第二十二話 「ホームレス狩り」
一九九〇年代の某日、東京都中央区付近にある東公園。当時、この公園には多くのホームレスたちが住んでいて行政とのトラブルになっている状態であったが、近年になってここに新たなトラブルの種が出現した。いわゆる「ホームレス狩り」が横行するようになったのである。この事態に、警視庁はかねてから警戒を強めていたがそれでも犯行そのものを防ぐまでには至っていなかった。
そしてこの日、新たな「ホームレス狩り」の事件が発生しようとしていた。
西武文は仲間数十名と共に暗闇に包まれた東公園を見つめていた。手にはバットや木刀。どう考えてもまともな目的に使うようには見えない。
まぁ、端的に言うなら彼はホームレス狩り集団のリーダー格だった。今までに様々な公園などでホームレス狩りを繰り返し、ついにこの日この東公園を標的に定めたのだった。
別に彼らは何か目的があってホームレス狩りをしているわけではない。ただ面白いから、それがすべての理由である。社会的弱者であるホームレスを一方的に叩きのめす事に快感を覚えるという、かなり悪質極まりない考え方を持っている集団だった。
「いるぜぇ~、獲物がいっぱいいやがるぜぇ」
西はどこかねちっこい口調で、暗闇の奥の光景を眺めていた。思った通り、何人かのホームレスが作ったと思しき段ボールハウスがいくつか見える。西は手に持っている鉄パイプを握りしめると、歪んだ笑みを浮かべて舌なめずりした。
「よぉし……狩りの始まりだ!」
西がそう宣告すると、数十人の狂気に満ちた若者たちが、一斉に東公園に飛び込んでいった。
その数十分後、近隣の所轄署に通報が入った。
『警視庁より各局! 中央区東公園内にてホームレス狩り事件発生の通報あり! 捜査員は直ちに現場に急行されたし! 繰り返す……』
通報を受けて、直ちに捜査員たちが現場に飛び出していく。近頃何度も多発している案件だけあって、この時捜査本部には警視庁の職員も詰めている状態だった。その中で、警視庁捜査一課警部補の榊原恵一は、最近この署に配属されたばかりの新米刑事と一緒にパトカーで現場へ向かっていた。
「怖いか?」
「だ、大丈夫です!」
運転する新米刑事の顔は引きつっている。榊原は苦笑気味にこう言った。
「別に誤魔化す必要はない。無理して逆に迷惑をかけられても困る」
「は、はい。でも、ホームレス狩りを相手にするのは初めてですから……」
「……ま、これがただのホームレス狩りなら楽なんだがな」
不意に榊原はそんな事を呟いた。
「え、どういう事ですか?」
「見ればわかるさ」
その瞬間、榊原たちのパトカーは公園の前に到着した。どうやら一番乗りらしい。パトカーを降りると、東公園は不気味な静寂に包まれている。が、この暗闇の向こうで何かが起こっているのは間違いないようだ。
「け、警部補、どうしますか」
「二人で突入するのは無謀だな。ここは援軍の到着を待って……」
その瞬間だった。
「ウギャアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」
とんでもなく長い絶叫が公園内に響き渡った。二人の間に緊張が走る。
「これは、まずいかもしれないな……」
「と、突入しますか?」
「待て!」
榊原が鋭く制止する。その直後だった。公園の暗闇の向こうから、誰かがよろめきながら出てくるのが確認できた。
「被害者だ! 保護するぞ!」
「は、はい!」
二人はその人物の元へ駆け寄る。それを見たのか、相手は力尽きたかのように公園の入口に倒れ込んだ。駆け寄った二人の目の前で倒れている人物。
それは、先程意気揚々と公園目がけて突入していったはずの、西率いるホームレス狩り集団の一人だった……。
「え、えーっと……」
思わぬ展開に、新米刑事は当惑する。が、榊原はなぜか悔しそうに吐き捨てた。
「くそっ、奴ら手加減ってものを知らないのか! おい、救急車呼べ!」
「は、はぁ」
刑事は戸惑いながらも救急車に連絡する。よく見ると、その若者は全身ボコボコにされて傷だらけである。救急車を呼び終えた後、新米刑事は榊原に質問した。
「あのー、いいですか?」
「何だ?」
「自分たちは確かホームレス狩りを捕まえに来たんですよね?」
「そうだ」
「でも、そのホームレス狩りがボコボコにされているって、どういう事なんですか?」
その言葉に、榊原は刑事の方を見上げた。
「君、会議を聞いていなかったのか?」
「いえ、今日配属されたばかりですので」
「そうか……どうやら、君は大きな勘違いをしているようだな」
「勘違い、ですか?」
首を捻る刑事に対し、榊原ははっきり言った。
「この東公園の『ホームレス狩り』は、誰かがホームレス『を』狩るんじゃない! ホームレス『が』誰かを狩るんだ! 要するに普通とは逆で、ホームレスが自分たちを狙うホームレス狩りを逆に狩ってしまう集団暴行事件なんだよ!」
暗闇の中、西は必至に公園の中を逃げまどっていた。すでに全身ボロボロで、衣服は擦り切れ、あちこちにあざができ、にやけていた表情は恐怖に歪んでいる。
襲っていたのは自分たちだったはずなのに、いつの間にか仲間は倒され、圧倒的に有利なはずの自分たちが完膚なきまでに叩きのめされている。相手はこの公園の暗闇を利用して奇襲攻撃を仕掛け、気付けば全員が分断された挙句、各個撃破を狙われていた。この手口は明らかにその手のプロである。面白半分で襲撃を繰り返していた西たちに勝てる相手ではなかった。
