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混沌なる迷宮の王  作者: しいなみずき
Dランク迷宮
33/44

迷宮レベル32 蹂躙と対面

人物紹介はもう少しかかりそうです。

申し訳無いです。

「しばらく歩きで退屈してたのよ。折角だし、ぶち殺してやるかなぁ」

「このイカれ、おんなが……」


――初動は捉えられなかった。気が付けば体が反射的に太刀を振るっていただけ。

 マグは冷や汗を流す。

 その自分ですら気付かず無意識的に振るっていた太刀を、女は片手で易々と掴んでいたのだから。


 なんとか認識できたのは、女が不気味に笑ったあと、尋常でない寒気が自分を襲ったということ。気が付けば既に状況は出来上がっていた。

 速い。トロールを倒したことで若干気を抜いてしまっていたのもあるが、それをしてもあまりある速度。魔力を巡らせた状態ですら目で追いきれなかった。


「てめえ、何がしたい……ッ!」

「何がしたい……? んー、そうね。まずはあんたを、ぶち殺してえかなぁ」


 ギョロっと。目をこれでもかというほど開く。異常。この言葉がぴったりと似合う。

 だがそれだけでなく、掴んでいた太刀の腹を基点に、マグですら力負けしそうな勢いで太刀ごと押し込んでくる。

 マグは全身の筋肉を無駄なく使って押し込みに対抗する。対して女の方はまるで力を入れてすらいない様子。

 それだというのに、女は汗一つかかず徐々にこちらへと、太刀を押し込みながら歩み寄ってくる。


「う、うおぉおおおッ!」

「あらぁ、頑張っちゃって」


 女は、まるで子供とじゃれあっているかのような態度でマグへと歩を進めていく。

 対してマグはトロール戦でも見せなかった怒涛の表情で太刀に力を込めているのが分かるが――それはあまりにも格が違っていた。


「でもぉ、もっと頑張らないと死んじゃうわよぉ?」

「死ぬのは――てめえだぜ」


 マグを飛び越え、直接女へと大剣を叩き付けるナベル。だがそれが女に直撃する前に、重力に従っていたはずの大剣が動きを止める。

 いつの間にか。青い髪の男が女の背後に立っており、片手でナベルの大剣を受け止めていた。

 何百キロとあるはずの大剣とナベルの重さを片手で支えているだけで驚愕に値するというのに、青髪の男は表情ひとつ動かさない。

 それどころか男は大剣を持ち上げ、後方へとナベルを振り落とす。


「が、は……ぐ」

「わりいな兄ちゃん。姉御の邪魔はさせねえよ」


 落とされ、数瞬。得物を易々と奪い取られた事に呆然とする。油断していた――。ナベルは女だけではなく、控える男の評価も何段階も上に修正する。

 だが、ナベルは武器がなければ戦えない訳ではない。高い身体能力と魔力による強化は、素手ですら魔物を殺せるだけの威力を持つ。

 後ろにいる、松明を持つ男に動く気配はない。

 詰めが甘いとしか云わざるをえなかった。

 立ち上がり、ナベルがもう抵抗しないと思い込んだのか、完全にナベルなど意識外に捨て去り後ろを向いている男へと――拳を放つ。渾身のストレート。一切無駄のないフォームからは、武器を失ったときに備えしっかりと訓練を積んでいたということが伺える。

 更に大剣という重り(・・)が無くなった今、その速度はナベルが出せる最高速。

 間違いなくこの拳が目の前の男の頭を潰せる――そんな確信めいた予感が走る。


――乾いた音が響いた。

 見ればナベルによる渾身の一撃が、男の右手で受け止められていた。

 その一撃を受け止めてすら、男は冷めた目をしたまま表情を動かさない。

 息を、飲む。


「兄ちゃんよぉ……初撃を止められた時点で、無理だと悟るべきだったな」

「ぐあぁぁぁぁぁあああ――――」


 硬質な――骨が砕ける音がした。

 ナベルは、そのあまりの痛みに膝をつく。思考が、停止した。出てくるのは異常なまでの汗と荒い呼吸のみである。体感して理解した、あまりの実力の差に生き残るすべが思い付かない。


