迷宮レベル17 支配者 対 冒険者パーティ
迷宮の最深部から外に出たフィルは、現在下層に向かって歩みを進めている。
フィルが進むゴツゴツとした岩が所々から突き出ている通路には光源は一切無く、辺りは完全な暗闇が支配しているのだが、しかしフィルはその中を危なげなく歩く。まるで見えているのかのように。
いや、見えているかのように、ではなく実際に見えている――精確には少し違うが――のだ。
普通の人間であれば、光源が全くない状態で物体を視認することは不可能だ。
だが迷宮核を体内に宿している以上、普通の人間などではないのだ。
暫く歩くと、通路の先から――青い肌に覆われ、どこか虚ろだが鋭い目付き、その手には大型のバスターソードを持っており、背丈は二メートルは軽く越えているであろう巨体を持つ鬼の化け物――オーガが近付いてくる。
しかしフィルに動揺は一切見られない。むしろその佇まいから漂ってくるのは自信だ。
もちろん暗闇によりオーガを未だ見つけられてない訳ではない。フィルに近付いてくるずっと前から、既にフィルはその姿を確認しているのだから。
「……やはり、実際に見てみるのでは違うものだな。よくもまあ、この体格差であそこまで戦えるものだ」
フィルの口から出てきたのは、これまでに観てきた冒険者達の死闘を讃える言葉。
その言葉には皮肉などは一欠片も無く、あるのは純粋な称賛だけだ。
そしてフィルとオーガ。お互いの距離があと一歩となったところで、オーガの動きが止まる。
その鋭い凶悪な目付きでフィルの全身をじっくりと嘗め回すようにみた後――――まるで何事も無かったかの様に、フィルの横を通り抜けていった。
「既に私は……人間ではなく魔物より、と云うわけか。私自身は何ら問題はない事実だが……未だ残る俺の残思は相当ショックみたいだな」
フィルは自らの掌を眺めながら、どうでもよさそうに考察を始める。
しかし、何故そんな結論に至ったのか。
本来、獰猛であるオーガが獲物――同じ迷宮にいる魔物以外ならなんであれ獲物――を無視することはない。それは、そうする様に本能に刻み込まれているからだ。
そんなオーガがフィルを無視し、何のアクションも起こさなかったと云うことは、つまりフィルは自分と同じ魔物種であると、そう認識されたと云うことだ。
今フィルの内面には、二つの人格――の様なもの――が存在する。
一つは現在の、言動、感情、状況判断など、これらを完全に支配している人格だ。
この人格はフィルが召喚された後に、迷宮核に詰め込められていた知識と僅かにあった別の人格とその記憶が、元々あったフィルの人格と混ざって生まれたもの。
そもそも知識とは、人格形成上、非常に大きく関わるものだ。
人格が形成され終わっている者であれ、極短期間に、それも膨大な量の知識が脳内に強制的に入り込んでくることにより、新たな人格が誕生したのだ。
更に別の人格がそれの基盤となっており、実質フィルは召喚される前とは、ほぼ別人と云ってもいいだろう。
もう一つはフィルが召喚され迷宮核に触れる前の人格。
この人格は彼の生まれ故郷の世界の民族意識が強く、人の死に対して過度な拒否反応を示す。もちろん過度と云っても、その評価は現在のフィルの主観的評価だが。
そしてその人格フィルの云う様に残思、つまり殆どないような状態だが、それでも僅かに――感情にだけだが――影響を与えている。
それから更に暫く歩くと、上へと続く大きめの階段。そしてその更に上に巨大な扉が見える。
「……漸くついたか。ここから先は守護区域だが……何か不備があるかどうか確認しなくてはな」
そう云って、足を止めると自らの見た目、装備、魔力量を確認し始める。
フィルが今いるのは第二階層。
