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第三十一話 「ナンパ殺人事件」

「ねぇ、彼女。こんなところで何してんの?」

 この日、明正大学経済学部三年生の軽井八也かるいやつやは、渋谷駅ハチ公口のハチ公像の前で一人の女子高生に声をかけていた。いわゆるナンパと言うやつである。大学でも女癖が悪い事で有名で、今までに何人もの女性と付き合ってきた軽井だったが、今日も特に目的もなく繰り出した渋谷の街で何人もの女性に声をかけ、何人かとは後日デートの約束をしていた。これが今日、五人目のナンパである。

 その女子高生は最初他人事だと思ったのか軽井の事を無視していたが、不意に自分だとわかったのかエッというような表情を浮かべた。

「え、私ですか?」

「そうそう。ねぇ、暇だったら一緒に遊ばない?」

「あ、でも、私、待ち合わせで」

 どうやら連れがいるらしい。が、そんな事で諦める軽井ではなかった。

「そんなのどうでもいいじゃん。俺と来た方が絶対楽しいって」

「でも……」

 女子高生は困ったような表情を浮かべる。

「いいから来いよ。普段できないような体験させてやるからよ」

「いや、それならもう間に合っていますし……」

 何やらわけのわからない事を言うが、軽井からすればどうでもいい話である。その後も軽井はしつこく誘い続けて、相手の女子高生は何とも困った表情を浮かべていたが、不意にその女子高生の携帯電話が鳴った。

「あ、ちょっと待ってください」

 女子高生はそう言うと電話に出る。さすがに電話をしている相手に話しかけるわけにもいかず耳をすましていると、こんな会話が聞こえてきた。

「え? 現地集合ですか? もぉ、だったらもう少し早く連絡してください。今ですか? 言われた通りハチ公の前にいますけど……。わかりました、じゃあ、すぐにそっちに行くんで、場所を教えてください」

 しばらく話すと電話を切る。そして、軽井に頭を下げてこう言った。

「ごめんなさい。私、行かないといけない場所ができて……」

 だが、こんなところでへこたれるような軽井ではない。彼のナンパに賭ける情熱だけは正真正銘本物である。その情熱を何か他に活かす事はできなかったのかという突っ込みはさておき、軽井はもはや己のプライドにかけて彼女を口説き落とそうとしていた。

「いいじゃん、もうそんな約束破っちまおうぜ。そんないい加減な奴より俺の方が絶対いいって」

「いや、そういうわけにも……」

 それからしばらく押問答が続いたが、やがて女子高生はうんざりしたようにこう言った。

「あぁ、もう! じゃあ、これから私の用事に付き合ってください! その後だったらいくらでも付き合えますから!」

「お、やりぃ! そんなら、さっさとその用事ってやつを済ませちまおうぜ! 俺、軽井八也な」

「……深町瑞穂です。じゃあ、こっちです」

 そういうと、瑞穂はそのまま駅前から歩いていく。その後に続きながら、軽井は瑞穂の気を引こうと話し続けた。

「なぁなぁ、瑞穂ちゃんの用事って何なんだよ? なんか買い物か? 何だったら、俺が出してやろうか?」

「いきなり馴れ馴れしいのは突っ込まないとして……そんなんじゃありません。それに、あなたにお金を出してもらってどうにかなるようなものでもありませんし」

「水臭いなぁ。金で解決できないような何かがあるっていうのかよ?」

「……ま、来ればわかりますって」

 そう言ってしばらく繁華街を歩き続けていたが、不意に軽井はその一角が何やら騒がしいのを見かけた。見ると、軽井もよく行くデパートの前にパトカーが何台も停車している。どうやら何かがあったらしい。

