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第一章・第六話 「学校」

「来ていませんね」

 微笑みをすっかり消して、彼女は小さい声で言った。

「彼女が入校したのは、ええと、去年の夏だったと思うんですけど、最初の頃はそりゃあ真面目に、毎日ちゃんと来てました。仲良しの子もいましたしね。よく授業の前後に、ここでお喋りしたんです。だから私も名前を聞いて、すぐ綾さんだと分かったんですけど」

 塩田綾が学校にあまり来ていないとなると、彼女が元気でいるかどうか確認する事は難しくなる。まさかコンドミニアムの前に張り込む訳には行くまい。

 落胆しながらも、誠は聞くだけの事は聞いておこうと思った。

「最初の頃というのは、どれ位の期間ですか?」

「三か月位かしら。その後は時々、一週間に一度とか、二週間も見かけなかった事がありましたね。最近は全然見ていません」

 一週間に一度では、学校に通っているとは言えないのではないか。案外さらりと言ってのける事務員に、誠は首を傾げて尋ねた。

「学校側では、出席状況によって生徒に連絡するとか、出席を促すという事はしないんですか?」

 事務員はもう一度苦笑した。

「しませんね。普通の大学や専門学校でも、出席するよう学生に連絡することは少ないでしょう? 学期の終わりに、各教員から提出される成績表に名前がなければ、修了証明書を出しませんし、規定を満たしていなければ、次の学期に登録出来ず、つまり学校に在籍出来ないことになっています」

 もっとも過ぎる説明に、誠は頷くしか出来ない。事務員は言葉を継いだ。

「遊びたいだけの子もいますけど、真面目に勉強している子が大半です。実際うちの教員は、優秀な人ばかりを揃えていますし。本当にやる気のある子しか授業には来ないので、内容の濃い授業になるんです。そうそう、以前、綾さんと仲良しだった子、今はUHに行ってる筈です」

 UHというのはユニバーシティ・オブ・ハワイの略で、ハワイ大学の事だ。この州立の大学に入るのには、かなり高い語学力が要求されると聞いた。

「そのお友達は、まだ綾さんと連絡取っているでしょうか?」

「多分。外には思い当たらないんです。浅井友子さんっていう子で、彼女の連絡先は、まだファイルに残ってます。規則で桜井さんに教える事は出来ませんが、私が連絡してみますよ。桜井さんの連絡先を頂けます?」

 思った通り、この事務員は面倒見がいい。

 誠は慌てて財布を取り出した。場違いは否めないが、会社で作ってくれた名刺が入っている。ペンを借りて、名刺の裏に自宅と携帯電話の番号を書き付けながら、質問を重ねた。

 コンドミニアムに関して尋ねると、この学校の生徒はほぼ一括して、近所のコーンウェル不動産に周旋していると言う。誠は別の名刺に、その名前を書き付けた。

「あの、塩田さんってどんな人ですか? 僕は会っていないので、聞いておきたいんです」

「美人、なのは写真を見れば分かりますよね。人当たりのいい、優しい人ですよ。入校したての時は、ちょっと影があるかな、と思いましたけど、すぐに明るくなって。でもこの前来た時は、痩せちゃってましたね。この前って、一月以上前でしたけど。もし良かったら、奥のスナックルームにいる子達に聞いてみて下さい。あの子達、授業は出なくても、ここに来て友達とお喋りするのは大好きなんです。最近、綾さんをどこかで見た子がいるかも」

 事務員は左手の廊下を指差した。

「この突き当たりを右です」

 言われた通りに行くと、突き当たりを曲がる前から、賑やかな笑い声が聞こえてきた。

 スナックルームという名の談話室は十畳ほどで、L字型のソファーには、いずれも二十代前半と見える五人の女の子が腰を下ろし、日本語と英語、中国語を取り混ぜて喋っていた。

 職業柄、見知らぬ若い女性と話す事は馴れている。誠は例のセールス・スマイルを浮かべながら近付いた。

 女の子の内二人が台湾人だった。日本語と英語で誠が簡単に説明をして写真を見せると、彼女達は興味深そうに写真を手に取り、ピンクのTシャツを着た一人が声を上げた。

「あたしこの人知ってるよ。クラブで時々見かけるもん。この学校の人だったんだ」

 早くも手応えがあったのは喜ばしいが、こういう時、誠は実感する。本当にホノルルは狭い。新宿や渋谷ではこうはいかない。

 彼女の挙げたナイトクラブの名前を頭に叩き込んで、誠は最近見たのはいつか尋ねた。

「いつだったかなぁ、覚えてない」

 ボーイッシュに頭を掻くピンクのTシャツに、隣の白いタンクトップが、「思い出したり、また彼女見たりしたら、連絡すればいいじゃない。番号貰っておいてさ」と言って、誠を上目遣いで見た。

 思い上がっているつもりはないけれど、店でも時々こういう事がある。

 若手俳優のGに似ているなどとも、しばしば言われる。思い過ごしかと思ったが、ピンクのTシャツの反対隣に座っているショートカットが、笑いを堪えているのが明らかだった。