未だ守護者を突破した者はおらず、この層に来たのは魔物を除いてフィルが初めてだ。
この層に棲息する魔物の中心はオーガであり、その数凡そ三十体ほど。内訳は第二階位のオーガが五体、残りは全て第一階位だ。
他にもスケルトンが六十体、スライムが百体を、申し訳程度に配置しているが、全て第一階位なのでここまでくるほどの実力を持った者にはなんら意味を持たないだろう。
足止めが出来たなら幸運程度だ。
確認事項に何ら不備が無いことを確認し終えたフィルは、階段を上り目の前の扉に手を翳す。まるで何かに押されているような、そんな風に扉が空き、冷えた風が頬を打つ。
暗闇の中、フィルの周囲には何もいない。本来であればいるはずのオーガも姿を見せない。
もちろん迷宮に異常があるのではなく、この状況はフィルによって作られたものだ。
守護区域を守護する魔物は、常に守護区域内部に待機している訳ではない。
守護者通常の魔物とは違い、何者かが区域内に侵入したときのみ、その直後に生み出されるのだ。また侵入者を排除した場合にはどんな状態であれ、分解され魔力に戻される。魔物にもよるが、その構造の大部分は魔力で出来ているので、その時の状態が良ければ魔力の還元率は高くなり、満身創痍であればあるほど還元率は低くなる。
そのため、守護者は決して学習はしない。いや、出来ないと云った方が正しいだろう。
そして今回、フィルが守護者を一時的に停止させたその理由。それはフィル自身が攻撃を受けないためだ。
守護者は侵入者を排除する。それに制約はなく、侵入者が誰であろうと、何であろうとそれに対して迎撃をするのだ。
故に、フィルは守護区域の機能を一時的に停止させた。
(……ただ、一度戦ってみたくはあるがな)
そんなことを頭の片隅で考えながら、もう一つの扉の前まで辿り着くと先程と同様に、手を翳し――――扉が開く。
第一階層に着いたフィルは、迷宮核から迷宮に繋がると手頃な冒険者、或いは盗賊を探す。
フィルとしては迷宮の第二の魔物である盗賊達はなるべく殺さないようにしたいのだが、もしも手頃な獲物がいなければ仕方あるまい。
そう思いながらフィルは迷宮内にいる者達を探し始める。
それから数秒後、僅かにその口元を歪めた。
「――――見つけたぞ」
辺りにバラまかれた光結晶が辺り一帯を照らし出す。そこで幾度となく打ち合う剣と大斧。
その度に俺と目の前の敵――オーガとの間に火花が舞う。
本来筋力の差があり打ち合いは不可能に近いが今の俺には強化魔法が掛けられている。
俺達のパーティーがオーガと邂逅してから一体どれほど経ったか。体感時間ではかれこれ一時間以上戦っている気がするが、それはただの体感だ。今までの経験上、恐らくせいぜい五分程度だろう。
「ハルク! 準備出来たわ!」
魔術師であるリーシャが俺に向かって叫んできた。準備が出来たとは、魔法が完成したと言うこと。
そしてその魔法はリーシャが使える中で二番目に強力な魔法であり、経験から、その威力であれば一撃でこのオーガを確実に仕留められると確信が持てる。
ならば俺のやることはただ一つ。それを当てるための隙を作ることだ。
援護にはアーチャーであるガイロ。そしてもし俺がしくじったとしても後ろにはゲイルがいる。
この状況であれば問題は何一つない。
「こっちだ化け物!」
俺はオーガの気を引くため、そう叫ぶと全速力でオーガの後ろに回り込む。
俺の大声と行動に完全に気を取られたオーガは釣られて後ろを振り向き、隙をさらけ出した。
「――『雷の一撃』!」
その直後、電撃の弾がオーガに飛来し、その肉体を粉々に吹き飛ばした。
「ふぅ。いつも通り楽勝ね!」
白のローブを身に付け、手には三十センチほどの杖を持った、可愛らしいと云う言葉が似合う少女――リーシャが俺の方に駆け寄りそんな事を云ってくる。勘弁して欲しい。正直前衛はそんなことは云ってはいられないのだから。
