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混沌なる迷宮の王  作者: しいなみずき
Dランク迷宮
29/44

迷宮レベル28 『イレウス』

 以前までEランク迷宮『宝物庫』と呼ばれ、様々なランクの冒険者達から財宝をむしりとられていたその迷宮は、今では人を寄せ付けぬ不気味さを持つDランク迷宮と化していた。


 事の発端は三日前、エディシス内にて悪い意味で有名なベェネ・オルグレリアが、その迷宮にてボス部屋へと通じる扉を発見。それに示し合わせたかのように、翌日にはDランクへと変化していたのだ。

 この事実を知った他の冒険者達(主に低ランクの)は非常に落胆した。

 折角の美味しい狩り場が、難易度が高い迷宮へと変わってしまったのだ。


 無論、中には実力ある者が変わらず探索をしに行く場合もある。

 その際、財宝の見つけやすさで云えば、Eランク時とほとんど変わり無いとの結果ではあったが、出現する魔物の質が上がっていたとの情報であった。

 只でさえ魔物の質が高く、中には武器すら扱う魔物も時折いたというのに、それよりも更に質が上がったのなら、危険度は比べ物にならないはずだ。

 その結論により、いくら命知らずな冒険者とは云え、迷宮へと足を踏み入れる者は激減していた。


 ただし様子を伺っている者が大半であり、リスクに見合うだけのリターンがあるのならと、そう考え足踏みしている者も多い。



 そんな中、人が少ないのを良いことに、これ幸いと財宝目当てに、ここ元『宝物庫』を探索しているのがDランクパーティー『白の剣』。

 男女比三対一の四人構成で、実力的にはDランクパーティー最強と云われている『クライシス』には劣るものの、それに近い実力を有している。


 このパーティーのリーダーであるファキラは、今やDランクとなったこの迷宮に対して、ある程度の不審感を抱いていた。

 だからと云って、自ら進んで調査などするつもりはなく、自分が稼げればそれでいいというスタンスだ。

 調査と云ってそう簡単ではなく、まず迷宮核に異常がないかどうかを調べねばならない。

 しかし既に迷宮核を取ってもいい規定数は越えており、もしも何も異常が無ければただ命を危険に晒すだけである。

 そのためファキラはここ一階層で財宝を当てていた方が金になるという結論を出していた。


「おっと、ホブだな。エル、行けるか?」


 彼ら四人が歩く通路の先からやってきたホブゴブリンを、ファキラはいち早く感知すると、前衛であるエルにそう尋ねた。


「あたりめぇよ。このあたしがホブ程度に苦戦するとでも?」


 その問いに対してエルは、ぶっきらぼうにそう答えた。


 ファキラは、他の冒険者達に比べて、非常に筋肉質な方である。

 その鍛えぬかれた無駄のない筋肉は、エディシスの中でもトップクラスだ。

 そんな彼の得物である大剣は、その膂力を活かすために選んだものだ。


 しかし、エルの肉体は、そんなファキラをも凌駕する。ボコボコと皮膚の上から浮き上がった筋肉は、本当に女性のものかと疑いたくなるほどだ。

 加えて顔がその体とミスマッチしていて美しい、という訳ではなく、完璧にマッチしているところがまた何とも云えない。


