第二十九話 「シンデレラ奇譚」
昔々、あるところにシンデレラという女の子がいました。彼女は幼い頃に父親を亡くし継母の元で暮らしていましたが、この継母と二人の姉が意地悪で、家事手伝いなど召使同然の扱いをされていました。
ある日、お城で舞踏会が開かれる事となり、継母や姉たちは喜び勇んで出かけていきました。しかし、シンデレラには舞踏会に行くためのドレスもありません。彼女が一人寂しく留守番をしていると、そこにどこからともなく魔女がやってきてこう言いました。
「かわいそうなシンデレラ。私が魔法であなたをお城の舞踏会に行かせてあげよう」
そう言って杖を振ると、畑にあったカボチャが一瞬にして馬車に変わり、シンデレラもきれいなドレスを着た姿に変身していました。
「さぁ、これなら大丈夫だろう。だけど気をつけなさい。その魔法は十二時になると解けてしまう。必ず十二時までには戻ってくるんだよ」
「ありがとう、魔女のお婆さん」
シンデレラは礼を言うと、カボチャの馬車でお城に向かいました。美しいシンデレラはたちまち王子の目に留まり、二人は楽しいひと時を過ごします。しかし、そんなときにお城の鐘が十二時を告げました。シンデレラは名前も告げる事なく王子の元を去り、その時慌てたためかガラスの靴が片方だけ脱げ落ちてしまいました。
「あの娘を何としても探しだせ!」
王子は部下たちにそう命じます。手掛かりはガラスの靴だけです。しかし、いくら探しても彼女は見つかりません。王子が途方に暮れていると、家来の一人が報告にやってきました。
「王子様、街の外れで怪しい老婆を見つけました!」
そう言って家来が引っ張ってきたのは、あのシンデレラに魔法をかけた魔女ではありませんか。いかにも怪しい風貌の魔女に対し王子は詰問します。
「お前は何者だ!」
「わ、私は怪しいものじゃないよ。ただのしがない魔法使いだよ!」
老婆はうろたえながらそう答えます。が、王子はますます怖い表情を浮かべます。
「いや、魔女とか言ってる時点で怪しすぎるだろう。仮に魔女だとしても、何で街の外れでうろうろしていたんだ」
「それがその……仕事を終わらせたまでは良かったんだけど、道に迷って……大体この街、道が複雑すぎるんだよ……」
魔女はぶつくさと何かを言っていますが、そんな事を気にする王子ではありません。
「あぁ、もういい! それよりお前、魔女だというのならば魔法が使えるのか?」
「まぁ、そりゃね。それが仕事だからね」
「じゃあ、この靴の持ち主を見つける事はできるか?」
そう言って王子はガラスの靴を見せます。当然魔女は一目でそれがシンデレラの靴だと見抜きましたが、ここで魔女は少し悪知恵を働かせました。
「あぁ、まぁ何とかなるよ。本人を探すのは無理だけど、靴の主を探す手がかりを出す事はできる。ただ、この魔法は複雑でねぇ。やろうと思ったら金貨百枚がいるんだが……」
魔女はかなり悪質な商売人だったのです。もしかしたらシンデレラを無料で変身させたのも、後で取るところから取ってやろうという魂胆があったのかもしれません。ですが、上目遣いに金を要求する魔女に対し、王子は即断即決で言いました。
「いいだろう。ただし、謝礼は彼女が見つかってから渡す。それでいいか?」
「あんたも用心するねぇ。まぁ、いいけどさ。こっちもいい儲けになるし」
そう言うと、魔女は何やらブツブツと呪文を唱え始めました。そしてしばらくすると、ボンッと煙が吹き出して、その中から何かが現れました。
「ゴホッ、ゴホッ……何なんだ一体!」
煙の中から現れたのは、くたびれたスーツを着て黒のアタッシュケースを持った中年男性だったのです。
「ここはどこだ? 私は確か事務所の中にいたはずだが……」
男はそういうと周囲を見回します。予想外の状況に王子は魔女を睨みました。
「おい、どういう事だ」
「さ、さぁ……靴の主を知る何かの手がかりなのは間違いないよ。あの呪文は何が出るかまではわからなくてねぇ」
魔女も困惑しています。仕方なく、王子は男に尋ねました。
「君は誰だ?」
「……誰かは知りませんが、人に名前を聞くときは自分から名乗るものだと思いますがね」