まあだがオーガ程度になら、剣だけでも時間は掛かるが負けはしない自信はある。
「うーん、そうだな。まあなかなか良かったぞ。特にオーガの大降りをフェイントだと見抜いたのは非常にすばらしかった。
ただオーガが二度目の蹴りを放った場面。あそこは避けずにいなしていれば大きな隙を作れていたんじゃないか?」
俺の戦い方についての指摘をしてくれたのは、手に攻撃魔法が付加された槍を片手に持ち、更に重量軽減の魔法が付加された鎧を全身に纏っている男――ゲイルだ。
彼はこのパーティーのリーダーであり、俺の剣の師匠でもある。
実際ゲイルがオーガと戦えば俺よりも何倍も効率よく勝利出来ただろう。それをしないのは弟子である俺の成長のためだ。
そのお陰で以前よりも相当強くなった実感がある。
「なるほど、確かに云う通りだな……。まだ鍛練が足りないか」
「へー、凄いなぁ。俺から見れば充分過ぎると思うんだけどな」
身軽に動くための軽装を基本とし、手にはやや小さめの弓を持っている。彼の名はガイロ。彼の弓の腕は非常に精確で、更に彼自身の持つ身体能力もずば抜けている。
もしも遠距離、或いは中距離から先頭を仕掛けられたのなら、俺一人では勝てるかどうか分からないほどだ。
「ま、なんであれもっと実践を重ねることだな。それが一番だ」
ゲイルがそう締め括る。俺は相槌を打つと探索を開始しようと進言する。
俺達の本来の目的は財宝採取だ。いつまでも雑談に興じている訳にもいかないのだ。
そして進む道を決めたその時。
パチパチと、手を叩いた時の様な、そんな乾いた音が聞こえてきた。
「……見事。……実に見事だ」
進む予定の道とは別の方向の道の入り口。
そこから一人の男が拍手をしながら賞賛の言葉を口にしながら、ゆったりとした歩調でこちらに向かってきた。
見に纏う漆黒のローブによって顔は見えない。だが、その低い声から成人男性だろうことが予想できる。
身長は百八十以上はありそうだ。手には何も持ってはいないが、ローブと同色の革製であろう手袋を嵌めている。
またその動きから、恐らく直接戦闘に関しては素人であろう。
重心の掛け方や、歩くときの体重移動に無駄が多すぎる。無論、わざとである可能性も無くはないが、それにしては武器を持った様子がない。
で、あるならば魔術師だろうか? いや、男の体からは一切の魔力反応は見られない。魔術師ではないことは確実だろう。
では一体何者なのか。
「誰だあんたは? 見たとこ冒険者って感じには見えないが……ここで何してる?」
ゲイルがその男に対して、厳しい口調で尋ねる。
「……人の……いや、なんであれ賞賛の言葉には、素直に喜んで欲しいものだ。
私の故郷には、人間の個としてそこまでの力をもった者はいなかったのでね、少し敬意を払おうと思ってな」
距離は二十メートルほど。そこで男は立ち止まり、わざとらしく首を振る。しかしその言葉とは正反対に、声には感情がほとんど感じられない。
まるで、台詞をそのまま棒読みしているかのような、そんな無機質さがその男にはあった。
「……まあ、そんなことはどうでもいい。私は、ただの力試しに来ただけなのだから」
「さっきから訳のわかんねえ事ばっかほざきやがって。挙げ句の果てには力試しだぁ? てめえ、イカれてやがんのか!?」
ガイロが怒気を含んだ口調でそう叫ぶ。俺もそれには同感だ。
「……おっと、そう云えば自己紹介が遅れたな。私の名前はフィラデルフィア。気軽にフィルとでも呼んでくれ」
まるで会話になっていない。
そのせいでガイロが男に向ける敵意が強くなる。
冒険者として、相手がどの程度の実力を持ってるのかはその相手をみれば大体分かるものだ。