「何かあったのかな? ここんところ渋谷も物騒だよなぁ。ま、面倒な事にならないうちにとっととこんな所なんか離れて……」

「あっ、あそこかぁ。先生ももう少しわかりやすく教えてくれたらいいのに」

 と、その場から離れようとした軽井に対し、なぜか瑞穂はホッとした様子でそのパトカーがひしめくデパートの方へ向かっていくではないか。びっくりしたのは軽井である。

「は、あ、その……え? 瑞穂ちゃん?」

「どうしたんですか? 付き合ってくれるんじゃなかったんでしたっけ?」

 そう言われてはどうにもならない。最初の威勢はどこへやら、軽井がおっかなびっくり後に続くと、入口にはくたびれたスーツ姿の四十代と思しき中年男性が立っていた。と、瑞穂がその男に手を振って駆け寄っていく。

「あ、先生!」

「来たか。すまないね、急に待ち合わせ場所を変更して」

 どうやら、この男が瑞穂の待ち合わせ相手らしいが、てっきり同年代の男子でも来るのかと思っていた軽井にとっては予想外の相手である。思わず援助交際か何かかと思ってしまったが、どう見てもこの場の雰囲気には合わない。と、相手が軽井に気付いた。

「ん? そちらの方は?」

「それが、一緒に遊ばないかってしつこくって……。思わずこの一件に付き合ってくれたら私も付き合ってあげるって言ったんですけど、そしたらそのままついてきちゃって」

「ほう。で、君の名前は?」

「え、あ、軽井八也……です」

 その雰囲気に思わず圧倒されて八也は名乗る。

「軽井君か。私は榊原と言う。一応、私立探偵という事になっている」

「し、私立探偵?」

 驚く間もないうちに、瑞穂は男……榊原に尋ねた。

「で、事件の方はどうなんですか?」

「斎藤から一通りは聞いたが、まぁ、そこまで難しい事件じゃなさそうだ。多分、今日中に解決できるとは思うが」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 瑞穂ちゃん、一体これは何なんだ! 瑞穂ちゃんの用事って……」

「あれ、言っていませんでしたっけ?」

 瑞穂はすっとぼけた風に軽井にとどめを刺した。

「殺人事件の捜査です。これが解決したらいくらでも付き合いますよ。もちろん、先生同伴で」

 その瞬間、これ以上ないほど晴れやかな瑞穂の笑顔が、軽井には悪魔の嘲笑に見えたのだった。


 軽井は顔を引きつらせていた。なぜならその目の前には、腹部を刺されて血まみれになった軽井と同年代くらいのチャラい格好をした男の死体が物凄い形相で転がっていたからである。何というか、自分が殺されているのを見ているようで気分が凄く悪い。

「被害者は難波四郎なんばしろう、二十二歳。早応大学文学部四年ですが、友人の話では学業よりも遊んでいる事が多かったらしく、渋谷周辺でよく女性にナンパしていた姿が目撃されています。同時に女性トラブルも多かったらしく、現在そちらの方面で捜査中です」

 そんな軽井の思いを知ってか知らずか、傍らにいる榊原と同年代と思しき刑事がしかめ面で真面目に事の詳細を説明してくれる。何だか自分の事を糾弾されているみたいで軽井としてはどんどん胃が痛くなっているのだが、榊原や刑事はもちろん、瑞穂でさえもこの光景を見てもケロッとした表情をしているのだからわけがわからない。

 大体、渋谷のハチ公前で待ち合わせをしていた女子高生が、まさか私立探偵と一緒になって殺人事件の捜査に参加しようとしているだなんて普通は考えないではないか。何がどうなっているんだと、軽井は神を呪いたくなった。これも後先考えずにナンパをしまくった罰だとでも言うのだろうか。だとすればもう少し穏便なものはなかったのかと思わず恨み言が口に出そうになる。

 だが、その間にも榊原たちに斎藤と呼ばれていたその刑事は状況説明を無感情に続ける。

「現場はご覧のようにこのデパートの二階男子トイレの個室内。トイレが終わってここから出ようとした出会い頭に腹部を刺され、そのままこの個室に押し込まれた様子です。ほぼ即死でしょう。発見者は事件後トイレにやってきた別の買い物客で、個室から血が流れているのを見て店員に知らせました。なお、トイレ入口の防犯カメラは先日電気系統のトラブルがあったため三日前から停止しており、明日にでも取り換えが行われる予定だったとか」

