三章 本当の名前
元々女性的な少年だとは思っていたが、まさか本当に女だったとは。
レミアスは勢いでラドについていったことを少し後悔し始めた。
けれども、今の外見はどう見てもレミアスが女でラドが男なので、旅をする分には支障がないのは助かる。
それでも困ってしまう大きな理由は、レミアスの心臓がもちそうにないというところだったりする。
――何故かって。
「幾ら女装してるからって、少しは気にしてもらいたいものですね……」
無意識に溜息が零れた。
理由は、焚き火を挟んだ向かい側でとっとと眠りこけてしまったラドにある。レミアスが女にしか見えない格好をしているからって、本当は男なんだから少しは気にして欲しい。
何せこちらときたら、先程のことが頭をよぎってなかなか寝付けないからである。月明かりに照らされて浮かび上がったラドの肌は白くて綺麗で……とと、何を考えてるんだ私。しっかりしろ。
このままではいつまで経っても眠れそうにないので、レミアスは川で顔でも洗おうと、そっと寝床を抜け出した。その際、邪魔なカツラは外しておく。久しぶりに外したら、一気に頭が軽くなった。
顔を洗って戻ってくると、ふとラドの顔が目に入った。焚き火の明かりにぼんやりと映し出されている目元はしっかり閉ざされ、息をしてないのではと不安になるほど静かに眠っている。
「いったい、どうしてこんな若い娘さんが、一人、旅をしているんでしょうね……」
思わず口をついて出た言葉は、そんなことだった。
考えてみれば、自分が女装している理由より余程分からない。何故、男装までして、一人で旅しているのだろう。故郷は、帰る家はないのだろうか。
「……私が訊けることではありませんね」
これだけ広い世界だ。色々な人間がいて、色々な事情がある。それに、無理を言って同行しているのはレミアスの方だから、あまり深く介入すべきではない。
「お休みなさい」
レミアスは小さく声をかけて、再び毛布にくるまった。そして、目を閉じる。すると、思っていたより疲れていたのか、すぐに眠りに落ちた。
翌朝。鳥のさえずりで目を覚ますと、ラドはすでに起き出していて、簡単に朝食の準備を済ませていた。
「わっ、すみません。本当なら私がするべきですのに……」
慌てて飛び起き、謝ると、ラドはじろりとレミアスを睨んだ。
「別にいいけど、女装するならちゃんとしてくれよ。言い忘れていたけどね、私は男って生き物が大嫌いなんだ。近くに見て分かる“男”がいると無性に腹が立つんでね」
言葉通り、彼女は大層イラついていた。
それで、レミアスは昨夜はカツラを外したまま寝てしまったことに思い至った。
「ああ、本当だ。すみません」
急いでカツラを被りなおす。鏡がないので、上手く被れているか分からない。
「…………」
ラドは何も言わず、黙って椀を差し出してきた。
思わず椀を見つめると、ラドは低い声で「ん」と言っただけだった。それで渡したいのだと遅れて気付き、受け取る。
「それにしても、男嫌いなんて。ちょっと差別というか、ひどくないですか?」
レミアスが苦笑混じりに言うと、ラドはまた睨んできた。
「私の父親がね、酒に酔っては手を上げる輩だったんだ。男嫌いになって当然だろ?」
むすり、と、けれど律儀に答えるラド。
「ああ、なるほど……」
それで一人旅、か。昨晩の疑問が一気に解消される。
「あんたみたいな、女にしか見えない奴はまだマシだけどな。ほんと、そのうち滅亡すればいいと思ってるくらいだ」
「……ハハ」
レミアスは乾いた笑いを零す。ラドは本気でそう思っている。何故なら、目が全く笑っていない。
「食べたらとっとと出るぞ。カイントまであと五日はあるんだ」
「はい、分かりました」
レミアスは返事して、簡単な朝食――野草が幾らか入った粥を食べる。質素だがおいしいそれに目を見張りつつ、急いで食べた。でないと、きっと、目の前の男装少女はますます不機嫌になるに違いないと確信していたので。
全く、調子が狂う。
ラドは朝起きてから顔を洗い、カツラを取って寝ているレミアスを目にして一気に現実に引き戻された感じがして、そしてあまり警戒もせずに寝入った自分に腹が立った。
カツラをしていないレミアスの髪も綺麗な明るい金髪だったが。髪が短いせいで、はっきり男だと分かった。
(女の振りをするなら、寝ている時もずっとそうしてろ)
イライラしながらラドは内心で舌打ちをする。
本当に、カツラを被って女物の服を着ていると、女にしか見えないのだ。この眼前の少年は。
歳は十代後半程だろうか。十七の自分よりは年上のように見える。神官だから落ち着いて見えるだけで、実際は違うのかもしれない。
ラドは男が大嫌いだ。特に、背が高くて身体つきががっしりしている、俗に言う「男らしい男」が。そういう輩を目にすると、父親を思い出してしまうのだ。そして無意識に怯える自分がいるのに気付き、そんな自分も嫌いだった。だから男なんて嫌いだ。
なのに、だ。
この眼前の女装男はどうだろう。背は、まあ自分より少し高いくらいだが、あまりに綺麗すぎて男に見えない。普段からそういう言葉遣いなのか、言葉も丁寧で、物腰も柔らかい。
(何でこいつが女じゃないんだ!)