そんな俺から見れば男――フィルはなんら脅威にはならないだろうが、しかしそれでも、何か不気味なものを感じてしまう。
「……まずは手始めに――」
フィルが手を後ろに隠し何かを呟いたかと思うと、その手には柄から剣先にかけて全体がドス黒い刀があった。その刀からは見るからに禍々しい魔力が感じられる。恐らく魔法剣の一種だろう。
「バカな!?」
その突然の出来事に俺達は驚愕する。
今でこそ明確に刀の魔力を感じ取ることが出来るが、さっきまでそんな刀の存在など全く気が付かなかった。
すると誰よりも早く冷静さを取り戻したらしいゲイルが舌打ちをし、
「あの刀……もしかすると妖刀かもしれん。本人に大した実力はないと思うが、油断はするなよ」
小声で俺達に注意を促す。
俺を含め三人はゲイルの言葉に俺達は了解の意を示しそれぞれ迎撃の準備に入る。
「お前からだ」
フィルは狙いをガイロに定めると、目を疑いたくなる様な速度で一気に距離を詰めてくる。
「な、速い!?」
俺はその予想と違うその動きに再度驚愕を露にする。
だが驚いてばかりもいられない。不可解な事ばかりだとしても、フィルと名乗る男が敵だと云う事実は変わらないのだから。
フィルはガイロを間合いに捉えるとそのままの速度で刀を横に凪ぐ。
しかしそれをガイロは難なく後方に跳ぶことにより回避する。
ガイロに先程まで怒りはなく、完全に落ち着いているのが分かる。
「……ほう。案外、冷静ではないか」
フィルは避けられたことに大して驚いてはおらず、その場に止まるとさっきまでと同じ口調でガイロに話し掛ける。
「ハッ、そこまでバカじゃないんでね」
ガイロはそれに対して鼻で笑いながら軽口を返す。
これをチャンスとみた俺達は体制を立て直す。
俺と前衛に、ゲイルは中衛としての立ち位置に、ガイロは弓を構え、リーシャは魔法の詠唱を始めた。
「……ちなみに、お前達のパーティーのランクを教えてもらえるか? 死体を漁って調べるのは、正直めんどくさいのでね」
こいつ。こちらが本気の陣形を整えたと云うのに全く焦った様子がない。しかも妖刀特有の戦闘狂染みた感じもない。
(まさか……アレは妖刀では無いのか……?)
「バカが……そういわれて教える奴がいると思うか?」
「…………」
沈黙。
俺達の間に緊張が走る。
「……なるほど」
僅かの間のあと、フィルが喋りだす。
「なに……?」
「……確かにその通りだ。いや、実に参考になる。今後も何かおかしな部分があると指摘してくれないか?」
「てめえ。また意味の分からないことを」
「……いや、すまないな。色々と混同してしまっていてね。……取り敢えず、始めるとしようか」
再度フィルが駆け出す。
しかしさっきのような動揺はない。
「ハァッ!」
火花が散る。俺の剣とフィルの妖刀がぶつかり合ったのだ。
それと同時に凄まじい衝撃が剣から伝わってくる。それに耐えながら俺は更に数度と剣を交える。
フィルの剣筋は素人の様に単調だ。
だがそれを補って余りある速さと力で上手く攻められない。
「――――ッ」
危険を察知したフィルは僅かに体を捻る。
それだけで、暗闇に紛れ後ろから接近していたゲイルの槍を避けた。
先程まで完全に俺に集中していた筈なのに。後ろに目でもあるのかと疑いたくなる。
そして更にその捻れた状態を利用し刀を上に向かって切り上げる。
俺は意表を突かれたものの、間一髪のところで回避する。
ゲイルも同様に距離をとる。
手強い。
これが戦ってみた俺の感想だ。
体の使い方は素人同然なのだが、状況判断が的確過ぎるのだ。
その上まだ息すら乱していない。ほんの僅かな時間とはいえ、生死を賭けた戦いだ。感じるストレスは尋常ではない筈。