 ファキラがまだエルと出会う前、彼は女性に対して多少の偏見と差別の目を持っていたのだが、エルに出会った瞬間に、その考えを即座に捨て去ったほど。

 しかしそんな大斧を背負って歩く彼女は、味方であれば何よりも頼もしかった。


「……そうか。それならいい」


 その返答に、エルは目を細めて問う。


「どうした? 急に。いつもなら聞くまでもねぇだろ」


「いや、ハデルバートを思い出してな。何となくマネをしてみようかと思っただけだ」


 相変わらず意味が分からねぇな。とエルは呟き、徐々にこちらに近付いていたホブゴブリンを見据えた。


 通常Dランクに出現する個体よりも、見るからにでかく、体色も黒に近い。

 この迷宮ではよく見かけるようになった光景ではあるが、他の迷宮と比べると珍しく武器をその歪な手に握りしめている。

 だがそんな事は、エルからすれば些細な違いでしかない。


 ホブゴブリンが間合いに入った瞬間、大斧を持っているとは思えない速度で駆け出し、駆け抜け様に真っ二つにその体を切り裂いた。


 あまりに呆気なく切り裂かれたホブゴブリンだが、なにも反応が全く出来なかった訳ではない。

 エルが地面を蹴ったと同時、即座に避けるのは難しいと悟ったホブゴブリンは、早々と回避を捨てると腕をクロスさせ、防御の体勢に入っていた。

 ホブゴブリンの腕の厚さは相当で、普通の冒険者の一撃であろうと、致命傷にはほど遠い程度の傷しか負わないほどの堅さを持っている。

 だがそれを、まるで紙の如く容易く切り裂くエルの膂力が異常であるだけなのだ。


 しかし当の本人はそんな事などどうでも良いらしく、つまらないオモチャを見たかのような顔で両断されたホブゴブリンを見下ろし、溜め息を吐いた。


「たく、もう少し強いのはいねえのかよ。クソッ」


 その言葉と一緒に唾をペッと地面に吐くと、ファキラにその鋭い目を向けた。


「なぁ、リーダーさんよ。そろそろもっと強いとこ行こうぜ? 流石に同じとこばっかじゃ飽きるぜ。なぁデイ、ウェルダン、お前らもそう思うだろ?」


 彼ら四人は迷宮の噂が広まった時から、かなりの頻度でこの迷宮へと訪れている。

 それは単純にリーダーであるファキラの考えだ。


 基本様々なタイプの者が就く冒険者という職だが、その中全体的にみても、自身の実力というものは稼ぐ金と同じぐらい重要視されている。

 強ければ強いだけ稼げるという観点からそう考えるものもいるが、単純に強いことへの憧れが大半を占める。

 勿論、殆どの者はそれを抑え自分の実力にあった迷宮での鍛練と魔石稼ぎに勤しんでいるが、それでもやはり実力を試したくなることは多々あるものだ。

 しかしファキラ達は、この欲求を押さえつけ、現在まで堅実にこの迷宮で財産を増やしていた。


 恐らくこの財宝での稼ぎはその内段々と難しくなっていくだろうとの考えだ。

 財宝の大量流出と共にそれそのものの価値が下がることも無きにしもあらずだが、それよりもこの迷宮がいつまでもそのままなどどこにも保証がないのだ。

 迷宮のランクがこんなにも早く上がったように、今後なんらかの事があり稼ぎが不可能になったときに、後悔をしないように、彼らは普通よりもハイペースでこの迷宮へと探索を続けていた。


