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第二十八話 「暗黒タクシー」

 宇川健一郎うがわけんいちろうは獲物が通りかかるのをじっと待っていた。深夜、東京・新宿区の路上。サングラスに黒いトレンチコートを着た宇川は、目の前の道路を通る車に目を光らせていた。

 やがて、その視線が近くで客待ちをしていた青色のタクシーで止まる。宇川はゆっくりそちらに近づくと、タクシーの窓を軽くノックした。中年の運転手はそれに気づくと、後部座席のドアを開ける。

「どちらまで?」

「東京駅」

 宇川はそう告げると、後部座席に滑り込んだ。ドアが閉まり、タクシーが出発する。しばらく、車内は無言のままだった。

「……お客さん、観光か何かですか?」

 気まずくなったのか、やがて運転手がそう声をかけた。宇川は顔を上げてぼそぼそとした声で尋ねる。

「なぜそう思った?」

「いえ、仕事にしては荷物を持っていないようですし。それに、ちょっとなまりがあります。当たりですか?」

「そうか……確かに俺は今日関西から上京してきたところだ。ただ、目的については外れだな。残念ながら仕事でね」

 宇川は低く笑いながらそう答える。

「はぁ、そうですか。私の勘、外れた事はないんですけどねぇ」

「誰にだって間違いはある」

「ちなみに何のお仕事を?」

「そうだな……まぁ、集金のようなものだ」

「集金、ですか。もしかしてその……借金取りのような?」

 運転手は引きつった笑みを浮かべながら聞くが、宇川は首を振った。

「ちょっと違うな。俺の仕事は……これだ」

 そう宇川が言った瞬間だった。突然、運転手の首元にひやりとした物が突き付けられた。咄嗟に振り返ろうとした運転手だったが、その前に後ろから冷酷な声が響いた。

「動くな。動いたら首から血が噴き出る事になる。わかったら、このまま車を人気のない場所に走らせろ。それと、非常用ランプのスイッチは入れるんじゃないぞ」

「あ、あんたは……まさか……」

 真っ青になる運転手に宇川は冷たく告げた。

「お察しの通り、タクシー強盗だよ。死にたくなかったら黙っていう事を聞け!」

 宇川の要求に、運転手は黙って従うしかなかった。行先を変更し、人通りの少ない夜のオフィスビル街の方へと向かう。

「ば、馬鹿な事はやめてください! こんな事をしてもすぐに捕まりますよ!」

「ふん、生憎だがな、俺はもう何度もタクシー強盗をしているんだよ。もう手慣れたものだ。それに、それぞれの街で一回ずつしかやらないから、尻尾を掴まれる事もない。つまり、あんたが東京での俺の被害者になるって事だ」

「そ、そんな……」

「わかったら余計な事を考えるな! 俺も人殺しまでする気はないが、抵抗するなら話は別だ」

「わ、わかりましたよ……」

 やがてタクシーは人通りのないビルの裏手へと到着した。そこで宇川はタクシーを止めるように指示を出す。

「売上金を全部よこせ。変な真似はするんじゃねぇぞ」

「は、はい……」

 運転手は観念したかのようにメーターの辺りを探る。後は金を奪って逃げるだけ。今回も楽な仕事だと、宇川がそう思った時だった。

 不意に、どこからともなくシューッという音が車内に響いている事に宇川は気が付いた。

「おい! 何だこの音……は……」

 手に持つナイフをもう一度つきつけようとしたところで、宇川の視界が揺らいだ。反射的に相手につかみかかろうとするが、思うように体が動かず、頭も朦朧としてくる。

「おま……一体……何を……」

 ナイフが手から滑り落ち、宇川も座席に崩れ落ちた。最後に見たのは、いつの間にしたのか小型の酸素マスクのようなものを口にくわえてジッとこちらを見下ろしている運転手の姿だった……。


