ベェネvsレッドクラブ②
予想していたよりも遥かに厄介な敵。能力は未だに検討がつかず、切り札を隠し持っていると思われる。
厄介さを再確認すると共に、ベェネを睨む。
ベェネは狂気の笑みを顔に貼り付けながらも、意識は既に朦朧としており、二人に近付けない、近付いたとしても勝ち目はほぼ皆無だと確信できた。
持って数分前後。領域にベェネが入り、なにもしなかった場合だ。また、半径一メートル半内に入れば一時的にだが大幅に削り取れる。アカシキに近付けばただの知能をなくした獣に、シキに近付けば恐怖を無くし守ることを知らない狂人に。
未知の能力。脅威には変わらないが、それでもなおこちらが有利。
「シキ。頼む」
「わ、わ、わ、わかった、ま、ま、まかせろ」
短くそうシキに指示を出す。シキはいつも通り震えた声でそう返すと、手斧を構え、ベェネを見据える。
瞬間、足を覆っていた地面を強引に力で抜け出し――ベェネへと駆ける。頼り気ない足取りで、それでもしっかりと距離を詰めながら。
「し、し、しね……!」
上段から振るわれる二頭の手斧。それを避ける素振り一つ見せずこちらもと上段から剣を一閃。一瞬早く到来した手斧が肩から腹部にかけてを抉ったかとおもうと、今度はベェネの剣を避けるべく横に半身をずらす。それだけで剣はシキの真横を通り過ぎ、空を切るだけで終わる。血が舞う最中、左に持った手斧が腹部を狙って高速で動く。
ベェネはそれに見向きもせず、横凪ぎに剣を振るう。しかしシキはそれを避ける。間際、横っ腹を切り刻み、内臓を切断。瞬間ベェネが命の危機だと感じ取り、残った感情で即座に判断。肉体を再生させる。
みるみる塞がっていく肉体に、頭部を切り離すのが最善と分析したシキは、狙いを切り換える。
シキの剣は、どれも頼りない剣筋を描くが、よくよく見ればそのどれもが類い稀なる技術を持って放たれているのが窺える。これに惑わされれば通常のペースを維持するのは難しいが、ベェネには最早関係はない。
既に残った危機感は一割を下回る。迫る斬撃も、体に受けた傷さえも、死に直結するものでなければ気付きすらしない。それどころか、あと僅かでそれすら気にしなくなる。
迫る首筋への斬撃。ベェネはこれも気にせず突きを繰り出すが、シキは空中に跳び、剣の上にまで足を持ち上げる。ついでとばかりにベェネの喉元を掻き切り、もう片方の手斧で切断すべく動くその寸前――咄嗟にベェネの体を蹴り、大きく後退する。
その直後、シキのいた場所を数百の氷の礫が通過した。
見ればベェネは片方の剣を捨て、先程まで納めていた豪華な装飾のなされた剣を手に持っている。
――禍々しい。
それがシキが感じ取った感覚だ。明らかに強い魔力を帯びている。魔剣か? だがそれにしては禍々しさが足りない。では魔術武装であろうか? だとすればそれなり――自分達が持つそれよりも何段階か上の性能を持つだろう。
「い、い、命、び、び、び、びろいし、したな。つ、つぎはな、な、ないぞ」
シキは忌々しげにベェネを睨む。
だが厄介事が増えたことで、慎重に間合いを図る。
魔術武装による魔法攻撃で、速攻で発動される危険性を考えれば、接近は難しい。
なにより直接吸収出来る領域は離れたことで、あと少しで吸い尽くせたはずの危機への感情が、幾つかベェネに戻ったことも厄介だ。案の定既に首を修復している。
とは言え、接近しなければ勝ち目はない。未知の能力に魔法が加われば、遠距離からの安全策は、安全策とは言えなくなる。
シキが横に跳躍。それに一瞬遅れて氷の礫が通過。更にシキが逃げた先に氷の塊が出現する。前に走る事で避けるも、目を見開き顔を全力でずらす。そこを礫が通り抜けるが、幾つかの礫がシキの頬を浅く抉り取り、手斧を含めた右腕を蹂躙していく。
それでも速さを重視してか、足には撃たれなかった事を幸運に思いながらも、シキはベェネに向かう。
突然、地面が盛り上がり、氷山がごとき巨大な氷がシキを圧殺すべく凄まじい勢いで天井部へと。足に魔力を即座に集め、足へのダメージは度外視してそこから跳ぶ。
限界を超えた足は、右足の骨が折れ、左足には激痛が走る。
しかし押し潰そうとしていた氷の塊からは脱出し、すぐそこにはベェネがいる。
