第二十話 「化かし合い」
「そこのあなた! あなたには不吉の相が出ていますよ」
新宿界隈の一角。易者姿の今田久友は道に備え付けてあるブースから、通りがかったスーツ姿の頼りなさそうな若者にそう声をかけていた。
「へっ? 俺っすか?」
「そうそう、あなた。あなたは何か最近悩んでいる事がおありのようだ」
「な、何でそれを!」
若者はびっくりしたような表情で今田の事を見る。よし、かかった、と内心ほくそ笑みながらも、今田は表向き深刻そうな表情で若者に声をかける。
「私にはすべてがわかるのです。ひとまず、話を聞いてみませんか?」
そう言われて、若者はフラフラとブースの椅子に腰かける。その顔をじっと見ながら今田は続ける。
「そうですね……あなたは最近何か仕事で悩んでいる事があるでしょう?」
「す、凄い! どうしてわかるんですか? 確かに最近営業の仕事で悩んでいて……」
「あちこち飛び回っているようですね。池袋の方でお仕事を?」
「あ、当たっている……今日の営業は巣鴨でした」
「一生懸命頑張っているのに周囲は認めてくれない。将来が不安。そんなところですか?」
「その通りです!」
若者は目を見開いて今田を見ている。もっとも、今田からしてみればこんなものは騙しの一手段である。大抵の人間は何かしら悩んでいるはずだし、この時間帯にスーツ仕事で歩いている若者ならその悩みは十中八九仕事の事だ。さらに若者は自分から仕事が営業だとばらしていて、そしてこの時間には山手線は池袋方面の電車から電車が来る。そこから彼が営業していた場所を「池袋の方」と言ったに過ぎない。実際は明確に場所を特定しているわけではないが、若者はそれで勝手に納得してしまったようだ。ついでに言えば、一生懸命頑張っているのに周囲が認めてくれないとか、将来が不安だとかは、これまた大体の人間が共通して持つ悩みである。
だが、若者はすっかり今田を信頼してしまったようだ。
「せ、先生! 他には何かわかりますか?」
「そうですね……では、手相を見てみましょう」
今田はそう言って若者の手のひらを虫眼鏡で見つめる。もちろん手相の事など何にも知らないから出鱈目ではある。が、今田はしかめ面をしていかにもな事を言った。
「これは……ひどい。あなたには悪しき魔が取り付いているようです」
「あ、悪しき魔、ですか?」
「左様。その魔があなたに取りついている事であなたに不運を呼び起こしているのです。例えば今日、あなたには不幸な事があったはず。思い出してみてください」
「そ、そう言えば……朝会社に通勤した時に階段で派手に転んだけど……」
若者の顔がみるみる青くなる。人間というのは曖昧な事を言われれば大抵何かを当てはめて納得してしまうものである。「不幸な事」といえば、相手がそれに該当する事実を勝手に作り上げてくれるのだ。
「先生! ぼ、僕はどうしたら……」
若者は縋り付くように今田に言った。今田はあと少しと思いながらも、表向き深刻そうな表情でこう告げる。
「そうですね……手がない事もありません」
「な、何ですか?」
「私が特別にあなたの魔を祓う魔石を譲ってあげましょう。本来ならこのクラスの魔を祓う魔石には二十万円いるんですが……」
「そ、そんなには払えません……」
そこで今田はぼそっと耳打ちするようにとどめの一言を囁く。
「……わかりました。他ならぬあなたの頼みです。今回は四万円でこれをお譲りしましょう。いかがですか?」
「払います!」
若者はそう言うと財布を取り出して一万円札四枚を今田に押し付けた。今田はそれを受け取ると、懐から厳かに見事に磨かれたその辺で拾った石を差し出した。
「これです。それを家の玄関に飾り、毎日出かけるときに拝みなさい。そうすれば魔は消え、あなたに幸福が訪れるでしょう」
「あ、ありがとうございます! あなたに会えて本当に良かった!」
若者は涙混じりにそう言うと、そのまま石を大切そうに持って何度も頭を下げながら雑踏へと消えて行った。
「……一丁上がり、と」
相手の姿が見えなくなったところで、今田はそう言ってパイプ椅子の背もたれにもたれかかって空を見上げた。いわゆる霊感商法による詐欺行為……それが今田の仕事だった。空腹に困った挙句にやり始めた事だが、意外に騙される人は多く、ここ数日はそれなりの稼ぎを叩き出している。が、今日は妙に稼ぎが少なく、引っかかったのはさっきの若者が最初だった。こういう場合、誰にでも声をかければいいというわけではなく、さっきのように何やら深刻そうな表情をしている人間に声をかけた方の成功率が増す。が、今日はそんな人間がほとんど通らなかったのだ。
「今日は当たりがりが少ないなぁ。早めに店じまいでもするか?」
そう言って体を起こした今田の目に……新たな標的の姿が入った。
年齢は四十代前後だろうか。くたびれたスーツにヨレヨレのネクタイ、手にはアタッシュケースでその表情は疲れ切っている。典型的な中年の窓際サラリーマンの姿である。そして、この手のサラリーマンというのはいいカモになるのだ。