 一方で、マグもそれを理解していた。

 距離にして約五センチ。あまりに近い顔と顔。

 冷や汗をダラダラと流すマグの顔に、女は完全に太刀を押し込み、まるで恋人同士がキスを交わす直前の距離にまで近付いていた。

 太刀を離して距離を取ればいい――――という単純な問題ではない。


 動けない。震えが止まらないほどの威圧感、そして初動を完全に捉えられなかったという事実に裏付けされた女の実力。

 もしも太刀を離し距離を取ったとしても、勝ち筋が全く見えなかった。

 堂々と胸を張る女の前で下を向き冷や汗を多量に流すマグは、一見すると悪いことをして怒られる子供のようにすら思える。


「どうしたの? 恥ずかしいのかしら?」


 女のか細い指がマグの顎へと這う。


――柔らかい。触覚への刺激が女の魅力さを際立てる。くいっと、顔を正面へと指によって持ち上げられた。

 そのか細い指が、ゆっくりと、ゆっくりと唇へと這い上っていく。

 艶かしい動きで指を唇へと到達させると、女は指をマグの口内と侵入させた。

 ひんやりとした、柔らかい女性の手が自身の口内へと入ってくる。

 女は微笑んでいた。まるで女神のように。


「あは」


――――瞬間、下顎が尋常ではない圧力がかかり、口内から顎諸とも、引き千切られた。


「あはっ、あはははっ! アハハハハハハハハハハっ! たっのしぃいいぃいい」


 無惨に分離したマグの顔の下半分。そこへ女がすかさず拳を叩き込む。

 下顎が消えたマグの顔面が、更にぐちゃぐちゃに変形し、後ろへと吹き飛んだ。


「マグ!?」

「ひ、ひどすぎる……」


 マグの死体を驚愕の表情で見るイザベラとエラ。


「き、貴様ァアアアッ! 殺してやる――『氷の矢』!」


 それに対して壮絶な怒りを露にして魔法を放つリーダーヤナイ。

 仲間があまりに悲惨な殺され方をされ、だというのにリーダーである自分はなにも出来なかった。その怒りは、全ての原因である女へと向かう。


 『氷の矢』。ヤナイによって無数に生み出された氷の矢。一本や二本なら未だしも、その数は明らかに当たれば致命傷は避けられないであろう。だが女はそれを避けず、防御せず、ただ棒立ちのまま待ち受ける。むしろ歓迎するとでもいうかのように、手を広げ。

 そこへ殺到する数多の氷の矢。それは間違いなく目の前の女の肉を抉り、貫き、死へと至らせるだけの威力を備えていた。


「バ、バカな……」


――筈だった。

 だが、無傷。

 下級魔法とは云え、それは生身の人間を容易く殺すだけの力を持つ。それが、まるで見えない鎧でもあるかのように刺さらずに落ちたのだ。その事実に唖然とする。


「姉御、すみません。五月蝿かったのでついこの男を……」


 声がした。その声の内容を理解したのが数十秒後。


「もー、なにやってんのよ。まあ別に、適合者(・・・)じゃなかったからいいけど」


 ゴミ。そんな言葉が自然に連想されてきた。それは青い髪の男の下に転がり、首が本来向いてはいけない方向へと曲がっているナベルを見てしまった時に、ふと出てきていた。

 あの異常者達からすれば、自分達などゴミ同然なのだ。強者であり尊敬の対象でもあり、密かな目標であったナベルとマグ。いつもどんなに辛い状況でも諦めずにチームを引っ張ってきた。どんなに強い敵からでも勝利をもぎ取ってきた。