「つまり、犯人はそのカメラの取り換えを知っている人物、か」

「死亡推定時刻は遺体発見の十分から十五分ほど前。遺体発見が早かった事と、遺体発見の二十分前にトイレの方へ向かっている被害者の姿が二階の別の防犯カメラに記録されています。その映像には被害者が大きな紙袋を抱えている姿が映っていましたが、この紙袋は見つかっていません。なお、事件発覚後、デパートはすぐに封鎖されました。殺害から発見までの時間は短いはずなので、犯人はまだデパート内にいるはずです」

 と、そこへ別の三十代と思しき刑事が飛び込んできた。

「新庄か、どうした」

「警部、デパート内にいた人間の中に、被害者と関係のあった女性が確認されました。ただし、全部で三人です」

「三人もいるのか」

「一人目は原須浦美はらすうらみ。渋谷区の高校の二年生で、半年前にハチ公前で友人と待ち合わせをしていた時に被害者に声をかけられ、そこから恋愛関係になって遊びまわっていたそうです。が、被害者が飽きたのか一ヶ月前に別れを告げられ、さらに難波と一緒に遊び続けていた事から成績が落ちたのみならず素行不良で一週間前に退学処分。その事もあってかなり恨んでいたようです。事件当時は三階のゲームセンターに一人でいたと証言しています」

「二人目は?」

「多々里益代たたりますよ。何とこのデパートの店員です。三ヶ月ほど前から付き合ってかなりの額を被害者に貢いでいたようですが、二週間前に口論になって別れる事になった事から自暴自棄になり、三日前には自宅近くの公園で丑の刻参りをしていたのを警察官に見つかって保護されています。二階の衣服売り場の担当ですが、事件当時は休憩中でアリバイがありませんでした」

「微妙な話だな……最後の一人は?」

「三人目はニントレヤ・関。父親がアメリカ人で本人も白人系の女性ですが国籍は日本です。何年か前に高校生モデルとしてデビューして以降、大学生となった現在でもモデルをしています。四ヶ月ほど前から付き合い始めたようですが、多々里とほぼ同じ二週間ほど前に別れを告げられ、被害者に対して恨みめいたメールを何度も送っていました。事件当時は一階の専門店街をぶらぶらと歩いていたようですが、アリバイはありません」

「何だかどいつもこいつも怪しく見えてしまうな。なぜだろう……」

 斎藤が考え込むが、榊原はすぐにこう尋ねた。

「店員の多々里益代はともかく、彼女も含めて被害者に関係ある人間がこの場に一堂に会しているというのは異常だ。その点については?」

「それなんですが、全員が『今日このデパートに来たら面白いものがみられる』という手紙をもらったそうです。おそらく、犯人が送ったものと思われます」

「なるほど、木を隠すなら森の中、犯人を隠すなら容疑者の中、という事か。意図的に関係者を呼んで自分をその場に紛れ込ませたか」

 真剣な表情で考え込む榊原だったが、軽井はそんな彼らの会話に追いつく事ができないでいた。それは、軽井の想像を大きく超えた世界であった。が、それでも話はすごい勢いで進んでいく。

「ちなみに、問題のカメラの故障を知っていた人物は?」

「それが全員知っていたようです。店員の多々里は当然。ニントレヤは昨日モデルの仕事でこのデパートに来ていてその時に。原須も二日前にデパートに来た時に、トイレの辺りに修理業者がいて壊れていると話していたのを聞いたと言っています」