 気が付いたとき、宇川は車内ではなくどこかの地面の上に転がっていた。手には手錠をはめられ、さらにロープで体を巻かれてしまっている。場所もさっきのビル街ではなく、どこかの山の中のようで、当たりは漆黒の闇に支配されている。

 そんな中、車のライトをバックにさっきの運転手が無言で地面を掘り返していた。

「な、何なんだ……」

 呻くようにそう呟く。どうやらさっきのあれは催眠性のガスか何かだったようだが、いくら防犯用だったとしてもそんなものがタクシーに備え付けられているなどというのは尋常ではない。それに、万が一防犯用だったとしても、それならすぐに警察に通報しているはずだ。こんな何もない山中に連行して地面を掘り返すなどというのは正気の沙汰ではない。

 何がどうなっているのかわからないでいると、不意に地面を掘り返していた運転手がクルリと宇川の方を振り返った。そのライトをバックにした表情は、無表情でいながらどこか狂気めいた笑みを口元に浮かべており、その異様な光景に宇川は思わず背筋が凍ってしまった。それは、さっきまで怯えていたあの運転手とは似て非なる存在だった。

「あぁ、起きたんですね、お客さん。できれば、起きる前に全部終わらせたかったんですが」

「お前……一体何なんだ!」

 宇川の叫びに、運転手は小首をかしげるようにしながら答える。

「私だってこんな事はしたくないんですよ。でも、こんなところで警察に目を付けられるわけにはいきません。だから、あなたを消すしかない。お客さんが悪いんですよ。どこの田舎者なのかは知りませんけど、私の芸術に泥を塗ったりするから」

「げ、芸術って……」

「美しい私の芸術……私のコレクションです。なのに、お客さんみたいなむさい男をそれに加えないといけないなんてね。残念ですよ」

 そういうと、運転手はスコップを放り投げ、宇川の傍に近づくと彼を強引に穴の傍まで引きずり始めた。宇川は呻き声を上げたが、無理やり穴の中を見せつけられて、次の瞬間思わず絶叫していた。

「う、うわぁぁっ!」

 そこにあったのは、何人もの虚ろな目をした女性たちの死体だった。少なくとも五人以上。ほとんどが十台から二十代くらいの若い女性だが、中には腐敗が始まっていて衣服で何とか女性と見分けられる死体も存在する。それが車のライトに照らされて、闇夜の中で不気味に浮かび上がっているのだ。

「な、何なんだこれは!」

「言ったでしょう。私が街で集めた芸術作品たちですよ。そして今、あなたもここに加わるんです」

 どこか浮ついたような口調で運転手は宣告する。明らかに精神が尋常でない……端的に言えばサイコパスそのものだ。そんな中、運転手はニヤニヤと笑いながら、手に太めのロープを握りしめていた。

「さて、仕事に戻らないといけませんし、手早く済ませましょう。大丈夫です、手慣れていますから。苦しいのは一瞬ですよ」

「やめろ……やめろぉ!」

 宇川はもがくがどうしようもない。そんな宇川を嬉しそうに見下ろしながら、運転手は容赦なくロープを宇川の首にかける。そして、そのまま両端を引っ張ろうとして……。


「そこまでだ!」

 突然、その場に大声が響き、ハッとした運転手がロープから手を放して周囲を見回した瞬間、タクシーのライト以上の照明が一斉に彼目がけて照らされた。そして、自分たちの周りを、大人数の警察官や刑事たちが取り囲んでいる様子が宇川の目に入った。


「な……な……」

 何が起こったかわからず、宇川は目を白黒させている。一方、運転手が意表を突かれて固まっているのを見るや否や、刑事たちが一斉に運転手に飛びかかっていった。運転手は必死に抵抗するが、多数に無勢。数秒して彼は宇川から引き離され、大勢の刑事に地面に押し付けられる。