男の言葉に王子は一瞬詰まりましたが、仕方がないので自分の名前と身分を名乗りました。男はそれを聞くと、改めて自分の名前を名乗ります。
「榊原恵一。東京の品川で私立探偵をしています。えーっと、王子様、でしたか? 一体ここはどこですか?」
王子が国名を答えると榊原と名乗った男は首をひねりました。
「聞いた事がないな……。状況を教えてもらえると助かりますが」
王子が、魔女が榊原を呼び出した事を説明すると、彼は魔女の方を見やりました。
「うーん……どうにも信じられない話だが、どうやら私は別世界に来てしまったらしい。という事は、貴女に頼めば元の世界に戻してもらえるんですか?」
「そりゃできるけどね。その前に王子様、せっかく来たんだから一応話してみたらどうだい?」
王子は仕方がなく、事の次第を榊原に説明しました。
「なるほど……誰のものかわからないガラスの靴の持ち主を調べろという事ですか」
「できるかい?」
不安そうな王子の問いに、榊原は頷きました。
「できなくはないですが……そうなると、靴の主を探す代わりに元の世界に戻してくれるという事でいいですかね?」
「あぁ、こっちに異存はない」
「……いいでしょう。私もこんな場違いな場所からはさっさと帰りたいし、正直何が起こっているのか訳が分からないが、依頼されたからには誰であろうと全力を尽くそう」
榊原は深いため息をつきながらそういうと、問題のガラスの靴を見せるように要求しました。王子が手渡すと、榊原はどこから取り出したのか手袋をしてそれを受け取り、慎重にそれを調べ始めます。
「どれどれ……サイズは23.0cmといったところか。女性でこの足のサイズなら身長は150cmから160cm前後。しかしガラスの靴ねぇ。どっかで聞いたような気がするんだが、なぜか思い出せないな」
そんな事を言いながら、榊原は王子に質問をぶつけます。
「その靴の持ち主は女性なんですね?」
「もちろんだ」
「で、急に慌てて帰った」
「あぁ」
「……となると、この靴で走ったわけか。王子、念のために聞きますが、彼女靴下は履いていましたか?」
「へ?」
思わぬ質問に、王子は戸惑う。
「ど、どうだったかな……覚えていないが、履いていたんじゃないか?」
「でしょうね。この靴を履くのに裸足は危険すぎる。しかし、そうなると指紋は期待できないな……。おまけに、これだと足跡を検出しても特定が難しい」
榊原はそう言うと、王子に再度こう問いかけました。
「この靴を見つけた場所はどこですか? 見せてもらえると助かります」
「なぜだい?」
「まぁ、現場百回って事ですよ。捜査の基本です」
王子は、靴が落ちていた城の階段の辺りに榊原を案内しました。靴があった場所を榊原はしばらく丹念に見ていましたが、顔を上げると周囲を見回します。
「王子様、靴が脱げた後、彼女はどちらへ行きましたか?」
「確か、あっちの庭の方だ」
王子が指差すと、榊原はそっちの方へ向かいます。
「ほう……地面が一部ありますね。ならば」
榊原は少しの間地面を観察していましたが、やがて何かを見つけたようです。
「あった。足跡だ」
そこには、ガラスの靴同様のヒール上の足跡がありました。榊原はそれを丹念に観察します。
「そんなもので何かわかるのか?」
「まぁ、色々わかりますよ。ところで一つお願いがあります」
「今度は何だい?」
「この国の女性が舞踏会で着るドレスを用意してもらえませんか。できれば、彼女が着ていたものと似ているものが望ましいですが」
王子にとっては何が何だかわかりませんが、ひとまず言われた通りに彼女が着ていたものとほぼ同じドレスを用意します。その間、榊原は持っていたアタッシュケースから何かを取り出して足跡を調べています。
「用意したぞ。で、どうするんだ?」
「そのドレスの重さはわかりますか?」
「重さ? 何でまたそんなものを」
「わからないなら構いません。そこの魔女さん。体重計を出してもらえませんか?」
「た、体重計って何だね?」
当惑する魔女に、榊原は身振り手振りで説明します。魔女は困惑気味でしたがしぶしぶ術を使うと、何とか体重計を出す事ができました。榊原は早速それを使います。
