第二十五話 「小説『白と黒の馬』」
『白と黒の馬』
「被害者は大沢木静馬。不動産や高利貸しを営んでいました。今日午前九時に自宅で殴り殺されているのが見つかりました」
榊田探偵事務所に声が響く。話しているのはこの事務所の主・榊田恵介探偵の警察時代の後輩である斎木孝三警部。現在警視庁捜査一課の主任警部である。たまに元先輩の榊田に事件の依頼を持ってくる。榊田は黙ってそれを聞いていた。
「被害者に恨みを持つ人間はかなり多く、アリバイ調べは難航しましたが、何とか容疑者は三人に絞れました。食品会社勤務の石橋冬馬。ゲーム会社勤務の岸健太。動物園飼育員の池田幹人。三人とも、高利貸しだった大沢木に金を借りた親族が自殺していて、動機は明白です。事件当時のアリバイはありません」
「で、こいつが重要になってくるわけか」
榊田は手元の写真を手に取った。
「被害者は殴られてから息があって、犯人を示すメッセージを残したんです」
「それがこれか」
榊田はため息をついて写真を見た。
『白と黒の馬』
血でしっかりと床にそう書いてある。
「世間一般にいうダイイングメッセージというやつだな」
「ええ。ですが私には意味がよくわかりません。そこで榊田さんに解いていただきたいんですが」
「この池田というやつ。まさかとは思うが……」
「シマウマの担当ではありませんよ。それだったら真っ先に疑っています。彼はカバの担当です」
「なるほど」
榊田は写真を放り投げ、
「じゃあ、この岸ってやつを徹底的に洗うんだな」
と、さらりと爆弾発言をした。斎木は驚いて、榊田に聞き返した。
「どうして彼が犯人なんですか?」
「わからないか。『白と黒の馬』と聞けば先ず素人はシマウマを思い浮かべる。が、こいつは違う。別のものを指しているんだ」
「別のものですか?」
「『白と黒』それに『馬』と聞けば思い浮かぶゲームがあるだろう」
斎木はしばらく考えていたが、ふと思いついた。
「チェスですか」
「そう。チェスは白と黒の二色に塗り分けられた駒と盤を使う。そして、駒の中に馬がいるだろう。ナイトだよ。駒が馬の頭の形をしている。それが白黒二種類あるわけだ。つまりこれはチェスのナイトを示したダイイングメッセージというわけだ。で、ナイトには『騎士』という意味がある。したがって『騎士』と同じ読みをする『岸』が犯人というわけだ」
榊田はそう推理し終えると新聞を広げ、簡単すぎて拍子抜けだと言わんばかりにあくびしながら社会面に没頭し始めた。
(完)
「……で? これは一体なんだね?」
手に持った原稿を読みながら、榊田……じゃなくて私立探偵の榊原恵一はじろりとソファの方を睨んだ。原稿には、榊田なる何とも偉そうな探偵が主人公の短編推理小説が書かれていた。
「今度ミス研と文芸部が合同で冊子を出す事になったんで、ちょっと私もミステリーを書いてみたんですけど……どうですか? タイトルは『白と黒の馬』っていうんですけど」
ソファに座りながら、立山高校ミス研会長の深町瑞穂は少し恥ずかしそうに尋ねた。榊原はしばらく原稿と瑞穂の間で視線を往復させていたが、やがて深いため息をついた。
「一応言っておくが、ここに出てくる探偵と刑事の名前のモデルが誰か聞くような野暮はしないぞ」
「まぁ、ぶっちゃけ先生と斎藤警部ですね!」
「自分から言うのかね……。まぁ名前はともかく、問題は中身だが……」
そう言うと、榊原はもっと深いため息をついた。
「こういうダイイングメッセージ物の小説に対して絶対に出てくる突っ込みだが……死の間際にこんなひねりまくったメッセージを考えるくらいなら、ストレートに犯人の名前を書く方が現実的ではないかね?」
「あ、やっぱりそこに引っかかりますか?」
「それはそうだろう。私の経験上でも、この手の暗号めいたメッセージが残っていた事件なんか遭遇した事はない。というか、自分が死に向かっているこの段階で犯人の名前をどう暗号にしようか頭をフル回転させている被害者がいたら、はっきり言ってコメディの世界だ」
「ですよねー。いやぁ、私も実際に書いてみていかにこれが現実離れしているか実感しました」
瑞穂は頭をかく。榊原はさらに厳しく指摘しにかかった。
「大体、この推理にしたって探偵の想像に過ぎず、これが正しい解釈だという証拠は何一つ書かれていない。これだったらいくらでも解釈は捻れるだろう。実は被害者が書いたのは『馬』だけで、『黒と白』は犯人が別人に罪を擦り付けるために書いたとか。それなら名前に馬が入っている石橋とかいう男が犯人になるかもしれない。要するに、ダイイングメッセージは現実では決定的な証拠にならないという事だ。というか、刑事も刑事でよくこんな推理で納得したな。斎藤がモデルにしてはあまりにも思考が馬鹿すぎるぞ。本人から抗議が来てもおかしくない」
「私もそう思いますけど、探偵もので刑事を書くとどうしてもお馬鹿になっちゃうんですよねぇ」
