三章 エリオスとレミアス
一週間に渡って開かれるという収穫祭は、今日を含めてあと五日開かれるという話だ。シグエンに訊いたらそう教えてくれた。ラド達が街に着いた時、ちょうど二日目だったらしい。
屋台では連日ご馳走が並び、客達は格安でそれらを食べたり、酒と花の香りに酔いしれたりしている。祭りの見物は屋台だけでなく、初日と最終日のみに回る山車こそが一番の見物なのだそうだ。
祭りに行くのにエリオスも誘ってみようと珍しく思い立ったラドは、神殿の書庫に足を向けた。
本来は、神官以外の書庫への立ち入りは禁止なのだが、レミアスの恩人ということで特別に入室許可が下りた。それもあるだろうが、恐らくエリオスに会おうとする度、人を間に挟むのが面倒だというのが大きいのだろうなと思う。ラドも面倒だからそれで構わないが。
そんなことを考えながら歩いていると、ようやく書庫に到着した。真っ白く塗装された木製の扉を押し開ける。
書庫というから本がぎっちり押し込まれた狭い所を想像していたのに、大ホールがあって、ラドは目を丸くした。本棚が並んだ様は、まるで森のようだった。
始めは圧倒されたが、すぐに人を探すのにはとてつもなく面倒くさい所だと考えが移る。
それで大声で叫んでみた。
「エリオス! エーリーオースー!」
しかし返事が無い。
「ちっ、面倒だな」
ここをしらみつぶしに探していたら、日が暮れそうだ。
ラドは、もう一度叫ぼうと息を吸い込む。
「子供ですかあなたは!」
しかし、横からエリオスに小声で注意されて、そのまま言葉を飲み込んだ。
「なんだ、そこにいたのか」
「びっくりして走ってきたんです!」
そう言われれば、確かに息が荒いようだ。
「書庫も図書室も私語厳禁! 叫ぶなんてもっての他です!」
ヒステリックな教師みたいに、くどくどと説教をするエリオス。
ああ、確かにこれはあのシグエンの息子だと、ラドは呑気に感心する。
その後、場所を廊下に移すと、エリオスは落ち着いた様子に戻って訊く。
「それで、何の御用ですか? あなたから声をかけてくるなんて珍しい」
少し嫌味くさい言い方には少しムッとしたものの、いちいち反応していては面倒だから流すことにする。
「これから祭りに行こうと思うんだが、あんたもどうかと思ってさ」
「私ですか?」
エリオスは心底驚いた様子で、ラドをまじまじと見返してきた。
「今日は雪でも降るんでしょうか」
「そうか、行かないならいい」
「ああ、すみません! ですが調べ物の方が全く進んでいませんので、どちらにしろ行けません」
エリオスは困ったように言う。
そうか、とラドは頷いた。地元民においしい物でも紹介して貰おうかと考えていたが、無理なようなら仕方が無い。何となく残念な気になったものの、その調べ物というのが自分の為のものなので、引き下がるのが筋だろう。
「でも代わりに、レミアスと行ってはいかがでしょう」
エリオスの提案に、ラドは目を瞬く。
「レミアスと?」
「ええ。妹は病気で祭りに行ったことがありませんから、誘ったら喜ぶと思います」
「ふうん、そうか」
ラドは少し考える。
他人とあまり接点を持つのは好ましくはないが、祭りの時くらいは誰かと過ごしたい。レミアスなら目の前のコイツと違って腹黒そうでもないし、きっと楽しいだろう。
「今、何か失礼なことを考えたでしょう」
エリオスの目が半眼になった。
「鋭いな、なんで分かった?」
「なんとなくです」
ラドはアハハと笑う。流石に一ヶ月も一緒に旅をしていたせいか、勘が良くなったらしい。
「まあそれは置いといて。じゃあ、レミアスと行ってくるよ。お前もほどほどにしとけよ」
「嫌です、全力で頑張ります」
真面目に返すエリオスに、ラドは思わず吹き出し、笑いながらその場を後にした。
本当に真面目だ。ちょっと面白い。
ラドがレミアスの部屋を訪ねると、レミアスは驚いたように目を丸くした後、花が咲いたように笑い、喜んで部屋に招き入れてくれた。
まるで年の離れた妹に久しぶりに会った姉みたいに、テーブルまで案内するなりお茶とお菓子を用意してくれた。
(なんだ、神官の部屋にはお茶菓子セットが必ずあるのか……?)
湯気を立てる香りの良いお茶をじろじろと見ながら、ラドは真剣に考える。
「もしかして嫌いでした?」
ラドがしかめ面をしている理由をそう受け取ったらしい、レミアスはしゅんと肩を落とす。
「あ、いや、違う! 考え事をしてただけだ。頂くよ!」
ラドは愛想笑いを浮かべ、慌てて茶器に手を伸ばす。エリオスと同じ顔なのだが、可憐度はレミアスの方がはるかに上だ。こんな子が哀しそうな顔をすると、良心にグサグサと突き刺さるものがある。
「それで、ご用件の方は?」
向かいに座ったレミアスは、長い金髪(こっちはエリオスと違って勿論地毛だ)をさらりと揺らして、問いかける。
(な、なんか眩しい……!)
純粋な美少女というのはこういうものなのか。女装していたエリオスの胡散臭さとは比較にもならない。いや、そもそもあいつと比べるのが間違っているのかも。
「これから祭りに行こうと思うんだけど、一緒に行かないか?」
「祭り?」
「そ。この街は初めてで勝手がよく分からないし……、流石に祭りに一人ってのも寂しいからさ」
「で、でも、私も街のことはよく分かりませんよ? 今まで、外に出たことがありませんので」
申し訳なさそうに目を伏せるレミアス。
「別にいいさ。それなら、倍楽しそうだ」
「えっ」
パッと顔を上げるレミアスに、ラドはにっと笑う。
「初めてのものは何だって面白いもんだ。けど、あんたの兄さんは忙しいって言うし、あんたも忙しいんなら一人で行くが」
「いいえ、忙しくなんて! ……ほんとによろしいんですか? 私なんかと一緒で」
おずおずと伺うレミアス。
「勿論よろしいですよ、レミアスさん」
ラドは茶化して言い、エリオスとの違いに笑いの虫が湧いた。
「ハハ、面白いな、あんた。エリオスと同じ顔なのに、全然違う」
「面白い、ですか……? 初めて言われました。なんだか、嬉しい」
クスリと微笑むレミアス。
それだけで空気が和む。こんな女には初めて会った。笑っただけで周りを凍りつかせる女になら会ったことがあるが。
「じゃあ行くってことで、決まりな?」
「はい!」
にっこりと頷くレミアス。
その彼女をラドはじっと見る。
「行く前に、着替えた方がいいな」
「どこか変ですか?」
レミアスは、女性用の神官服に身を包んでいる。青い生地のワンピースに、青い靴。室内だからかベールはしていない。
「そんな綺麗な顔してんのに神官服じゃ、余計目立つからな。せめて上に何か羽織った方がいい」
ラドの指摘にレミアスは困ったようにクローゼットを見つめた後、「お父様に話してきます」と部屋を出て行った。
(あ、そっか。外套なんか持ってないよな)
少し経ってからようやく気付き、自分の失言に口元を押さえる。でもまあ、普通気付かないよな、と思い直した。
思ったより一章の分量が短いことに気付きました。