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第一章・第九話 「留守宅」

 帰宅したのは九時半だった。

 ジェームスが誠宛に、自宅の留守番電話にメッセージが入っていると言う。彼の入浴中に掛かって来たそれは、日本語だったので放ってあると付け足した。

 ジェームスは「アリガト」と「サヨナラ」位しか、日本語を解さない。さては兄だろうと誠は即座に思った。新たな難題だったら頭が痛いけれど、もしや塩田綾がついに実家と連絡を取ったのでは、という期待感も否めなかった。

 半分わくわくしつつ、再生ボタンを押す。聞こえて来たのは意に反して、細い女の声だった。

「あの、私、浅井です。塩田綾さんの事でお話があるとユウコさんから聞いたので、お電話しました。また、電話します」

 それだけだ。自分の電話番号は残していないし、非表示でかけて来ている。わざわざ自宅に掛け、しかも自分の番号を残さない所を見ると、警戒しているのだろう。若い女性の事だから無理もない。誠としては、彼女が掛け直してくれるのを待つしかない。

 もう一度電話が掛かる事を期待したが、その晩、浅井友子からの電話はなかった。


 翌水曜の朝は、例の不動産会社の担当者と会うために早目に起きた。

 いつものように出勤の支度をしたが、ユニフォームのスーツでは物々しいかと思い、上半身は黒いポロシャツにした。

 昨日電話で聞いた所によると、コーンウェル不動産は塩田綾の学校に近いビジネス・ビルにある。

 二日前と同じ様に、誠は車をアラモアナ・ショッピングセンターに停めて歩いた。天気は相変わらず良いが、楽しい事をしに行く訳ではないので、日射しも気に障る。

 ビルの十階にあるオフィスは思ったより広かった。受付という程のものはなかったが、近くにいた女性が用を聞いてくれて、奥に通された。

 やって来た声の高い担当者は、アジア系の中年の男だった。

「やあどうも、私が担当のグレッグ・ヒラタです。何だか大変ですね。警察には連絡しましたかぁ?」

「今日、コンドミニアムの部屋を見てから決めます。ええと、まずこれが委任状です」

 テーブルの上にPower of Attorney を広げると、ヒラタ氏は「なるほどねぇ」としげしげと眺めた。

「これ、コピー取らせてもらっていいですかね? 後で間違いがあるといけないから」

 ヒラタ氏は一旦奥へ入り、戻って来た時には、委任状の原本と共に、何か台帳のような物を抱えていた。

「それと家賃をね、お願いしますよ」

 内心溜息を吐きながら、誠は持参した小切手帳を取り出した。昨夜は浅井友子から連絡がないかとそればかりを考えて、兄に連絡するのを忘れていた。

 ヒラタ氏の言う通りに、受け取り人の欄にコーンウェル不動産と記入する。

 銀行口座からの引き落とし制度が一般的でないアメリカでは、個人の小切手がどこでも通用する。最近は光熱費などはインターネットでの振り込みや、クレジットカードの支払いが主だが、こうした小さい会社は小切手が一般的だ。

「あの、領収書下さいね」

 最後に小切手にサインをし、そう頼んだ時、いじましく上目遣いになってしまった。

「おお、もちろん、もちろん。大金だものねぇ」

 ペーパーワークが終了し、さて出かけるのかと思いきや、ヒラタ氏は少し待ってくれと言う。もう一人同行者がいるのだが、仕事に区切りが着かないそうだ。

 女性の住まいを訪ねるので、男二人では塩田綾とかち合った際、警察に電話されかねないという配慮だ。同行してくれる彼女を待つ間。誠はヒラタ氏と世間話をして時間を潰した。

 一般的に、ハワイの人間は人種を問わず話好きだ。警戒心が薄いというか、それを皆、アロハ・スピリットと呼んでいるが、とにかく親しみ易い。

 本土の人間は冷たくて、お高くとまっていると多くの人が言うのも、ハワイの環境が普通と思えばそう感じるからだろう。ヒラタ氏も例外ではなく、誠はあれこれと出身や仕事の事などを聞かれた。

 誠が塩田綾が部屋を決めた経緯を尋ねると、幸いな事に覚えていた。学校がその時期入校した生徒を、何人か纏めて周旋したのだそうだ。

「あの学校の生徒さんは、金持ちが多いんだが、彼女はひときわだったね。ワンベッドルームで千八百ドルだもの。色々な物件を説明したんだが気に入らなくて、値段は構わないからって言うんであそこにしたんですよ」

 これまで誠が集めた情報だと、とにかく裕福という印象しかない。

 誠が力無く笑っていると、同行の女性が仕事を終えて来た。白人の若い女の子だった。二十歳位に見える。茶色の髪を無造作に束ね、化粧はしていない。彼女はヘレンと名乗った。