「あいつで店じまいにするか」
今田はそう呟くと、普段通りの深刻そうな表情を作ってブースの前を通ろうとしたその男に呼びかけた。
「もしもし……そこの、あなた」
「ん?」
男は疲れた表情で今田の方を見た。今田は間髪入れずにこう告げる。
「あなたの顔に不吉の相が浮かんでいます。何か最近悩んでいる事があるようですね」
「悩み……まぁ、ない事もないが」
相手は何とも曖昧な顔でそう答えた。脈ありである。
「私にはすべてがわかるのです。どうです、少し話を聞いていきませんか? 悪いようにはしませんから」
「……まぁ、電車が来るまでなら構わんよ」
男はそう言うとそのままブースの椅子に腰かけた。
「それで、不吉の相とか言ったが、私に何が見えるんだね?」
相手の言葉に、今田は見るからに険しい表情を浮かべると、顔を観察するふりをして重々しい口調でこう言った。
「そうですね……あなたは何か仕事で大きな悩みを抱えている。そして、今もその悩みに押しつぶされそうになっている。どうですか?」
「仕事の悩みねぇ……。まぁ、そう言われればそうだろうが……」
どうもはっきりしない。詐欺師にとって面倒なのは実はこういう何とも煮え切らない反応をする相手である。自分からヒントを漏らす事がないので、それを使った嘘をつけなくなる。
「随分大変なお仕事をされているようですね。しかし、あなたは自分が誰からも評価されていないように感じている」
「ふむ、まぁ大変な仕事ではあるな……。もっとも、評価してほしいとも思わんがな」
今田は心の中で舌打ちした。何とも曖昧な男である。が、そこで男はのんびりした口調でこう言った。
「しかし、凄いものだね。顔の相を見ただけで私の仕事の事が全部わかってしまうのか」
「当然です。私にはすべてがわかるのです。手相を見ればなお詳しくわかりますが」
「まぁ、いい。じゃあ、見てくれ」
男はそう言って手を差し出す。今田は出鱈目に手相を見ながら、さらに深刻そうな表情でこう告げた。
「これは……大変です。あなたには悪しき魔が取り付いているようです。あなたがうまくいかないのはすべてこいつが原因です」
「魔、ねぇ」
「あ、疑っていますね。でも、魔は実在するのです。例えば今日、あなたにとって不吉な事が必ずあったはずです。思い出してみてください」
普通なら相手はここで少し考え込むはずである。が、男は大して考える風でもなく首を振った。
「生憎、そんな事は毎日のように見てきているものでね。とはいえ、その魔とやらが私に付いていたとすれば、一体どうすればいいんだね?」
男は落ち着いた口調で尋ねた。さすがにこの頃になると今田も何かおかしいと思うようにはなっていたが、今さら後には引けない。というより、せっかく相手から切り出してくれたのだから絶好のチャンスである。
「そうですね……手がない事もありません」
「ほう。どんな?」
「私が特別にあなたの魔を祓う魔石を譲ってあげましょう。本来ならこのクラスの魔を祓う魔石には二十万円いるんですが……」
「二十万円ねぇ。現物を見てみない事には何とも言えないなぁ」
男の言葉に、今田は黙って懐から特別に磨き上げて飾り付けた石を差し出す。
「これです。これは私がはるばる中国北西の山奥まで取りに行った神秘的な効力を持つ石なのです。本来ならあなたのお譲りするわけにはいかないのですが……あなたの魔はとにかくひどい。一刻も早い除霊が必要です」
「だが、さすがに二十万も即金では出せないぞ」
男が首を振りながら言うのに対し、今田は囁くようにこう言う。
「……いいでしょう。あなたにはすぐにでも除霊が必要です。ここは四万円でこいつをお譲りしましょう。いかがですか?」
「四万円……五分の一か」
男は少し思案気に考え込んでいたが、やがて不意にポケットに手を突っ込んだ。財布を出すかと今田は身構える。
が、男が取り出したのは携帯電話だった。呆気にとられている今田の前で、男は唐突にどこぞに電話をかける。
「私だ。待たせてすまない。今は……」
そのままここの場所を教えて電話を切る。
「すまんね。実は待ち合わせをしていたもので。相手がすぐこっちに来るから少し待ってくれ」
「は、はぁ……」
そう言われては反論もできない。やむなくしばらく待っていると、人混みの向こうから若作りの顔に反して白髪をした男が姿を見せた。
「おう、待たせたな」
「遅いですよ、圷さん」
「悪いな。会議が長引いてよ。で、お前何やってるんだ?」
圷と呼ばれた男は、一瞬今田の方を見て男の方を見やった。
「ちょうどいい、見てほしいものがあるんですが。その石なんですけどね」
「ほう?」
圷の視線が今田の手の中の石に向けられる。慌てて今田は石を遠ざけた。
「むやみに触れると中に込められた霊魂が逃げてしまいます。触れるのはご遠慮ください」
だが、圷は小さく笑った。
「あー、別に触らなくてもいいよ。見たら一目瞭然だったからな。そりゃ、ただの花崗岩だ」
「は?」