 エルも別に戦闘に狂っている訳ではない。しかし流石に物足りなさが限界なのか、今日はまるで子供の駄々のようなことを言い出してきた。

 無論、決定的に風貌が子供のそれとは違いすぎるため、子供の駄々のように適当に扱うことなど出来ないのだが。


 エルは、今までの流れで一言も喋ることの無かった男二人を巻き込み、質問と同時にその厳つい顔を更に厳つくし、睨みを効かせる。


 だが当のデイとウェルダンは既にその脅迫には馴れたもので、顔を強張らせることも、その強烈な顔に怯むこともない。

 流石に組んだ当初から同じことを繰り返されればどんなに臆病でも馴れるというものだ。


「いやいや、これより上の迷宮なんてトンでもない。今でも十分過ぎるほど危険だって」


 微妙に焦った様子で、デイがエルの言葉にそう反論した。


 デイは、この四人の中で一番小柄な人物だ。それに合わせるように、性格もあまり大胆な方ではない。

 そのため、エルとはあまり相性がいいとは云い難いが、リーダーのファキラとは何かと気が合う。

 様々な場面に対応できるよう、武器は弓矢と短剣を持つという、性格通りの慎重さが出ていた。


「俺も同感だ。てか全部お前が片付けてるくせにごちゃごちゃうっせーんだよ筋肉ゴリラ」


 エルに対して容赦なく毒を吐くのはウェルダン。

 小柄でもなく、ガタイも特にこれと云って目立つ所はない中年の男性だ。

 しかしそれが、このパーティーではある意味目立つ要素となっていた。

 ただし外見的な特徴ではなく、内面的な特徴ならば、この四人の中でもトップだろう。


 エルの威圧的な態度に臆するどころか、むしろ堂々と毒を吐く胆力は、何も慣れでついた訳ではなく、出会った当初からだ。


 ウェルダンからすれば事実を云っているだけなのだが、周囲からすればその発言には度々度肝を抜かされていたものだが。


「てっめえ……」


「やめろ、バカどもが。あいつのせいで只でさえ寝不足で頭痛が酷いんだ。頭に響くからよ、喧嘩なら外でやれ」


 ファキラは目の上を押さえつけながら、強めの口調で二人に云った。

 ファキラは思う。あの無精髭を生やした自分と同い年の男を。


「そう云えば、なんか昨日少し揉めてたな。なんかあったの?」


 デイが昨日のことを思い出しながら、ファキラにそう問いかけた。


「ああ、オルガンの奴、この迷宮の調査を『クライシス』に任せようってギルドマスターの判断に不満らしくてよ。確かに多少贔している感はあるが、実力が伴ってる訳だから俺は文句はねえけどな。……まあ、それが気に食わねえんだろうな、アイツには」


 オルガン・ルルシュ。

 Dランク冒険者であり、冒険者としての歴も長い人物だ。

 しかし歴が長いが才能が足りず、残念ながら冒険者としての大半をDランクとして過ごしている。

 またその事が理由となり、とんとん拍子でDランクまで上り詰め、更にその上のランクにまで手を伸ばそうとしている『クライシス』が気に食わないのだ。

 昨日、ファキラはオルガンからギルドマスターに対して、抗議をしようとの誘いを受けたが、それが如何に無謀で馬鹿げたことかを一晩かけて説明し、説得した。

 本人は一応は諦めた様だったが、下手なことをして罰則を食らうのを見るのは流石に悲惨であり、ファキラは戻り次第釘をさしておくつもりだ。


「へぇ、あの四人組か。ま、あんだけ早く昇格すれば嫉妬されても仕方ないわな。てかよ、オルガンってのはなんでギルマスが『クライシス』に調査頼むって知ってたんだ? あのジジイが関係ねえ奴に云いふらすか普通?」