それなのに、フィルは何のストレスも感じていないかのようだ。
「シィッ!」
そんな声と共に後ろから矢が飛んでくる。
ガイロだ。離れた今を狙ってきたのだろう。
「……めんどうな」
極僅かだが、気だるそうに呟くとフィルは器用にそれを避け、または刀で弾いていく。
連射される弓矢。これは勝った。俺はそう確信した。
ガイロの弓の腕は非常に精密だ。だがそれだけではない。
ガイロが所有するスキル『先読み』。これがガイロ最大の切り札だ。
このスキルの効果は相手の次の動きを瞬時に何通りも予測出来るようになること。
そのためガイロは適当に矢を放つのではなく、スキルの効果を利用し誘導、そして最終的に絶対に避けられない一撃を急所に放つことを可能にしている。
見惚れるような防御と回避。だがそれも終わる。
「イカれ野郎が――死ね」
悪態と共にガイロが放った矢が向かう先。
それは幾重もの矢を回避し、弾く上で必要となった動作の一つである跳躍により、空中にいるフィルの頭部。
手や足や腰などの間接部分も既に動かし終わった直後であり、防御は出来ず、回避も不可能だ。
相対する相手を舐めたツケだろう。
そして矢は何の障害にも阻まれることなく、吸い込まれる様にフィルの頭部直撃し、衝撃により仰け反る。
決まった。例え即死は無くとも致命傷は避けられないはずだ。
だが油断は出来ない。妖刀の可能性が僅かにでもある限り、確実に仕留めなければ。
ゲイルもそう考えたのか、暗闇に潜み後ろから隙を伺っていたゲイルがフィルの元に駆け出す。
俺は動かない。距離的に俺が行ってももう遅いだろう。
しかし、
「……実に。実に素晴らしい」
聞こえるはずのない、そんな言葉の聞こえた。
そして直後――――ゲイルが真っ二つに切り裂かれた。
「な――ゲイル!!」
俺は目の前の光景が信じられなかった。ここまで完璧な流れだったのに。
(あり得ない! 何故動ける!? 防御も回避も不可能だったはず!)
その疑問の中心である人物は、今日二度目である拍手をこちらに送ってきた。
「……完全に、私が侮っていたと云わざるおえないな。恐らくあの全ての矢は私の誘導。そして最後のが本命。……スキルか?」
「てめえ! よくもゲイルを! いや、そもそもどんなトリックを使いやがった!?」
ガイロがフィルに殺意を込めながら、疑問を口にする。
「……簡単なことだ。歯だよ。歯で受け止めたんだ」
……こいつは、一体何を云っているのか。
高速で飛来する矢を、あの体勢から歯で受け止めるなど、出来るはずがない。
唖然とする俺達を余所にフィルはその先を続ける。
「……私ならば、その程度のことなど造作もない。それと、方法は割愛させてもらおう。まあ、信じたくないのであれば、別に強制しないが」
淡々と事実であろうことを述べるその姿に俺の背筋に冷たいものが走る。
「……さて、そろそろ本気を出すとしようか」
俺は耳を疑う。本気を出す。ではあれで本気では無かったとでも云うのだろうか。しかし、直後に更に信じられない言葉が発せられる。
「魔法――『闇よ包み込め』」
瞬間、周囲が漆黒に染まる。
先程まで輝いていた光結晶の光が消え、辺りを完全なる暗闇が支配する。
いや、直前に見えた光景は、消えたのではなく、まるで闇に埋め尽くされたかのような。
だがこれはあり得ない。奴の体からは魔力は感じられなかった。
なのに何故か。そんな疑問が頭を駆け巡る。
「嘘、でしょ……? 魔法!?」
詠唱が終わったらしくリーシャの声が響く。
魔法を、あれ程の身体能力を持ちながら使えるなど冗談ではない。
いや、それよりもこの状況は不味い。
「皆、警戒しろ! 視界は捨てて音と気配に集中するんだ」
幸い俺は視界が遮断されてる状態でも戦えるように訓練はしている。