「助けて……死にたくない……助けて……」
うわごとを口走りながら、何度も転びながら西は公園の出口を目指す。が、散々かき乱されたために自分が今どこを走っているのかさえ分からなくなっている。だが、止まるわけにはいかない。止まったら最後、その瞬間には……。
「あっ!」
と、その時空気を切り裂いて何かが西の全身に命中した。相手の一人はどこで手に入れたのか連射式のエアガンを持っていて、それで西たちを正確に射撃してくる。エアガンとはいえ弾が当たれば痛い。西はその場ですっ転んでしまった。
と、同時にザっと落ち葉を踏みしめる音が響き、目の前に誰かが立つ。ハッとして顔を上げると、月明かりをバックに一人の老人が眼光鋭く木刀を大上段に振り上げ、今まさに西目がけて振り下ろそうとしているところだった。
「ひ、ヒェェェェッ!」
西は絶叫しながらそれを避ける。ガンッという音ともに、木刀が地面にめり込んだ。西は反射的に近くに落ちていた木材を手に取って相手に殴りかかろうとするが、その直前で木材は相手の木刀によっていとも簡単に弾かれてしまう。所詮は素人の西と、達人クラスの腕を持つ相手では何もかもに差がありすぎる。
西は相手に背を向けて逃げ出した。が、その先に別の相手が待ち受けていた。相手は西がこちらに近づいてくるのを見ると即座に西の懐に入り、そのまま思いっきり彼の体を一本背負いした。西の体が宙に浮き、そのまま地面に叩きつけられる。
「ガッ……」
西は呻き声を上げた。が、今度はその胸元をわしづかみにされ、そのまま木の幹に押しつけられる。もう、西にはなす術がなかった。
「い……嫌だ……怖いよ……」
西が泣きべそをかきながら懺悔の言葉を上げるが、相手は容赦する気はないらしい。そのままもう片方の手が振り上げられ……。
「そこまでだ!」
直後、榊原の言葉が響き、公園内に警察のライトの明かりが照らされた。その明かりの中に浮かび上がったのは、ホームレス狩りをボコボコに叩きのめしている年老いたホームレスたちの姿だった……。
「だから、何度も言っているように、いくら正当防衛とは言えやりすぎなんです! ここまで行くと過剰防衛と取られてもおかしくないですよ!」
集まったホームレスたちの前で、榊原が真面目くさった顔で説教していた。その後ろで、コテンパンにされた西たちホームレス狩りが虚ろな表情で連行されていく。
「そうは言ってもなぁ、やらんかったらこっちがやられてしまうしのぉ。しかし毎回思うが、今の若い連中は軟弱極まりない。まったく、どうなっておるのやら」
そう言って一人の老人がエアガン片手にぶつくさ文句を言う。ちなみにこの老人、太平洋戦争有数の激戦地と化した硫黄島から生き残ったという武勇伝を持つ元帝国軍人だったりする。そりゃ、そんな経歴の人間からしてみれば、西たちなどひよっ子もいいところだろう。
「全くじゃ! 大体、ろくな腕もないくせにわし相手に棒で殴りかかってくるなど言語道断! 恥を知れと言いたいな!」
木刀を持った老人が憤慨する。なお、この老人は元々都内で剣道場を経営していたという経歴の持ち主で、一応剣道六段の腕前らしい。そんな人間に棒だのバットだの鉄パイプだので喧嘩を売るなど自殺行為であろう。
「そもそも、こうならないように予防するのが警察の役割じゃろう。現に、わしらが今まで何人のホームレス狩りを突き出してきたと思っているんじゃ!」
最後に一本背負いを決めた老人が反論する。何となくわかると思うが、この老人も柔道の有段者である。何でも昔はオリンピック出場を目指せるほど腕だったらしいが、何らかの不祥事を起こしてここまで落ちぶれたらしい。もっとも、それでも腕は健在なのだから全く侮れないのだが。
「まぁ、あなた方のおかげでホームレス狩りの検挙率が挙がっているのは事実ですが……だからと言って、あなた方の行為を許すわけにもいかないんです」
榊原としてはそう言う他ない。とはいえ、彼らの場合逮捕してもあまり意味がないのだからどうしようもない。むしろ「刑務所で温かい飯が食える」と逮捕を喜ぶ有様である。上としてはホームレス狩りを一網打尽にできるので、この際ある程度までは目をつぶってもいいのではないかという意見に落ち着きかけているのだとか。
「とにかく、次やったら今度こそ全員逮捕しますからね」
「はいはい。そうならんように、警察もよく見張っておいてくれよ」
そう言うと、ホームレスたちはぞろぞろと公園の中へと帰っていった。
「……警部補、全員連行しました」
と、先程の新米刑事が疲れた様子で近づいてきた。
「ご苦労さん。こっちも終わったよ」
「でも、凄いホームレスたちですね」
「人に歴史ありだ。ホームレスもつまるところは一人の人間。そこには私たちと同じ一つの人生があるし、他人よりも優れた何かを持っている事もあるだろう。あいつらみたいに見かけで物事を判断している奴は、そういう人間に足元をいずれすくわれる。まぁ、いい勉強になったんじゃないか?」
「そんなもんですかね」
「……もっとも、こんな事はこれで最後にしてほしいものだがな。この状況でも彼らに喧嘩を売ろうとする連中は多い。こっちも見張りを増やさないといけないだろうな」
そう言うと榊原は、深いため息をついたのだった……。