 その二人が、こんなにも、こんなにも、こんなにも呆気なく。死んだ。

 それが生み出したのは、どうしようもないほどの怒り――――。


「えいっ! きゃっ、頭つぶしちゃった」

「姉御、汚れたらいけませんからそんなことしてはダメですって」


 ナベルの死体を弄ぶその女――。頭を足で潰し、腕を無理矢理様々な方向へと向けて遊んでいる。


――――許せない。


 絶対に、許せない。


 殺す。この命に変えても。


 数々の修羅場を越えて絆を深めていた仲間が、こんなにも無惨に弄ばれている。

 ヤナイが決死の思いを決断するのはそう遅くなかった。


「てっめえら……ここから生きて変えれると思うなよ」

「あら、そういえば虫けらがまだ残ってたわね。弱すぎてすっかり忘れてたわぁ」

「そうか。そりゃあ、むかつく話だ――――」


  全身に魔力を巡らせる。ナベルやマグの得意とする『魔力強化』。それをヤナイも発動した。

 後衛を担当する者の多くが、その攻撃方法を魔法のみにに特化している。しかしヤナイは違った。

 魔法を三人でとはいえ中級魔法まで使用出来ながら、その実元々はナベルやマグのように前衛として武器を振るっていた時期がある。

 二人の圧倒的な実力に自信を失い後衛へと退いたものの、その実力は相当に高い。

 とはいえ相手はその天才的才能を持っていたナベルやマグをも子供扱いするほどの絶対者。自分の動きなど止まって見えているはずだ。加えて威力の弱い攻撃は恐らく先程のように効かず、強力な攻撃も避けられるのも目に見えていた。