他の二人が狙われるのは不味いが俺なら何とか粘れるはずだ。
もしも油断していれば逆にチャンスにもなるだろう。
しかしフィルに動く気配はない。
……もしかして奴自身も暗闇で見えないのだろうか。
そして結局フィルは動くことはなく、徐々に視界が晴れていく。
「何故だ? 何故今のタイミングで攻撃をしなかった? わざわざチャンスを作っておいて……」
「いや……悪いが、既に終わっている」
俺の言葉をフィルが遮る。
「なに……?」
嘘だ。フィルに動いた気配はほとんど無かった。魔法を使った気配もだ。
すると後ろから、リーシャの悲鳴と誰かが倒れるような音が聞こえ。
「ガイロ! 嘘、なんで……」
後ろを振り向くとガイロがうつ伏せに倒れており、その周りには本人のだと思える血が大量に流れ出ている。
「バカな?! どうやって!」
前に向き直りフィルに問いただす。
「よくも! よくも二人を!!」
リーシャが怒りに満ちた絶叫を発しながら、詠唱が終わった魔法をフィルに向けて発動させる。
「――『雷の暴風』!!」
雷の暴風。
雷属性と風属性の魔法を使えることが絶対条件であり、下級魔法の中で最強の威力を誇るこの魔法はリーシャの使える最大の魔法であり、このパーティーの最後の切り札でもある。
その威力は下級魔法でありながらも下手な中級魔法をも越える。
リーシャの杖の周囲に雷が集まっていき、それと同時に凄まじい暴風が巻き起こる。その大きさは、横幅四メートルほど。そしてその魔法がフィルに向かって撃ち出された。
「死になさい!」
フィルに向かうまでの間、その死の暴風は破壊を巻き起こし、高速で迫る。
下手な中級魔法よりも強力なのだ。防御魔法が使えようとこれに耐えられるだけの魔法は構築出来ないだろう。
直撃。
確実に当たった。激しすぎてどうなったのかは分からないが、あの威力だ。ミンチ以上は確定のはず。
しかし。
それでも。
そこには傷一つない奴の姿が。
「なんで!? 私の使える魔法最強の威力のはずなのに! どうして効いてないの!? 本当に、人間?!」
絶望に満ちた絶叫が辺りに響き渡る。
そして恐怖のあまりか、それとも自身の最大の魔法が全く効かなかったためかは分からないが、リーシャは気力を失い地面にへたり込んだ。
「……私は、自分が人間などと云った覚えはないんだがな。だがなるほど。魔力の制御のために杖を媒体として使っているわけか。直でみると、分かりやすさが違うな。
……参考になったぞ、人間」
自分が人間でないことをさも当然かのように認めると、フィルはその腕を此方に突き出すように向ける。
「……お前達四人からは色々と学ばせてもらった。
槍の使い方、剣の使い方、弓の使い方、体の動かし方、重心のかけ方、足の運び方、スキルの有効活用、魔力の効率のいい運用方法、陣形の取り方……」
そこまで云ってフィルは言葉を切る。
だが今の発言はどういうことだ。さっきの発言と云い全く理解が追い付かない。
この男は人間ではないのか? 学んだ? さっきの戦いで今のを全て学習したとでも云うのか?
体が動かない。何をしていいのかも分からない。
「……これはその礼だ。受けとるがいい」
俺の心に更なる絶望が重なる。突き出された手から魔法が構築されていく。
そして目の前には先程の『雷の暴風』と同じような魔法が展開される。
しかし決定的に違うのはその大きさと魔力量。
それは見るからにリーシャの魔法の二倍はありそうな大きさを有している。巻き込まれればひとたまりもないであろう。
そして魔力量。圧倒的な量の魔力は下級魔法ではなく確実にそれ以上だと分かる。
だが最も恐怖なのはそれが無詠唱で構築されたということ。
そして――――
「――『雷を纏いし死の暴風よ』」
眩い光が俺達を包んだ。