 エルがそう疑問を口にすると、ファキラははっとした顔になった。

 まるで今思い出したかのように。


 ちなみにウェルダンは、エルの鋭い指摘を聞き、この筋肉ダルマ、ただの筋肉の塊じゃないのか。と少しばかり見直していたのは余談である。


「突拍子もない話だったからな、そのせいで完全に忘れてた。戻ったら聞いてみるか」


 ファキラはそう開き直ると、ふと、立ち止まった。


 いきなりであるが、ファキラの最も信用しているものは()である。

 ファキラの勘はかなりの確率で当たる。

 例えば以前、この迷宮に潜っていた時、勘に従って道を進んだことがあった。

 そしてその先に、目的である財宝があったなどが多々あったのだ。

 稀に、勘に従って進む道を変えたところ、何も無かったということもあったが、それでも勘に従って悪くなったことなど、今までほとんどない。


 そんな彼の勘が、叫んでいる。

 この先の道、ナニかがいると。そしてそれは、ナニか良くないものであると。

 ここまで危険だと勘が叫んでいるのは久々だ。


――引き返そう。


 そう思ったと同時、ファキラはすぐに引き返す事を決断すると、三人にその旨を伝えた。


「この道はダメだ、引き返すぞ。……俺の勘がそういってる」


 その言葉に怪訝な顔をする三人だったが、いつも以上に真剣な顔をするリーダーを前に、それに従うことにした。

 尤も、ファキラの勘の精度はこの三人も知るところであって、よっぽど意味が分からないなどではない限り、反発することはない。


 結果、ファキラの決断によって四人は来た道を戻ることにした。




 これは、彼らは知るよしも無いことだが、ファキラの勘は間違いなく当たっていた。

 もしもあれ以上進めば、遭遇することになっていただろう。

 フィルが生み出した、この迷宮内最強の魔物――ヴォルグに。







◇ ◇ ◇ ◇ ◇







「おい、なんでさっきの道、あれ以上行くのをやめたんだ?」


 引き返すことを決め、幾らか歩いていると、エルがファキラに先程のことを問いただした。


「勘だが、あれ以上行くのは、何かヤバイ気がしたからだ」


「うわぁ、マジで?」


 その答えに、デイが真っ先に嫌そうな顔をする。

 基本的に安全第一のデイからすれば、勘とはいえファキラがヤバイと表現するナニかなどとは、絶対に遭遇したいとは思わない。


「ヤバイねぇ。本当に相変わらずファキラの勘は曖昧だな。も少し的確に表現できないのかよおい」


「ウェルダン、てめえは黙ってろ。それにしても、あたしでもヤバイってのか?」


「しるか。あくまで勘だ」


 その会話は、途中で途切れることとなった。

 オークだ。


 いつの間にか、四人の近くまで来ていた。


(オーク……気付かなかった。一体どうやって? 注意を怠っていたか?)


 ファキラの探知能力は四人の中でも比較的優れており、例え意識を別のところに向けていてもそう簡単に突破できるほど甘くはないはずなのだが……。そこまで考えたが、結局は注意不足であろうも結論付けた。

 別に今まで全く無かったという訳でもない。


「おい、来てんならさっさと云えってんだよ。あの豚はあたしがぶっ殺して構わねえよな?」


「……ああ、だが気を付けろよ」


「気を付けろねえ。それも勘ってやつか?」


「…………」


「ま、どうでも良いけど、よっ」


 エルは直後、オークへと向かって駆ける。

 特に考え無しの特攻だが、知能など無いも同然の魔物には、そんなものは関係ない。


 得意の大斧を自慢の筋肉を駆使して一気に振りかぶる。

 その先に見えるビジョンは、自らの得物で真っ二つに両断された無惨なオークの姿。

 しかしそれは実現することはなかった。


 突然。


 背筋にさむけが走る。

 そのせいか、大斧を降り下ろすタイミングが遅れ、圧倒的な破壊力を持った大斧の一撃は、オークに避けられてしまう。

 それどころか、オークのカウンターが迫る。


 オークの持っていた棍棒が、エル目掛けて一気に振るわれる。

 しかしエルもただの筋肉馬鹿ではない。それを避けられた時点で予測し、既に回避の状態には入っていた。


 そうして目の前を通りすぎていく棍棒を睨み付けながら、エルは一旦間合いを取ることを選んだ。





 ファキラは目の前で繰り広げられる光景に、正体不明の違和感を覚えていた。

 あのエルが、攻撃を外すばかりか、間合いまでとっている。

 いつもならばあの程度の魔物など、ものの数秒で両断出来ると云うのに、今のエルは何かを警戒しているようでもあった。


 ファキラは何かあったのかと、彼女を見ていると、あること(・・・・)に気付く。


――――震えている(・・・・・)


