四章 本音
レミアスと旅をすることになって三日目。
ラドは頭を抱えていた。
「……なあ」
疲れきった声で、レミアスに呼びかける。
「何でしょう?」
対するレミアスは、にっこりと返す。
「何かさ、あんたと旅し始めてから、やたら盗賊にでくわすのは気のせい? つーか、気のせいじゃないよな? この疫病神!」
最後の方はほとんど文句で出来ている言葉を吐く。
今も盗賊に遭遇中である。
昨日の朝に出発してから、数えること五組目。はっきり言って遭遇しすぎだ。
「うふふ、気のせいですよ」
ここぞとばかりに女らしく微笑むレミアス。
「気持ち悪い笑い方すんな!!」
それがやたら様になっていて気持ち悪くは見えないところが余計気持ち悪くて、思わず叫ぶラド。
「喧嘩は他所でやってくれないか、お兄ちゃん達?」
二人のやり取りを傍観していた盗賊が、焦れたように口を挟んできた。
「へえ、何。見逃してくれんの?」
希望半分で訊いてみるラド。
「そういうことは言ってないな、残念だが」
確かに残念なことに、盗賊はやはり否定した。……ちっ、少しくらい見逃してくれたって罰は当たらないだろうに。
仕方がないので、ラドはいつものように中剣を抜いて構える。
(あまり戦闘は得意じゃないんだけどなあ。いい加減にして欲しいよ)
剣の振りすぎで、筋肉痛になりかけだ。後ろで涼しい顔をして立っている女装男が恨めしい。
「そうかよ、じゃあ、強行突破だな」
ラドはキッと盗賊達を見据える。盗賊は五人組で、さっき喋った山男みたいな厳つい奴が、どうやらリーダー格らしい。
(あいつからぶちのめすかな)
こういう盗賊というのは、たいていはリーダーを沈めれば、後は逃げていくものだ。実際、今までの盗賊はみんなそうだった。
(というか、この森、異様に盗賊が多くないか?)
ふと気付いた事実に、ラドは深く考えなかった自分の迂闊さにハッとなった。
もしかしたら、この森自体が一つの盗賊団の根城なのかもしれない。そうすると、一つ一つ潰しても、キリがないだろう。
(そうか、それなら……)
親玉潰しも良いが、コマ潰しもしておいた方が良いかもしれない。
そう検討をつけ、ラドは地を蹴った。
親玉を狙うフリをして、手前で方向変換し、一番端にいたひょろい男に向かう。男は予想外のことに一瞬うろたえた。そこに足払いをかける。
「うわっ」
男が転んだのを横目に、そのまま隣の男に目標を変える。
ギイン!
剣と剣がぶつかり合う高音が森の中に響く。
「てい!」
ラドは叫んで、右足で男の腹を思い切り蹴った。呻き声を上げて後ろに吹っ飛ぶ手下その二。
一連の動作だけで、片手で数える時間程しか経っていない。
「へえ、やるじゃねえか。クソガキ」
親玉の男が、ニヤリと笑う。
「だけど、甘いな」
――何?
言葉の意味が分からず、ラドが疑問を覚えた瞬間、後頭部に鈍い痛みが走った。
「っ!」
短く声を漏らし、ラドは額に手を当てた。視界がぐらりと揺れ、足元がふらついた。
(くそ……さっきの奴か)
転ばせただけだった手下その一が、剣の鞘を構えているのが見え、それで殴られたことを知る。
「女は生かして後で売っちまうとして、男に用はねえな」
目の前に影がおり、親玉が剣を振り上げた。
このままでは切られると分かっているのにラドは動けなかった。軽い嘔吐感に襲われて、剣を持ち上げるので精一杯だったのだ。
「く……っ」
痛みを覚悟して目を瞑ったラドだが、ここで意外なことが起きた。
「ぐああっ」
突如親玉の悲鳴が響いたのだ。
グラつきながらもかろうじて立っていたラドは、声の方を見た。
金色の蛇が、そこにいた。
いや違う。蛇の形をした金色の光が、親玉の身体に巻きついていた。親玉は苦しそうに叫び続けている。
(……え、何だこれ)
その光の正体が魔術だと分かったのは、レミアスの言葉からだった。
「黙って見ていれば、何なんですかあなた。ひどいじゃないですか」
低い声で、淡々と、けれど普段の穏やかな笑みを湛えたまま、レミアスは言う。その間も盗賊の親玉は呻き声を上げている。
「ああ、安心して下さい。これは雷蛇ですから、痺れて痛いですが死にはしませんよ」
にっこり。
レミアスは極上の笑みを浮かべた後、ふっと術を解いた。
ばったりとその場に倒れ臥す親玉。そして、魔術による苦痛を目の当たりにした子分達は、親玉を見つめてガクガクと震えている。
「よければ、お引取り願えますか?」
にーっこり。笑みを深めるレミアスが余程不気味だったようで、子分達は一斉に悲鳴を上げて逃げ出した。
ラドは、子分達が親玉を置いていかないところだけは、褒めてやりたいような気がした。
「大丈夫ですか?」
盗賊が去った後、心配そうに尋ねられて初めてラドは身体の力を抜いた。その場にうずくまるように座り込む。そして気分の悪さをこらえて返事した。
「……んなわけあるか」
思っていたより声が小さくなった気がする。
「そうです……よね。すみませんでした」
レミアスは本当に申し訳無さそうに謝る。
ラドは苛立ちを覚えた。
「謝るくらいなら、最初から魔術とやらを使え。このヘボ神官」