 帰りにアラモアナ・ショッピングセンターで降ろしてくれると言うので、誠はヒラタ氏の車に同乗した。

 ヘレンはあまり事情を説明されていないらしく、矢継ぎ早に質問をし、ついにはヒラタ氏に「ちょっと黙っとけ」とたしなめられていた。

 カピオラニ・ブールバードを通り、コンベンションセンターの角を曲がってカラカウア・アベニューに入る。コンドミニアムへ続く細い路地も、ヒラタ氏は馴れた調子で飛ばした。

 車を駐車場に入れ、エレベーターで一旦一階へ降りてから、念のためにインターホンの応答がない事を確認し、居住者用のゲートを専用の鍵で開ける。

 ヒラタ氏は淡々と居住者用のエレベーターに乗り込み、ボタンを押す代わりに、ボタンの脇の鍵穴に別のキィを差し込んだ。途端に三十一階を示すランプが点いた。

「すごくいいセキュリティーねぇ」

 ヘレンが感心して声を上げる。このシステムだと、そこに住んでいる人間以外は、特定の階に行く事は出来ない。訪問者がある度に、一階まで迎えに出なくてはならない手間はあっても、一階のゲートに加えて二重のセキュリティーだ。

 エレベーターが開くと、厚いオレンジのカーペットが敷かれていた。それぞれの部屋の扉は重厚そうな木製だ。3102号室の前に立つと、何となく緊張した気持ちになった。

 ヒラタ氏が鉄製のノッカーを何度か叩き、「ミス、シオタ」と呼んだが応答はない。

「コーンウェル不動産の者です。開けますよ」そう言いながらヒラタ氏が、ついにドアの鍵を外して開けた時、わずかに手汗をかいているのに気が付いた。

 玄関から繋がるリビングルームはひっそりと静まり返っていた。

 タイル敷きの玄関には、女性物のサンダルが一足脱ぎ捨ててある。玄関脇は天井まである物入れが、木製の格子の扉に仕切られてあった。誠はもじもじと靴を脱いだ。ハワイの家では常識として土足禁止になっている。

 足が埋まりそうなカーペットはクリーム色だ。玄関から見ただけでは分からなかったが、リビングルームは実に広かった。十畳どころではないだろう。窓は閉まっていたが、カーテンは半分開いている。

 正面に別のビルが建っているのでオーシャン・フロントとは言えないが、ビルの間から充分海が望めた。長方形のリビングルームの中で、窓に近い所にカウチとコーヒーテーブル、テレビセットが置かれ、玄関に近い場所にダイニングセットが置かれていた。テーブルの上に何冊か本が載っている。

 その奥、壁を挟んで玄関の隣がキッチンだった。

「埃が溜まってるよ」

 ヒラタ氏がテレビセットの上を指差す。頷いて誠は尋ねた。「ベッドルームは?」

 ベッドルームへのドアはリビングの窓側にあって、わずかに開いていた。思い切って押して入る。

 微かに体臭のようなものがしたが、格別三人を飛び上がらせるような物はなかった。リビングルームに比べれば狭いが、それにしたって誠のアパートのベッドルームとは、比べ物にならない。

 何か殺風景な印象を与えたリビングルームとは違って、さすがにこちらは生活感があった。ウォークイン・クロゼットの扉が開いていて、ベッドに何枚か洋服が掛けてあり、ベッドの足元の洗濯籠にもタオルなどが入っていた。

「彼女、帰っていないのかしら? どう見ても、当分留守にする予定で家を出た感じじゃないわよね」

 ヘレンの感想に、ヒラタ氏と誠はそれぞれ低い声で同意を示した。それでもスーツケースの有無を確認しようと、誠はクロゼットを覗いた。スーツケースを持っていない訳はない。

 赤い大きなスーツケースは、確かにあった。外の洋服やバッグも目に入り、誠は違和感を感じて眉間に皺を寄せた。

 ハンガーに掛けてある洋服は、いずれも派手なだけで安手の物だ。中には職業を疑われそうな程、短いタイトなスカートもある。そして大した枚数はない。

 棚に置いてあるバッグはたった二つ。片方は誠の勤めるブランドの物なので、直ちに新しい型ではないと分かった。もう一つも少々草臥れて見える。

 室内に外の物入れがないか事を確認して、誠は玄関に行った。訝しげな顔をする二人には、「ちょっと気が付いた事があって」とだけ告げた。玄関の収納を開ける。

 中にあったサンダルは三足だけで、高級ブランドの物だが古い。誠の頭にある疑念がよぎった。

 塩田綾は本当にここに住んでいる、あるいは住んでいたのだろうか。トレイシーが話していた、塩田綾が購入したバッグや靴はどこへ行ってしまったのだ。


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