二章 呪われた右目が映すもの
神殿で寝泊り開始一日目の夜。
もう休もうと、ラドは寝巻きに着替え、昼間はつけている右目の包帯を外した。
包帯の圧迫感が消えたことで気が緩み、ぐっと大きく伸びをする。
「うーん、凝ってるな……」
肩を回していると、寝台正面にかけられた鏡に自分の姿が見えた。
「ほんと見事に金色だな」
魔物のような金目に、いっそ感心してしまう。金目自体は気に入らないわけではない。天然石のタイガーアイみたいで、むしろ綺麗だと思う。
しかし、目の色が変わっただけで、この目のどの辺が呪われているのだろうか。
ラドは左腕を見下ろす。
こちらの腕は、呪われているのはすごくよく分かっている。だんだん、自由に動かなくなってきているのだ。
気付かれると厄介だから、エリオスには話していないが。
左手を握ったり開いたりして感触を確かめていると、扉がノックされた。
「誰だ、こんな時間に……」
まだ深夜ではないが、夜更けもいいところだ。
神官達はもう寝ているのだろうか。静かだ。そもそも、この神殿自体が静かすぎて、人がいるのかも分からないのだけれど。
「はい、何ですか」
扉を開けて、ラドは眉を寄せた。
ゆるくウェーブをえがいた長い金髪と碧眼をした少女が立っている。
「エリオス、お前なにまた女装してんの?」
「……え?」
きょとんとするエリオスに、ラドは溜め息をつく。
「で、何の用なんだ?」
「あの、会ってみたくて……来たんです、けど」
エリオスがおずおずと言うので、ラドは首を傾げる。
「何言ってんの? 意味分かんないんだけど……」
言いながら、ふと、エリオスの右肩に黒い虫のようなものがついているのに気付く。中型の蛇くらいの大きさがある。わざと乗せているのだろうか。
「その虫、何。気持ち悪いぞ」
「え? 虫?」
きょろきょろとするエリオス。
「何だ、そんなにでかいのに気付いてないのか?」
ラドは眉をひそめつつ、虫の羽部分を掴んで持ち上げる。山や森での野宿が多いから、虫を触るくらい平気だ。
「うえーなんだこれ。初めて見たぞ」
思い切り顔をしかめた瞬間、ふらっとエリオスが倒れた。
「えっ?」
ぎょっとして、空いている左手で慌てて抱きとめるが、勢いにつられて一緒に床に倒れこんだ。
「イタタタ……、おい、どうしたんだよ、傷が痛むのか?」
エリオスが頭を打つのはギリギリで防いだものの、気を失ってしまったエリオスをラドは軽くゆする。
そこで、目の端に嫌な物が映った。
思わず手を離してしまった虫が、再びエリオスに引っ付こうとしていたのだ。
「げっ、寄るな!」
どう見ても害虫にしか見えないので、ラドは咄嗟に虫を踏み潰した。
「ぐあー、嫌なもん踏んだーっ! うわーうわー」
顔を引きつらせて後悔していると、騒ぎを聞きつけたらしい神官が駆けつけてきた。
「どうしたんですかっ?」
……男の格好をしたエリオスだった。
「エ?」
ぎょっと固まるラド。
何でエリオスが二人?
