迷宮レベル29 外出
指。
指とは、日常生活においてあらゆる場面で多用することになる非常に便利かつ、最早人間の大半には欠かせないものだ。
調理にしても、人と人のコミュニケーションにしても、食事の際も、果ては殺しの道具であったり、または人を助けるためであったり。逆に指を使用しないことなど、起きている間では少ないのではないかとも云える。
そんな利用法様々な指であるが、どんな時にも忘れてはならない法則があり、指も例外ではない。
メリットには必ずといって良いほどデメリットがつきまとう。
そもそも、指が繊細な動きを可能にしているのはそれだけ敏感だからというのが非常に大きい。その敏感さは、見方を変えれば痛みも他より鋭いものが、正確に脳に伝えられる。
要するに、もしもそこへと針などの鋭利なもので神経を傷付けられたのならば、その痛みは通常味わうことのある痛みを優に越すだろう。
しかし指とは日常生活に必要不可欠であろうとも、生命の生存と云う観点から見ればなんら重要な器官として当てはまらない。
つまりだ、痛みは強けれど死に至ることはそう
ない。拷問の道具としても利用されかねないのだ。また、爪と肉の間。その部分は指で最も痛い箇所と云っていい。そこへ細く鋭い針が貫かれたのなら、その痛みは想像を絶する。それほどの痛みを耐えられる者など、果たしてどれだけいようか。
「……その例外には、お前ではなれなかった。ただ、それだけだ。何、悔やむことはない。所詮人は、臆病で自分本意な生き物。いずれにせよ、最終的な結果に変わりは無かっただろう」
爪と肉の間に鋭い針を貫かれ、何本かは指を潰されている男に向い、そう慰めるのはフィル。まるで感情を灯さない彼は、本当にそう思っているのかすら図れない。
対する男は終始運動後のように、過剰とも思えるほどの呼吸をしていた。高速で、延々と行われる呼吸に、尋常ではない汗の量、寒さによるものではないのは間違いないであろう、手足や体全体の異常なまでの震え。
目は完全に焦点が定まっておらず、フィルの話を聞いていないのは明らかだった。
「……だが、お前はよく耐えきった方だろう。というよりも、よく耐えようとしたものだ。他の二人はお前の姿を見て、恐怖でベラベラと喋ったと云うのに」
ゼロの能力で無力化したファキラ達三人を捕らえたフィルがまず行ったのは、拷問。
もちろん、過虐趣味など欠片もないフィルは三人が意識を取り戻した際にしっかりと警告はしたのだが、結果三人とも揃って拒否。ということでフィルはまずリーダーであろうファキラを拷問にかけたという話だ。
結果的にはファキラの絶叫に怖じ気づいた二人は簡単に情報を吐いた。もちろん嘘防止のため別室で質問をし、結果情報は入手出来た。情報と云っても、別に大した情報ではない。エディシスで生活しているものなら誰でも知っている情報から、冒険者などしか知らないようなことまで。だがそれは、恐らく一般人でも知ろうと思えば簡単なものばかりだ。一部興味深い話も聞けたが。
また最もフィルが必要としていた情報はしっかりと裏をとった上で知ることが出来た。
エディシスの警備体制、町の中心部、町の大きさ、冒険者について、この迷宮の置かれている状況などだ。
それを元にフィルは計画を細かに立てる。
「……いや、まずは片付けからだな。ゼロ、フォレスト、セカンド、一体につき一人ずつ始末しろ」
三人が意識を取り戻す前に召喚した二体の黒術師。ゼロを召喚する際に何が魔力の消費を悪くするのか、またその他の改善点を研究したことによって燃費を劇的によくした結果、短期間に二体を召喚することに成功した。
命令された三体は、一人の頭を握り潰し、一人を電撃で感電死させ、一人を炎によって燃やし、そして死体を部屋の外に捨てることで、命令を達成する。
「カン……スイ……」
たどたどしい言葉を、僅かではあるが発したのはゼロ。召喚当初、言語という概念がそももなかったゼロがたった数十時間程度で、意味をもって主たるフィルに報告出来ているこの事実は、異常なものとしか云えないだろう。
それはひとえにゼロの種族が持つ特殊な能力によって、少数ではあるが、他生物と比べれば遥かに進化した頭脳を保有する人間という種族を『吸収』したからに他ならない。
「……厄介な、種族だ。敵対すれば、厄介極まりないだろう」
しかしそれ故に、上手く扱えれば利益は大きい。そしてフィルには、自分は上手く扱えているという自信があった。
「……今はまだ、だがな。まあどちらにせよ、今は先送りにしても大丈夫な問題だろう」
フィルからすれば、いつまでも自分の能力が彼らに通用するなどの慢心は抱いていない。もしかすると能力による束縛を解除する能力を持った者もいるかもしれないのだ。
いずれなんらかの方法により解除された時、その対策を練っておく必要がある。
