三章 追いかける彼の旅
(神殿を出てすでに四日。満月は明日だ)
イグリッツの町の中を、エリオスは馬の手綱を引いて歩いていた。
失せ物探しの魔術を頼りに追いかけてきたはいいけれど、まだラドに追いつけないでいる。
(結構近付いたのに、ラドが動き出したからまた離れてしまいました)
ラドは徒歩で旅をしているから、馬を使うエリオスは、多少無理をすればすぐに追い付けるものと思っていたのに、予想は外れ、なかなか距離を縮められないでいる。
(病み上がりに無茶をしすぎた……。頭がくらくらする)
ふらふらと覚束ない足取りで歩いていると、横合いから誰かが声をかけてきた。
「ちょっと、あなた大丈夫? よろよろしてるわよ。ちょっとうちの店の軒先で休んでいったらどうかしら」
「すみません、ご親切にどうも」
何とか笑みを取り繕って、そう返したところで、エリオスはふらーっとその場に倒れ込んだ。
「きゃあ!? ちょっと、大丈夫ですか? 兄さん、助けて! 旅の人が死にそう!!」
「何だって!?」
驚いたのかそんなことを叫ぶ女性に、男性が慌てて駆けつけてくる。
(いや……流石に死にはしませんけど……もう駄目だ)
内心で返事をしながら、エリオスは目を閉じた。
次に目が覚めると、エリオスは見知らぬ部屋の長椅子に横たわっていた。
「あれ……?」
半身を起こすと、額に載せられていた濡れ布巾が膝に落ちてきた。
「起きましたか、神官さん。もー、いきなり倒れるんだもの、びつくりしたわ」
鼻の辺りにそばかすが散った女が、向かいの長椅子から声をかけてきた。茶色の髪を二房の三つ編みに結わっている。
「すみません。ここは……?」
「ちょっと待ってて下さい、お腹空いたでしょう? ご飯を持ってきてあげますよ。兄さーん!」
女は兄を呼びながら部屋を出て行った。
エリオスは改めて周りを見る。こぢんまりとしてはいるが、応接室のようだ。暖炉で薪が燃えている。
何気なく窓に目を向けると、空は夕日に染まっていた。
(ああ、しまった。寝過ごしてしまった)
エリオスはショックで呆然としたが、すぐに道端で気絶して、無事で済んでいることに感謝の気持ちが湧きあがった。追剥にあってもおかしくない状況だ。
少しして、女が男を連れて戻ってきた。茶色い髪をした、太い眉毛が印象的な青年だ。
「これは神官様、お加減いかがですか」
丁寧な挨拶をする男を見て、どうやらエリオスの仕えている神殿の信徒らしいと気付いた。
「お手間をかけて申し訳ありません。少々体調を崩していたもので……。私はエリオス・クーファンドと申します。どうかお二人とも、お名前を教えて頂けませんか」
「クーファンド! いや、見覚えのある方だと思ったら、セイラン神殿の神殿長のご子息ではないですか。こんな所で行き倒れるなんて、いったいどうされたんですか」
慌てる男の隣で、盆を持った女は冷静に机に食事を置いてから口を開く。
「兄さん、事情を聞く前に自己紹介したら? 神官様、私はアナベル・リコッツです。こちらは兄の……」
「グランです。お会い出来て嬉しいですよ。教えを守って善行を積んできて良かった!」
感激するグランに、苦笑の眼差しを向けるアナベル。
「もう門も閉まってしまいましたし、これから宿を探すのも大変でしょう。今日はこちらにお泊りになったらどうかしら。ね、兄さん?」
「そうですね、それがいい! 父にも話しておきますから。ささ、どうぞ、お食事なさって下さい」
思いがけず宿泊先を手に入れたエリオスは、この体調で無理をしても無駄だと思い、今日は休むことに決めた。
「ではお言葉に甘えさせて頂きます。――神はあなたがたの善行を見ておいででしょう。本当に、感謝致します」
敬虔な信徒の為に祈ると、グランとアナベルはありがたそうに微笑んで、それぞれ会釈した。