逆に、そのことが腹立たしく思えてくる始末。昨晩言っていた双子の妹も、さぞかし綺麗なのだろう。
「なあ」
朝食を終え、旅を再開してしばらく経った頃。一歩遅れて歩くレミアスを、ラドは振り返った。
「あんたの名前が、レミアスなわけ?」
妹の振りをしていると言っていたが、名前もそうなのだろうかと、ふと疑問に思って問う。
「いえ、それは妹の名前です」
「あ、やっぱり? どう考えても女名だもんな」
予想が当たって、頷くラド。
「そういうラドも、男名だと思うのですが」
逆に聞き返されて、ラドはちょっと眉を寄せる。
「うん、まあね。こっちは愛称。本名は別にあるよ」
あんまり好きな名前じゃないけどな。ラドは心の中で呟く。
「あ、じゃあこうしましょう。私の本名を教えますから、あなたの本名も教えて下さい」
レミアスが楽しそうに提案する。
「何それ。別に面白くもないだろ」
「そんなことないですよ」
にこにこにこにこ。
昨日みたいな、何だか逆らえないような雰囲気のある笑顔をレミアスは浮かべる。
(うっ、何かこの笑顔苦手だ……)
笑っているだけに、厳しく出られない。神官ならではの技だな、と頭の隅で思う。
「まあ良いけどさ。ラディアだよ、ほんとの名前」
「ラディア、ですか。綺麗な良い名前ですね」
「…………」
ラドは、胡乱気にレミアスを見やる。正気か、この男。
「何でそんな顔するんですか。本当にそう思ってるのに」
不可解そうに返すレミアス。
「で?」
「で、とは?」
「誤魔化すなっ、あんたの本名!」
レミアスは、にっこり笑う。
「内緒です」
「はあっっ!? 何それ!」
「別れ際にでも教えて差し上げますよ。すみませんね、森の中だと、あの魔物に伝わりやすいので」
困ったように微笑むレミアス。何だか胡散臭い。
「何だよそれ。昨日カツラ外してたし、あんた自分で男だって言っただろ!」
「魔物が知っているのは妹の名前ですから。それに、人の多い所なら大丈夫ですから、カイントで教える、ということにしましょう」
「……何なんだそれ。ああもう、魔術の掟って意味不明だ。意味あるのかないのかも分かんないよ」
頭を抱えるラドに、レミアスは微笑む。
「まあ、そういうものだと思っておいて下さい。これで楽しみが一つ増えたでしょう?」
「どこがだっ! あんたの本名を知ったからって、嬉しいことなんかないぞ」
「でも、女装している男がどんな名前だか気になったりしません?」
「…………。……ちょっと気になるかも」
「でしょう?」
レミアスはそうだろうとばかりに言い、得意げな顔をする。
(一番の謎は、そうやって普通にしていても女にしか見えないあんた自身だ)
ラドは心の底から不思議だと、レミアスの綺麗な横顔を見やった。