六章 善人とは如何や
レミアスは少しばかりどぎまぎしていた。先程取ったラドの手が思いのほか小さかったのと、柔らかかったことで、意外にも動揺してしまったらしい。
よくよく考えてみれば、双子の妹以外の女性とあまり時間を共にしたことがない。
それはレミアスの家が代々神官をしている家系ということもあったが、何より生活の場が神殿内部というのが大きいように思える。神官には男女両方がいるし、恋愛や結婚も自由だが、それでも神殿内で大っぴらに付き合っているという雰囲気を出すのは顰蹙を買う行為なので、そういった空気はほとんど見た事がないのだ。
レミアスは若干混乱気味の気持ちを落ち着けようと、ほとんど無意識に棒切れで焚き火の薪をグシャグシャと掻き回してしまい、ラドに不審の目を向けられた。
「……どうかしたのか」
ラドはまだ具合が悪いはずだ。レミアスは慌てて謝る。
「いえっ、何でもありません」
はははと笑うと、ラドは眉を寄せて、何も言わず背を向けた。
気のせいか、カツラを外してから、ラドの視線が険しくなったような気がする。
前の朝食の時も、眼差しのきつさが格段に増していたように思う。
(筋金入りの男嫌いですか……)
これは、多分、ラドと面識のない者は結構こたえそうだ。
かと言って、女の格好のままでは立ち回りにくい。ここは我慢して本来の格好のままでいくしかないだろう。
そんなことを考えたら、どぎまぎがどこかへ消えてしまった。
そのことにほっとする。
まだカイントまで二日分の距離はあるのだ。こんな状態でい続けるのは好ましくない。
(これは……困りましたね)
レミアスは焚き火を見つめながら、頬を掻いて苦笑する。
まさか出会って三日の人間を、ここまで意識するはめになるとは思いもしなかった。
このまま旅を続けて魔物を倒したとして、自分が無事で済むなんて、爪の先程の可能性もないというのに。またこの人と会えたらいいな、とどこかで思っている。
「レミアス……」
“レミアス”は妹の名を呟く。
あの妹だけは、どうあっても魔物に差し出すわけにはいかないのだ。絶対に助ける。自分のかけがえのない半身。
レミアスはそっと目をふせる。
このまま夜が終わらなければいいのに。
サラサラと流れる川の音と、焚き火のはぜる音が、妙に耳に心地良かった。
翌朝。ラドの体調はすっかり良くなっていた。頭を急に動かすと、傷がピリッと痛む程度だ。
寝床にしていた敷物と毛布を手早く片付けると、軽く準備運動をしてみる。
「うん、大丈夫だな」
ラドは満足気に呟いた。
昨日の気分の悪さが嘘のようだ。脳震盪が悪くなっただけだったのかもしれない。それでも怪我自体は治っていないので、頭に包帯を巻いたまま、額に濃緑色のバンドを巻く。
身支度を整え、ちらと、まだ眠っているレミアスの方を見やった。焚き火の番をしているうちに寝てしまったのだろう。木に背中を預けて寝入っている。
女装をやめており、明るい色合いの金髪は短く、服も着替えたらしく、男物の神官服に変わっていた。
「ったく、慣れないことをするからだ」
見ていれば、レミアスが温室育ちだということはすぐに分かった。神官をしているのもあるだろうが、きっと家柄が良いのだろう。
(今のうちに出立するか?)
少し悩んだが、昨日魔術で分かると忠告されている上、ここまで寝ている、それもそこらの女よりも余程美少女に近い少年を放置することも出来ない。
ラドは自分が思っていた以上にお人好しだと気付いて、重い溜息を吐く。
「諦めて朝食を作るか」
一人ごち、鍋に水を汲もうと川の方に降りる。正直昨日の昼から食べていないので、だいぶお腹が空いていた。
山菜、野草、薬草の一種、木の実……。ラドの料理は植物を使ったものがほとんどだ。自身が少食なのもあり、出来るだけ粗食をとるようにしている。腹に入れば、肉でも野菜でも似たようなものだ。ちゃんとバランスを考えておけばいい。別にそれで死ぬわけでもない。
少し問題のあるような考えを脳裏に浮かべながら、ラドはふと思い当たって、朝食を静かに食べているレミアスを見た。
(そういや、こいつ、粗食だってのに全然文句を言わないよな。どう見ても良いトコの坊ちゃんなのに)
「……何ですか、じろじろ見ないで下さいよ。食べにくいでしょう? あっ、もしかして、私を置いてとっとと先に行こうなんて考えてるんですか? そんなことしても、無駄ですからね!」
ちょっと不思議に思って見ていただけなのだが、レミアスは過剰反応を示した。どうも、ラドに置いていかれるのを懸念しているらしい。
「もういいよ、それは。カイントまでだし、一本道だしな。諦めて同行を許してやる」
ラドは面倒臭いなあと眉を寄せつつ、そう話す。ここで先に行ってもすぐに追いつかれるなら、余計な体力は使わないことにしたのだ。
「そうですか……。それは良かった」
レミアスは安堵の息をついて、穏やかに笑む。
「カイントまでだぞ。それ以上はお断りだ。私は本当に他人といるのが嫌なんだ」
「昨日しっかり聞きましたよ。頑固な人ですね、まったく」
レミアスはやれやれと嘆息しながら、小さな声でぼやいた。その言葉は無視し、ラドは率直に問う。
「ところで、お前、何で文句を言わないんだ?」
その問いに、レミアスはきょとんとする。
「何をです? 昨日看病したことですか? あれは私にも責任があるので気に……」
「違う、それじゃなくて。料理だよ。あんた良いとこの坊ちゃんだろ? そんな粗食は嫌じゃないのか」
途中でさえぎって、ラドは言う。
レミアスは少し眉を寄せた。
「坊ちゃんなんて、そんな呼び方をしないで下さい。旅に出てから随分言われましたので、いい加減耳にタコが出来ましたよ」
そのことに関してはしっかり苦情を述べた後、続けて言う。
「粗食でもおいしいので、文句を言うところなんてありませんよ。それに私は神官ですから、普段よりこういうものしか食べません。実を言うと、こういう料理の方が好きなんですよ。身体に優しいですし」
にっこりと微笑んで言われて、ラドは初めてレミアスに対して好印象を持った。粗食派に会ったのは久しぶりで嬉かったのもある。
「おっ、そうか。やっぱ粗食が良いよな! 私、今初めてあんたが良い奴だと思ったぞ」
「失礼な。私は元より良い人間です」
あくびれなくレミアスは言う。
「……良い人間はそういうことは言わないだろ」
一転、ラドの目が冷たくなる。
「善人ぶる気はありませんので」
そう言って微笑んだレミアスは、確かに善人の皮を被った神官に見えた。