迷宮レベル21 ティータイム
迷宮都市エディシス。
この都市は他の迷宮都市に対して、比較的新しく出来た町の部類に挙げられる。
もしエディシスを上空から見下ろした場合、一目で分かるのが、町の形状が円形だということ。
そしてその全体を高さ十五メートル程の壁に囲まれいることだ。
また町の中心部に位置する場所に建つのは一際目立つ豪邸。中心部にあるのに相応しいと思わせるこの建物は、この町の税や自警団、果ては商人ギルドや冒険者ギルド、傭兵ギルドに到るまでの、町の一切を取り纏め仕切る、この町の領主が住まう邸宅だ。
北側の大部分は主に住宅街や歓楽街であり、それがエディシスの半分の敷地を取っていると云ってもなんら間違いではない。
住宅街に住むのは様々な者達だ。豪邸に住む豪商もいれば、普通の商人、冒険者や冒険者の家族、町で働く人々など。また旅人や金のない冒険者や傭兵に人気の宿などもかなりの数がある。
そしてこの町を構成している残りの半分は、主に店や市場など。
特に市場は数多くあり、町へ商人が品物を入荷するとかなりの賑わいをみせる。
また中心部から南方へと進むと見えてくるのが、他の建造物と比べても一際大きい建物だ。
『冒険者ギルド』。
そう呼ばれるこの建物は、市場などがある場所に近い。その理由はポーションにあり、盗賊など犯罪者の容易な使用を防ぐための管理の意味合いで、現在独占に近しい状態となっている。
しかしその組織としての勢力的に、それを止めされることはほぼ不可能だろう。
そんな冒険者ギルドだが、この組織の仕事は主に迷宮で獲た魔石の買い取りや保管、迷宮の管理や調査やランク付けなど。基本的に冒険者にとって、いなくてはならない存在だ。
また仕事上機密事項や魔石などを扱うことがあるため、冒険者ギルドの職員に就くための審査は厳しいものとなる。
冒険者ギルドでの仕事の種類は、大きく分けて二つに分けられる。
まず一つ目。
表には出ず、ギルドに来た依頼の処理や運営に関わる書類の整理などを行う、所謂裏方の仕事だ。
また、ギルド長もギルドの運営やお偉方との交渉などを仕事とするため、こちらに分類される。
ちなみにこの仕事は優秀かつ信頼の置ける人物が求められるが、その分給料の方は高額なのでかなり人気な職業だ。
次にもう一つ。
それは受付として仕事。もちろん受付と云ってもただ接客のみにひたすら没頭するというわけではなく、魔石の買い取り査定や冒険者が依頼を受ける際の受注処理、その他雑務などを行う。
こちらは正直に云ってあまり大した能力がなくてもこなせるため、給料は一般的なのだ。
また裏方の職員または受付職員の中で優秀な者――或いはギルド長などの眼鏡にかなった人物は、他の職員を取り纏める役職に就くことが出来る。
管理職――つまりそれぞれの仕事の上位職であるこの纏め役は、給料はもちろん他のあらゆる面で他の職員よりも優遇される。
そんな纏め役――副ギルド長になれる人物は、大抵が裏方の職員となる。
当たり前だ。優秀な者が成りやすいのなら、当然優秀な者が集まりやすい裏方の職員が副ギルド長として求められるのだから。
だがどんな場合にも例外というものはあり、ここ冒険者ギルド【エディシス支部】もその例外の一つだ。
ジリー・キッツィネス。
今年で三十歳を迎える彼女は、受付職員から副ギルド長へと抜擢された驚くべき人物だ。
彼女は決してギルド長に取り入ったわけでも無ければ、裏方に回れるほどの能力も持ち得ていなかった。
しかし唯一。
彼女は優秀だった。
