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第三十二話 「破られた金庫」

 その男はじっと耳を澄ませてダイヤルを慎重に回していた。その目は真剣であり、彼のいる八畳間の和室は不気味な静けさに包まれている。

 いや、正確には彼の背後でくぐもったようなうめき声が聞こえていた。そこには、両手両足を縛られて猿ぐつわをされた和服の女性が芋虫のようにうごめきながら涙目で男の方を見つめていた。男は軽く舌打ちをしながら、軽く後ろを振り返って女性に忠告する。

「余計な事はするんじゃねぇ。変な事をしたら痛い目に遭わすぞ!」

 その一言に女性はピクリと動きを止めると、絶望的な様子でうなだれてしまった。男はそれを確認すると、改めてダイヤルに視線を合わせて作業を続行する。

 端的に言って、男は泥棒だった。それも頑丈な金庫の中の物品ばかり狙う金庫破り専門の泥棒である。仲間の泥棒からは「金庫破りの金吾」などという、ふざけているのかいないのかよくわからない異名で呼ばれているが(ちなみに別に「金吾」が本名なわけでもない)、金庫がありそうな大きな家に侵入してはその鮮やかな技術でいくつもの金庫を破ってきた、筋金入りのプロである。

 この日も、男……金吾は東京の田園調布にあるどこぞのIT会社の社長とかいう男の日本屋敷に忍び込んでいた。主人である若手社長は現在札幌に出張中であり、家には最近結婚したという若い妻が一人だけだけだという。この情報を掴んだ金吾は彼女のスケジュールを調べ、彼女がいない隙をついて屋敷に侵入したのである。

 ただ最大の誤算は、あれだけ念入りに下調べを白というのに、いざ侵入してみるとたまたまこの日だけスケジュールが違ったのか、いないはずの彼女がしっかりいた事である。で、悲鳴を上げられそうになったのでやむなく彼女を縛り上げて床に転がし、こうして彼女の脇で部屋に備え付けられていた金庫に挑戦しているというのが現在の状況だった。

 とはいえ、念のためにかぶり物はしているので、今のところ彼女に顔がばれる心配はしていない。金吾は犯罪者とはいえ金庫破り以外興味はなく、ましてや彼女を殺して口封じする気など最初からない。とにかくこうなった以上、一刻も早く金庫を開けて中身を取り出し、さっさとここから逃げ出すに限る。事前の情報ではこの金庫にはこの男の夫である社長が脱税でため込んでいた金が入っているらしく、嫌でも金吾の期待は高まった。

 と、しばらくしてカチッという音が聞こえた。これで五つあるダイヤルのうち四つまでが開錠できたのだ。残るはあと一つ。金吾は一度汗をぬぐうと、最後の一つに取り掛かった。

「んー! んーっ!」

 と、再び後ろで女が騒ぎ出す。金庫を開けられてなるものかといわんばかりに身をよじり、拘束から抜け出そうと必死である。金吾はもう一度舌打ちすると、女に怒鳴りつけた。

「いい加減にしろ! 一度痛い目を見ないとわからねぇのか!」

「んー! んーっ!」

 が、女は抵抗をやめない。和服がはだけそうになりながらも必死に体を動かし続ける。一瞬、金吾は主義に反して本気で女を殴りつけてやろうかとも思ったが、それこそ時間の無駄になると思い返し、首を振ってダイヤルの操作を続行する。ここまでして金庫の中身を奪われまいとする女の献身は大したものだが、生憎金吾にそんな事は関係ない。ただ、金庫をいかに早く開けられるかである。

 それから一分もしないうちに、最後のダイヤルがカチッと音を立てた。金吾は一瞬目を閉じると、フゥと大きく息を吐く。これで後は扉を開けるだけだ。

「ん――――っ!」

 女は最後の抵抗といわんばかりに身をよじって金庫の方へ近づこうとするが、金吾にとってそんなものはもう関係ない。小さく呼吸を整えると、手慣れた様子で金庫の扉を開け……彼としては珍しく、そこで絶句してしまった。


 縦横五十センチくらいある金庫の中。そこにはスーツ姿の男の死体が入っていたからである……。


 それから一時間後、田園調布の日本屋敷はパトカーに囲まれていた。そんな中、警視庁刑事部捜査一課警部補の榊原恵一が、ゆっくりと現場となった和室へと足を踏み入れていた。先着していた同僚の橋本隆一警部補が榊原を出迎える。

「来たか、榊原」

「匿名の通報だって?」

「あぁ、三十分ほど前に公衆電話から男の声で通報があった。この家の金庫に死体が入っていて、犯人は捕まえてあると一方的に言った後すぐに切れたそうだ。で、警官が駆け付けるとこの有様だ」

 橋本はそう言いながら、金庫から転がり出た男の死体を目で示した。見た感じ、二十代半ばと思しき年齢である。

「身元は?」

「ポケットに運転免許証があった。名前は竹定松夫たけさだまつお。一緒に入っていた名刺によると、自動車販売店のセールスマンだな」

 と、遺体を検視していた検視官が報告する。

「死因は後頭部を殴られた事による撲殺だ。凶器は金庫に一緒に入っていたガラス製の灰皿。当たり所が悪かったのかほぼ即死だ」

「シンプルな犯行だな。で、容疑者は?」

 榊原の問いに、橋本は無言で隣の部屋で所轄の刑事の尋問を受けている女性を示した。すっかり着崩れた和服を着て、憔悴しきった表情で刑事の質問に答えている。

「警官が駆け付けたとき、手足と口を縛られて床に転がっていた。この屋敷の主人である富岡孝介とみおかこうすけの妻・富岡八千代とみおかやちよ、二十七歳。夫は今札幌に出張中で、家には彼女だけだ」

