迷宮レベル23 『魔女』
時系列的にはベェネがフィルの迷宮に挑んでいた頃です
一人の女性が夜道を歩いている。
夜道、といっても町の中ではない。辺りを照らすのは月明かりのみの、静まり返った森の中を、である。
その女性は髪の長い、気品溢れる非常に美しい女性だ。少しばかりほっそりとしているものの、肌は粉雪を連想されるほどに白く美しく、髪はいつまでも見つめていたいと思わせる深い黒に染まっている。
美しい蒼色の瞳は、非常に整ったその顔の造形と合わさって、見る者を魅了させて止まない。
そしてそんな女を、欲情の眼差しで見つめるのは数名の男達。
彼らは一様にして薄汚い格好をしており、ギラついた瞳からは醜悪なものを感じさせる。
その中の一人の男、他の男達とは比較的綺麗な服を着ている人物がいる。
彼の名はエブル。
口元や顎から好き勝手に伸びる汚ならしい髭は、長らく剃っていないのが窺える。
しかし薄い服装から垣間見ることが出来る鍛え上げられた肉体から、ただの浮浪者ではないのは一目瞭然だ。
手に所々ボロが目立つ短剣や斧を持っただけの他の男達とは違い、エブルだけは立派な装飾のされた剣を鞘にいれ腰に下げている。
エブルを含めた約七名の男達。彼らは皆盗賊だ。
ここら一帯を通る商人や旅人を襲い荷物を奪ってを繰り返している。
もちろん、傭兵や自警団が動き出さない程度に襲うのを抑えているため、稼ぎはいいとは云えないが、幸いにも今日までは悪くない生活を送っている。無論、他の盗賊達に比べたら、の話だが。
エブルは元々、とある巨大な盗賊団の副団長を務めていた。
その盗賊団は様々な悪名が轟いており、優秀な団長や副団長からなる組織力は固く、自警団ですら手を焼いていた。
だがそれが永遠に続くにべもなく、ある日エブルのミスにより逃走が失敗、そしてその結果盗賊団は
壊滅、団長は殺され僅かに残った他の盗賊達もちりじりになった。
運良く生き延びたエブルであったが、その後の生活は生易しいものではなかった。
副団長ほどの地位にいたのだ。何日間も追手から逃げ隠れた。
して漸く、追手を撒きたどり着いたのがここである。幸か不幸か、ここには盗賊としてここらを仕切るカーべとボルクと名乗る二人組の男がいたため、部下になるという条件で手下を貸してもらっているのだ。
「てめえら、まだ動くなよ」
小声で他の男達に指示を出し、目を細めて女を観察し始める。
一度自らの失態で盗賊団を壊滅にまで追い込んでしまったものの、エブルは優秀な部類だ。
襲う相手を見定めるときには決して手を抜いたりはしない。
慎重に、油断をせず、罠の有無を確認する。
勝てると思えば一気に攻め落とし、無理だと思えばすぐに退散する。これが鉄則であり、狩る者の定めでもあるとエブルは思っている。
また、エブルは強い。巨大な団を纏める団長の補佐役である副団長として必要だったのは指揮能力と、何より高い実力であった。
その証拠に、以前Dランクの四人組冒険者パーティーを、たった一人で皆殺しにした経験もある。
そしてそんなエブルの最も得意とする作戦は奇襲。そのため、罠などに酷く敏感であった。
(罠は……無いみてえだな。女自身からも魔力は一切感じられない。全く、今日は運がいい。あれだけの上玉とヤれるなんてな)
安全を確認したエブルは、興奮によって今にも爆発しそうな自分を必死に抑え込み、男達に指示を出す。
「てめえら、行くぞ!」
声は抑えられていたが、しかし全員に聞こえていたらしく、待ってましたとばかりに、意気揚々と女を取り囲んだ。
取り囲むのは安全の為。下手に襲い掛かって相手が必死の抵抗をし、尚且つ武器を持っていた場合の事を考え、無抵抗で捕まえるためだ。
「へへへ、こんな上玉、初めて見たぜ」
「ああ、ヤっちまうのが待ちきれねえよ」
口々に聞こえる言葉とこの状況から、この後この女性がどうなるのかなど、容易く想像できた。
それは第三者であろうと、当事者であろうと同じであろう。
しかし、女は何も云わない。何もしない。
ただひたすらに、盗賊達を見つめている。
普通、突然のことで状況が分からなければ慌てるだろう。状況が理解できていれば逃げ出すはずだ。
逃げ出せないと分かれば絶望しその身を恐怖に震わせたとしてもおかしくはないだろう。
だが違う。ただ見つめているだけなのだ。自分達を観察するように。
その事に、エブルは違和感を覚える。
「ふふっ」
突然、女が笑う。
ただ笑っただけだと云うのに、それは気品と妖艶な色気が混じりあった不思議な微笑みであった。無意識に、元々高ぶっていた欲情の波が、それに反応するように一層高まった気がした。
しかし同時に、エブルの背筋に冷たいものが走る。
何故笑ったのか。理解が出来なかった。いや、女が自分の置かれている状況を理解し、おかしくなったのかもしれない。
だが、エブルにはそうは思えなかった。そして瞬間後、その予想が当たっていたことを知る。
「ふふっ、アハ、アハハハハ! さっきからチラチラうざったいと思ったら、自分達から出てきてくれるなんて! 全く、運がいいわぁ」
端からみればどうみても女が絶体絶命なこの状況。しかし女はその美しい表情を歪めて笑っていた。
そしてその口振りは、あたかも始めから気付いていたとでも云うようなもの。