「そうか……」

 と、さらに別の刑事が飛び込んできた。

「警部、凶器の包丁と返り血のついた衣服が隣の女子トイレから見つかりました!」

「……犯行後、即座に男子トイレの隣にある女子トイレに入り、そこで着替えてから脱出したって事か。随分周到な計画だな」

 斎藤がそう呟く。が、榊原は不敵に微笑んだ。

「そうでもない。斎藤、一つ聞くが、このデパートの男子トイレは二階しかないのか?」

「いえ、全ての階に男女両方のトイレがあります」

「もう一つ。今の話だと、二階以外のトイレの入口にはすべて防犯カメラが設置されていたようだが、事件発生時刻近辺でそれらのカメラに被害者は映っていないのか?」

 思わぬ問いに、斎藤は訝しげな表情をしながらも答える。

「そんな映像があったら榊原さんに教えていますよ。他の階のどのトイレにも、被害者が映っていた痕跡はありません」

 意味の分からないトイレ問答に軽井が戸惑っていると、不意に榊原はこう言った。

「なら、何とかなりそうだ。新庄、悪いが容疑者全員を呼んでくれないか?」

「構いませんが、何かわかったんですか?」

「まぁな。ちょっと試したい事がある」

 そう言った榊原の表情に、軽井はなぜか戦慄を覚えた。


 五分後、容疑者の女性三名がトイレの前に集められた。派手な化粧をしたセーラー服姿の原須浦美、ピシッと衣類売り場の店員の制服を着こんだ多々里益代、モデルらしくブランド物と思しき衣服をコートで包んだニントレヤ・関。この三人の中の誰かが犯人である。

「何なのよ~、アタシ、殺人なんて知らないんだってば!」

「私も何も知りません! 今日、彼がここにいる事も初耳でした!」

「ワタシも、です! 帰らせてください!」

 三人が口々に言うが、榊原はそれを抑えて丁寧に言う。

「そう言われずに、事件解決のために少し協力してください。そう長くはかかりませんから」

 そう言われては三人も拒否はできない。しぶしぶといった風に浦美が尋ねた。

「協力って、何をすればいいのよ?」

「いえ、私の話を聞いて頂きたいだけです」

「は? 何の話よ?」

「言うまでもなく、この事件の真相です。今からそれをお話します」

 榊原は事もなげにそう言うと、呆気にとられている三人の前でおもむろに推理を始めた。

「さて、今日、このデパートの二階にある男子トイレで難波四郎という大学生が刺殺されました。状況及び被害者に恨みを抱いているという点から容疑者としてあなた方三名が浮上しましたが、誰が犯人なのかは明白ではない。そこで、私は一度見方を変えてみる事にしました。つまり、被害者の行動についてです。被害者の難波四郎は、なぜ今日この日にこのデパートに姿を現したのでしょうか?」

「何でって……いつもみたいにナンパじゃないんですか?」

 益代が当惑気味に尋ねるが、榊原は首を振った。

「普通ならそうかもしれません。しかし、それにしては妙なんですよ。この場所にはわずか数週間前に別れた女性……すなわち、多々里益代さん、あなたが働いているんです。それにニントレヤさん、あなたもモデルの仕事でこのデパートにいる事があるという事でしたね?」

「え、えぇ。そうです」

「いくらナンパ好きの軽い男とはいえ、わずか二週間前に捨てた女性がいるかもしれない場所でナンパなんかしようと思うでしょうか? 単にナンパするならわざわざこのデパートに固執する必要なんかまったくありません。例えば渋谷駅の辺りでも行けばそれこそナンパなんかいくらでもやりたい放題のはず。にもかかわらず、被害者はどう考えても面倒な事が起こりかねないこのデパートに現れた。そう考えると、被害者がナンパ目的でここにいたという話自体がかなり妙なものになってしまうんです」

 言われてみれば確かにそうである。軽井自身、そんな状況なら捨てた女が確実にいるような場所で次のナンパをするような事は絶対しないと断言できた。下手をすれば修羅場になるのは目に見えているからだ。

「で、でも彼は実際にこの場所で……」

「そこです。今までの情報を総合すれば話の辻褄が全く合わない。だから私は考え方を根底から変えてみる事にしました。ナンパが目的でないとすれば、彼はなぜこのデパートに姿を見せたのか? そう考えると、鍵を握るのは被害者が『二階』のトイレで殺害されているという事実です」

