五章 彼の結論
ラドが本心を告げた後から、レミアスはずっと黙ったままだった。
ラドの手当てをして、野宿の支度をして。時折寝込んでいるラドの方を気遣うように見るのが分かったが、それだけだった。一言も口を開こうとしなかった。
(……結構、きついこと言った……のかな)
相変わらず横になって目を閉じたまま、ラドはぼんやりと考える。
出会って三日しか経っていない人間に、それも男相手に、本音を喋る日がくるとは思わなかった。
けれど、一人でいたいラドにとって、他人の親切は怖いものだった。暴力以上に恐ろしく思えたのだ。帰る場所も、大好きな母親も、もうない。それなのに、親切にされたら、きっと手放したくなくなる。一人が怖くなる。
(もう、三年になるのか……)
家を飛び出して、辿り着いた町である人から運び屋のノウハウを学び、放浪して。……ずっと一人だった。でも最初から一人なら、きっと大丈夫だ。そう思っていたのに。
たった三日だ。それだけ一緒に旅しただけだ。でも起きた時にお早うと言う誰か、眠る時にお休みって、そう言える誰かが側にいるだけで、こんな、泣きたくなるくらい温かい気持ちになるだなんて思いもしなかったのだ。
(くそ……こんな弱い私は大嫌いだ)
誰かとの関わりは、自分の弱さを見せ付ける。だから、怖いんだ。他人も、誰もかも。
ふと目を開けると、いつの間にか真夜中になっていた。
焚き火の火が、チラチラと揺れている。
その向こうで、火の番をしていたらしいレミアスが、木の幹にもたれたままうたた寝をしていた。
(起き上がれるか……)
ラドは音を立てないように、そっと身を起こす。まだ若干頭がふらつくが、これくらいなら平気だろう。
(喉、渇いた……)
そろり、と起き出し、川の方へ歩いていく。
岸辺は焚き火をしている所より、少し降りた所にあった。心許ない明かりを頼りにして降りる。
「ふう……」
一つ息をついて、水面に身を乗り出す。
男の格好をした、痩せた自分の顔が映った。
「……私もまだまだだな」
水面の自分を見つめながら、ラドは嘆息した。あんな盗賊に不意を突かれるなんて。しかも打ち所が悪かったせいで一日も動けなくなるとは。
ラドは大きく溜息を吐いた。レミアスに話したことを思い出したのだ。……一人が良いというのは、本心だ。他人が怖いのも。
ラドは水を手ですくって飲むと、決意する。
「明日にでもあいつとは別れよう。その方が良い」
一人ぽつりと呟く。
意外にも、その言葉が胸を痛く突いた。
きっと久しぶりに誰かと話したせいだ。―― 一人に戻るのが少し寂しいなんて思うのは。
「ぜんっぜん良くないです」
「うわあっ!?」
突然後ろから声がして、ラドは危うく川に落ちかけた。
振り向くと、ちょっとした土手の上にある野営地から、カツラを外したレミアスがこちらを見下ろしている。ちょっとばかり不機嫌そうな気がするのは、暗いからだろうか。
「何だ、起きてたのか」
心臓をバクバク鳴らしながらも、むすっと返すラド。
「それはこちらの台詞です。勝手に出立したかと思って、慌ててしまったじゃないですか」
「……だからカツラ外してんの?」
「違います。心境の変化です」
意味分かんねえ。
ラドは眉を寄せる。
「ですから、そもそもあの魔物は妹の名前しか知らないはずなんですから。私が男の服装をしていても気付かないだろうと、今更ながら気付いたんです」
「……いや、早く気付けよ」
思わず突っ込んでしまう。レミアスはしかし、持論を並べる。
「妹の身代わりなんですから、妹の振りをするのは当然です」
「……まあ良いけど」
結局、何が言いたいんだろう。
「それでそういうことに至った心境の変化ですが」
「はあ」
「あなたは女性なので、ちゃんと男として守れるように、元の格好に戻った方が良いと判断しました」
レミアスは至極真面目な顔で言った。
ラドはそれを見て、ふと気付く。
「もしかしてあれから何も喋らなかったのって、そんなことを考えてたからなわけ?」
呆れて指摘すると、レミアスはまた不機嫌そうな顔に戻った。
「そんなことって、やっと辿り着いた結論を、馬鹿にしないで下さい」
「…………」
じゃあ、どうしろって言うんだ。ラドは苦笑しつつ、こいつ意外とめんどくさい奴だなあと思った。しかもどうして教師みたいな口調なんだろう。
「ていうか、ちょっと待て。私は放っとけって言ったよな? なのに何で同行する気満々なんだよ」
ついつい流されかけながら、はたと問題点に気付く。
「一本道なんですから、当然じゃないですか」
「う……」
そういえばそうだった。
完璧に忘れていた事実に、ラドは微妙な顔になる。
「諦めて下さい。旅は道連れ世は情けって言うじゃないですか」
「一方的な持論だな……」
皮肉を言うのも疲れてきた。まだ本調子ではないようだ。
レミアスの相手をしていると尚更疲れてきそうな気がして、ラドは諦めて寝直すことにした。撒こうと思えば撒けなくもないし。
「言っておきますけど、私を撒こうったって無駄ですよ。魔術で居場所は分かります」
ラドが何を考えたのか、気付いたらしい。レミアスはにっこりと微笑んだ。
「…………」
ラドは無言で顔をしかめる。人の心を読むな、エセ神官。
「はい」
しかしそこで自然にレミアスに右手を差し出された。
何だろうこの手はと、じっと見るラド。
「? 握手か?」
よく分からなかったので、とりあえず握手してみる。思ったより大きな、少し骨ばった手だった。
が、レミアスはプと吹き出した。
「握手って……そんな訳ないでしょう。登りづらいかと思ったんですが、まあ良いです」
おかしそうに言ってから、ぐいとラドを引き上げるレミアス。
「わ、と……」
ラドはというと、若干よろけつつ、勢いのまま土手を登った。登りきると、レミアスが少し意外そうな顔をしてラドを見てきた。
「――な、何だよ」
居心地が悪くて眉を寄せて問う。
「いえ、だいぶ顔色が良くなったようだと思いまして」
「あれだけ寝てたんだ。当然だろ」
「そうですか、なら良いですよ。あ、何か食べますか? 昼も夕飯も食べてないでしょう?」
訊かれて、首を振る。まだちょっと気分が悪くて、食べ物を入れられそうにない。
「いらない。私はまた寝るよ。朝になったら出発する」
「ええ……」
明日の予定をさくっと話し、寝床に戻ろうとして、眉を寄せる。
「あの……離してくれる?」
「え?」
言われて初めて、レミアスは手を握ったままだと気付いたらしい。
「あ、すみません」
慌てたように謝り、最後に「お休みなさい」と付け加えた。
……お休み、か。
ラドはその言葉を神妙な面持ちで聞き、「お休み」と小さく返した。
何だか、どうでも良くなってきた。とにかく、明日のことだけ考えていようと、そう思った。