「現実の刑事たちが聞いたら泣きそうな発言だな。いずれせよ、今言った事を中心にもう少し内容を詰め込んで書けば、小説としてはまともになったかもしれない。この榊田とかいう探偵に実際に捜査に行かせるとかね。大体、何でこんなに短いんだ?」
「それが、実は一人当たり二ページのページ制限がありまして……」
「……何とも現実的な理由だな」
そう言うと、榊原は原稿を机の上に放り投げた。
「とにかく、私をモデルに書くならもう少しましなものを書いてくれ。というか、そもそも私をモデルにするのをやめてくれ。二ページでももう少し書きようはあるだろう」
「はーい」
瑞穂はそう言うと、妙におとなしく原稿を引っ込めたのだった。
「……って、言ってたよ」
翌日、立山高校の瑞穂の教室で、瑞穂は一人の男子生徒に向けてそう言いながらにっこりと原稿を差し出していた。対する相手側は呆然とした表情を浮かべている。
「そんな……自信作だったのに……」
「確かにうまいかもしれないけど、本職からしてみればまだまだって事みたい。ま、そういうわけだから出直してきてよ」
「く、くそぉっ!」
そう言うと、その男子生徒は教室を飛び出して行ってしまった。と、瑞穂の後ろに控えていた文芸部部長にして友人の西ノ森美穂が、おずおずと声をかけた。
「あの、ありがとうございます」
「これくらいいいよ。正直、私もいい気味だと思ってるし」
文芸部とミス研が合同で冊子を作ろうという話になったのは本当である。だが、生憎ならミス研も文芸部も部員はそう多くないので、やむなく作品を校内やOBに一般公募。結果、いくつかの作品は集まってきたのだが、そんな中で先程の男子生徒が「出してやったんだから俺の作品を冊子のトップページに載せろ!」と無理難題を言ってきたのである。
当然ながらそんな自分勝手な話に瑞穂たちは反発したが、どうもその生徒は文才に自信がある上に自意識過剰な人間らしく「一番できがいい作品をトップに持ってくるのは当たり前の事だろう」と反論。これに対して瑞穂はまさに榊原が指摘したような点を言って再反論したのだが、相手は「素人の意見なんか聞いてねぇんだよ」と聞く耳持たず、それに対して瑞穂が「じゃあ、その道のプロの意見を聞いてみようじゃない!」と売り言葉に買い言葉的に宣言。で、彼の作品を瑞穂の作品と偽ってその道のプロ……すなわち本職の探偵である榊原に見せる事になってしまったのだった。ちなみに見せる前に、榊原の興味を引くために登場人物の氏名は変更してもらったが、男子生徒は「名前を買えたくらいで僕の作品の価値は変わらない!」と豪語してそれに応じたものである。
とはいえ結果は先の通り。瑞穂に言われた事をそっくりそのままプロにも指摘され、見事男子生徒はすごすごと退散していった。これでこれ以上無理難題を言ってくる事もないだろう。
「でも、瑞穂さんも凄いですよね。探偵さんが指摘した点を、昨日反論した時点でもう予想していたんですから」
「えーっと、何ていうか、自称とはいえ一応先生の助手だから、あのくらいはわからないと逆に呆れられそうだし……」
実際、榊原はやや呆れ気味に作品を批評していたわけで、瑞穂としては内心「わかっているのに!」という思いだった事はこの際秘密である。
「さて、と。じゃあ、トラブルも片付いたところでさっさと冊子を作っちゃおっか」
「そうですね。じゃあ、先に部室に行っていますね」
美穂はそう言って教室を後にする。瑞穂も荷物を持ってそれに続こうとしたが、その時携帯電話が鳴った。表示を見ると、珍しい事に榊原である。
「何だろ……はーい、瑞穂です」
『一つ言い忘れたんだがね』
挨拶もせずに、榊原は単刀直入にこう告げた。
『何かあったんなら下手な猿芝居なんかせずに正直に話しなさい。こちらとしても気分が悪い』
その言い方にドキッとしながら瑞穂は恐る恐る聞き返す。
「えっと、何の話でしょうか……?」
『昨日の小説の話だ。誰かは知らんが、あれは瑞穂ちゃんの書いたものじゃないだろう?』
あっさり言われて瑞穂は絶句する。
「な、何でばれたんですか?」
『まず、あまりにもあっさり引き下がりすぎた。勝手に私の弟子を名乗り、来るなと言っても私に同行しようとする君の性格的に、本来ならもう少し反論してくると思っていたから、あっさり引き下がって違和感を覚えた』
「あー……それは確かに」
確かにあの程度で引き下がるのは自分らしくなかったかもしれないと瑞穂は思った。
『それともう一つ』
「ま、まだ何か?」
『……経緯はどうであれ、私の下で一年間以上色々と学んできた君が、あんな突っ込みだらけの作品を書くとは思えなかっただけだ』
その言葉の含む意味に、瑞穂はしばらく考え込むと慌てて問い返した。
「先生、それって……」
『話は以上だ。邪魔をしてすまなかったね』
電話が切れる。瑞穂はそれを眺めながらも、どことなく満足した表情で頷いたのだった。