「えっと、それが何か? 単にトイレに行きたかっただけなんじゃ……」

 益代が戸惑ったように言う。だが、榊原は首を振った。

「問題はトイレに行った理由ではなく、なぜ『二階』のトイレなのかという事です。さっき聞いた話だと、このデパートは各階に男女のトイレがそれぞれあるという事。便利な話ではありますが、このような構造のデパートでは、基本的に今自分がいる階以外のトイレに行く事などという事は普通しないはずです。例外は他の階のトイレがふさがっていてやむなく近隣階のトイレに走ったという場合ですが、警察の話では他の階のトイレの映像に被害者は映っていないという事。つまり、被害者は最初から二階に用事があって、それゆえに二階のトイレを使ったとしか考えられないんです」

 軽井は、先程の意味不明なトイレ問答がこのロジックを引きずり出すためのものだった事を今さらながら理解した。

「被害者は二階に用事があった……。トイレの件からこれは間違いないでしょう。そうなると、次の問題はその用事が何なのかという事です。二階は衣服売り場がメインで、被害者が興味を持ちそうな店舗はない。そうすると、被害者に関係ありそうな事象は一つ……というより一人しか考えられません。事件当時、二階で働いていたという……多々里益代さん、あなたです」

 その瞬間、益代はビクリと体を震わせた。

「な、な、何を言って……」

「被害者はあなたに用があった。そうでもなければ被害者がこのデパートの二階に来る理由はありません」

「ちょ、待ってください! さっきも言ったように、私は二週間前に彼から捨てられているんです! なのに、何で今さら彼が私に用があるんですか!」

「……あなたの話では、別れたきっかけは口論だったそうですね」

 唐突に話題を変えられて益代は目を白黒させる。

「そ、それが何か?」

「つまり、あなたに限っては他の二人と違って被害者が一方的に捨てたわけではなく、その場の成り行きによる別れだったわけです。また、被害者は同じ二週間前にニントレヤさんに別れを告げています。その上で今日、あなたのいるデパートの二階に彼が来たという状況証拠。……ここまで言えば、私が何を言いたいのかわかるはずです」

「……まさか」

 益代がそう呟くと、榊原は頷きながら衝撃の事実を告げた。

「被害者にとってあなたは遊び相手ではなく『本命』だった。それが私の推測です」

 その瞬間、益代は口に手を当てて絶句した。

「二週間前にニントレヤさんに一方的な別れを告げたのは、恋愛対象を益代さん一人に絞るためだったんでしょう。ところが、運悪くその日二人は喧嘩になり、本人たちの意に反して流れのままに別れる事になってしまった。この推理が正しいなら、被害者はこの状況を悔やんでいたと思います。しかも三日前、あなたはそれを恨んで丑の刻参りをしようとして警察に保護されています。もし、この状況で被害者がそれを聞いたらどうなるでしょうか?」

「どうなるって……」

「誤解を解くために、一刻も早くあなたと仲直りをしようとするのではないでしょうか?」

「そんな……」

 益代はもう何も言えないようだった。

「つまり、被害者が今日、このデパートの二階に来た理由は、ここで働いている益代さんと仲直りをするためだった。さて、そうなると一つ不思議な事があります。その目的の割には、被害者が何も持っていないという点です」

「え?」

「別れた相手と仲直りをするんです。プレゼントの一つでも持ってくるのが普通でしょう。そして、実際に現場から消えたものがあります」

「そうか……被害者の持っていた紙袋、あの中にそのプレゼントが入っていたんですね」

 瑞穂が納得しながら言う。

「おそらく。では、そのプレゼントとは何だったのか。紙袋に入るだけのサイズである事を考慮した上で、衣服売り場の店員である益代さんに送って最も喜ばれる贈り物……それは『衣服』という事にならないでしょうか」

「あっ」

 と、ここで益代が声を上げた。

「心当たりが?」

「は、はい。確かに別れる前に、私、彼に『服がほしい』って言った事があって……」

「なら決まりですね。さて、そうなると次の問題は一つ。すなわち、犯人はなぜその『プレゼント』を持ち去ったのか? 殺人事件の被害者の遺留品を持ち去るのはかなりリスクのある行為で、最初から狙っていたという場合でもない限り、よほどの理由がなければ持ち去る事はしません。しかも今回のブツは現金などではなく衣服です。最初から狙っていた可能性はまずないと思います」