 そう、彼女の手が、微かにではあるが震えていた。

 信じられなかった。あのエルが、震えているなど。

 だがあのオークに、目立って危険を感じるようなものはなかった。

 全てにおいていつものオークと変わらない。


 では一体、何に震えているのか。


 そう問いかけようとして、自分の手も震えていることに気が付いた。

 完全に無意識だった。見てはじめて、自分の手が震えていることに気が付いたのだ。


「くそっ、なんだこりゃ」


 エルもそれに気が付いたらしい。だが結局やることは変わらず、大斧を横に構えると、オークとの距離を一気に詰める。

 叩き付けるかのように大斧を振るう。本来ならばそれで終わりの筈だが、予想外にもオークの防いだ腕に止められてしまう。

 肉は裂いたが、骨が断てていない。更に武器がそこに挟まってしまい引き抜けないようだ。


「チッ!」


 エルは抜くのを早々諦め、防御と同に繰り出されていたオークの棍棒を直前で避ける。

 武器をなくしたと思われる彼女だが、まだ一番の武器が残っていた。

 そう、彼女自身だ。例え種族的に劣っていようが、今の彼女はオークと互角、またはそれ以上の筋力を誇る。

 それを自分自身が最も分かっているからこそ、早々と武器を捨てたのだろう。


「うらあああ゛ああア゛あァあ゛あ」


 エルは戦闘中、常に冷静を心掛けている。それが一番効率的であり、実力を最も発揮出来るからと本人はよく云っていた。


 そんなエルが吠える。奇声とも雄叫びともつかない叫び声を上げ、オークに拳を向かって振り上げ、腹のど真ん中にぶち当てた。


 エルの筋力は圧倒的だ。素の状態で、軽々岩を砕くことすら容易くこなす。それに魔力強化を加えれば、一体どれ程の威力なのか。

 威力のほどは不明だが、間違いなくオークを殺せるだけの一撃は持っていたはずだ。


「あ?」


 なのに、だと云うのに。


 エルの全力の一撃が直撃したオークは、呻き声は上げるものの、それだけだ。

 エルは自身の拳が肉の壁を突破出来なかったのが信じられなかったらしく、呆然とその場に突っ立ったままだ。


(何をしている? なんで間合いをとろうとしない?)


 オークの棍棒が、ゆっくりと振り上げられる。

 だがエルは気力全てを引き抜かれたかのようにポカンとしたまま、動かない。


――避けろ!



 そう叫ばなければならないとは思うも、だがファキラの口は動かなかった。

 それはファキラだけではない。他の二人も、エルのピンチに何一つ叫ぼうともしない。

 それどころか、まるでつまらない劇を観ているかのような冷めた目(・・・・)でその光景を見つめていた。

 そう、三人とも何故かこの場にはあまりに不釣り合いなほどの無関心(・・・)さ。

 仲間の危機だと云うのに、ファキラの実情は、非常にどうでも(・・・・・・・)よかった(・・・・)


 棍棒が降り下ろされる。しかしオークのその降り下ろしには、威力がほとんど籠ってないのが明らかだった。


 だがいくら力が籠っていないとしても、ある程度の重さと硬さを併せ持つ棍棒は、重力の力だけで十分な威力を持つ。


――直撃。


 鈍い音と共に、エルが崩れ落ちた。

 しかし、幸運にも生きているのか呻き声を上げている。

 それに気付いたのか、それとも気付かずにか、オークの棍棒が再度振り上げられ、落とされた。

 二度目の鈍い音と微かな悲鳴と共に、エルの顔面部から血飛沫が舞う。だがまだ息があるようで、先程よりも苦しそうな呻き声を上げている。

 そして三度目。最早呻き声を上げることは無くなったものの、未だに腕や足がピクピクと痙攣している。

 四度目。五度目。六度目。七度目――――


 もう何度目かすら分からなくなった時、オークが持ち上げて、落として。また持ち上げて、というループを止める。

 その拍子に、エルの顔面がファキラの方へ向く。いや、違う。顔面ではなく、先程まで顔面だった肉と骨と血の入り交じった不気味な塊だった。

 オークは、それを踏み潰すと、こちらへ向かってくる。


「あ、ああ、に、にいぃぃげぇぇ、なぁぁあいぃぃ、とお、おおお、ま、ま、まずぅぅぃい、いいいぃぃぃ」


 逃げなければ不味い。反射的に、ただそう云おうとしただけである。

 だが口から出てきた言葉は、酷く遅く(・・)、何を云っているのか自分でも理解が出来なかった。

 何秒か経過し、漸く自分が云いたかったことを理解する。

 自分の云ったことすら、その意味を理解するのに時間を要するという、まるで寝ぼけているかのような、あまりに遅い思考(・・・・)


 その間に、気付けばオークが目の前にまで迫っていた。

 殺される。そう思ったのはオークが目前に迫り、更に何秒かが経過したときだった。


 ファキラの体に震えはない。さっきまであった手の震えはいつの間にかおさまっていた。

 その代わりなのか、体は硬直(・・)してしまい全く動かない。


「あひゃひゃひゃ、うひひひいぃぃぃぃいいい。ああ、エルがぁあああ、エルが死んでるうううう。うああああぁぁ、なんでぇえええだぁああ、あ、あは、アハハハハ、ハハハハ。嫌だあぁぁ、死いぃにいぃぃたあぁぁあくぅうう、ね、ね、ねえぇええ」


