迷宮レベル20 『獣畜遺跡』
迷宮レベル12参照
瓦礫が到るところに転がっている、草臥れた古代の都市のものとおぼしき遺跡がある。
精巧に、石や煉瓦で造られた家や柱などが建ち並ぶその光景は、荒れ果ててはいるが以前はそこが栄えていたのでは、と思わせる。
また、整備され整った石畳の地面は、非常に見事な仕上がりであり、家などの建造物も合わせて、相当に高い技術が無ければ再現するのは不可能だろう。
ここは『獣畜遺跡』。
そう呼ばれるこの場所は、Cランク迷宮に分類され、エディシス周辺の迷宮の中で、最高難易度の迷宮でもある。
この迷宮の構成。
まず第一層だが、基本的に何処からでも侵入可能で、それに伴い出ていくのも何処からでも可能だ。
天井が無いため、空から侵入するのも問題はない。
だがそれはあくまで第一層までで、第二層に到達するには第一層にある下層へと続く扉を見つけなければならない。
しかし行き着いた先、第二層以下にも天井は存在せず、第一層と同じ空の景色が見えるのだが、それは見せかけだけで、実際には限界がある。
扉であるが、低ランクの迷宮などであれば、扉を開ければ下層への階段が待ち構えているのだが、Cランク迷宮ともなると当たり前のように、魔物の『大物』が待ち構えている。
そしてそれは各一階ごとに。
そもそも、迷宮の上限階層はランクによって決まっている。
これはどんな迷宮も当てはまることで、Fランクが三層、Eランクが五層、Dランクが十層、Cランクが二十層となっており、つまるところこの『獣畜遺跡』には大物が二十体いるということだ。
そんな迷宮の深層に踏み込む者は、極めて少ない。エディシスから徒歩一日、往復で二日以上の長い距離に加えてエディシス自体にこの迷宮で稼げるほどの実力を持つ者達が少ないのだ。
中には実力はあるが、安全を採って敢えていかないと云う者たちもいるのだが。
そして今まさに、この迷宮に挑んでいる者達がいた。
「そっちに三匹だ! 任せたぞ!」
遺跡の通路を駆けながら――見た目は至って平凡としか言い表せない――一人の男が、離れたところに佇むもう一人の男に向かって叫ぶ。
指示を出された方の男は、まさにそれとは正反対に、印象的な外見をしていた。
その身長は凡そ二メートル。武器の類いは一切持ってはいないが、それだけである種の威圧感を発しているその鍛え上げられた筋肉は、武器を持たずとも問題は無いのではないかと思わせる。
黒と若干の白の混合色で織られた布製の衣服――袈裟を身に纏った、一見して僧侶または、修行僧であるのが分かる男が、指示を出した男のその意を汲み取ると即座に臨戦態勢へと入る。
「フッフッフ! よかろう、来るがいい!」
武器を持たず、素手の構えを取る男。
男は奇妙な笑い声を上げると、こちらに向かって迫ってくる敵に神経を集中させる。
迫り来る敵の姿は一見すると黒い狼のようにも思えるが、その巨駆と顔面部がそれを否定する。
顔や脚の部位は凡そは熊のようであり、他の部分は狼のような造りとなっている。
それはまるで、熊と狼が混ざりあったかのような姿だ。
名を『黒狼熊』と。
主にCランク迷宮でよく見かけられる種であり、体格のわりに動きが素早く、機動性に優れていることで有名な魔物だ。
更に個体としての力も高く、その総合的な実力はオーガをも上回る。
それが三匹。男に向かって、猛烈な勢いで迫っているのだ。もしもこの場面を第三者が見れば間違いなく、この人物の死を想像したであろう。
だが男は笑う。まるでそれが楽しみで仕方ない、とでも云いたげに。
ここで重要なのが、向かってくる敵は三匹だが、その三匹全てが完全に同じ動作を採っている訳ではなく、むしろそれぞれがバラバラに散開して男に向かっているということ。