「じゃあ、一体……」

「その答えが、女子トイレに捨てられていた犯人の遺留品にありました。犯人は犯行に使用した返り血のついた衣服を着替えています。では、その着替えはどこにあったのか? もし、最初から用意していたものではなかったとするならば……」

「まさか……被害者から奪ったプレゼント用の衣服と着替えたって事ですか!」

 斎藤が厳しい表情で答えを言う。榊原は頷いた。

「自分で衣服を持ってきたり、最初からデパート内に隠したりしておくのはかなりリスクがある。もし犯人が、被害者が衣服を持ってくる事をあらかじめ知っていたなら、それを着替えに使う事を最初から計画の一部に入れていても不思議はない。という事は……この推理が正しかった場合、『今この時点で被害者の持ってきたプレゼント用の衣服を着ている人間が犯人』という事になる」

 そう言うと、榊原は三人を睨みつけながら一気に畳みかける。

「この条件に該当するのはこの中では一人だけです。被害者が益代さんへのプレゼント用として用意した衣服である以上、浦美さんが着ているようなセーラー服を持ってくるわけがないし、また益代さんが着ているここでしか支給されていない店舗用の制服を手に入れる事もまず不可能です。つまり、今この時点でこれらの衣服を着ている浦美さんと益代さんは犯人ではありえません。となると、犯人の条件に合致するのはただ一人……」

 次の瞬間、榊原は鋭く叫んだ。

「犯人はニントレヤ・関さん、あなたです!」

 そう言われた瞬間、ニントレヤはそのブランド物の衣服を抱えるようにして身を震わせた。

「わ、ワタシ、ですか?」

「この中であなただけはプレゼントとして用意されていてもおかしくない衣服を着ています。あなたが今着ているその服……実は被害者が持ってきたものではないんですか?」

「い、言い掛かりです!」

 ニントレヤは慌てて叫んだ。

「これは……ワタシが前に買ったものです! あなたのいう事なんか嘘っぱちです!」

「ほう、そうですか。ではその服、いつどこで買ったもので、その値段はいくらくらいですか?」

「そ、それは……そんなの、覚えていません!」

 ニントレヤは必死にそう答える。が、榊原は不敵な笑みを浮かべた。

「覚えていない、ですか。モデルのあなたにしてはいささか不自然な話ですね」

「覚えていないものは仕方がないじゃないですか! それが罪になるんですか!」

「……いいでしょう。なら、防犯カメラでも調べてみますか? 事件前のあなたがどんな服を着ていたのか、映っているかもしれませんね」

 だが、ニントレヤは引きつった顔で反論する。

「やれるものならやってみてください! 断言しておきますが、私はずっと同じ服を着ているはずです!」

「でしょうね。少なくとも、そのコートは同じでしょう」

「……どういう意味ですか?」

「あなたが着替えたのは内側のそのブランド物の服だけだと言っているんです。コートはおそらく自前の物。さすがにあなたもデパート内の防犯カメラに映る事は予想していたはずですから、着替えがばれないためにコートで隠していたはずです。で、犯行時はコートを脱いで返り血がかからないようにしたと言ったところでしょう。ですが……私が言っているのはそういう事じゃないんですよ」

「どういう意味ですか!」

「デパート内は確かに注意していたかもしれません。では、外はどうでしょうか? もっと言えば、最寄りの渋谷駅からこのデパートに来るまでの間です」

「あ……」

 ニントレヤの顔が少し青ざめた。

「防犯カメラは何もデパート内だけにあるわけではありません。路上に設置されているカメラを確認したら面白い事になるとは思いませんか?」

「し、知りません! そんなの、何の証拠にも……」

「では、もう一つ。仮に今の推理が正しかったとして、言い逃れのできない証拠があります。問題の衣服を入れていた紙袋の存在です。捨てるわけにもいかないし、トイレットペーパーではないのでトイレに流す事もできない。火災報知器が反応したら困りますから燃やす事もできないでしょう。そうなると、まだあなたが持っていると考えるのが妥当です。この際、女性警察官を呼んできて身体検査でもしてみましょうか?」