すぐさま妄言だと切り捨てたいエブルであったが、女から発せられる不気味な雰囲気がそれを許さなかった。
だがすぐに持ち直す。それがどうしたというのだ。いくら不気味であろうとも、目の前の女からは魔力は一切感じられない。そして周囲に人の気配は全くない。
気圧されかけていた自分を恥じ、気を立て直す。
「たく、きみがわりい。てめえら、取り押さえろ。だが気を付けろ、何か持ってるかもしれん」
それに反応して、男達が女の元にジリジリと女の元に詰め寄る。皆一様に笑っており、不気味さよりも、今後のことしか頭にないように見えた。
――僅か、一瞬であった。
それは認識の範囲を軽く越えていた。
女の姿が、ブレた。
そして女に近づいていた男の腕が、いつの間にか消えていた。
いや、消えたのではない。何故なら女が、その男の腕を手に持っているのだから。
「え? なっ、ギャアアぁあぁあ――」
突如女の手に表れたその腕に驚き、反射的に自分の腕を確認してしまった男。
そして、何故自らの腕がと思うより先に、痛みが彼を襲ったのだろう。
肩口から消えて無くなったその傷口を、残ったもう片方の腕で押さえ、地面にのたうち回っている。
「アハハハハ、ばっかねぇ。わざわざそっちから死にに来るなんて。いいわぁ。お望み通り、無惨にいたぶって殺してあげるわよぉおぉおお!」
女が動く。いや、消えたと云うべきだろうか。
何が起こったのか、その理解が出来ていなかった周囲の男達の内一人の足が――――消し飛んだ。
片足となったことでバランスが取れなくなると、男は重力に逆らえなくなり、地面に崩れ落ちる。
悲痛な叫び声が増えと共に、女は愉しげにその場でクルリと、華麗に回る。
「アハハハハハハハハ! さぁて、つっぎは――――」
女の美しい瞳が、エブルを捉えた。
咄嗟であった。そう、咄嗟にエブルは、考えるよりも先に、反射的に剣を抜き剣を振るった。
何故そんな行動をとったのか、それは本人ですら分からなかった。
生存本能を刺激されたためなのか、恐怖に刈られただけなのか。
しかしその結果はエブルにとって、まさに幸運と呼ぶしかなかった。
目に止まるとこのない速度でエブルに迫っていた腕を、その剣撃によって、叩き切ったのだから。
だが女の悲鳴はない。それは当然。エブルが叩き切った腕は、先程の男のもの。女は目の前に、ごく自然な体勢で佇んでいる。
「へぇ、やるじゃない。少し、遊んであげるわぁ」
冷や汗が、止まらない。
女が手を伸ばす。
さっきまでは触ればすぐにでも折れてしまうのではないかと思われた、女の可憐で細々とした病的な白さの腕が、今では悪のごとき死を撒き散らす最悪の凶器に見えて仕方がなかった。
ここから先は、一瞬だ。
女は油断をしている。それが唯一の勝機であり、死を回避する最高のチャンスでもあるのだ。
全身全霊をかけて次の攻撃を見極め、女に剣を突き立てる。それが出来なければ死ぬのだ。
圧倒的強者と相対したエブルの感覚は、かつてない程までに高まっていた。
感覚だけではない。闘うための全てに置いて、今が最高潮に達しているのが自分でもよく理解出来た。
今ならば、どんな剣撃であろうと、避ける事が出来ると、そんな自信が沸々と絶え間なく沸き出してきた。
「んー、それなら、これなんてどうかしら? ――『見るも無惨に切り刻め』」
しかし女の行動は、予想の遥か上を行く。
先程まで感じることの出来なかった魔力が、今度は痛いほどの実感を伴ってエブルの肌に突き刺さる。
その顔を驚愕に歪めるが、そんな時間はないと悟る。
そして女が無詠唱にて呪文を紡いだ直後、目の前が歪んだ。
恐らく、風系統の魔法だろう。周囲に発生した砂を巻き込み、幾つもの歪みはエブルの元へと迫る。
普段であれば間違いなく避けることはまず不可能であったその連撃だが、今のエブルの感覚は尋常なものではない。
異常な早さで迫り来る、砂が混ざりいった必殺の鎌鼬。それを――エブルは紙一重で避ける。
避けたはいいが、鎌鼬は一つではない。
何もせずにいれば、腹を裂かれ内蔵ごと切り刻まれることが簡単に分かるほどの威力を持った無数の鎌鼬が、更にエブルを襲う。
剣で威力を殺し、横に体をズラす。弾けた鎌鼬とからは高速で舞う砂の粒が体の至るところを削る。だが、エブルには動揺の欠片も見られない。
無数の鎌鼬が舞うその中心で死と隣り合わせの回避劇を行っているエブル。何故直撃しないのか不思議に思えるその光景は、どこか幻想的なものを感じさせてならなかった。
死を振り撒く鎌鼬の群れが過ぎ去った数秒後、遅れたように後ろの木々が倒れた。
その群れの中心にいたエブルの体は、そこらかしこに浅い切り傷が見られるものの、それだけだ。重傷は見られない。
そして、奇跡と呼んでもいいほどの回避を見せたエブルに、女は目を丸くする。
しかしその表情はすぐに消え去り、その口元には悪魔のような微笑みを浮かべている。
「アハハハハっ! なによ、案外面白いのがいるじゃないっ! それじゃあそんな貴方には、特別にご褒美を上げるわぁああぁあ――『クリュメノス』!」
女は掌をエブルに向ける。女の最後の言葉を聞いた瞬間、エブルの脳が、存在が、震えた。
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