それが生み出すのは攻撃までの時間差。
「グゥルウウルウ――」
まずは一匹。
他の二匹よりもやや早く、男の元へ到達した黒狼熊は、その勢いを上手く利用し男の横へと回り込む。
対して男はそれに反応しようとはせず、拳を正面に構えたままだ。
黒狼熊の武器とは。
それは人すら簡単に引き裂いてしまいそうな、鋭利なその爪にある。
鋭さと頑丈さを兼ね備えた爪は、生半可な盾で防いだところで盾ごとバッサリと引き裂かれ、刀で攻撃したところで傷をつけるのも難しいだろう。
男の横を突いた黒狼熊は、そんな凶暴な爪を勢いよく目の前の男に振りかざし――――
「フンッッ!」
顔面部を粉砕され、脳髄を撒き散らしながら吹き飛んでいった。
いつ変えたのか。
男の体勢はいつの間にか横に向き、黒狼熊の顔面を粉砕した岩のようなその拳を突き出していた。
――武術・岩断砕。
主にモンクを筆頭に、武術家ならば使える者が多い技であるそれは、体内にある魔力を一時的に肉体強化へと回すことで、岩を断ち砕くほどの頑丈さと威力を拳に付加させる技だ。
そしてその技の使用の際に用いったものこそ、『魔力強化』。
魔術師のそれとは違い、魔力を魔法に変換してから使うのではなく、魔力をそのまま使用することを『魔力強化』と云う。
魔力強化の魔法との違い。
それはまず燃費の悪さだ。先程も云ったが、魔法は体内の魔力を魔法として変換することによって使用する。
そうすることで消費する魔力量を大幅に抑えているのだ。
だがそれを行わずに、そのまま魔力を使用すれば必然的に大量の魔力を使わざるを得ない。
次に効果範囲の差。
強化魔法であるならば、自分はもちろん他人を強化するのも自由だが、魔力強化にはそれが出来ない。
体内の魔力を操るのが魔力強化の真髄であるのだから、それも当然だろう。
しかし、なにも魔力強化は魔法よりも劣っているという訳ではない。
それは即効性。
魔力強化を使う者は必然的に接近戦を旨にしている者が多い。
その中で即効性とは何を意味するか。
そう。短期決戦だ。そして攻防ともに応用が効く。
これだ。
これを利用し、先程男がやったこと。
それはまず体の稼働部分を強化体を僅かに動かすことにより敵の攻撃にタイミングを合わせ――技を放った、それだけである。
それだけで、自身の何倍もの体重を持つ黒狼熊を吹き飛ばしたのだ。
「シィイイイイ! まずは一匹! いいぞぉ、凄くいい! 素晴らしいッ!」
男は笑う。
まだ敵がいると云うのに。いや、敵がいること自体に喜びを感じているのだから、それも当然か。
数秒のラグがあり、二匹の黒狼熊が男へと殺到する。
一匹は正面から、もう一匹は右斜め横から。
だがそれは、正しい攻撃方法でもあり、間違ってもいる。
もしもここで三匹が揃っていれば、男に多少の傷をも負わせられたかもしれない。
だがそれは仮定の話。いくら仮定の話をしようと現実は変わらない。
正面から突撃を試みた黒狼熊は、強力な顎で敵を噛み砕こうと、飛びかかったその瞬間。
待っていたかのように、男の脚が下から上へ、高速移動する。
ちょうどその範囲にいた黒狼熊はその蹴りで勢いを殺され、信じがたいことに上空へと舞い上がった。
男が次に対処すべきなのは、目前まで迫っていたもう一匹の個体。
蹴りを放ったせいで脚が上がりその見事なまでの体勢は崩れていた。
そして伸ばされた爪が、男に胴体に突き刺さった――――かのように見えた直後、
「――フ、フハハハハッ!」
男の奇妙な笑い声と共に、黒狼熊の腕がねじ曲がった。
目を疑いたくなるような信じがたい光景。
