二章 思わぬ偶然
良いカモがやって来たと思った。
レミアスは内心、折り良く現れた旅人の少年に喝采を送っていた。
こんな格好をしているせいで、毎度毎度盗賊に襲われて、いい加減飽き飽きしていたのだ。しかし、この格好でないと、“レミアス”の代わりにはなれない。厄介なものだ。“女の一人旅”というやつは。
とりあえず恩返しという形で、少年の旅に同行出来てほっとする。男が側にいれば、賊は少しくらい減るだろう。
レミアスはちらりとラドを見る。
薄い茶色の髪は短く切り揃えられており、額には濃い緑のバンドを巻いている姿は凛々しいものだ。目も同じ薄い茶色で、顔立ちは中性的。いや女性的というべきだろうか。武器は中型の剣を腰に差しているだけで、軽装に身を包んでいる。
その上、自分の容姿を見ても眉一つ変えず、反対に厄介そうにしているときた。
これは本当に良いカモだ。後々面倒なことにならずに済む。
これまでも旅人を適当につかまえて同行してみたが、綺麗な女というだけで下心満載の目で見られ、結局すぐに別れた。本当に、男というやつは面倒臭い。
(何でこう、ああいう変な奴ばかりなんでしょうかね)
非常にけむたい輩ばっかり。人間不信に陥りそうだ。
そんなこんなで、二人が出会ったその日。川を見つけたので、その側で野宿することになった。
「久しぶりの川だ。折角だし、水浴びしていこう」
夜になり、焚き火を起こして夕飯をとった後、ラドが浮き浮きと言い、レミアスは驚いた。
「え、こんな所でですか? 誰か来たらどうするんです?」
「だったらあんたが見張っててくれよ。ま、こんな夜中に誰かが通りがかるとも思えないけど」
あっさり言われて、レミアスは口をつぐむ。確かに、夜中に動くのは危険だから、旅人が通るとは思えない。
「……でも、こんなに暗いのに。川に入るなんて、危なくありませんか?」
「こんなに月が明るいんだ。平気だろ」
ラドは全く気に止めていないようだった。
「そんなに気になるなら、あっち向いてな。言っとくが、あんたが勝手に同行してるんだ。私の自由にさせてもらいたいね」
「……分かりましたよ、好きにして下さい」
レミアスは溜息混じりに答える。聞く耳を持つ気はないらしい。
(まあ、確かに、私のついていき方は少し強引だった気もしますが……)
それなのに、彼のしたいことを遮る権利は自分にはないだろう。
――しかし。
いきなり目の前でシャツを脱いだラドに、レミアスは目を見開いた。
「え、え、え、ちょっと待って下さい。あなた……」
「何?」
きょとんとして、ラドがレミアスの方を向く。そのせいで、ますますサラシの巻かれた胸元が明らかになって、レミアスは顔を真っ赤にした。
「女だったんですか!?」
「ん?」
ラドは自分の何にそんなに驚くのか不思議になり、そして少し考えてみてようやく理由に思い至った。
「ああ、まあな。旅の間は面倒臭いから、男の振りをしてるんだ。悪い、言うの忘れてた」
たはは、とあっけらかんと笑うラド。レミアスは急いで背中を向ける。
「何慌ててんだ? 別に気にしなくて良いだろ、あんたも女なんだから」
不思議そうに言いながら、服を脱ぎ捨てて、そのまま川に入るラド。
「はー気持ち良い。やっぱちゃんと洗わないと気持ち悪いよなあ」
一度もぐって頭から水を被り、腰程の深さの所でしゃがんで肩口まで浸かる。埃や汗が落ちていくのが何となく分かった。
「あんたも入ったら? 汚れたままだと気持ち悪いだろ?」
どうしてそこまで恥ずかしがるのか不思議でならないラドだったものの、とりあえず親切心からそう尋ねてみる。
「いえ! 駄目です!」
しかしレミアスは頑なに返す。
「何で?」
常に持ち歩いている風呂道具の中から石鹸と布を出して、ゴシゴシと身体を洗いながら、ラドは顔だけ岸に向ける。見れば、レミアスは耳まで赤くなっていた。