勤勉で直ぐ様仕事に慣れるとテキパキとそれも正確に周りに指示を出していた。自分での判断能力もありつつ、それだけに頼らない上の指示を仰ぐなど、優秀な素質を備えていたのだ。
ゆえに、ギルド長は彼女を抜擢し周りもそれに文句を云うものはいなかった。
そんな実力だけで副ギルド長まで上り詰めた人物――ジリー・キッツィネス。
只今重要な書類にサインをしている彼女だが、とある心配事があった。
もちろん副ギルド長たるもの心配事ならば山ほどあり、普段のそれに比べれば今抱えている心配事など些細な事なのだが、それでも気にならないと云えば嘘になる。
その原因は、彼女が今朝方、ギルド長から出された指令にある。
内容は別に緊急でもないが、とあるパーティーがギルドにやって来た時にある伝言を伝えて欲しいとの事だ。
そのため、そのパーティーが来た場合には自分に連絡するよう他の職員に云い聞かせてある。
しかし、そこが彼女の心配な所だ。
現在の受付職員の中には、ある若い女性が担当している。
最近雇ったばかりの新人職員なのだが、これがどうした訳か、あまりにヘマが目立つ。
確かに自分もミスをするときがある。慣れなければ仕事とはなかなか上手くいかないものだ。
だがそれを踏まえても、周囲と比較しても、彼女のヘマはなかなかに酷いものである。
あるときは魔石の買い取り価格を破格で買い取ってしまい、あるときは重要な書類にコーヒーをぶっかけ、あるときは依頼の内容を間違えて記載し、危うくギルドに損害を与えるところでもあった。
他にもかなりの数のミスがあるが、ジリーはそれらを含め手く立ち回り、問題を公にしないようにしてきた。
それもまだ新人だったからだ。
だが次はない。いくら新人とはいえこれ以上のミスは許さないつもりでいた。
それと同時に、彼女にも伝えたあの指示はごく簡単なものだが、それでも何か大きなミスをするのではないかと思わせてならなかった。
そんなことが起こらないよう祈りながら仕事を続けていると、受付の方から甲高い悲鳴が聞こえてきた。
ジリーは手を頭に当てると、溜め息をつきながら受付へと向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
冒険者ギルド【エディシス支部】の受付職員を勤める彼女は現在、少しだけ眠たかった。
もちろん彼女は仕事中に居眠りなどしない。今までも、そしてこれからもだ。
だから今うつ伏せて目を閉じているのは決して寝ている訳ではない。現に意識もしっかりとしている。
これはそう、仕事に全力で取り組みそして疲労した自分の体を休めているだけなのだ。
最近は本当に忙しかった。それなのにどういう訳か上司が機嫌が悪く、自分に当たってくるのだ。
尊敬はしているが、私情で部下に当たるなど仕事に支障をきたすから止めて欲しいものだ。
彼女はそう考えながら体の力を抜いていく。
ヘレナ・バックスィチゥ。
彼女の名だ。そして将来は副ギルド長へと昇格し、果てはギルド長まで上り詰める夢をその貧しい胸に抱く。
「あのー……」
近くで声がした気がするが、ヘレナには関係ないだろう。よく分からないがそんな気がした。
「あー、ちょっといいかな?」
今度は声と共に肩を叩かれた。
タイミングが悪かったのだろう。いや、それとも状況か。
なんにせよ今ここで重要なことは、彼女が肩を叩かれたということ。
そして寝ぼけていたことか。
それにより、一気に彼女の意識が覚醒する。
顔を上げた先、そこにいたのはごく平凡な顔つきの男。だがその横、そこには厳つい顔をした巨人が。
(ば、化け物……!? やべえ、喰われる!?)