先程まで死に最も近いとされていた男が逆転、男に圧倒的に有利な状況になっていた。
――武術・間式回転。
体勢が崩れた時などに有効なこの技は、自らの肉体に対象――特に腕や脚などが――極めて接近している場合に使用可能な技で、対象が自身に当たると同時にその攻撃を体裁きでいなし、隙が出来た瞬間を狙って間接部分を破壊するのだ。
痛みと怒りで、腹の底に響くような叫び声を上げる黒狼熊だが、それは隙だ。
その瞬間を利用し男は既に体勢を立て直している。
そして、
――武術・岩断砕。
今回二度目であるその必殺の一撃に、黒狼熊は頭を爆発させなすすべなく吹き飛び柱に激突した。
二匹が男に殺到してからここまで。
この間僅かに数秒。
「これで二匹目、あと一匹であるな!」
空から落ちてくる敵を見つめ、実に愉快そうに宣言する。
そして男は、落下してくる巨体にタイミングを完璧に合わせ――――拳を振るった。
ふぅと、一息ついた男の元へ、指示を出した男が合流する。
そこには指示を出していた時にあった緊張感は既になかった。
彼らはDランク冒険者パーティー『クライシス』。
今日は遠征として、ここ『獣畜遺跡』に挑んでいた。
「よくやった、イガルデ。……もう魔石は回収したか?」
「フッ、もちろん。当然であろう」
当たり前だ。とでも云いたげに、男――イガルデはその問いに答える。
それぞれの黒狼熊を顔ごと粉砕したイガルデは、最早習慣と化した魔物から魔石を取り出すという作業を終わらせていた。
それを知らない男――ハデルバートではないが、それでも確認を取る辺り彼のきっちりとした性格を表していると云えよう。
「おっと、二人も……無事来たようだな」
イガルデとハデルバードの元へ、やや駆け足で向かってくる二人の人物。
一人は小柄で、もう一人は高身長。
子供と大人、までは行かずとも、それに近いものを思わせる。
やがて二人がこの場へ合流する。
まず始めに口を開いたのは、一見美少女のようにも見えるが、よく見ると喉仏が出ているために男と分かる小柄な人物――アデルだ。
「そろそろ時間ですね。こちらの方はなかなかいい稼ぎが出来たと思います。そちらはどうでしたか?」
「まあ上々、と云ったところだな。では予定の時間でもあることだ……ここを出て町へ戻るが問題はないか?」
彼らがここ『獣畜遺跡』の探索を始めてから今まで、約三日ほど。
稼ぎは予想していたものよりも大幅に上回っていたこともあり、ハデルバートは予定通り三日目のこの日、探索を終了し町へ戻ることを決めたのだった。
だがそんなハデルバートへ、不満の声がかかる。
「おいおい、待ってくれよ。食糧はまだ十分にあることだしさー、もう一日くらい探索しても問題はねーだろ?」
不満を口にしたのはアデルと共にこちらに駆け寄ってきた、高長身で蒼い髪が特徴的な美少年、いや、美青年――バルドゥルだ。
実際には問題がどうこうではなく、ただ単純に稼ぎがしたいだけのようだが。
「有無。拙者もまだまだ暴れ足りん! 問題だらけであるぞ、隊長よ」
それに続いてイガルデまでも不満を口にする。
しかし内容は完全に自分のために探索を続けたいという、非常に自己中心的、所謂自己中な発言だ。
「黙れよお前ら……。アデル、問題がないようだから撤収する。用意を頼む」
「分かりました。時間はどうします?」
「そうだな、大体五分ぐらいのでいいだろう」
「了解です。となると……これですね」
アデルがポーチから取り出したのは結晶。
透明だが内部に所々紫色の皹が入ってはいるそれは、どことなく幻想的なものを感じ取れる。
本来迷宮から脱け出すためには、元来たルートを引き返すのが一般的だった。