憎まれ口を叩きながらも、立ち上がれなくて、地面に当てたままの手で草を掴んだ。
(くそっ、私としたことが。あんな奴らに……っ)
腕に力を入れ、必死に立とうとするが、やはり力が入らない。
「くそ……」
肩で息をしながら、悪態をつく。これはどうも、回復するまで動けそうにない。
「ちょっと悪いけど、少しここで休ませ……」
どうしようもないので休息を願おうとしたところ、身体がふわりと浮いた。数秒間、何が起きたのか分からなくて放心する。
(何だ、空が見える気が……)
光に目がくらんで、クラクラしていたのがますますひどくなる。
「さすがにこんな所で休むのは危険ですから、もう少し進んでから休むことにしましょう」
レミアスの声があまりに近く、そのことに眉を寄せるラド。そこでようやく抱えられているのに気付く。
「……オイ、下ろせ」
低い声で告げる。
だって、考えてもみろ。いくら本性が男とはいえだ、今のレミアスはか弱そうな女で自分は男にしか見えないわけで。傍から見たらあまりに珍妙……いや、滑稽すぎる光景なはずだ。子供がいたら、絶対に指を差して笑われるだろう。
「駄目です。怪我したのは私にも責任があると、今あなたが言ったんでしょう? ですから、面倒くらいみます」
「…………」
きっぱり言われて、ラドは沈黙する。
何を言っても聞かないだろうと思われた。
ラドは小さく溜息をつき、喋ると余計に気持ちが悪くなるので抗うのをやめ、目を閉じた。すると、先程よりだいぶ気分がマシになった気がした。
その後しばらく歩いたところで、二日前に水浴びした川の上流に運良く出て、そこの木陰で一時休息することになった。あの川は、どうも大きく蛇行しながら川下に流れているらしい。大きな川なので、川上といってもだいぶ川幅がある。目指すカイントの町の間を、川が通っているくらいの大きさなのだ。
「――大丈夫ですか?」
濡らしたタオルを後頭部に当てて、木陰に横になっているラドに、レミアスは恐る恐る声をかける。
あんまり軽快に盗賊をぶちのめすので、ついまた傍観していたが、よくよく考えてみれば、毎度盗賊を倒していたのだから、そうは見えないけれど疲れていたのだろう。そのことに気付かないで、怪我をさせてしまった。男の格好をしているだけで、本当は女の人なのに。
レミアスはだいぶ落ち込んでいた。
こうして寝込んでいる人を見ると、嫌でも妹のことを思い出す。身体が弱くて、ことあるごとに寝込んでいた双子の妹を。
「……ん、だいぶ楽になった」
ラドはそう答えるが、起き上がれる程ではないらしく、目を閉じたままだ。
「ここなら丁度良いですから、今日はここで野宿にしましょう」
レミアスはそう口にしながら、これは良い考えだと思った。川は側にあるし、少しだが開けた場所だ。野宿にはもってこいだろう。
「……あんたさ」
「はい」
「別に私に合わせて旅しなくて良いんだぞ。これは私が油断したせいだ。とっとと先に行けば良い。それに、最初の恩なら、もうこれで返したはずだ」
億劫そうに喋りながら、ラドが淡々と言う。
「私の怠慢が原因ですし、そもそも怪我人を残して行けませんよ。第一、私、決めたんです」
「……何か嫌な予感がするな」
ぼそりと呟くラド。本当に勘が良いな、とレミアスは思う。
「何が何でもカイントまでは同行させて頂きます。次からは私の方が戦いますので、ご心配なく」
「……ちょっ、何それ」
ラドは本気で嫌そうに顔をしかめて、余程嫌だったのかがばりと起き上がった。
「うっ、イタッ」
そのせいで痛みが走ったらしく、再び地面に倒れこむ。
「……本当に大丈夫なんですか?」
レミアスはますます心配になった。余程打ち所が悪かったらしい。目を閉じて痛みに耐えているラドに近付いて、後頭部に手を当ててみる。ぬるりとした感触が指先に伝わった。
「ちょっと、血が出てるじゃないですか!」
よく見ればタオルも血で赤く染まっている。
レミアスがぎょっとして声を上げると、「うるさい、傷に響く」ラドに低い声で怒られた。
あ、すみません。
レミアスは反射的に謝って、それからそうじゃないと慌てて自分の荷物の方にすっ飛んで行った。確か傷薬と包帯を持ってきていたはずだ。
「……私のことは、放っておいてくれないか」
荷物を漁っているレミアスの後ろで、ふいにラドが呟いた。
苦しそうな、耐えられないという感じの声だった。
「私は一人が良いんだ。誰ともいたくない」
「…………」
そう言うラドは、頭に手を添えて目を閉じていたが、何故かレミアスには泣き出しそうに見えた。
「……どうして、そんなに一人でいたいんですか? 先日言っていた、男嫌いのせいなんですか?」
レミアスは包帯と傷薬を手に掴んだ格好で、静かに問いかける。しばらくの沈黙の後、ラドは小さく答える。
「………怖いんだよ。男だけじゃない、人間みんなだ」
言って、頭に添えていた手を目の上に移す。
「誰かに関わったら、一人だと、再確認する。それが怖いんだ」
そう呟いたラドの顔は怪我のせいもあり青ざめていて、強気な態度の持ち主とは思えない程儚く見えた。
レミアスは少し口を開きかけた。しかし結局何も言うことが出来ず、そのまま口を閉ざした。