 それでも勝機はある。


 女へと駆けつつ、腰からナイフを取り出す。

 綺麗な装飾がされたこのナイフは、パーティ結成の記念に皆でお金を出しあって買ったもの。

 とはいえその切れ味は鋭く、冒険者らしく戦闘用にも耐えられる耐久性も兼ね備えていた。

 それを抜きざまに横に凪ぐ。常人には目にも止まらぬ速度での攻撃にも関わらず、女は体を僅かに反らしただけで軽々と避ける。

 だがもちろん想定済み。続けて返す刃で更に深く斬り込んでいく。

 これも避けられる。

 予想通り。いや、予想よりも順調。


 避けられた瞬間、あえてナイフでは攻めずに無詠唱で魔法を放つ。それは戦闘中に隠蔽を施しながら完成させた魔法。

 先程の魔法と同じ下級魔法ではあるものの、その性質は先程とは異なる。

 分散させない。『氷の矢』が物量での攻撃だとしたら、今回の魔法は質での攻撃。

 目の前に一本の氷の塊が現れ、女へと高速で迫る。


――――全ては自分の実力への、圧倒的な自信ゆえ。


 敵対する者が絶対的実力を持つなら、つくべき点はその自信から来る油断である。

 そして油断に最も効果的な手段は先を読み計画を立てて戦うこと。

 その点で云えば、ヤナイは怒りで前が見えなくなったと見せ掛け、至近距離からの魔法は、相手の意表をついたといってもいい。


 しかし。


「あははっ、やるじゃない。でも――遅すぎ」


 回避した姿すら認識出来なかった。気が付けば、女がヤナイの一撃を避けて目前に立っていた。


 死の気配が全身を凍えさせる。

 だが、


「想定済みだ」


 女の移動速度が、よもや自分では認識すら出来ないのは先程思い知った。

 ヤナイの狙いは別にある。


 絶妙な位置。それは足下。ヤナイが立つのは女がマグの顔面を引き裂いた場所。

 蹴り上げる。女――ではない。マグの太刀を。


――魔法剣『無毒』。その毒は猛毒である。

 加えて云うならば、ヤナイにもその武器への適性は僅かにだがあった。

 つまり、たった一滴にも満たない量ではあるが、毒の生成は可能。


「マグ、借りるぜ――――」


 流石に地面に武器が落ちているとは考えもしなかった、というよりも完全に失念していたのだろう。

 女はふざけた態度で、だがヤナイの振るった太刀が到達するよりも早く後ろへと回避しようとして。

 足が固まっていた。


「ありゃ――」


 イザベラとエラ。二人が魔法により気付かれぬように、魔法を準備していた。

 ヤナイからの指示はなかったが、それでも長年の間から、不思議とタイミングは理解できた。


 植物らしき根が女の足に絡み付く。

 だが女はそれをものともせず、なんの抵抗もなく破壊しながら抜け出す。一体どれほどの足の力を持っているのか。

 だがそれで十分。


「ハァアアアアッ!」


 太刀が振るわれた先。既にそこに女はいなかった。

 間合いの外で、女は顔を楽しそうに歪める。


「ざぁんねーん。でも楽しかった――――は?」


 女が手の甲を見つめる。そこに一点。微かに、微かに、微かに。凝視しなければ見えないほど微かにではあるが――――確かに傷がつき、そこから一滴ほどの血が滲んでいた。


「て、テメエェエエエエエ――――あ?」


 圧倒的に格下である自分に、ほんの少しであるにしても傷をつけられた。それが怒りとなりヤナイに降りかかろうとした時、女が地面に膝をつく。


 魔法剣『無毒』。その毒は気体にするとあまりにも危険であった。そのため直接体内へと流し込むように、切り裂いた相手にのみ効果があるよう設計されている。


「一つ確かに云える。この毒は極めて危険だ」


 だが女は笑う。


「あは、あははっ。やるじゃない。完全に舐めてたわ。褒めて上げる」


 ヤナイの危惧していた事態。

――少なすぎた。

 元々ヤナイにマグの魔法剣は適性は完全には合わなかった。故に出せて一滴にも満たないほどの毒。だがこれほどの実力者。猛毒とはいえ『魔力強化』によって凌がれてしまうかもしれない――と危惧していた。


「だが、完全には動けない。そうだろ?」


 危惧。そう、つまり想定していた。

 ここまでは予定通り。無論上手くいく可能性など無いに等しかった。だがここまでこれた。

 あとはしっかりと止めを刺すのみ。部下と思われる二人の男は女を心配そうな目で見てるも、何が起こっているのかよく分からないのだろう。女を信じ動こうとしない。

 これもまた高すぎる実力を持つがゆえの信頼によって起こるもの。


「死んで詫びろッ!――『雷帝槍』!!」

「――――」


 油断。それは時に格上の者ですら格下の者に敗北を引き寄せる。


 中級魔法『雷帝槍』。驚くべきことはヤナイが一瞬でそれを発動させたことである。その魔法は強力で、本来なら決してヤナイ一人では発動は出来ないほど高度な技術と大量の魔力を要する。


 それを一人で。詠唱も呪文もなく。

 その秘密に、ヤナイの持つ魔法武器があった。ヤナイの持つこのナイフ。

 これはこのパーティが最後の奥の手として用意していたもの。ナベルやマグの持つ魔法剣とは違い、そのナイフは元々内部に魔法が込められたもので、値段は高価ではあれど、一度しか使用が出来ない使い捨ての武器。故に奥の手。

 その威力は点と面という違いはあれど、ナベルの大剣の最大火力にも匹敵する。


 本来であれば避けられていたのかも知れない。

 いや、認めたくはないが、間違いなく避けられていただろう。何故ならあのナベルとマグを呆気なく殺せるほどの怪物。

 毒によって動きが鈍り、そこに速効で発動したとはいえ、簡単には当てられなかったであろう。


――油断さえしていなければ。


 閃光が、女の顔に直撃する。激しく弾ける雷のバチバチとした轟音。

 それはやがて女を貫通し後ろに控えていた男二人を巻き込み、残すは人間だった肉塊になる。


 そう、あと少しで。鋭くなった感覚により時間が遅くなる。遅くなった時のなか、雷の槍がゆっくりと、女の顔を貫通しているのが分かる。

 ゆっくり、ゆっくりと。


「――あ?」


 ……遅すぎる。ヤナイは未だ女を肉塊に変えない雷撃に違和感を覚える。

 そして気付く。感覚が鋭くなったと思っていた。そのせいで雷撃が女を貫通し終わらないだけだと。


 違う。あまりの非現実に無意識にそう思い込んでいた。

――実際は雷撃が、女に掴まれていた(・・・・・・・・)だけである。


「一体、なにが起こっている……?」


 魔法は、発動すれば物理現象と成すものと成らないものがある。基本型とも云える氷や炎、そして雷を擬似的に発生させる魔法は無論前者。

 だからと云って、雷の槍をまるで本物の槍の様に掴んでいるこの状況はあまりに非現実的であった。


「危ない危ない。――でも、凄かったわ。ホントよ? 傷をつけるのもそうだけど、この私に能力を使わせる(・・・・)なんて、誇っていいわよぉ」

「能力、だと……?」


 能力。身体能力などの能力とは意味合いが違うであろうその単語。だがなによりヤナイが違和感を覚えたのは、その女から完全に苦しみのような表情が取れているということ。まるで毒が中和されたかのような――。


 女はその質問ににこりと、先程とは正反対の優雅な笑みを浮かべる。


「そう、能力。これからあなた達はこの能力をその体で味わう事になるわ……怖がらなくてもいいの。これはとっても、素敵なことよ」


 女は上品な笑みを浮かべながら、スッと手を三人に向ける。

 奇跡に奇跡を重ねてようやく掴んだチャンス。だがそのチャンスすらあっさりの打ち砕かれ――ヤナイはその事実にただ絶望を顔に浮かべ、イザベラとエラはあまりの威圧感に動けなかった。