しかしそれでは、とある問題が冒険者達に残っていた。
低ランクの迷宮ならばいい。
しかし高ランクの迷宮となると大物がいる。
大物は一度倒そうと、ある程度の時間が経てば復活する。その原理は、未だ不明な迷宮の構造の一つだ。
そしてそれが何を意味するか。
簡単だ。それは大物との再戦。
そうなるとまず考えなくてはならないのが体力の配分。
何しろ十層まで行ったとして、引き返すことを考えると計二十体の大物を倒さなければならない。
そのためろくに深層まで探索することも出来ず、魔石回収率もあまり芳しくはなかった。
だがそれも昔の話。
『転移結晶』。
迷宮からの脱出を、例えどの階層からであろうと可能にしてくれる、画期的且つ夢の魔道具だった。
製造方法は一切不明。魔石から魔力を抽出する国財最重要指定魔道具、『魔力抽出機』と同様に、その製造過程及び方法は国によって厳重に秘匿されている。
そしてこの魔道具はどういった訳か、使用するとその場で迷宮の入り口に自動で転送される。
ある一定以上のランクの迷宮に挑む冒険者には、最早欠かせない魔道具だろう。
そしてこの『転移結晶』には、純度というものが存在する。
第十等純度から第一等純度までのランク訳がなされており、この純度が高ければ高いほど、転移の時間が短くなる。
ちなみに一等純度の『転移結晶』では使用から発動までの時間がほんの数秒だと云う。
だが勿論。性能がいいものほど高くなるのは必然。そのため彼らは持ってはおらず、転移結晶の中でも比較的安価なものしか所持していない。
そして彼らが今回使用するのは第七等級の結晶。
転移結晶は冒険者達に普及している。
しかし普及していると云ってもそれは高ランク冒険者にであり、やはり一般的に見てその価格は高価であった。
現にエディシスに転移結晶を持っている者はほんの一握りしかいない。
そんな中彼らがそれを所持し、尚且つ大した躊躇いもなく使えるのは、やはりそれだけの実力も財力を持っているからだろう。
「もうそろそろですね。転移が始まったら暴れないで下さいよ?」
時間が経ち、それまでハデルバートに延々と文句を云っていた二人の男達へ釘を指す。
別に暴れてないのだが。そんな声が聞こえて来たのだが、アデルは華麗に流す。
転移結晶の使用の際には、一つ気を付けなければならないことがある。
それは転移結晶を使用する場所。
どんなに高価な転移結晶を持っていようが、ある一定以上の広さがないと転移は成功しない。
まあそれは使用者が発動させる前に、どの程度の広さが必要なのかが分かるので誤発はあまりないのだが。
やがて、彼らが立つ地面の下に奇怪な魔方陣が描かれ、四人を淡い光が包み込む。
そして――――忽然と、その場から掻き消えた。
Dランク冒険者パーティー『クライシス』。
彼らは気付かなかった。
四人が集合した時点で、ある一人の人物に、自分達が見張られていたことに。
いや、気が付かなかったのではない。
気が付けなかったのだ。
その人物は彼らが去ったあと、その気配を急激に強めると、舌打ちを一つ。
「……あれは、まだ無理、か。実に残念だ」
漆黒のローブを身に纏った怪しげなその人物は、発した低い声で男だと予想できる。
だがその言葉とは裏腹に、声には感情をほとんど感じない。
「さて……この後はどうするか。まあ取り敢えず、もう少し溜めてから行動に移そう」
その人物は、一人そう決めると顔を後ろ――大物が待ち構える部屋のある方向に向ける。
「嗚呼……俺は楽しみだよ……」
先程とは別人のように、声には感情がありありと籠っている。
「今回は、どこまでいけるかなぁ!」
そしてその感情には、狂気が満ちていた。