だがそれは後々で構わない。そもそも、もしも解除系の能力者がいたとして、現時点では対策のたてようがないのが事実。
故に、フィルは現在もっとも重要かつ実現可能な問題を吟味する。
フィルの計画を実現するにあたり、まずは町の下見をしなくてはならない。
その時点で目的の人物を見つけられれば完璧なのだが。そう理想を浮かべるが、見つけられる確率はあまり高くはないだろう。
精々が下見と警備の確認、情報収集といったところか。
「……ゼロ、付いてこい。セカンド、フォレストはこの場に待機。私とゼロ以外がこの階層に侵入してきた場合、殺せ」
セカンド、フォレストにそう命令するも、もしも侵入者がこの階層まで来るようであれば、二体は間違いなく死ぬだろう。
あくまでも保険。なんらかの形で守護者や魔物との接触を避けて最深部までやってくる者がいることも、万が一ではあるが完全には否定できないのだから。
そも、フィルがこのように命令を二体に下すのは、フィルが外へ行くためにこの迷宮を離れるからだ。迷宮核を持つ身である以上、迷宮から移動するということは、迷宮を放棄する覚悟があるに等しい。迷宮核が迷宮から消える。それは人間でいう、心臓が無くなるということと同じで、異常事態なのだから。
しかし、フィルは考えた。迷宮には、常に魔力が流れていなければならない。それは人間や他生物も同じで、魔力は血流のように体を流れている。人間の場合、それが止まれば魔法が使えなくなったり、最悪の場合死に至るような症状が出たりする。それは魔力保有量が大きい者ほど顕著で、体の栄養の殆んどが魔力によっている魔物はもちろんのこと、魔力がないとそもそもの存続が不可能な迷宮は、魔力の流れが滞れば崩壊してしまう。
稀に魔力が全くない生物が存在するも、既に産まれた時からその状態に馴染んでしまっているからか、生命にはなんの問題も見られないのだが。
では、ならば。迷宮の魔力の流れを迷宮核以外で補えばいいのではないか。そう考えた。
しかし迷宮核のように、異常なほど完璧に魔力循環を果たす機関をフィルが造れる筈もなく。だがそれでも苦心の末、短期間であることと、迷宮核に溜まるの魔力の殆んどを迷宮に置いていくという条件付きで外へ出る権利が与えられていた。
「……さて、この状態でも常人と比べれば、かなりの魔力を保有している筈だが、やはり拙い」
上層へと向かいながら、自身の保有する魔力を確かめるフィル。だが、フィルの使える魔法に籠められる魔力には限界があり、それを越えて籠めすぎれば魔法そのものが不発に終わる。
つまり現状、使える魔法の弾数が減っただけで、威力が落ちているだとか、魔法の質が落ちているなどの問題はなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……前方に五人か」
フィルが一層に入って数分、最短ルートで出口を目指していると、フィルの感覚に五人の人間が入る。その距離およそ十七メートル先だ。
魔力と気配を隠蔽している故にフィルはまだ見つかっていないものの、あとほんの少しもすれば確実に鉢合わせとなる。かと云って迂回するとなると限りある制限時間が無駄になる。
それ故に選択肢は一つ。先制して邪魔な障害物を蹴散らせばいいだけだ。
先制攻撃を決めたフィルは、ゼロを目一杯下がらせると、魔法を練り始める。
ゼロのスキルで殺すとなると、時間が掛かる。また自分自身も実践を経験するべきかという点から、フィル自身が狩りに行く決めてとなった。
「な! この反応は魔法!?」
前方の冒険者であろう五人の内一人が、フィルの魔力の動きを感じ取り、慌てて仲間に伝えると、向こうも防御魔法の呪文を唱え始める。
しかし遅い。本来、ただの冒険者とフィルの間には、魔力保有量という埋められない大きな差がある。それはフィルが外に出ながらも迷宮を維持するために、常時の魔力の大半を置いてきているという状況においても変化はない。そのフィルのが練り上げた魔法を防御する場合、万全の態勢で臨まなくてはならない。
つまり、奇襲という手段をとられ、更に回避という手段も封じられた彼らは、この時点で既に詰んでいるとも云えるだろう。
「ーー『斬激嵐』」
腕を前に向け発動させた魔法は、荒れ狂う暴風。その内部は風の刃が高速回転する危険地帯。
五人に目掛けて猛烈な勢いで突進する。防御魔法によって生じていた障壁にぶつかるも、易々と貫き五人を巻き込み十メートルほど進むと嘘のように暴風が掻き消える。
「……ほう」
フィルがやや驚いた風に向ける視線の先には、男と女の二人が立ち上がっていた。
地面に倒れている三人の内一人はグチャグチャで原型を留めておらず、あと二人は防具のお陰か比較的原型を留めているものの血だらけで生きている可能性は非常に低いだろう。