広末辰馬ひろすえたつま! 新宿での女性連続殺害容疑、及びこの男に対する殺人未遂の現行犯で逮捕する!」

 そう叫ぶと、刑事の一人が運転手……広末を押さえつけながら手錠をかける。それを見ながら、当の広末は引きつった笑い声をあげ、今なお抵抗を続けていた。

「ひゃはっ、ヒャアッハッハハハハハハハハッ! 私のコレクションがァァァァァァッ!」

 狂ったように叫びながら、何十人もの刑事に取り押さえられる形で連行されていく広末を見ながら、宇川は自分が助かったのだという事をようやく自覚していた。

「一体……あの男は……」

 その問いに対し、先程手錠をかけた刑事が近づいて宇川に話しかける。

「大丈夫ですか?」

「え、ええ。でも、何が何やら……どうして警察が……」

 当惑状態の宇川に対し、その刑事は懇切丁寧に説明をしてくれた。

「実はここ数週間、新宿区内で若い女性が立て続けに失踪するという事件が起こっていたんです。共通項は、いずれも失踪直前に被害者たちがタクシーを利用していたという事。そこから内偵調査を行った結果、この広末という個人タクシーの運転手が容疑者として浮上しました。しかし証拠がなかったので尾行をしていたんですが、そしたらよりによってあなたが広末のタクシーで強盗を始めたので驚きましたよ。もっとも、おかげでこうして奴の遺体遺棄現場を特定する事ができたわけですが」

「じゃ、じゃあ俺は、連続猟奇殺人犯相手に強盗をやろうとしていたって事なのか……」

 今さらながら、自分がいかにやばい事をしようとしたのかがわかって、宇川の血の気が引いていた。

「何にせよ、助かってよかったです。とはいえ、我々はあなたも逮捕しなければなりません。見ていた限り、随分手慣れた風に強盗をしていましたし、余罪があるようですね」

「そ、それは……」

「ま、命あっての物種とはよく言いますし、これを機に悔い改めてください。ひとまず警察病院にお送りしますよ」

 では、と言って去ろうとする刑事に対し、宇川は思わず呼びかけていた。

「ま、待ってくれ! あんたの名前は?」

「私ですか? 警視庁刑事部捜査一課の榊原と言います。また、取り調べでお会いしましょう」

 刑事……榊原はそう言って、捜査に戻ったのだった……。


「……とまぁ、そんな事件だったわけだがね」

 それから十数年後、刑事を辞めて私立探偵になっていた榊原は、いつものように事務所内の事件ファイルを持ち出してきた自称助手の女子高生・深町瑞穂に対してこの事件の経緯を説明していた。

「その広末っていうタクシー運転手はどうなったんですか?」

「裁判の結果は当然死刑判決だった。何しろ、確認されただけで六人の女性を無残に惨殺していたからな。奴は改造したタクシーに取り付けていた催眠性のガス発生装置で客として乗った女性を眠らせ、奥多摩の山中まで運んだあと無抵抗の相手をロープで絞め殺し、自分の掘った穴に放り込んでコレクションだのと抜かしていた。紛う事なきシリアルキラーだよ。その残虐性に当初の国選弁護人が弁護を放棄したという逸話も残っている。死刑執行に慎重姿勢を取っていたはずの当時の法務大臣もすぐに執行書にサインをして、判決から一年ほどで死刑が執行されていたはずだ」

「何度聞いてもこういう事件は慣れませんね……。で、そのかわいそうなタクシー強盗の方は?」

「調べたら余罪がゴロゴロ出てきた。全国各地でタクシー強盗を繰り返す常習犯だったらしい。死者は出ていなかったとはいえ件数が非常に多かったから、かなりの懲役を食らったはずだ。もっとも、裁判では『一度死んだ気になってやり直します』と随分殊勝な事を言っていた気もするが」

「実感がこもった発言ですね」

「宇川も宇川だが、広末の方もまさかタクシー強盗が原因で捕まるなんて思っていもいなかっただろう。まぁ、色々と印象深い事件ではあったな」

 榊原はそういうと、大きくため息をついたのだった。

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