「や、やめてくれ」

「――――クリュメノス」


――寒気ではない。恐怖でもない。ただ、震えた。






◇◇◇◇◇






 フィルは情報屋から聞きたいだけの情報と金をジスという男に支払ったあと、席を立とうとしたその時。テーブルに強く手が叩き付けられた。


「よう、兄ちゃん」


 緊張が走った。誰でもない、目の前の人物に。思えば、これほどまでに生存の危機に晒された事は今までなかったとも云える。


 テーブルに手を置き、フィルに顔を向ける人物。

 先程まで情報を聞いていた目付きの凶悪な青年――ベェネ・オルグレリアがそこにはいた。

 直感が警告を鳴らす。

(……いつからだ? 話を、聞かれていた……?)

 情報屋ジスの話を聞く限り、ベェネは先程の噂に関する話をあまり広められたくはないようである。もしもその張本人であるベェネに、あの噂を聞いていたと知られていたら。

 ベェネは恐らく能力保持者である。厄介なことに相当に使い慣れた。

 そんな人物が目の前に立って、自分に話し掛けてきている。


 ここエディシスでは、魔法はおろか魔力による強化すら使えない。僅かにでも魔力を動かそうものならすぐに位置の特定と対魔魔方陣が発動する。これはエディシスの常識でもあるということを捕らえた冒険者からも聞き出した上に、エディシスに入る前に門番らしいものが拡声系の魔法で警告をしていた。


 しかし。しかし能力に関しては別モノである。

 そもそも能力の際には基本的に魔力を使わない。故に、もしもベェネが能力をここでフィルに対して発動したとしても、フィルには分からない。仮に分かったとしても、対抗する術が全くないのだ。いや、奥の手は幾つか用意はしているものの、能力すら不明の状況では通用するかどうか。

 現状、最も会いたくなかった人物であるし、会ったとしても話しかけられるとは想定すらしていなかった。

 無論いきなり攻撃されることはないだろうとは思うも、自らの無用心さを反省せざるおえない。


「……私に、何か用だろうか?」

「いや、なに。見ねえ顔が俺のホームにあったからな。なんとなく挨拶してみただけよ。いけなかったか……?」


 凄みを聞かせた声だ。明らかに威嚇しているのが分かる。それでもフィルは表情を動かすことなく返答する。


「……いや、構わない」

「そりゃあよかった。俺はベェネ・オルグレリアだ。あんたは?」

「……私は、フィラ・デルフィア、だ」

「いい名前だ。よくわかんねえが、あんたとは妙に気が合いそうな気がするぜ」


 獰猛な笑みを浮かべながら、フィルを鋭い目付きで観察している。対してフィルは無表情。

 敵対への危機感は多少あれどこの程度の威嚇に怯えるはずもない。


「……それは、光栄だ。私はこれから用事があるが、もしもまた何処かであったら、その時は是非、よろしくお願いしよう」


 その自分の威圧に全くたりとも怯えない、さらに態度を変えない姿勢に何を思ったのか。ベェネが小さく笑った。


「はっ、そのビビらねえ感じは嫌いじゃねえよ。気に入ったぜ。酒でも一杯奢ってやろうか?」


 そのベェネの言葉が意外だったのだろう。あれだけ性格が悪いことで有名な人物が初対面の人物にいきなり酒を奢るとまで云ったのだ。周囲の冒険者達が小さい声でざわめく。ついでに目の前の情報屋――ジスまで目を見開いていた。


「……いや、ありがたいが、先程云ったように、私には用事がある」

「そりゃ、残念だ」

「……私も残念だ。では、失礼しよう――」







 冒険者ギルドから外へ出て、少し歩き、つけられていない事を確認したフィルは、ため息をつく。ため息、といっても他人から見れば認識すら出来ないものだが。


「……完全に、想定外。これからは、もう少し、用心しなくては、な」


 考えてみれば、ベェネこそこの町では最も会ってはいけない人物。その人物との遭遇率の一番高い場所へ出向くなど、これまで安全が確保された場所に閉じ籠っていた分警戒心が足りなかった、ということだろう。次からは気を付けなくては。