立ち上がった二人の男女も所々から出血してるものの、下の三人に比べれば肉体の状況はまだまだ稼働できる状態を保っていた。そのうえ、目にはしっかりと光が宿っている。そこに宿るのは怒り。それは確実に近寄ってきたフィルに向けられたものだろう。
「……意外としぶといな。これは推測だが、その女が、防御魔法を広げずに密度を上げることで、二人だけが生き延びたか。もちろん立ち位置的な要素も大きいだろうが、いい判断だ」
「きさまぁああ!!」
それを聞いた男は更に増した怒りをぶつけるため、剣を右手に、盾を左手にそれぞれ構えフィルに駆ける。フィルは黒い刀を作り出し、それに応戦。尋常ならざる膂力で刀を盾に叩きつける。
それだけで盾は真っ二つに切れ、男の胴体も同様に真っ二つとなる。そう思った直後、剣が喉元目掛けて跳んでくる。フィル体を横に反らしその態勢から手を地面につくとそこを機転に一回転しなんとか回避。何事かと視線を向けると、そこには死んだはずの男がいた。
フィルが刀を盾にぶつけた瞬間、男は直感に任せ盾を捨てていた。しかしフィルの剣速も速く、避けきれずある程度切られることにより、フィルは盾もろとも男も始末したと思い込んでいたのだ。
「……力を、籠めすぎたか。切ろうが手応えがないのでは、少し不味い様だな。勉強になる」
男はフィルの話など聞く気もなく、再度突きを放つ。対してフィルは先程よりも力を籠めずに刀を振るう。刀は易々と剣を両断し、今度はその手応えが伝わってくる。
剣を両断された男は短剣を腰から抜き取り素早い動作で胴体目掛けて斬りつけようとするものの、あと僅かのところで短剣の柄を手に包まれ動かなくなる。そしてフィルが力を籠めると、メキメキと音をたて男の手の骨軋み、砕けていく。
「……面白いな。どれほど骨を砕けば粉になるのか、試してみるか」
「ぐぅぉおおおぉおおぉおお」
痛みのあまり、残った片腕でフィルの手を剥がそうとする男。しかし剥がせる訳もなくその行為は無駄に終わる。
突如、氷の槍がフィルの顔面目掛けて飛んでくる。間一髪で避けるが第二、第三の槍が立て続けに投射がなされるが、回避を続ける。もう一人の生き残りである女による魔法だ。
しかし男に当たらないようにしているため、フィルからすれば初激以降回避は容易だった。
状況を素早く判断した男は、女に対し必死に叫ぶ。
「こいつは、強すぎるッ! 俺に、構わず、殺せぇええ!」
男が自分を貫いて殺せと女に云い放つ。女は躊躇いを見せるもその鬼気迫る男の表情に、覚悟を決めたのか、三本の槍を同時にフィル目掛けて投射する。
頭でなく全身を狙われていることから、流石に男を抱えて回避することは困難。男を切り離し回避しようとするが今度は男がフィルのローブを掴んで離さない。無論、離れさせようとすれば簡単に出来るが、それをしていては槍を避けきれない。
ならばとフィルは男首を掴み前に持ち上げる。肉の盾となった男だが、それだけでは高速で放たれた槍を止める事が出来るはずもなく、男を簡単に貫く。
そしてフィルにまで届くか、という所で失速。そしてローブにあと数センチという距離で完全に動きを止める。
「ばかな!?」
唖然とする女。恐らくこの三本の槍に全力をかけていたのだろう。
予想通りならもっと奥で止まる筈であったなら槍が、こんな手前まで来たのはそのせいだ。
『硬化』の魔法。無詠唱で発動させた魔法により、男を硬化させたのだ。もし通常であれば付加は抵抗されていたかも知れないが、首を絞め弱らせることで魔法抵抗力を落としたことにより成功したのだ。
「……ふむ、まずまずと云ったところか。では、死ぬがいい」
手を向け、先程よりも小型だが無詠唱で完成させた『斬激嵐』を発射する。さらに念のためと追加で二発。女も必死で防御や回避をしようとするも一発目で即席の防御魔法を容易く破かれ腕を捻りきられ消失。二発目で胴体に穴が空き、三発目で落下していた首から上部分が切り刻まれ肉片と化した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
五人の冒険者を二分足らずで葬ったフィルは、ふとあることに気付く。フィルが冒険者を始末しようとした一番の要素は鉢合わせして無駄に時間を使わない庸にしたためだ。しかしよく考えれば、相手の冒険者はフィルの正体を知らない訳であり、ただの同業者のふりをすれば問題なくやり過ごせたであろう。しかしフィルはその立場上、思い込みから侵入者は皆自分の事を狙っているのかと、要らぬ勘違いをしていた。一歩間違えればドジっ子である。
「……まあどちらにせよ、勉強にはなった。次に他の侵入者にあったなら、半殺し程度に抑えて、ゼロに喰わせるか」
そしてフィルはゼロを連れ、外へと歩き始めた。