「えーっと、ドレスの重さがこれくらいだから……なるほどね」
榊原は満足そうに言うと、王子にこう告げました。
「彼女の生活がわかりそうですよ」
「ど、どうしてそんな事が?」
「現場に残されていたヒールの穴の深さから、それを履いていた人間の大まかな体重が推定できます。そこからドレスの重さを引けば、彼女の体重がわかるというわけです。まぁ、概ね30kg~40kg程度でしょうかね。王子様、彼女は何歳くらいに見えましたか?」
「さ、さぁ……多分三十歳は超えていなかったと思うけど……」
「なら、十代後半から二十代前半と見ましょう。さて、そうなるとちょっとまずいかもしれませんね」
「どういう事だ?」
その問いに対し、榊原は衝撃な事を告げました。
「彼女、まともに食事をしていない可能性があります」
「は?」
「彼女の体重はこの年齢の女性としては明らかに軽すぎです。文部科学省のデータによれば、十代後半から二十代前半……つまり、十五歳から二十五歳までの女性の平均体重は50kg前後だそうです。彼女の身長はさっきも推測したように150cmから160cm前後で、これはこの年齢の一般的な平均身長と合致するはずですから、本来なら彼女の体重は50kg前後にならないといけない。ところが、この女性の体重は30kgから40kg。明らかに痩せすぎです。こうなるのは、彼女が過激なダイエットか何かをしていた場合か、あるいは彼女が人間が一日に食べねばならない食事をしていない場合に限られます。まぁ、この世界に前者はあり得ないでしょうから、可能性としてはおそらく後者。そうなると、彼女はおそらく裕福な貴族ではありえませんね。貴族なら食事を満足にできないという事は考えられませんから。考えられる可能性としては、おそらくは貧困層の人間、もしくは貴族に仕えている召使の身分の人間か、あるいは貴族の人間であっても何らかの理由で家の中で除け者にされていて、家の人間にこき使われてしまっている娘と言ったところでしょう。個人的には、最後だと思いますが」
「な、なぜそう思う?」
たった一つの足跡から怒涛の如く推理されて混乱状態の王子でしたが、榊原の容赦ない推理はまだ終わっていませんでした。
「それは、彼女がドレスを着ているからです。言った通り、この女性は裕福な貴族層の人間ではありませんが、それにしては裕福なドレスを着て、こんなガラスの靴などというものまで履いて舞踏会に出席しています。矛盾が生じてしまうんですよ。本当に貧困層の人間なら、こんなドレスを着ようと思えばどこからか盗む他ありませんが、盗んだドレスを着てわざわざ王の城に乗り込んでくる人間がいるとは思えませんね。捕まりに行くようなものですから。召使の場合は主人の着ているドレスを着る事はできるでしょうが、後で何を言われるかわかったものじゃないだろうし、第一、ドレスを着る事ができても舞踏会での礼儀作法までは一朝一夕に身につけられるものではない。王子様、問題の女性にマナーの逸脱等はなかったはずですね?」
「あ、あぁ。特に違和感はなかったな」
そこで榊原は声を張り上げる。
「しかし、最後の可能性なら、除け者にされていても紛いなりにも貴族の人間です。家にあるドレスを使う事はできるでしょうし、何より一通りのマナーはわかっているはず。条件にも当てはまるんです」
榊原の推理を、魔女は唖然とした表情で聞いていました。魔法の存在を把握していないので細かいところでは所々間違っている部分はあるのですが、それでも大本の部分はまさに大当たりだったからです。魔女はこの榊原という男が末恐ろしくなりました。
「以上から考えられる彼女の特徴は以下の通りです。身長は150cmから160cm、体重は30kgから40kg、靴のサイズは23.0cmから24.0cm。年齢は十代後半から二十代前半で、おそらくは貴族の家の中で何らかの理由で除け者にされている人間。食料的にはかなり貧しい生活を送っており、状況から見てその貴族に召使のようにこき使われている可能性が高い。どこかの貴族で、死んだという噂もないのに最近姿を見かけなくなった人間がいるというなら限りなく怪しいですね。まずは、その手の人間の洗い出しを行う事をお勧めしますよ」