「この男との関係は?」

「以前、高級車を買った時に知り合ったらしく、今日はそのアフターケアできていた……と言っているが、どう見ても浮気だな。聞き込みをしたが、旦那がいない日に何度か姿を見たという目撃情報がある」

「夫が出張中に浮気とは、どこのメロドラマだ。で、縛られていたという話だが、何があったんだ?」

「それがどうも泥棒が入ったらしい」

 訝しげな表情をする榊原に、橋本はため息をつきながら言葉を続ける。

「あの女が言った話だ。曰く、いきなりやってきた泥棒が竹定を殴って八千代を縛り上げ、その後金庫を開けて中身を奪った後、竹定の死体を押し込んで逃げだした、という事らしい。どう思う?」

 橋本の問いに対し、榊原は苦笑気味に笑って首を振った。

「とても信じられないな。彼女が縛り上げられていた以上、泥棒かそれに類する誰かが侵入したというのは多分事実なんだろうが、それ以外の証言は信用できない」

「同感だがなぜそう思う」

「その状況なら八千代だけ生かしておく意味がないし、遺体を金庫に押し込むなんて事はまずしない。通常、金庫なりに遺体を隠すのは事件の発覚を防ぐのが目的になるはずで、八千代という目撃者がいるのにそんな事をしても全く無意味だ。そもそも隠したにしては金庫は開けっ放しで、何をしたかったのか全くわからない」

「俺もそう思う。それに、彼女の話が事実ならあの通報の意味がよくわからなくなる」

「やはり、通報はその泥棒か?」

「他に考えられないだろう。で、彼女の話が正しいなら、遺体を隠そうとした泥棒が遺体を発見させたというわけのわからない話になる」

 橋本はそう言いながら八千代を睨んで榊原に問いかけた。

「榊原、ここまで聞いてお前はどう思う?」

「……八千代が竹定を殺した。私ならそう考えるね」

 榊原はそう断言した。

「諸々の状況から泥棒が来たというのは本当だろうが、それはおそらく殺害後だ。竹定を殺して金庫に隠し、ホッとしていたところに泥棒が侵入。八千代は縛り上げられ、せっかく遺体を隠した金庫を泥棒が開けてしまって事件が発覚。泥棒はやむなくここを脱出してご親切にも警察に通報してくれた……といったところじゃないか?」

「そんなところだと俺も思う。しかもあの様子だと、ちょっと突いたらすぐに自白しそうだ」

 何しろ、今の時点ですでに顔が緊張で真っ青になっており、何かを隠しているのが見え見えなのだ。

「ま、そんなわけで、榊原、頼む」

「私がやるのは確定なのか?」

「他のやつがやってもいいが、お前がやったら早く済むだろう。早く楽にしてやれ」

「……後で一杯おごれよ」

 榊原はそう言ってため息をつくと、ポケットに手を突っ込んでガチガチに緊張している様子の八千代の元へ向かった。

「すみません、警視庁の榊原といいますが、少しお話を……」

 ……それから十五分後。最初こそぎこちなく反論を重ねていた八千代だったが、榊原の徹底的かつ情け容赦ない論理攻勢の前にあっけなく撃沈し、大号泣しながら所轄の刑事に連行されていったのだった……。


「動機は痴情のもつれと金銭トラブル。竹定と浮気をしていた彼女は、旦那の孝介が脱税でため込んでいた金を竹定に貢いで、いい加減にそれが限界にきていた。だが、これ以上無理だと言うと竹定が夫にばらすと脅してきたため、思い余って殺したというのが真相らしい」

 その夜、品川の飲み屋のカウンターで榊原は橋本にそう説明していた。もちろん、約束通り橋本のおごりである。

「って事は、あの金庫には最初から金は入っていなかったって事か?」

「金庫内の金銭の管理は八千代が一手に引き受けていたから孝介は気づいていなかったが、ばれるのは時間の問題だった。計画では一度金庫に隠した遺体を機を見て山中に埋めるつもりで、金は竹定に盗まれたと夫には主張するつもりだったらしい。後ろめたい金だから被害届は出さないと踏んでいたようだ」

「ところが、そこへ本物の泥棒が現れて計画は大失敗、か。人生、何があるかわからんな」

 橋本はビールを飲みながらこう続ける。

「で、その泥棒についての情報は?」

「何とも言えんな。捜査二課によると、金庫破り専門の『金吾』ってやつがいて、手口から見てそいつの仕業じゃないかという事だ。だが、手掛かりが少なくて、今回の事件から追い詰めるのは難しいらしい。というより、今回はまんまと殺人犯を突き出してくれたわけで、扱いに困っているらしい」

「まさか、本人も金庫を破って死体を見つけるとは思っていなかっただろうな。これに懲りてこれ以上の犯行をやめてくれればいいんだが……」

「今までの傾向から見て、それは期待薄だそうだ。一応手配はしたらしいが、まぁ、捕まるのは五分五分だろう。いずれにせよ、ここから先は私たち一課の管轄じゃない」

 その後、二人はしばらく飲んでいたが、一時間くらいして席を立った。

「お勘定を」

「毎度! 一万二千円です!」

 人のよさそうな店主に代金を払い、二人は店を出ていく。店主はしばらくニコニコとそれを見送っていたが、やがてぼそりと呟いた。

「まったく、こんな事はもうこりごりだ。次からはもっとちゃんと下調べしないとな。刑事さん、事件を解決してくれたお礼に五千円まけときましたから、それでチャラにしてくださいや」

 そう言うと店主……金吾は、店の看板を片付けて中に引っ込んだのだった。

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