いきなりそう言われて、今田は呆気にとられる。が、男の方はしきりに頷いていた。
「やっぱりそうでしたか」
「ちょ、ちょっと待ってください。これは私が中国北西部から……」
「中国北西部だぁ? アホか。花崗岩は火山によってできる火成岩の一種だぞ。火山がない中国北西部にあるわけがねぇだろ」
圷があっさりと一刀両断する。そこまで言われたら今田も黙っていられない。
「で、でも、私はこの人の事を当てて……」
だが、これには当の男が涼しい表情で答えた。
「あんなものはただのコールドリーディングだろう。それに言う事すべてが曖昧かつ抽象的で、誰にも当てはまる事ばかりだ。あれで当てたとは言わないだろうな」
これには今田も呆然とした。見ると、さっきまで疲れていた男の目がなぜか急に鋭くなっている。心なしか姿は同じなのになぜか先程と違って全身から得体のしれない鋭いものが出ているようにも見える。
「あんた……最初から……」
「さぁね。あくまで自分は本当にすべてを見ていたというなら、私の仕事を当ててくれるか? さっきの話だと私の仕事の事はすべてわかっているようだったが」
男にそう言われて今田は言葉に詰まった。当然わかるわけがないが、こうなったら誤魔化す他ない。
「……会社員ですよね」
「またこれも随分曖昧だが……まぁ、それはいいとしよう。じゃあ、私の会社はどこにあるのかね?」
こんな質問をするという事は、ひとまず当たったのだろう。だが、ピンチは終わっていない。
「そうですね……多分、池袋の方だと思います」
「ほう、なるほど。で、なぜ私はこんなところにいる?」
「もちろん仕事のためです」
それに関しては先程この男も否定していなかった。案の定、榊原は頷いた。
「まぁ、それも正解だ」
「どうですか、私は全部わかっていて……」
「かかったな」
不意に男はそう言った。今田は開きかけていた口を閉ざす。
「かかったって……何が?」
これに対して、男はため息をつきながら言った。
「いい事を教えてやろう。君みたいな詐欺師というのは、客の話す情報がすべて真実だという事を前提にコールドリーディングを組み立てる。だがもし、客が意図的に嘘を言っていたら、その瞬間にこの魔法は消滅する」
そして、男は決定打を放った。
「いい事を教えてやろう。私は会社員じゃない。こんな格好だが、一応しがない私立探偵でね。だから、池袋の方に会社があるだのと言った話は、全部君の出鱈目という事になる」
そう言うと、男はガタガタ震える今田に向かって頭を下げてこう言った。
「改めて自己紹介しよう。私立探偵の榊原恵一だ。こっちは警視庁鑑識課の圷守警部。そういうわけで、君には詐欺の疑いがかかっている。多分、今までに儲けた金がどこかにあるはずだ」
その言葉に、圷が素早く今田の傍に詰め寄ってポケットの中を探る。そこには新品の四万円が無造作に詰め込まれていた。
「さっき君が言った金額と一致する。詐欺の決定的な証拠だな」
「まさか……私に詐欺の金額を言わせるためにあんな猿芝居に付き合っていたというんですか?」
それに対して男……榊原は肩をすくめる。
「一応言っておくが、あれはまんざら嘘というわけではない。今捜査している殺人事件の謎の究明に大いに悩んでいるところだし、実際、あまりに難易度が高くて頭がこんがらがっているところだ。ここ最近ずっと睡眠不足で仕事が大変なのも間違いない。私は君の質問に全部正しく答えている」
「そんな屁理屈……」
「ちなみにここに来たのは事件に関する重要な証拠を圷さんから聞くためだ。圷さん、あの件はこいつを連行してから……」
そう言いかけて、榊原の視線が不意にブースの上に置かれた四万円に移った。しばしそれを見て、不意に今田に問いかける。
「おい、この金は私の前に詐欺で奪ったものか?」
「え、えぇ。スーツの若者相手に……」
今田はすっかり観念して素直にそう答えた。が、榊原はなぜか憐れむような表情をして今田を見つめた。
「……どうやら今回、最初から最後まで騙されていたのは詐欺師のあんたらしいな」
「え?」
「よく見ろ、この札。透かしがない。偽札だ」
その言葉に今田は呆気にとられる。慌てて見ると、確かに透かしがなく、それどころか全体がかなり粗悪な偽札だった。今田の頭にあの時の若者の顔が浮かぶ。
「あ、あの野郎っ!」
今田は思わず絶叫した。あんまりな結末に、榊原は気の毒そうに告げる。
「どうやらその男、偽札作りの人間だったらしいな。多分、あんたの猿芝居にわざと付き合って偽札を渡したってところだろう。今ここで捕まっていなかったら、あんた近いうちに偽札使用で御用になっていたはずだぞ」
「そんな……」
嘆く今田に、榊原は苦笑気味にまとめた。
「まったく、すべてを騙しているはずだった詐欺師が実は相手を全く騙し切れてなくて、逆に自分が一から十まで騙されていたとは……とんだ化かし合いだな」
圷の呼んだパトカーのサイレンが鳴り響く中、新宿の夜が今にも更けようとしていたのだった。




