四章 複雑な心境
外套のことをシグエンに相談しに出て行ったレミアスは、何故か女性神官三人を引き連れて戻ってきた。
「はあい、こんにちは。あなたがラド? 私、ケイリーよ」
「ミリアです」
「ルーシーです」
二十代前半くらいの彼女達は、部屋に入るなりそう挨拶した。ラドは頷きだけを返してどう反応すべきか悩み、結局、茶を一口飲んだ。首を傾げる。
「えーと、なんであんた達がここへ?」
状況が飲み込めず、レミアスへと視線を投げる。
レミアスもまた少しばかり彼女達に気圧されたような様子で、苦笑を浮かべた。
「それが、ええと、何ででしょう?」
「レミアスが祭りに行くって言うから、折角だからおめかしさせてあげようと思って来たんじゃない」
「もう、聞いてなかったの~?」
黒髪を後ろで一つに束ねたケイリーと、ふわふわした薄い茶髪を背中に流したミリアがそれぞれ言う。
「それで! ついでにラドちゃんの様子見と、ラドちゃんも着付けようと準備してきたの!」
三人の中では一番年下に見える、赤毛のルーシーはにんまりと笑い、町娘の衣装を掲げて見せた。
「はっ? 私は別にこれで……。ていうか『ちゃん』付けはよしてくれ! 鳥肌が立つ!」
気持ち悪くて抗議の声を上げると、「あらそう? じゃあラドって呼ぶわ」とルーシーはあくびれなく頷いた。
「んふふ、でも服は着替えてもらうわ!」
「あと、髪型も変えるからね」
「逃がさないわよ~」
三人はそれぞれとってもいい笑顔を浮かべ、じりじりとラドと距離を詰める。
逃げられそうにないと悟ったラドは、顔を引きつらせて思わず叫んだ。
「ギャーッ、こっちに来るな――――っ!!」
レミアスの部屋に、何とも間抜けな悲鳴が響いた。
「うへー、マジでこんな服を着るはめになるとは」
「似合ってますよ、ラド」
服を着替えさせられた上、部屋の外へと追い出されてしまいがっくりと肩を下げているラドに、レミアスはにっこりと微笑む。ラドが『さん』付けはやめるように言ったので、呼び捨てにしてくれた。『さん』も『ちゃん』も柄じゃない。
「レミアスは似合ってるから良いけどさあ」
ラドはちらりとレミアスを見やる。
レミアスは淡い黄色のエプロンドレスに身を包んでいた。と言っても、飾りのついた可愛らしいものだ。金色の髪は三つ編みにして二つの房を背中に垂らしている。その上に、首までを覆う短めの白いベールをしていた。どこから見てもただの町娘ではなく、良い所のお嬢様だ。
それに比べ、自分はというと普通に一般市民そのものだ。青に近い明るい緑色のワンピース姿。散々ごねて、シンプルなものを勝ち取った。レースやフリルが付いていないだけマシだが、スカートだ。ここ一ヶ月で襟足まで伸びた薄い茶髪は無理矢理編みこまれ、小さな花飾りまで付けられてしまった。
こんなの、全然、全く、これっぽっちも自分の柄では無い。
「それにこんな格好じゃ、いざって時に立ち回れないじゃないか……」
どうにか中剣と自分の荷物を持ってこられたから良かったが、無かったら不安で仕方が無かっただろう。ポシェットを腰に付け、剣もまた同位置に据え付けながら歩く。
「そんなに外って危ないんですか……?」
渋い顔をしていると、レミアスの表情が曇った。ラドは焦った。不安にさせたくて言ったわけではない。
「まさか、そんなことあるわけないだろ! ただ、こんな格好は普段はしないから落ち着かないってだけだ。それに、あんたのことはちゃんと私が守ってやる」
安心させるように、無理矢理笑顔を浮かべる。普段が無愛想なので、顔の筋肉が引きつった気がしないでもない。
「ありがとうございます。ラドがそう言ってくれると安心します」
レミアスはふんわりと微笑んだ。
それにつられ、ラドも自然と笑みを浮かべる。
(は~、癒される。エリオスとは大違いだな)
うんうん、と頷いていると、ふいに横から不機嫌そうな声が割り込んだ。
「どうして私と妹とでは、そんなに態度に差があるんです?」
何やら手に書類を抱えたエリオスが廊下の端に立っていた。
「あ、兄様。見て下さい、これ。ケイリーさん達が揃えて下さったんです」
思わぬ偶然に喜び、スカートを摘んで見せるレミアス。
「知ってます。さっきミリアさんがやって来て、見てこいと書庫を追い出されました。そして何故かついでに雑用まで任されました」
ちょっと不機嫌そうなのはそれでらしい。
「へえ、お疲れさん。あとさっきの質問だけど、私が男嫌いなのを忘れたのかお前」
「…………」
ラドの返答に、エリオスは口をつぐんだ。一ヶ月も一緒にいたお陰でだいぶ態度は軟化したが、そういえばそうだったと思い出したのだ。
「そうでしたね、そういえば」
ふうと溜め息混じりにエリオスは呟く。
「まあ、そうだったんですか」
「レミアスは大丈夫だから、安心していいぞ」
目を真ん丸くして驚きを表すレミアスに、ラドはさらりと言う。レミアスは少し残念そうな顔になった。
「でも、兄様のことは嫌いにならないで下さいね。口やかましいのはお父様と似てますけど、とっても良い人ですから」
「あ、ああ……。別に嫌いではないから大丈夫だ」
力を込めて断言され、しかも少し詰め寄られ、若干逃げ腰になりながらラドは言う。
でも別に好きでもないけど、と心の中で付け加える。無論、声には出さない。
