつかない違和感があるんです。警察の発表だと、被害者は背後から包丁で刺されたという事になっていますが、逆に言えば発表されているのはこれだけで、具体的な犯行形態はニュースでも流れていません。背後から刺されたという話だけでは、不意打ち的に背後から一突きしたのか、あるいは後ろから何度も刺したのか、倒れた被害者に馬乗りになって刺したのか、その辺の犯行状態はわからないはずなんです。ところがこの浪人生は、単に刺されたと言っているだけではなく「いきなり」刺されたと言っているんです。これは被害者の背後から不意打ち的に殺害したというニュースでも流れていない事を知っているという事で、明らかに不自然です。もし、本当に犯行形態が彼の言うように背後からいきなり包丁を刺した事によるものだとしたら、それを知っていた彼の容疑はもはや決定的といえるんじゃないですかね。まぁ、私に言えるのはそんな感じですかね。では、質問には答えましたし、私はこれで失礼します。最初に言った通り、私も急いでいますのでね。これ以上拘束されるいわれはありません。まったく、人探しの結果報告に行くだけだったはずが、思いがけず時間を食ってしまった。依頼人が怒っていないといいんだが……』
その日の夕方、日本中央テレビのニュース番組が、他局に先駆けてこの事件の独占スクープを報道していた。
『急転直下の解決です。警視庁は先日発生した喫茶店店主殺害事件の犯人として、現場近くのアパートに住む浪人生・持木陸弘容疑者を殺人容疑で逮捕しました。持木容疑者は容疑を認めているという事で、警察が詳しい動機について追及しています。この事件では、当局の中平詩音アナウンサーが捜査段階で持木容疑者にインタビューをしており、そのインタビュー内容に事件の関与をほのめかす発言があった事から中平アナウンサーが警察に通報し、そこから持木容疑者の逮捕につながりました。警察の発表によると、持木容疑者は『茶原さんとの間に金銭トラブルがあり、思わず衝動的に背後から心臓を一突きにして殺してしまった』と供述しているという事です。では、事件解決のきっかけになったインタビューを行った中平アナウンサーから話を聞きたいと思います……』
……同じ頃、品川にある榊原探偵事務所の中では、瑞穂がぼんやりとテレビから流れるこのニュースを眺め、一仕事を終えてデスクで読書をしている榊原に話しかけていた。
「先生、この事件があったのって、今日人探しの報告に行った家の近くじゃないんですか?」
「あぁ、そうみたいだね」
榊原は本から目を離す事なくそう返事する。
「でも、インタビューの内容から犯人が発覚するなんて、凄い話ですね」
「まぁ、そういう事もあるんじゃないかね」
「……一応聞きますけど、もしかして先生、この事件に介入したりしたんですか?」
その問いに、榊原は苦笑気味に答える。
「さぁ、どうだろうね。何にせよ、事件は解決したんだ。誰が解決したにせよ、後は警察の仕事だ」
「……ま、そういう事にしておきます」
テレビ画面の中で、詩音が何とも言えない複雑そうな表情を浮かべている中、事務所の中ではいつもと同じ緩やかな時間が過ぎて行こうとしていたのだった……。




