迷宮レベル24 殺戮の初動
所々に緑色の苔とも、カビとも判別がつかない気色の悪いものが付着する、木製の小屋がある。
その小屋の扉の前で、高身長の一人の女性がその扉をノックをした。
そしてどれ程経ったか、小屋の中から人の足音が聞こえたと思うと、扉が開き一人の男が顔を出す。
「ああん? 今こっちは忙しいんだよゴミが! ぶっ殺されてえのか? 誰だてめえ……は…………」
顔を出したのは、如何にも凶悪そうな男だ。
睨むだけで人を殺せるのではないかと思わせる鋭い目付き。スキンヘッドの頭と低い鼻、そして無駄に整えられた無精髭が絶妙なバランスを取り合い、その顔つきをこれでもかと云うくらいに凶悪にしている。
威勢よく放たれた怒号は、しかし女の顔を見るにつれて段々と弱まり、挙げ句言葉を止め、顔を青ざめ震え始めた。
対する女性はただひたすら無表情である。
「あ、ああ、あ――め、メリハの姉御!?」
女性に対して確認するような口調で訊ねる。いや、答えは既にわかっているのだろう。その表情には恐怖が混じっていた。
そして女性――メリハは、そのか細い手を男の頭へと伸ばし鷲掴みにすると、力を込める。
「う、ぎぃいぃいいい――」
余程痛いのか、顔を悲痛なものへと変え、地面に膝をつく。だがメリハに容赦する様子は微塵もなく、それどころか更に力を込めると、腕を上へと持ち上げる。
それに釣られる形で、大の男が宙へと浮き上がる。
女性の手によって頭から持ち上げられる。それは非常に異様な光景であった。
「久し振りね。それよりも、いつから私にそんな反抗的な態度をとるようになったのかしら? そんなに、殺されたいの?」
また指の力が強くなる。男は既に抵抗すら録に出来ず、顔を真っ赤にし、目は半分白目を向きかけている。
それを冷酷な目付きで眺めたメリハは、男の腹を、勢いよく蹴り飛ばす。
その勢いに比例するように、男は扉をぶち壊し小屋の中へと吹き飛んでいった。
そして直後、小屋の中から別の男のものと思われる声が、メリハの元へ聞こえてくる。
「ボルク!?」
扉の直線上に位置する小部屋にいたもう一人男は、吹き飛んできた男――ボルクを案じた後、扉があった場所へと顔を向ける。
瞬間睨み付けたが、顔がはっきりしていったのか、時間が経過するにつれて、その表情は険しいものへと変わり、やがて顔色が真っ青に変わる。
「メ、メ、メリハの姉御!!? な、なぜここへ!?」
その質問に、メリハは無言のまま一歩一歩ゆっくりと、二人の元へと歩み寄る。
そして二人との距離があと三歩ほどのところになった時、メリハが口を開く。
「ぐっ、うっ、じぇ、じぇいくが、じぇいくがぁあぁああああぁああ――――」
急激なメリハの変貌に呆然とする二人を尻目に、メリハの瞳からは、大粒の涙がこれでもかとばかりに流れ落ちていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
暫く泣き叫び、暴れ回ったメリハを宥めた二人は、漸くメリハに事の詳細を聞けることが出来るようになるまで落ち着かせることに成功した。
「それで、ジェイクの坊主が死んだって……本当なんですか?」
恐る恐るといった風に、まず始めに口を開いたのはボルクとは別の男。
青い髪を肩まで伸ばし、ボルク同様に整えられた無精髭は、そのスラリとした体型に、ボルクとは別の意味で非常にマッチしている。
名をカーベという。
カーベとボルクは、ここら一帯をたった二人で仕切る、やり手の盗賊である。
「ええ……本当よ。だけれど、ここで感情を吐き出すつもりはないわ。さっきは不覚にも泣いてしまったけど、もう平気よ」
「そ、そうですか。ではつまり、今日ここに来たのは――」
「そう、貴方達に私の復讐の手助けをしてもらいたいの。私の能力は基本的に相手が一人で本領を発揮する。もしも敵が複数いた場合、貴方達にそいつらを足止めしてほしいから。強制はしないけれど、頼めるかしら?」
不敵に笑うメリハに若干の恐怖を覚えながらも、カーベとボルクは力強く頷いた。
「もちろんです! 姉御のため、そして、ジェイクの復讐のため。このボルク、地獄の果てまでついて行く覚悟です!」
「同じく、自分も姉御とジェイクのため、どこまでもついてゆきます!」
この二人の覚悟は、決して嘘や建前などではない。
二人はメリハに最大級の尊敬の念を抱いており、もしもメリハのために死ねと云われれば、躊躇いもなく死ぬだろう。
もちろん、自殺願望があるわけでもなければ、死にたいとすら微塵も思ってはいない。それなのに、ここまでの覚悟を抱かせるのは人徳か、それとも別のナニかか。
「ありがとう。その言葉が聞けて何よりだわ」
することなどあり得ないが、もしもここで拒否などすれば、死よりも辛い目にあっていたのであろう。そう予感させるまばゆい微笑みが、そこにはあった。
「けど姉御、その敵ってやつはどこにいるんですか?」
「それについては心配はないわ。既に大体の位置は掴んでる。……けれど困ったことに、詳細が分からないの」
その答えに、カーベがシワを寄せ質問を口にする。
「詳細が分からない、ですか? 姉御の能力でも?」
「ええ、そうよ。エディシス辺りってことは分かったのだけれど。……恐らく、敵は何らかの重要性を持った人物。そのせいで上手く探し出せないんだと思うの」
カーベとボルクは、メリハの能力の詳細を思い出す。
メリハの捜索、予知系の能力は、今後の歴史に及び世界に深く影響する人物についての詳細は探りにくくなる。という制約があったはずだと。
「ま、それがどうであれ俺たちのやることに変わりはありません。取り敢えずエディシスまで行くとしましょう!」
「そうね。あ、忘れていたけど昨夜変な集団、っていうか多分盗賊に襲われたんだけど」
椅子から立ち上がる途中で、メリハがそういうと、チラリと二人に視線を向ける。
「いえ、俺達は何もしりませんよ!?」
ボルクは、慌てて自分たちではないと主張するがその同様っぷりは凄まじく、完全に自分がやりましたと云っているようなものである。
しかし、二人とそれなりに長い付き合いであるメリハは、勘違いなどはしない。
「そんなこと分かってるわよ。それでその中になんか意外に活きのいいのがいたんだけど、殺しちゃって良かったかしら?」
それを聞いた二人は暫し考え、そして納得したかのような顔になる。
そして一番最初に思い出したカーベが返答を口に出した。
「あー、あいつですか。別にいいですよ。どうせ大して強くもないですし。あの程度なら十人いたとしても自分一人で瞬殺ですよ」
「そう、いらないので良かったわ。それじゃあ、行きましょう」
二人は同時に頷き、小屋を捨て外へと出ていく。
ここを捨てるのに迷いなどない。
ただ一つ気掛かりであったのは、メリハの情緒が異常に安定していたと云うこと。
まるで全てを捨て去ったかのように晴れやかなあの顔は、メリハを誰よりも知る二人には不思議で仕方がなかった。