七章 果たされない約束
二日後。
ラドとレミアスはカイントの町を歩いていた。
町に着くや、ラドは運び屋の荷物を管理しているギルド、「大地の風」に足を向けた。期限ぎりぎりだったものの荷物は無事に届けられたので良かった。遅延には罰則金が発生して報酬が減るのだ。代金をしっかり受け取ったラドは、人混み溢れる通りを歩いていく。その後を、レミアスが自然についてくる。
「おい」
「はい?」
「何故ついてくる? カイントまでだという約束だったはずだが?」
ラドはじろりと見やる。
それに不思議そうに聞き返すレミアス。
「約束をまだ果たしておりませんが」
言われてみて、ああそういえば、とラドは思い出した。本当の名前を聞く約束をしていたのだった。
「そうだったな……、じゃあここでとっとと言えよ」
好きでもない名を教えてやったのだ。教えてもらわないと不公平である。
「ええ……、大丈夫ですね」
レミアスは雑踏の中、何かを探すように周囲を見渡し、確信をこめて頷く。
何が大丈夫で、何が大丈夫じゃないのかさっぱり分からない。やっぱり魔術師は意味不明だと、ラドは心の中で呟く。
「では、私の本当の名前ですが……」
レミアスが言いかけた時。
「何だあれ!」
「きゃああ」
ふと湧き出すように、前方で通行人のざわめきが広がった。
(?)
ラドは人々の声の先を辿り、顔を上げる。そして、レミアスの後ろ上空に目が止まった。驚きに目を見張る。
何か――そう、例えるなら黒い靄のような固まりが、空をゆっくりと降りてきたのだ。
続いて振り返ったレミアスは、驚愕の顔になった。
「まさか!? どうして!」
レミアスの反応を見て、ラドの脳裏にある言葉がよぎった。
(これが“魔物”か?)
何と禍々しい気配を漂わせているのだろう。それが近付いてくるだけで、背筋が粟立つ。
『迎えに来たぞ、我が花嫁』
黒い靄のどこかから、低い男の声がした。
「花嫁っ!? レミアス、生贄じゃなかったのか?」
ぎょっとして思わず問うラド。
「似たようなものでしょう。最後には喰われるのがオチです」
それに対し、淡々と答えるレミアス。けれど緊張しているのか、表情は強張っている。
魔物はレミアスが男の格好をしていることになど微塵の疑いも持たず、スーッとレミアスの元に降りていく。
「すみません、ラド。教えて差し上げるわけにはいかなくなりました」
レミアスは困った様子で微笑む。
「何言って……」
思わず剣を抜いたラドの前で、レミアスが黒い靄に包まれた。
「レミアス!」
危機感を覚えて咄嗟に名を呼んだが、返事はなかった。
そのまま、黒い靄は空へ昇り――すぅっと光に馴染んで消えた。
「…………」
呆然と立ち尽くすラド。
今のは夢だったのだろうか?
一瞬、自分を疑う。けれど、ざわめきだした周囲に、我を取り戻す。
周りの反応から、白昼夢というわけではないようだと知る。
レミアスは男なのに女にしか見えなくて。それを何の疑いもなく妹だと思って連れ去った魔物。
だんだん、腹立たしくなってくる。
人の旅に勝手に同行してきて、人の気を引っ掻き回すは、迷惑を及ぼすは。それなのに最後は何の抵抗もしないで魔物に連れ去られて。
(男のくせに。どこの姫だ!!)
そうだ。
それに加えてあの容姿。
男のくせに、あそこまで美人なのもまた腹が立つ。
(なにより、嫌いな名を教えたのに、自分の名を明かさないとはどういう了見だ!?)
ラドの憤りは半ば八つ当たりに近かったが、何にせよ腹立たしいことに変わりなかった。
多少ひねくれてはいるが、こういう状況のまま放置出来る性格でもないことが、余計にである。
「くっそーっ! 分かったよ! 最後まで面倒みてやらあ!」
天に向かって一声咆哮。
気が済んだラドは、すぐさま踵を返し、町の南、キューレ山の麓を目指して走りだした。