「な、なるほど……」
王子と魔女はすっかり納得したように頷くしかありませんでした。
翌日、王子は早速動きました。榊原の言うように、国内の貴族や裕福な者の中で家族の誰かの姿が最近見えなくなったという者を洗い出し、その貴族の家を片っ端から調べて回ったのです。もっとも、相手は有力な貴族たちですから部下たちだけでは門前払いされる事が予想され、それを防ぐために王子自らが家来を率いて調べに回りました。
それでも噂を認めようとしない貴族たちが多かったのですが、そんな場合は同行していた榊原が前に出て、彼らに論戦を挑みかかるのです。貴族たちは最初こそそれを鼻で笑って受けて立つのですが、十分もすると次第にしどろもどろになっていき、さらに十分も経つともはや反論もできなくなってその場で虚ろな表情で蹲ってしまうのでした。
王子はその手際にもはや末恐ろしささえ感じたのですが、それはともかく調査を続けていくと、自身の気に入らない家族を召使のようにこき使い、ひどい場合は食事をまともに与えなかったり暴力をふるっていたりする貴族が予想外に多いという実態が明らかになってきました。一連の調査で貴族の手から保護された人間は数十名にも及び、この問題が王子が当初考えていた以上に深刻であるという事実が浮き彫りになってきたのです。榊原は自分の国ではこうした行為を「虐待」と呼んでいて、実際に社会問題になっているという事を王子に教えました。
「何と……私は国がどうなっているのかを何も知らなかったのだな……」
王子は別の意味でかなり衝撃を受けましたが、榊原の目的はこの国の虐待の実態を暴く事ではなく、あくまでガラスの靴の持ち主を捜し出す事です。国の貴族たちが戦々恐々する中、王子と榊原たちによる情け容赦のない調査は続けられました。
そして、調査開始から三日後、国内のほとんどの貴族の調査が終わったこの段階で、王子一行はようやくシンデレラの家に到着しました。王子たちが国中の貴族を次々調べているという事を聞いていた継母たちはひとまずシンデレラを屋根裏部屋に閉じ込め、緊張した様子で王子たちを出迎えます。
「これはこれは王子様。今日は一体何の御用で……」
「時間がないから単刀直入に聞く。記録では、この家にはシンデレラという少女がいるはずだが、彼女はどこにいる? 近所の噂では、ここ最近彼女の姿が見えないそうだが」
王子は手に持った書類を見ながら継母に詰問します。当初はそんな娘などいないという事で押し通そうとしていた継母ですが、王子が予想外に調べている事に誤魔化すのは無理だと思い、仕方がなく言い訳を変える事にしました。
「え、えぇ、確かにそのような娘はいましたが、何年か前に勝手に家を出て行ってしまって、それ以来連絡がないままですの。本当にどこに行ったのやら……」
と、そこで王子の傍に控えていた榊原が前に出ました。
「何年か前と言うのは具体的にはいつですか?」
「え、えっと……三年ほど前ですわ」
「三年ね。なるほど……。ところで随分大きなお屋敷ですが、召使いは雇われていないのですか? あなたと娘さん二人ではさぞかし大変でしょう」
榊原の問いに、継母は少し動揺しました。何しろシンデレラがいますので、お金のかかる召使いなど雇っていなかったからです。とはいえそれを言うわけにもいかないので、継母はぎこちなく笑いながら答えます。
「え、えぇ。そんな余裕もないものですから」
「余裕がない、ですか。それにしては随分綺麗にされているようですね。廊下も壁も窓もピカピカだ」
その言葉に継母の心臓がさらに縮み上がります。何しろ基本的に真面目なシンデレラの事ですから、普段押し付けている掃除などもほとんど完璧に近い仕事をしているのです。普段は継母たちもそれで満足していたのですが、ここへきてそのシンデレラの真面目さが継母たちを追い詰めつつありました。
「そ、そうですの。私たち、綺麗好きなのですよ。こうして毎日のように掃除していますの」