「連絡はいいから、日本に連絡を入れるように伝えてくれるかな?」

 ピンクのTシャツが、「いいよー、塩田綾さんね」と承諾したのをしおに、誠はスナックルームを後にした。

 一歩外に出るや否や「あんた、見え見えじゃん」と、白いタンクトップをからかう声がした。

 受付に戻ってカウンターの事務員に挨拶した。丁寧に礼を言う誠に、彼女はしみじみと言った。

「生徒さんの全員にはしてあげられませんから、私は皆のプライベートには、触れない事にしているんです。でも、こういう事があるとやっぱり心配です。綾さんに会ったら、時々でいいから学校にも来るように伝えて下さい」

 もう一度礼を言って誠はドアを潜った。エレベーターで一階に降り、アラモアナ・ショッピングセンターに向かって歩き出す。

 歩きながら、今聞いてきた話を頭の中で纏め、誠なりに綾の状況を推理した。

 まず、最初の三か月は真面目に通学していた点は、至極当たり前だ。多分学校に来なくなったのは、外に友人かボーイフレンドが出来たと考えられる。あまり感心出来る付き合い方では、多分ない。

 おそらく出来たのはボーイフレンドだろう。年齢的な点から見て、彼女は結婚なども考え、両親に告げた際に衝突したのではないか。

 両親の気に入る条件、或いは相手ではなかった事が彼女を痩せさせたのだろう。立腹、もしくは懊悩して、連絡を絶っていると誠は考えた。

 ふいに昔、日本の新聞で見たことのある広告を思い出した。「綾、許す。連絡せよ」という文面が頭に浮かび、誠は可笑しくなったが、どうもこの場合、自分が三行広告の代わりを果たさなければならないらしいと思い直してげんなりした。

 さてこれからどうしようかと、時計を見ると十一時半だった。

 日本時間では一日先、つまりゴールデン・ウィーク明けの火曜の朝、午前六時半だ。日本とハワイの時差は十九時間で、日本の夜に電話を掛けようと思うと、ハワイでは深夜になる。

 塩田綾のコンドミニアムと学校へ行った事を、兄に報告して、今後はどうして欲しいのか聞きたかった。この時間なら出勤前で、家にいる筈だ。

 車の中から電話すると、兄はまだ自宅にいて、誠の報告と推察に唸り声を上げた。

「そうだな、そういう事もあるかもな。あの院長先生は保守的だから、娘がハワイにずっと住みたいとか、アメリカ人と結婚したいなんて言ったら怒りそうだな」

「留学はいいのかい?」

「一年間だけとせがまれたそうだ。とにかく、塩田先生に報告してみるよ。もしお前の言ったような背景があるんなら、何かほのめかすかもしれん」

「この後俺は、何をすればいい訳? 探偵まがいの事は出来ないよ。それに偉い人だったら、外にも一杯コネがあるんじゃないのか? そういうのを使って、もっと本式に娘さんを捜したらどうなんだろう」

 ついつい口調が、愚痴っぽくなってしまった。

「いや、すまん。塩田病院は、実際でかい病院なんだ。コネもあるだろうけど、この町は昔から住んでる人が多くて、皆が知り合いなんだよ。俺なんかに頼んだのは、余所者だし、二、三年で本社に戻る予定だからさ。俺に『喋るな』って言っておけば済むの。土地の人に頼んだら、塩田病院のお嬢さんがハワイで連絡取れない、なんて話は音速で広がって、二十年は語り継がれるよ」

 言いながらもそういう土地の習慣を、馬鹿にしている風はない。むしろ楽しんでいるようだ。

「今から院長先生に電話するよ。それで掛け直す。今日は休みか? あと手紙に書き忘れたんだが、お前のメール・アドレスは向こうに教えてあるから、そっちに何か連絡が入るかもしれない」

 誠が曖昧に返事をしている内に、兄は電話を切った。

 やれやれと呟いて車を出す。今日はもう塩田綾の事は終わりにしたかった。

 何か指示があったとしても、緊急でない限り明日以降にしようと決めて、アパートに戻った。まだ十二時だ。午後はビーチに行って、送って貰った本でも読もう。

 古いバックパックに日焼け止めや本を突っ込んでいると、電話が鳴った。兄だ。

「おい、院長先生は、腹立てられるような事はないみたいだぞ。学校の事、柔らかく言ったせいか、それはそんなに驚いていなかったけど、とにかく何としても彼女を見付けて、連絡を入れさせてくれってさ。必要なら、コンドミニアムの部屋に踏み込んでも構わないそうだ」

 誠は院長先生とやらの頭の構造がよく理解出来なかった。

 そんな風に他人に、娘のプライバシーを見せるのも厭わない程心配なら、なぜ自分でハワイに来ないのだ。

 兄を相手に抗弁しても仕方がないし、一度は引き受けた話だ。誠は短く「分かったよ」とだけ言った。

 付け足しのつもりで、ハワイにも興信所はあるよと言っておいた。


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