そこでふと思い当たる。
「あっ、もしかしてこいつ、レミアスの方か!?」
あまりに似ているので分からなかった。すげえ。双子の神秘だ。
などと感心していたラドだが、倒れているレミアスを見てそれどころではないと思い出す。
「エリオス! 大変なんだ、レミアスが突然倒れて……。どうにかしてくれ!」
「! レミアス!?」
エリオスは顔を青くしてすっ飛んでくると、レミアスを腕に抱き上げた。
「医師の所に連れて行きます」
「私も行く!」
駆け出したエリオスを追い、ラドも神殿の廊下を走り出した。
「全くもって健康そのものですよ」
医師の返事に、エリオスとシグエンは目を丸くした。
「………?」
騒ぎを聞きつけてすぐに医務室に駆け込んできたシグエンも、運び込んできたエリオスも、二人して首を傾げている。
「なんだ、良かったじゃないか」
あっさりとラドが言うと、親子二人で口を揃える。
「良くありません!」
当然、ラドは身を引いた。怒鳴られるのが大嫌いなのだ。機嫌がワンランク下がるのを感じた。
「あ、すみません、つい……。あのですね、レミアスは昔から身体が弱くて、健康体であるわけがないんです」
ラドが不機嫌になったのに気付いたらしい、エリオスは素直に謝ってそう付け足した。
「でも健康なんだろ?」
「ええ、そうです。私も驚いています。朝に診察した時は不健康でしたから」
話を振られ、医師は不可解そうに答える。
健康になって不安がられるなんて、なんておかしな事態なんだろう。もっと喜べばいいのに。
「ところで、ラドさん。あなたと話していて、突然レミアスが倒れたとおっしゃってましたが……、その時に何か変わったことはありませんでしたか?」
医師の問いに、ラドは思い出そうとしてみる。
「変わったこと? うーん……、エリオスと勘違いして話していたら、あ、そうだ、肩に黒い虫がついてるのに気付いたんだ」
「虫?」
エリオスは眉を寄せる。シグエンと医師も顔を見合わせている。
「そうそう。これくらいのでっかいヤツでさあ、気持ち悪いから取ったんだ。そしたら、急に倒れて……」
そう呟くと、三人は声を合わせた。
『それだ!!』
「……は?」
ラドには訳が分からない。
「それでラドさん、その虫はどうしたんです?」
「どうって……、またレミアスにくっつこうとしたもんだから、咄嗟に踏み潰した」
「踏み、潰した……?」
医師は唖然とし、間抜けみたいに口を開けてラドを凝視する。
そして、途端に堰が切ったように笑い出した。
「あはははは! それは参った! まさか〈病虫〉を踏み潰して消す人間がいるとは!」
腹を抱えての大笑いである。
ラドの機嫌がまたワンランク下がった。
イラッとしたラドは、医師の診察机にガッと足をかけて凄む。
「分かるように話せ」
「ヒッ、す、すみません」
医師は顔を青くし、慌てて説明する。
「幾ら回復しても何度も病気にかかる人間を〈病虫憑き〉というんです。レミアスもその一人で……」
「意味が分からん。その虫は何だ」
「だから、その虫に憑かれると病気になるんですっ。でも虫を取るには内側から治していかなくてはいけなくて、―― つまり薬で治すんですが、すごく時間がかかるので、えー……」
分かりやすく話そうとして、ますます混乱してきたらしく、もごもごと言いよどむ医師に、ラドはますますイラッとする。
「つまり、普通は薬でしか取れない虫を、私が素手で掴んで取ったから、あんたは大笑いしたわけだな?」
「そ、そうです! その通り!」
ラドは足を下ろす。医師はほっとしたように息をついた。
「君は前からそうやって虫を取ってたのか?」
シグエンに問われ、ラドは首を振る。
「まさか。初めて見たよ」
シグエンは難しい顔になる。
「つまり、呪いの作用ということか。〈病虫〉も魔物の一種だからな、呪われる代わりに魔物に対抗出来る力も得た、と、そういうわけだな」
「へえ、便利だな」
感心するラド。
「何感心してるんですかっ。半魔物にされたのと同じじゃないですか、それじゃ!」
ラドに代わって顔を青くしているエリオス。
「ますますのんびりしてられません! 書庫に行ってきます!」
そして、そう叫んでばたばたと医務室を出て行ってしまった。
「はあ、相変わらずうるさい奴だな」
ラドが溜め息をつくので、シグエンは呆れた目を向けた。
「君はもう少し慌てなさい」