「そうですか。召使いも雇わず自ら屋敷を綺麗にするとは、まさに貴族の鏡ですね。頭が下がります」
「はぁ、それはどうも……」
「じゃあ、せっかくですから参考までにどうやって掃除しているのかを見せてください」
榊原の言葉に、今度こそ継母たちの顔色が青くなりました。
「は、はい?」
「ですから、参考までに実際に掃除をしてもらいたいんです。壁でも床でも窓でもお好きなところでいいので、いつもの通りやって頂けませんか?」
「そんな……人様にお見せするようなものでは……」
「いえ、ぜひ見てみたいですね。殿下もそう思いますよね?」
榊原にそう言われて、王子もすっかり慣れた様子で頷きます。王子に頷かれてしまった以上、彼女たちにやらないという選択肢はありませんでした。
「わ、わかりましたわ」
継母と二人の娘たちは、悲壮な決意で掃除に取り掛かりました。最初は普段から馬鹿にしているシンデレラがやっている事なのだから自分たちにできないはずがないと思っていたのですが、いざやってみると意外に掃除というものは難しく、結局三十分ほど奮闘しましたが綺麗にするどころか逆に汚くなってしまう有様でした。そんな様子を見て、榊原は深いため息をつくと彼女たちに声をかけます。
「もう結構です。そんな事だろうと思いました」
「ど、どういう意味ですか?」
「掃除と言うのはそれなりの重労働です。少なくともこれだけの屋敷の掃除をしようと思ったら、かなりの大仕事になります。そんな事を毎日している人間が、そんな汚いものも触った事がないという風な手になるはずがありません。その手を見た時点で、あなたたち以外にこの屋敷を掃除している誰かがいるのは明白でした」
そう言われて、継母たちの顔が真っ青になります。ですが、榊原は一切容赦をしませんでした。
「この家に召使いはいません。それはあなた方が言われた通りなのでしょう。ですが、掃除をしているのはあなた方ではない。では、実際にこの屋敷を掃除しているのは誰なのでしょうか? 私には、そんな人間は一人しか思いつかないのですが」
「う……」
継母たちはそのまま俯いてしましました。それを見て、王子が家来たちに合図を送ります。
「よし、探せ! 細かいところも見落とすなよ」
その言葉を合図に、家来たちが屋敷中を探し始めます。もう継母たちは止める気力もないらしく、玄関口でうなだれたままです。そうこうしているうちに、屋根裏部屋で家来の声が上がりました。
「王子、見つけました!」
しばらくして、屋根裏部屋からみすぼらしい格好をした一人の少女が下りてきました。そして、その少女の顔を見た瞬間、王子は思わず叫びました。
「いた! 間違いない、彼女だ!」
その言葉に、榊原は小声で王子に確認をします。
「確かですか?」
「間違いない。私が彼女を見間違えるはずがない」
「しかし、私も依頼を受けている以上は慎重を期さねばなりません。王子の証言だけで本人だと判断はできないのも事実です」
「じゃあ、あのガラスの靴を履かせてみようじゃないか。それがピッタリなら……」
王子の言葉を、榊原は深いため息をつきながら呆れたような表情をして遮りました。
「同じ靴のサイズの女性なんて、この国だけでも何万人といるでしょう。それで本人だと断定するのはあまりにも乱暴というものです。そんな手法をやる人間がいたら、この場で丸一日説教しても足りないくらいですね」
「そこまで言われる筋合いはないと思うが……それじゃあ、君はどうするつもりなんだい?」
「ま、やり方次第ですね。一応聞いてきますが、指示したようにガラスの靴の件については公表していませんね?」
「あ、あぁ。もちろん」
「なら、話は簡単です。少し、私に任せてください」
榊原はそう言うと、改めてシンデレラに向き直りました。
「お名前を聞かせてもらえますか?」
「えっと、シンデレラです。あの、一体何がどうなって……」
「説明は後ほど。それより、あなたに確認しなければならない事があります」
「確認、ですか?」