吸引が、始まった。急激に吸い寄せられるベェネの危機への感情。しかしそれがどうしたとばかりにベェネは攻撃の手を一切緩めない。
剣を振るう。それに連れて尋常ではない冷気がシキを襲う。
内心舌打ちをし、仕方なしに使えなくなった右側を盾に、その場を離れることなく反撃を繰り出す。
当然右腕は剣に切り裂かれ、切断。冷気によって体が凍りつき、まともに動けなくなる。
しかしそれを気にすることなく放った一撃は、ベェネの右腕を切断することに成功した。それにともない落ちるベェネの腕と、それに掴まれた魔法剣。
既に危機感は一割程度。『剣を落とした程度』では反応するはずもない。自分は次のベェネの一撃によって死ぬだろう。だが相手の戦力はほぼ掴め、奥の手も引き出した。そしてその奥の手も封じ、あとはアカシキによって――
そんな思惑は、呆気なく外れる。
ベェネはほぼ無くなった筈の焦りの感情を見せ、地面に落ちた腕を拾い上げ、即座に回復させる。
「ば、ば、ば、ば、ば……ばか、な……!」
そんな驚きの声をあげながら、目を見開くシキを、ベェネは繋ぎ止めた手に収まる、剣を確認しながらシキを無感情に見つめ――――頭部を半分に切断した。
舞うのはシキの顔半分。くるくると、血飛沫を散らしながら浮かぶその一瞬間、ベェネの腹部は横凪ぎに振るわれた二つの刃によって両断された。
「……ッ!」
言葉など出る暇さえなく、ベェネは上半身だけ跳びかけるその僅か前に、奇跡的な反射神経で下半身を掴む。
持ち場を無くした臓物達が重力に逆らい落下し始め、取り返しのつかない事態に陥るホンの少し前。そこにベェネは見事に食らい付き、切断部を再生する。
だがそれも束の間、背後から首を両断すべく、そして喉を半分ほど食い込む。何とかそれを直前で凍らせ、切断を食い止める。
それと同時に背後に氷の礫を大量に見舞うが当たった気配はなく、ベェネの体を二分割し、首に刃を半ばまで食い込ませた敵は前方に移動しており、ついでと言わんばかりに腹部を内臓を軽く切り刻みつつ後ろへと下がっていった。
敵を視認すべく前を見ると、そこには信じられない人物が油断なく剣を構えていた。
――アオカ。
間違いなどない。確実に殺したはずのアオカが、五体満足でそこに立っていた。いや、よくよく見ればその顔はぱっくりと顔のパーツが無理矢理開かれ、作られている。
更に顔が蒼白く、まるで生き返ったかのような――。
――これは。
ベェネは霞む頭を必死に総動員させ、考える。
とは言え三割以下に低下した思考力でそれに辿り着く訳もない。
すぐにその思考そのものが消え失せる。
突撃したくなる衝動を必死に抑えながら、油断なく構える。
アオカは、殺意をその目に確かに宿し、ベェネを睨む。瞬間、詠唱。即座に展開した魔方陣から雷撃が三本ベェネへと駆ける。しかしそれも出現と同時に発生した氷の障壁によって防がれる。舌打ちをし、再度詠唱を始めたものの、感じ取った高まる魔力によってその場から咄嗟に離れる。
三本の氷柱がアオカのいた場所を落下し、地面に当たり砕け散る。
――壁が。
突然、前方に氷の壁が出現。意図が読めず、それを避けようと後ろに下がったアオカだが、魔力反応を感じ取ると横へと跳躍。そこに礫が通過する。
横へと跳んだアオカだが、瞬間壁に当たる。壁など有ったか? 否、あったのは氷の壁。薄いが、それでも一動作置かないと壊せない壁。壊すか逃げるか。一瞬見せた迷いを付かれたのか、残った四方に壁が発生。アオカを閉じ込める。
「小癪なッ!」
判断力を大幅に削られているはずにも関わらずこの追い詰め方。元々どれだけ戦闘のセンスがあったのか。
そんなことを傍らに、アオカは体当たりで壁を破壊しようとする刹那――真上に現れた大量の氷の礫。
だがそれは落下することはなく、そこに固定されたまま動かない。その隙にアオカは壁を破壊し脱出。遅れて礫が高速で地面にぶち当たる。
「……なっ!」
決まったと思ったのだろう。ベェネが驚きの声を上げる。だがそれも数秒後には苦悶の声へと変わる。
いつの間にか後方へと回ったアカシキが、ベェネはと奇襲を掛けた。ギリギリでそれを避けるのは、奪われた危機への感情が、ベェネへと戻ってきているからだろう。
