第十八話 「テロリスト奇譚」
この日、一台のバンが、豪雨降りしきる深夜の奥秩父の道路を走っていた。バンの中には運転手を含め七人の男。だが、そのいずれもがどこか虚ろでありながらもギラギラとした視線をしており、その手にはどう考えても一般的感性から見ればまともではない物体……簡単に言えば小銃などの銃器や手製と思われる爆弾が握られている。
過激派組織「血闘軍」。一九七〇年代の学生闘争を発端とする過激派グループの一つで、赤軍派らの活動が事実上壊滅した現在となっては「最後の過激派」として活動を続けている。とはいえ、やっている事は爆弾テロなど事実上テロリストとそう変わりはなく、警視庁公安部を中心とする警察の長年に渡る必死の捜査の末に創設者でありリーダーでもある竿留勝三郎は逮捕され、現在は東京拘置所に拘留されている状態だ。だが、それでも彼らはしぶとく生き残り続け、一部の幹部や残党が勝三郎の奪還を目指して今でも日本の裏社会で暗躍を続けている。
今、このバンに乗っているのはそんな血闘軍の残党の一部だった。目的地はこの奥秩父の山奥にある井内剛介という政治家の別荘。その井内という政治家は元警視庁公安部出身の官僚で、現役時代は「血闘軍」のメンバーを何人も刑務所送りにした人間である。今日、親しい友人を招いた井内の誕生パーティーがその別荘で行われているという情報を掴んだ彼らは、ある一つの計画を実行に移さんがためにその別荘に向かっているところだった。
「……いいか。もうすぐ奴の別荘だ。最後にもう一度だけ計画のおさらいをしておく」
不意にバンの一番後部座席に座っている男……今回の作戦のリーダー格である血闘軍メンバーの尾坂松彦が押し殺した低い声で呼びかけた。残るメンバーはそれを黙って聞いている。
「先に調べた情報によれば、別荘にいるのは合計十人。俺たちは別荘到着後内部に突入し、内部にいる人間全員を人質に取る。抵抗するようなら二、三人は撃ち殺しても構わん。その後で政府に対しリーダーを釈放するように要求する。別荘は周囲を森に囲まれた天然の要塞。警察が突入しようとしてもそう簡単にはいかないはずだ。さらに言えば、今回はこいつがある」
尾坂は自身の足元にある大量のプラスチック爆弾を見やった。
「別荘占拠後、こいつは別荘全体に仕掛ける。政府が何かやらかすようだったら、山荘ごとぶっ飛ばすぞ」
「奴らが携帯で極秘に連絡を取り始めたらどうしますか?」
「問題ない。あの別荘は携帯の圏外だ。勝手に連絡を取る事はできない。政府との交渉は別荘内の固定電話を使えばいい」
それから数分後、いよいよ視界の先に問題の別荘が見えてきた。時々光る稲光で何とも不気味な姿を映し出している。この豪雨なら車の音もかき消してくれるだろう。バンは別荘手前でライトを消し、ゆっくりと別荘の敷地内に入っていった。門の傍らでバンは停止し、即座に小銃を持ったテロリストたちが音もなく飛び出してくる。そのまま彼らは別荘の玄関前に到達し、尾坂の突入の合図を待った。
別荘に明かりはない。時間は午後十一時を回ったところ。もう全員寝ているのだろうか。だが、これは彼らにとっては好都合である。尾坂は今がチャンスと判断した。
「よし……行くぞ!」
尾坂の合図でドアが蹴破られ、小銃を構えたテロリストたちが別荘内に突入した。訓練通りに素早く廊下を走り、そのまま中央のホールに到達する。が、誰もいない。別荘内は不気味な静けさに支配されていた。
とはいえ、そのテーブルの上には食べ終えた食事なども残されており、ここでパーティーが行われていたのは確かなようである。この様子だと全員客室に戻ってしまったようだ。
「よし、それぞれの部屋を確認するぞ」