しかし、どうもレミアスには弱い。善意のみで出来ているかのような娘なせいか、強気な姿勢になど出れないのだ。有無を言わせない笑みを浮かべるエリオスといい、なんとも曲者な双子である。
「へえ、意外ですね。嫌われているものかと思ってました」
「……嫌いだったら、一ヶ月も同行なんて出来るか。とっととずらかってる」
「ずらかっ……、はあ、まあそうですね」
ラドの言い分に面食らいつつ、頷きを返すエリオス。
「それで兄様。どうなんです? これ、似合ってます?」
浮き浮きとエリオスの方に身を乗り出すレミアス。初めての外出、及び、初めて着た神官服以外の服にすっかり浮かれている。
エリオスは感心したようにレミアスを見て、にっこりと笑う。
「すっごく似合っていますよ。レミアスはそういう色合いの服も似合うんですね」
「ほんと! ありがとう、兄様!」
レミアスは嬉しさの余り、兄に抱きついた。衝撃で書類が落ちる。
「わあっ! レミアス、何やってんのさ」
ラドは思わず声を上げ、しゃがみこんで書類を拾い上げる。
「こんな高価そうな紙をばらまくなんて、バチが当たっても知らないぞ。全く……」
短く悪態をつき、拾おうと手を伸ばすエリオスの手に書類を押し付ける。しかし、何故か受け取ろうとしないので、ラドはエリオスを見上げたまま眉を寄せた。
「おい? どうかしたのか?」
「……え?」
どこか上の空でラドを見下ろしていたエリオスは、ラドの声でハッと我に返った。
「い、いえ! 拾って下さってありがとうございます!」
そして、慌てた様子で受け取ろうとして、また書類をばらまいた。ラドの眉がぴくつく。
「てっめ、拾ってやったもんをまたばらまくな!」
今度は二人がかりで書類を拾い集める。
盛大に文句を言いはしたものの、ある可能性に思い至って、ラドは怒りを引っ込めた。
「あんた、まさか寝てないんじゃないか?」
「いえ、ちゃんと寝ていますが……」
エリオスは目を丸くした後、首を振る。
「じゃあ、どうしたわけ? 何からしくないぞ。あと、ほんとにほどほどで良いからな。呪いを解こうとしてくれるのは嬉しいけど、それでエリオスまで倒れたら元の木阿弥だろ」
「いえっ、本当に大丈夫なんです! すみません、ちょっとぼーっとしてて……」
「そうそう、ちょっと見とれてたんですよね?」
わたわたと言い訳するエリオスに、にっこり笑って口を挟むレミアス。思わぬ伏兵に、エリオスはぎょっと目をむく。
ラドは首を傾げた。
「そんな、見とれるような達筆だったのか?」
「達筆……?」
双子が声を揃え、怪訝な顔になる。
「書類だよ。それ以外に何かあるのか?」
何でそんなに不思議そうな顔をするんだろう。ラドはそちらが不思議でたまらない。
「兄様……、頑張って下さい」
「……何のことですか?」
「私、分かってます。双子ですもの。応援してますから」
「そ、そうですか。ありがとう」
こそこそと囁きあうレミアスとエリオス。エリオスは物凄く複雑そうに妹の顔を見やり、微妙な顔で礼を言う。
「よく分かんないけど、大丈夫そうならいいや。レミアス、もう行こう。すぐ帰らなくちゃならなくなるぞ」
「わっ、それはいけません。急ぎましょう、ラド」
ラドが切り出すと、レミアスは慌てて先を急ぎだした。
「それでは兄様、行って参ります」
軽やかに笑うレミアスと、片手を軽く挙げただけのラドに、エリオスは「気をつけて」と声をかけた。
エリオスの心中は複雑だった。
女性らしい服装をしたラドはとても綺麗だ。あれなら、通り過ぎる男達の目を引くのは間違いない。問題なのは、元が結構綺麗だということを、本人が全く分かっていないことである。加え、レミアスみたいな可憐な美少女が側にいては尚更目立つだろう。
(レミアスと一緒に行くようにすすめたのは、ちょっと失敗だったでしょうか)
ちらりとそんなことを考えながら、書類を届けるべく廊下を歩く。
だが、と思い直す。
(ラドの男に向けるあの鋭い視線、あれに耐え切れる人がどれだけいるか……)
まあ八割があの睨みで去るだろう。あとの二割は好奇心でとどまりそうだ。
それに多分、妙な輩がいれば、彼女自身の手によって地面に沈められるに違いない。きっちり剣を携えて行ったラドを思い出し、エリオスは確信を覚えた。
(しかし、まさかレミアスに見抜かれるとは……)
我が双子の妹ながら侮れない。
確かに、ラドに好意のようなものを抱いている。一緒に過ごせて嬉しいとか、そんな拙いものではあるが……。
しかし、困ったことにラドは一人を好むし、男嫌いだし、旅人だ。気持ちを打ち明けたところでどうなるというんだ。
それでも、好きだという気持ちに変わりはなく――。
「はあ」
どうしようもない。
盛大に溜め息をつく。
「どうした、息子よ。そんなに百面相をして」
「うっわあ!」
突然シグエンに問いかけられて、エリオスは飛び上がった。
「な、ななな、いきなり声をかけないで下さい!」
驚いたのもあって少々声を荒げて言うと、シグエンは困った顔をした。
「しかしな、そんな所に立っていられると、部屋に入れないのだが……」
指摘に前を見ると、シグエンの部屋の扉だった。考え事をしているうちに、いつの間にか届け先に着いていたらしい。
あ、と声を漏らし、エリオスは自分の失態に顔を赤くするのだった。