それでも尚危機感と判断力が大きく落ち込んだアカシキが『傍にいること事態』が危険だとは思わない。直接領域――大量に感情を吸い取れる距離にまで近付いたアカシキは、少しでもベェネの近くにいようと粘りのある剣で攻める。
左腕からしなるように伸びる剣をベェネが後ろに半歩下がることで避けたのを確認すると、瞬時に反応。直ぐ様突きに切り替え、粗の多いベェネの動きを見極め肺を貫通。しかし即座に後方へと跳び、氷の塊を避ける。
見ればベェネの肺を貫通したはずの傷は既に塞がっており、命の危機ではないそれを治すと言うことは、それだけ危機感が戻ってきているということ。その事実にアカシキは、苦虫を噛み潰したような表情になる。
アカシキとの間合いを取ったベェネの背後に到達したのはアオカ。アカシキとの戦闘に少ない集中力を使っていたベェネは、完全に気配を取り逃がしていた。
「死ね――」
アオカが短剣を前に突きだし、唱える。それはシキが持っていた魔術武装。先程ベェネに奇襲を掛けた時点で、シキから取り出していた。
――それは広範囲に渡る大量の水。
一見するとただの水。しかしその実、それは高濃度の酸。
危機感はあれど、冷静な思考力を奪われたベェネが、それを酸だと気付くのは、あまりに遅すぎた。
水? 避ける? いや防ぐ? 攻める? フェイク?
見慣れない攻撃に、ベェネが固まる。
しかし避けるのが不可能な範囲に入ってから即席の壁を作ろうとしたのか、魔力を巡らせ――る暇もなく腕が引きちぎれた。
ギョッとする間もなく、魔法の構築が失敗。小さな壁を作っただけに終わり、大量の水がベェネにぶち当たる。咄嗟に急所は体を捻り守っていたようだが、もはやそれは無意味に等しい。
「うおおおおおおお゛お゛あ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛!?」
巡る巡る。大量の放たれた強酸が、ベェネの体を瞬く間に侵食していく。この瞬間ベェネの封じられた感覚は一瞬覚醒し――しかし何もすることもできずに、体が溶け始め、酸の海へと沈んでいった。
二人は溶けながら、煙を出しているベェネを見ながら深い溜め息を吐いた。
――強かった。
いや、それよりも、厄介だった。
切っても切っても瞬時に再生していく肉体。手で覆う必要があるのかと思えばそんなことはなく、自動的に再生していく能力は、相性が悪ければ確実に負けていた。
肉体再生という能力。それに対して精神攻撃という能力は、相性が非常に良かった。例え肉体は無限でも精神は限界がある。
故に士気を保て、隙も突けたが、あれが本来持つ実力は相当高かっただろう。DランクどころかCランク――下手をすれば能力を含めるとBランクすら届いていたかもしれない実力。
それを倒せた事への安堵は、それなりに大きいものだった。
「……やつをここで殺せておけたのは、良かったのかもしれないな」
「ああ、間違いない。能力の厄介な野郎だったが、それ抜きでも素の実力もずば抜けていた。もう少し成長していたらと思うと、ゾッとするな」
――その時だった。
二人のいた地点に、殺戮の暴風が吹き荒れたのは。
それは範囲にいる生物の存在を許さないとばかりに吹き荒れる暴風。風は全てを切り刻む斬撃の塊。
圧倒的高威力のその魔法は、二人の勝利を破壊した。
「……これはこれは」
しかし魔力。展開される数秒前、それを感じ取った二人は、既に対策は練っていた。
傷は多い。しかしどれも浅い傷だ。魔力を循環させている二人にとって、その程度の傷は気に止める必要のあるものではない。
「……始めてだ」
暗闇。通路を照らす物を持たず、漆黒のローブを羽織った男。あまりに整いすぎた顔。そしてその表情はなんの感情も表していない。
「……私の、この魔法を、その程度で抑えられた、のはな」
――圧倒されている。
突然現れた男。それが放つ王者の威圧感。それが熟練の冒険者である二人を、圧倒していた。
「……少しばかり、厄介そうだ」
男は背後から漆黒の剣を取り出し、片手でそれを持つ。あまりにラフな持ち方。構えなどなく、剣先を下に向けたままだ。
しかしそれであるのに、アカシキは恐怖を強く感じ取る。
「……早めに、終わらしたいものだ」
男は動く。そんな、軽い仕事を片付けるが如く――