尾坂の合図で、テロリストたちは客室の並ぶ廊下へと出る。と、その一番手前にある食堂と思しき部屋のドアの隙間から明かりが漏れているのに気が付いた。どうやらそこに誰かがいるようである。尾坂たちは物音を建てないように食堂の前に立つと、一度大きく息を吸ってドアを蹴破って叫んだ。
「動くな! 抵抗すると撃つ!」
そう叫んで室内に向けて小銃を向けた彼らが見た物は……
ロウソクの明かりが照らす中、テーブルの上で血まみれになった女性の遺体を前にして今まさに斧を振り下ろそうとしている仮面をかぶった謎のマントの人物の姿だった。
「……は?」
あまりに予想外の光景に、さすがのテロリストたちの姿も止まる。一方、相手の仮面男(?)の方も、まさかの尾坂たちの登場に振り下ろそうとした斧をピタリと止めて固まってしまっている。何とも言えない硬直がその場を支配した。
と、その時背後にある他の客室のドアが一斉に開いた。
「何だ! 今の叫び声は!」
「またやりやがったか!」
そう言いながら、他の客室から招待客と思しき人々が飛び出してくる。が、その目は全員なぜか緊張に包まれており、モップだの椅子だのを武器にして構えている人間もいる。彼らは一様にギョッとした様子でテロリストたちを見ていたが、彼らの向こうで仮面男が斧を振り上げているのを見ると誰か一人が鋭い声で叫んだ。
「誰かは知らんが、そいつを捕まえてくれ! そいつは殺人鬼だ!」
次の瞬間、食堂にいた仮面男が、硬直が解けたかのように慌てて逃亡しようとする。が、ここで逃げられたらテロリストとして名が廃るというものだ。
「お前、動くなって言ってるだろうが!」
尾坂はそう叫ぶと、逃げようとする仮面男に当たらないようにそいつの周囲に向けて小銃を乱射した。斧で武装した仮面男もさすがに何丁もの小銃に狙われた状態ではどうする事もできず、やがて諦めたように血まみれの斧を落とすと、その場でがっくりと膝をついて項垂れてしまう。それを見ると、飛び出してきた招待客の先頭にいた四十歳くらいのくたびれたサラリーマン風の男がテロリストを完全に無視して食堂の中に入り、一瞬机の上の遺体を見て顔をしかめた後、即座に項垂れている人物の仮面をはぎ取った。その下からは、何とも気弱そうな顔をした男がどこか狂気じみた笑みを浮かべている。
「……あなたが犯人だったんですか。岡本さん」
その名前を聞いて、尾坂はそれが誰なのかを思い出していた。確か、事前調査の際に写真を見た井内の秘書だったはずである。しかし、犯人とはいったい何なのか。というより、この状況は一体何なのか。
と、そんな事を考えている間に、人質になるはずだった招待客たちはなぜか泣いて喜び始め、何人かは尾坂たちに感謝の言葉を叫び始めてしまった。
「た、助かったぁっ!」
「俺は……俺はこのまま殺されてしまうのかと……」
「どこの誰かは知らないが、とにかくありがとう! 君たちは命の恩人だ!」
「バンザーイ! バンザーイ! 俺たちは助かったんだ!」
「これでもう、怯えずに朝を迎える事が出来るんだ!」
「あなた……あなたを疑ってごめんなさい……」
「いいんだ。こうして助かったんだから」
もはや尾坂たちとしては呆然とする他ない。というより、占拠事件を起こしに来たはずなのに人質に感謝されるテロリストというのはどういう状況なのか。
と、そんな中で仮面をはぎ取りに来たあの四十代の男が尾坂に話しかけた。
「助かりました。このままだったら私たちは皆殺しにされていたかもしれない。あなたたちは命の恩人です」
「え、えーっと……一体何がどうなっているんだ?」
困惑気味に尾坂は男に尋ねる。まだこの男なら話が通じそうに思ったからだ。
「失礼、私は私立探偵の榊原恵一というものです。実は、我々はつい四時間ほど前から、館物の推理小説でありがちな殺人鬼の襲撃を受けていたんです」
「さ、殺人鬼?」