 突然の大声に後ろを振り返ると、ウェルダンが何かを叫んでいる。笑っているのか、それとも泣いてるのか、コロコロ変わりよく分からない。

 デイは白目を剥いて口から涎を垂らしながら、地面に仰向けに倒れていた。


(なんだぁああ。し、しに、死にたく、な、な、い、か、か。何いってんだぁ、あいつはぁぁぁ。お、おもしれぇええ。あ、あ、デイはぁぁ、うざいぃぃからぁぁぁ、しぃぃいなぁないかぁなぁああ)


 ファキラはその言葉を数十秒の間ゆっくり咀嚼し、一部意味を理解すると、それに対して無茶苦茶な感想を心の中で抱く。

 もう既に、思考すら遅く(・・)、そして統一性がまるでない。だが本人はそんなことにはもう気付かず、ただ目の前の光景を嘲笑い、時には理由のない殺意や悲しみを抱く。


 どれ程経ったのか。本人は既に忘れているが、オークからの攻撃が未だに来ていない。

 忘れているために、それを確認するとは無関係に前を向いたファキラの目にまず映ったのは、地面に倒れた豚――オークだった。


 だがファキラに、その事を理解することは出来なかった。

 あまりに遅すぎた思考は、考えている最中にその考えているそのものを忘れてしまったのだから。


 瞼が、段々と落ちてくる。そして硬直が無くなったのと同時に、ファキラは立つこともままならずに地面に倒れた。


 ふと、足音が聞こえてくる。

 コツコツと、一定のリズムを刻みながら。


 外部からの刺激のせいか、ほんの僅かではあるものの、思考の速度が戻る。

 もちろん、とは云ってもほとんどないに等しいものだが。


「……実に、実に素晴らしい。正に感激、の一言だな」


 ファキラの視界に映ったのは、漆黒のローブを身に纏った、その声から男であろうと思われる人物だった。

 しかしどのような原理か、男の体は白い霧のようなもので包まれており、顔どころか全体すら見ることは難しい。


「……しかし、微かとはいえ、まだ意識が残っているのには驚かされる」


「…………」


「……まあ、まだゼロの『能力(スキル)』が未成熟であるのも原因の一つであろうが、やはりこの世界の人間の持つ耐久力には、驚異を感じざるを得ないな」


 男の喋っていることは、ファキラには全く理解が出来なかった。それを分かっていないのか、それとも分かっていて喋り続けているのか、それは分からないがその男はまた喋り始めた。


「……だが、私は運がいい。これで、計画(・・)の大部分が省ける。貴様らは、実験材料として、非常に参考になった」


「…………」


「……しかし、残念だったな。今回に関しては、何もお前達が悪かった訳ではない。ただ、運が悪かっただけだ。お前達の実力は高かった。今まで侵入してきた者達の中でも、トップクラスに入れるだろう。……だが、ゼロの能力(スキル)『イレウス』の前では、そんなものはほとんど無意味に等しい」


「…………」


「……仮に、お前達があれ以上進めば、或いは助かっていたかも知れないが、被害は決して小さなものではなかったはずだ。……ある意味、どちらに進もうとも、結末に大きな差はなかっただろう。ただ、お前達の悪いところを強いて上げるなら、実力不足、だ。もしもお前達が優れた感知能力と、圧倒的な実力を持っていたならば、私とゼロでは太刀打ち出来なかった。……まあ、それほどの実力があれば、こんな所には来ないだろうがな」


「…………」


「……しかし、心配することはない。既に、ゼロの能力は解除されている。いずれ、お前達も意識が戻るだろう。……その時には、ゆっくりと話をしようではないか」


 ファキラはそこまで聞くと、今度は完全に瞼を落とした。











時系列的にまだ『クライシス』の面々は帰ってきていません。

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