「どうしたんだあんた。熱でもあんのか?」
何てことだ。今まで同行しておきながら、気付きもしなかった。
ラドが驚いて、慌てて岸に上がろうとすると、レミアスの必死な声がさえぎった。
「大丈夫ですから、こっちに来ないで下さい!」
「はあ? でも、そんなに赤いじゃないか。無理すんなって、熱あるんだろ?」
「駄目です!!」
それでも尚近付こうとすると、レミアスが必死な声で叫んだ。
勢いに押されて、思わず足を止める。
「……大声出してすみません。でも、私…………あの………………男なので」
「…………」
最後の方は蚊の鳴くような小さな声だった。が、ラドは見事固まった。
「…………あー……」
ラドは無意識に意味のない声を出しながら、何でこんな美少女にしか見えない奴が男で、というかそもそも女の格好をして旅してるんだと数秒のうちに考えて、ふと思いついたことを口に出した。
「――趣味?」
「違います!!」
思った通り、レミアスは大声で否定してきた。それでも振り向かなかったのは流石と言うべきか。
「趣味じゃないなら、何で女装してんの?」
ラドは訊いてから、慌てて言いなおす。
「ああ、やっぱ良い。言わなくて良い。聞いたら面倒臭いことになりそうだからいい」
そう言いながら、体を洗い途中で着替えるわけにはいかないので、ラドは岸に背中を向けたまま身体を洗うことを再開する。内心混乱していたが、頭は冷静だった。ここで慌てても仕方がない。
「別に良いですよ、面倒なことに巻き込む気はありませんから。私が女装しているのは、妹の身代わりになる為です」
ふうん、妹の……。――身代わり?
「え、何。嫁ぎ先に女装で行って、相手の男を殺すとか?」
結論が極端になったのは、思ったより緊張しているせいらしい。ラドは男が嫌いなのだ。一重に自身の父親のせいである。
「何ですか、それ。どこの三流芝居ですか」
……悪かったな、三流芝居程度の意見で。
ラドはむすっとなったものの、洗い終わったので水から上がる。
「こっち向くなよ、女装男」
「向きませんよ、男装女」
「…………」
「…………」
少し、不穏な空気が流れた。
両者とも心の中で、(正しいこととは言え、言われると腹が立つな)と呟いていた。
ラドはますます不機嫌になりながら、濡れた体を拭いて、素早く衣服を身に着ける。
こいつが男だと分かっていたら、こんな所で水浴びなんかしなかったのに。
「じゃあ結論は何なわけ?」
この男がどういう訳で女装しているかなんて欠片も興味はなかったが、とりあえず訊いておく。それよりも近くに男がいる、ということの方が問題だ。
「妹は……双子の妹なんですが、ある魔物の生贄に決まったので、代わりに私が行って、退治しようと考えまして」
ラドは無言でレミアスの背中を見つめた。男と言われて見てみれば、成程確かに少しばかり骨ばった身体つきをしている気もする。けれどだいぶ華奢なので、男と言われなければ気付かなかっただろうとも思えた。
「そっちこそ、何その三流芝居」
思わず突っ込んでしまったのはご愛嬌というものだ。いつの時代の劇だ、全く。
レミアスもまたラドと同じように少しむっとしたようで、「もうそっち向いて良いですか」と不機嫌に訊いてきた。いいぞ、と答えると、こちらを振り向いて。
「芝居ではありません。事実です!」
大真面目にそう言いきった。
その青い目に浮かぶ光は確かに真剣そのもので、ラドは信じるしかなかった。
「そっか。まあ、頑張れよ」
そう言うと、レミアスは「言われずとも」ときっぱり答え、ふいと目を反らす。
それで他にも何か言い方があったかなとラドは少し後悔したが、まあどうせカイントまでの旅だしな、と思い直した。