思わぬ言葉に、テロリストたちはシリアスな表情を崩して馬鹿みたいに呆けた顔をする。それを知ってか知らずか、榊原と名乗った探偵は状況を説明してくれた。
「今日、我々は警察庁OBの井内さんの誕生パーティーに招待されていたんです。ところがその途中で井内さんが密室化した自室で何者かに惨殺されてしまいましてね。電話線は切断され、車はすべてタイヤがパンク。ミステリーでおなじみの閉ざされた館状態になってしまったんです。私も探偵として事件を解決しようとしたんですが、そうこうしているうちに第二の殺人が起こされてしまいまして、もうこうなったら助けが来るまで自室にこもっている他ないという結論になってしまいましてね。私は反対だったんですが、結局多数決で押し切られて部屋に籠っていたところだったんです。そこの彼女はどうやら耐え切れずに自分だけ脱出しようとしたところで襲われたようですね。さっきも『こんな殺人鬼がいるところになんかいられないわ! 私だけでも脱出してやる!』とか息巻いていたのを何とか説得したところでしたから」
それは死亡フラグというものではないかと、尾坂は密かに思ったりした。
「とはいえ、凶行をここで止められたのは良かった。本当にありがとうございます。ところで……あなた方は誰ですか?」
こんな状況でその質問をされても困るのだが、事がここに至った以上、尾坂たちは間抜けな自己紹介をする他なかった。
「えっと……我々は『血闘軍』の者だ。その……一応、にっくき井内のいるこの別荘を占拠しに来たんだが……」
それを聞いて、喜び勇んでいた榊原たち生還者たちの歓声はピタリとやみ、何とも複雑そうな表情を浮かべる。
「それは……その、お疲れ様です、と言うべきか何というか……」
「あの、井内はいるか? 我々の目的は奴なんだが」
「さっきも言ったように、最初にこの殺人鬼の餌食になってしまいましたからね。死体だったら彼の部屋にありますけど、見ますか?」
いきなり梯子を外された形で、さっきとは別の意味で気まずい空気がこの場に流れる。
「その……何だったら、私たちを人質にしますか? 助けてもらったんだからそれくらいは付き合いますよ。ただ、電話線は切られてしまっていて、政府への要求みたいな外部との連絡は一切できませんけど」
「……」
大義名分の目的にするはずだった人間はすでに殺され、外部への連絡手段は一切なし。こんなところを占拠しても全く意味がないではないか。尾坂たちは、さっきまでのやる気が激しくそがれていくように感じ、全員が脱力状態になってしまっていた。
「そ、そうか……それじゃあ……今日はこの辺で勘弁しておいてやろう……かな」
「はぁ……、お疲れ様です。あ、帰るんでしたら、携帯の電波が通じるところで通報してもらえませんかね? ここ、連絡できないもので」
「……俺たちの知った事か」
何となく棒読みでそう言いながら、尾坂たちは別荘を出てすごすごとバンに乗車する。結局、尾坂たちは何もできないまま脱力気味に別荘を立ち去る事になってしまった。
「……館物のミステリーなんて大っ嫌いだ」
尾坂の呟きに、他のメンバーたちも激しく同意するのだった。
その数時間後、テロリストの目撃情報を受けて山の麓で検問を実施していた警察官によって尾坂たちは逮捕された。だが、その表情はなぜか虚脱状態で、「何か、やる気がなくなった」「あれに比べたら俺らのやっている事なんか小さく思えてきて」「世の中には俺たちの想像をはるかに超えた世界があるんだなぁ」などと言いながら、不気味なほど素直に逮捕されたのだという。
ちなみに、問題の館の事件に関しては尾坂が逮捕された時に律儀にも「事件が起こっているみたいだ」と告げ、そこから警察が急行。館にいた人々によって拘束されていた岡本秘書を逮捕してあっさり終わってしまったのだという。