寝起きに突然そんな顔を見たヘレナが、そう思ってしまったのは仕方のない事だろう。
そして反射的に、近くにあったコーヒーカップを男に投げつけたのも、仕方の無いことなのである。
「きゃああああ――――」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
現在、イガルデとハデルバートは二人でギルドに来ていた。それはもちろん、魔石を換金するためだ。
だがそこで、イガルデは驚愕していた。
冒険者として、それなりのことでは驚かない自信はある。
もちろんその心構えは臨戦状態の時だけではなく常にだが、やはり町の、それもギルド内ということで少しばかり油断していたのかもしれない。
イガルデを驚かせたのは目の前に広がる光景だ。
同じパーティーの、それもリーダー努める男――ハデルバートが今、何故か受付嬢に投げつけられたコーヒーで全身茶色くなっていること。
(うむ。この列だけ空いてるから何か嫌な予感はしたが、こうなるとは……)
「隊長よ。……無事であるか?」
取り敢えず無事なのは分かっているが、問題はそれではない。しかもこれを起こした張本人が被害者面で叫ぶものだから、周囲にいた冒険者達の殆どがこちらに注目している。
果たしてこの男は怒るのだろうか。イガルデはハデルバートが怒った瞬間を見たことがない。
戦闘中なども冷静さを決して欠かず、プライベートでも怒ったことなど、付き合いがそれなりに長いイガルデですら見たことがないのだ。
だがこれはどうか。いきなり湯気たつ熱いコーヒーをぶっかけられ、更に張本人は謝るどころかきゃあきゃあと叫びながら助けを呼んでいる。
これは流石に怒ってもいいだろう。
少し、いや、それなりに期待しながら結果を見守っていると、
「ヘレナ!」
奥の方から怒鳴り声が聞こえてきた。
それと共に出てきたのは女性だ。
恐らく三十歳前後だろうと予想されるその女性――副ギルド長は、目の前の光景に絶望の表情を浮かべてナワナワと震えていた。
「ヘ、ヘレナ……貴女は一体……」
怒鳴り声がした瞬間から叫び声をピタリと止めた受付嬢は、表情を強張らせると説明もとい言い訳を始めた。
「ジリーさん、これは違うんです! この巨人がいきなり私の目の前に現れてですね、私の事を食べようとしてきたんです! だから私は仕方なく――――」
「ヘレナぁ!!」
「ひっ」
イガルデを指差し、何故か自信満々に話していた酷すぎる言い訳の途中で、ジリーはキレた。
まあ当たり前だろう。周囲はそれを聞き何人かが腹を抱えて笑い転げていた。
イガルデはというと、その話の内容に再度驚愕していた。
リーダーがコーヒーをぶっかけられた理由が、まさか自分にあったとは。
(いや、その前に喰おうとなどした覚えなどないのだが……)
だがそんなことを云える雰囲気では無かったので云わなかったが。
「ヘレナ、今日は帰って明日私の事務室まで来なさい」
「えっ、でも……」
バカな! とでも云いたげな表情になるヘレナ。しかしジリーはそれを意に返さずヘレナを睨み付ける。
「これは上司としての命令よ、早く云う通りにしなさい」
「は、はい」
仕方なしといった風に頷くと、トボトボと後ろへ下がっていった。
それを見終えたジリーはハデルバートの方へ向き直ると頭を下げた。
「本当に、申し訳ございません。服などはこちらで弁償させていただきます。また慰謝料なども……」
話途中だったが、そこでハデルバートはジリーの言葉を遮る。
「いやその必要はない。それよりも……早く魔石を換金したいのだが」
「えっ、あ、はい。か、畏まりました」
その落ち着いた様子にジリーは驚くも、それに応える。
そしてハデルバートは腰のポーチにしまっていた、大量の魔石が入った袋を渡すと、
「ではこれを頼む。明日辺りなら査定は終わってるか?」
イガルデ達が集めた魔石の数は相当に多い。そのため査定には時間が掛かるだろうと踏んだハデルバートはそう尋ねる。
「はい、もちろん。それと、これをお読み下さい」
それに答えたジリーは小さな一枚の紙をハデルバードに渡す。
「……了解した。ではまた」
「はい、本日は申し訳ございませんでした。今後このような事が起こらないよう努めます。ではまたのお越しをお待ちしております」
お互いにそう交わすと、ハデルバートは出口へと向かっていった。
イガルデはハデルバートの怒った姿を見れなかった事を少し残念に思うも、こんなものかと納得してハデルバートへと続いた。