 そんなことを戒めながらフィルが街中を歩いていると、酒場とおぼしき場所に冒険者らしき装備をした集団が集まっていた。


「オルガン、今の話は本当なのか……?」


 オルガンと呼ばれた、集団の中でもわりと年長者らしい風格の男が椅子から立ち上がる。


「本当だ。信頼できる情報筋から聞いたもんだからな。現に、あいつらの今の現状からみてあり得る話でもあるだろう?」

「確かに、あり得そうだ」

「あいつらの今までを考えれば不思議じゃないな……」


 なんの話かは不明だが、オルガンと呼ばれる人物が周りを納得させたようなのは確かでありそうだ。さらにその男は続ける。


「なあ皆、これはあまりに理不尽、不公平、不平等、そう思わないか!? 俺達がこのランクをやってる期間を考えてみろ!」

「全くだ! 『クライシス』の連中ばかり贔屓しやがって!」

「俺達が何年やってる思ってんだ。調子に乗るんじゃねーぞ!」

「あのギルド長……どこまでお気に入りを可愛いがるつもりだ……!」

「なあ、皆! そう思うなら是非とも俺に協力してほしい――――」


 どうやら『クライシス』についての愚痴のようである。一人のガタイのいい男がリーダー格なのか、フィルの見立てでは一番強そうな人物が机の上に立って周りを盛り上げているのが見えた。

 通りすぎるまでの数秒間に色々と聞こえてきたが、フィルは特に思うこともなく聞き流しながら歩く。嫉妬、というものは誰しも小さい大きいは別に持つものだ。

 自分よりも下だと思っていたものが、瞬く間に自分を越えていけばその嫉妬は凄まじいものになるだろう。

 どこにでもある普通の光景との認識だった。


 「……そういえば、先日改造したトロールは、どうなったか、気になる。多少外見は異常があったものの、性能は高くなっているはずだが……上手くいけば更に改良、していきたいものだ」


 突然、以前改造を施したトロールのことを思い出す。

 片方の目が在らぬ方角を向き、もう片方は異常に目が飛び出てしまったあの個体。

 性能面では未だ未知数だが、改造中に死亡しなかっただけ悪くない結果だとは思っている。


「……改良点も含め、はやく帰り経過を、見てみたいな」

 

 そんな事を考えていると――――ドンと、何かに当たった衝撃が走る。

 直後、地面へと倒れてしまう。


「あらぁ、ごめんなさい。ちょっとよそ見をしたの」


 目の前に立つのは女性だった。ウェーブがかった長い黒髪が特徴的、その上整った顔は人を魅了させる……のだろうか。と、フィルは思う。

 女性の容姿に関しては様々考察する材料はある。

 だがフィルは何故自分が女性に気が付かなかったのか、という方が気にかかっていた。


 注意不足だったのか。いや、意識が他を向いていたのだろうか。確かに別のことに思考を割いていたとはいえ、前の人に気が付かないほど意識を持っていかれていたわけではない。歩けるだけの注意はしっかりと前に向いていたはず。

 そこまで考えたとき、前の女性が手をスッと差し出してきた。


「大丈夫かしら? 立てる?」

「……すまない」


 特に考えることもなくその手をとる。すると何か、どこか懐かしいような僅かな違和感が、走る。

 立ち上がり、女性を見てるが見覚え(・・・)もなにもない。

 すると今度は逆に女性が首をかしげ、


「あら? ねえ、あなた何処かで……」

「あ、あねごー!」

「あらぁ、どこいってたのよあんた達。で、どうしたの?」

「どうしたの、じゃないっすよ! 勝手に何処かいって!」

「そうです! 心配させないで下さい! もしも姉御に何かあったら……俺たちは、う、うぅ――」


 外出とはこんなにも絡まれるものだったか。

 フィルは、女性が明らかに堅気ではない二人の男と喋っている隙に歩き出した。


 ふと、


「……珍しい。というよりも、この世界にも、やはりいるのか」


 一匹の蝙蝠(コウモリ)が頭上を飛んでいた。

 今の肉体の人物がフィルになる前、好きだった生物体。それがこの世界にもいるのかは分からなかったが、頭上を飛ぶそれをみて僅かに感情がぶれた。


「……既に、前の私は、完全に消えたと思っていたが……。まあこの程度なら、許容範囲だがな」


 そう一人言を漏らしながらフィルはゼロの待つ宿へと足を進めた。




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