「実は、我々はある女性を探しています。その女性はお城の舞踏会に来ていて、そこにいる王子様と楽しいひと時を過ごしたのですが、十二時になった瞬間に突然帰ってしまったそうなのです。王子様は慌てて追いかけたのですが、その時彼女は……」
その瞬間、榊原は一際大きい声で告げました。
「何でも『黄金の靴』を残したらしいのですよ」
「え?」
シンデレラの顔色が明らかに変わりました。ですが、榊原は気づかないように続けます。
「私は王子様の依頼でこの『黄金の靴』の持ち主を探しています。そこで、こうして国中を探して回っているのですが、何かご存知の事があれば教えて頂ければと……」
「ち、違います!」
突然、シンデレラは叫びました。ですが、榊原は冷静にその言葉に対応します。
「違う、というのは?」
「『黄金の靴』なんて嘘です! どうして嘘をつくんですか?」
「しかし、嘘も何も現に現場には『黄金の靴』が残されていたんですよ。私だって信じたくはないのですが、現物がある以上認めないわけにもいきませんのでね」
榊原は空とぼけた風に言います。ですが、シンデレラは首を振って認めません。
「嘘……そんなの嘘です! だって……だって……」
「だって、何ですか?」
「……だって、あの時私が履いていたのは、ガラスの靴だったんですから! 黄金の靴なんかじゃありません!」
その言葉に、一瞬その場が静まり返りました。ただ一人、榊原だけがにっこりと微笑みます。
「……お見事、正解です」
「え?」
「騙すような事をしてすみませんね。ですが、あなたが本人だと確認する必要があったんですよ」
「確認、ですか?」
「はい。あなたの言うように、あの現場にあったのは確かにガラスの靴でした。しかし、この事は王子や私などごく一部の人間しか知らない事です。世間一般にも公開していませんのでね。そうなると、我々以外に、残された靴がガラス製だった事を知るのはただ一人……その靴を履いていた当人となります」
そう言うと、口に手を当てているシンデレラを尻目に、榊原は王子に向かって一礼しました。
「さて、王子。あなたの依頼はこれで終わりました。靴を履かせるまでもなく、彼女はあなたが探していたガラスの靴の女性本人です。探偵として、私が責任を持って保証します」
その瞬間、王子とシンデレラは互いに駆け寄ると、そのまま互いに抱き合ってキスをしたのでした……。
翌日、お城では王子様とシンデレラの結婚式が盛大に執り行われました。それと同時に、貴族の中で家族への「虐待」が蔓延していた事を王子は問題にし、近々これに関する是正命令が下されるとの事です。今回の調査で虐待が発覚して王子に保護された人々は、専門の施設を作ってそこで教育を行う事になるという事でした。
そんな中、祝福ムードになっている町の片隅で、榊原は魔女と向かい合っていました。
「約束だ。元の世界に戻してもらうぞ」
「まぁ、仕方がないねぇ。だけど、論理だけであそこまで正確に真相を暴けるなんて、呼んどいてなんだけど私はゾッとしたよ」
魔女はそう言って首を振ります。
「それじゃ戻すけど……もう一度言っておくと、戻った後、ここでの記憶は全部消える。簡単に言うと、夢を見たのと同じ扱いになるって事だ。それで構わないね」
「あぁ。私としてもその方がありがたい。こんな空想めいた世界で推理したなんて、とてもじゃないが記録に残す事なんかできない。何より、ここは私のような論理一辺倒の現実主義者がいるべき世界じゃなさそうだ」
「自覚はあるんだね」
「無論だ。それじゃあ、頼む」
「はいはい。じゃあね」
魔女が何やら呪文を呟くと、榊原の周りに煙が発生し、しばらくしてそれが晴れると、もうそこにあの男の姿はなくなっていました。無事に元の世界に戻ったようです。
「まぁ、結果的にはハッピーエンドになったからよかったものの……本当にこれでよかったのかねぇ。何か、ロマンスとかメルヘンとか、そういうのが全部ぶち壊しになったような気がするんだけど……やっぱり、ああいう人種とこの手の世界は合わないって事なのかねぇ」
魔女が何やら意味深な独り言を呟いていましたが、その声をかき消すように、二人の結婚を祝う鐘の音が町中に響き渡ったのでした。めでたし、めでたし……。