エリオスは食前の祈りを捧げてから、パン粥とキノコのスープを食べた。ここまで干し肉や干し芋だけで過ごしてきたので、久しぶりの火の通った食事はじんわりと胃を満たしていく。
おいしさに静かに感動していると、食事が進んだのを見て、グランが改めて質問してきた。
「それで、またどうして行き倒れに?」
「ああ、申し訳ない。実は人を探しておりまして……。早く追いつかないとと焦ってしまって、病み上がりなのに無理をしてしまいました」
「はあ、人を……」
グランは頷いて、首をひねる。
「セイランの神官か……。何だ、最近、神官の話を聞いた気がするな」
「言われてみればそうねえ」
兄妹はそろって何か考えている。
エリオスは不思議に思いながら、残りの食事を終えた。彼らは親切な人のようだ。神官が質素な食事しかとらないのを知っているからか、あっさりしたものを運んできてくれた。信心深い人達なんだろう。
「その探している人っていうのはどんな人なんですか? うちは顔がききますから、心当たりを探してきましょうか?」
思い出せないのか、グランは首を横に振り、そう訊いた。
「どうやらすでに町を出たようなんですが……。そうですね、薄茶色の髪をした、十代後半の女性です。でも彼女は男装をしているので、男にしか見えないかもしれません。運び屋をしていて……」
「ああーっ!」
急にアナベルが大声を出した。
びっくりして固まるエリオスに、目をキラキラと輝かせたアナベルが近付いてきた。
「もしかして、その人、ラドって名前の人じゃありません?」
「そうです! 会ったんですか?」
「ええ。聞きましたよ、ラブロマンス。うふふ、追いかけてくるなんて、やっぱり愛ですね! 素敵!」
両手を組んで、うっとりと呟くアナベル。
「あ、愛……。らぶろまんす」
エリオスはぽかんと呟く。
嬉しそうにしているアナベルの頭を、グランが軽くはたいた。
「こら、神官様が驚いてるだろうが。ただの恩人の話だろ」
「ええ」
頷いたものの、エリオスは照れてしまって、顔が赤くなった。それを見たアナベルが歓喜の声を上げる。
「ほら、やっぱり愛よ! 赤くなっちゃって、可愛らしい方! ラドとは山小屋で一緒になったんです。私が話し相手が欲しくて、この町まで荷馬車に乗せてあげたんですよ。無愛想だけど良い方でした。お似合いだわ」
説明している間も、アナベルはにこにこしてはしゃいでいる。
「頑張って下さいね!」
そして強い調子で応援されて、エリオスはつい頷いた。
「は、はいっ」
エリオスがあたふたしているのを見かねてか、グランがアナベルの後ろ襟を引っ張って、その場から引きはがした。
「こら、神官様に失礼だろ。まったく……。妹が大変失礼しました、申し訳ありません」
「いえ……」
苦笑いを返すと、グランはアナベルに客間の準備を言い付けた。アナベルは楽しそうに手を振って、部屋を出て行く。
「客間の用意が済むまで、ゆっくりされてて下さい。ああ、お茶のお代わりをお持ちしますよ」
グランが部屋を出て行くと、エリオスは考え込む。
(ラブロマンス? 愛? ラドがそんな話をするわけないから、何かの誤解でしょうか……)
それでも話を聞いた第三者には気持ちが筒抜けみたいなのが恥ずかしい。
(しかしラド、良い人達と会えたんですね)
旅慣れているラドだが、エリオスが傍で見ている限り、誰かと深く関わろうとしたことがないから、意外さを感じた。
(ええ、そうです。彼女は無愛想で言葉がキツイけど、良い人なんですよ)
他の人達が知らないラドの良い面を、エリオスは知っている。そんな優越感をひっそり持っていたことに気付いて、口から溜息が零れた。自分の本音をエリオスは分かっている。
(なれるものなら、ラドの一番になりたい……)
そして、渡りのカラスのように行先も無く飛び立つラドを、繋ぎ止めておけたらいいのに。