「それは……」

「それに、衣服は取り換えられても靴などは履き替えられなかったはず。注意しているとは思いますが、そこから飛沫血痕でも発見されたら決定的ですね。おそらく、ここまで早く遺体が発見されて現場にとどめ置かれるなどという事態は想定外だったんでしょう。そういう意味では、この犯行は周到な計画どころか随分杜撰な計画です。私が考えるだけでもこれだけ証拠が出るんですから、警察が調べたらもっと色々出てくると思いますよ。さて……まだ続けますか!」

 そう榊原が鋭く告げた瞬間、ニントレヤは肩を大きく震わせると手に持っていたハンドバッグを落とし、その場に崩れ落ちて嗚咽を漏らし始めた。

「違う……違う! ワタシは……ワタシが悪いんじゃない! 彼がワタシを裏切ってこんな女に夢中になんかなるから……! この服は、本当は私が着るはずだったのに! なのに……許せるわけがないじゃないのよぉっ!」

 その絶叫に、軽井も含めたその場の全員が何とも言えない表情を浮かべていたのだった。


「動機は自分を捨てた難波に対する復讐。捨てられた後もニントレヤは難波の動向を見張っていて、彼女と仲直りするために被害者が例の服を買っているのを目撃して殺意を抱いたそうです。手紙で浦美を呼び出して容疑者を増やすなどの工作をした上で、デパート二階にやってきた被害者に偶然を装って近づいて例の二階トイレに誘い出し殺害。その後は榊原さんの予想通り、彼が持っていたプレゼント用の服に着替えて逃げ出そうとしましたが、予想以上に早くデパートが封鎖されてかなわなかったという事です。わざわざプレゼント用の服に着替えるなんて犯行を計画したのは、本来自分が着るはずだった服を益代に渡したくなかったという理由もあったようですね」

 あれから三十分後、簡単な事情聴取を終えた斎藤がデパートの前で榊原に報告していた。

「問題の紙袋は?」

「身体検査の結果、服の下の腰の部分に巻き付けているのが見つかりました。逃げた後で処分したらいいと思っていたらしく、かなり杜撰な隠し方でしたよ。傍から見たら滑稽ですが、本人は必死だったんでしょう。それに、指摘通り靴からは被害者の飛沫血痕も検出されました。本人も諦めたのか素直に自供していますし、ひとまずどうにかなりそうです」

「そうか。まぁ、早期解決でよかった」

「間もなく逮捕令状が届くでしょう。それを待って彼女を連行します。では」

 そう言って斎藤は去っていった。そして、後には榊原と瑞穂、そして途方に暮れた表情の軽井だけが残された。

「さて……これで仕事は終わったわけだが、どうするね?」

「約束は約束ですからね。ちゃんと軽井さんにお付き合いしますよ。あ、もちろん先生同伴でお願いします」

「やむを得ないか。君一人で放っておくわけにもいかないし、軽井君、それで構わないね?」

「え、あ、その……」

 軽井としてはナンパなんかどうでもいいからもうこの場からさっさと退散したかったのだが、それが許されないような雰囲気だった。

「じゃ、決まりですね! で、どこに連れて行ってくれるんですか?」

「あ、えっと、そうだね……」

 と、ここで榊原が一言。

「一応言っておくが、未成年者の彼女に手を出したら犯罪だ。私が君を追及するような事だけは絶対にやめてほしいものだがね」

 口調は冗談っぽく言っているが、目が全く笑っていない。さっきの推理劇を見た後では、この男を敵に回すような事は絶対にしたくないというのが軽井の思いだった。というか、正直軽井はもう疲れ果てていた。その結果、軽井の口から出た言葉は以下のようなものだった。

「えっと、じゃあ……コーヒーをおごらせてください……」

 ……結局、この日軽井は近くのスターバッカスで瑞穂と榊原にコーヒーをおごる事でようやく二人から解放された。ただそれ以降、彼はナンパする事を極端に怖がるようになってしまい、二度と渋谷に顔を出す事はなくなってしまったのだが……それはまたこの事件の愉快な後日談だったりするのである。

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