第四章・第十二話 「それぞれの反応」
暴風雨が過ぎ去るまで、しばらくかかった。
警察は誠がその場に居合わせた事は発表しなかったものの、どこからか漏れ聞いて話を聞きたがる電話が店に頻繁にかかったし、直接尋ねて来る報道関係者もいた。
警察の事情聴取の為に仕事を休み、一旦は仕事に復帰したものの、報道関係からの連絡が多くて、また仕事を休んだ。お陰でその年一杯の有給休暇を使い果たしてしまった。
警察に包囲された状況での殺人と自殺は、実にセンセーショナルな事件として扱われた。まして被害者は日本人だ。ニュースはいち早く日本にも伝えられて、大きな話題になった。
様々な報道の中で、ナナウエはゴールデンのオーナー及び関係者の薬物使用を摘発させるために、思い切った行為に踏み切ったのだとされていた。人質を取って、ナナウエの出した最初の要求というのは、ゴールデンを家宅捜査することだった。以前に情報提供があった事なども手伝って捜査は敢行され、結果、大量の非合法薬物が押収された。
ナナウエの共犯者達は、「ドラッグに手を出してる日本人を懲らしめるため」に協力したと供述したそうだ。
ナナウエは、実際に危害を加えないから大した罪にはならない、と彼らを説得し、彼らは「純粋な義侠心」から「義挙」に参加をしたと主張しているが、キャプテン・サトーは「まあ、大金をはずんで貰ったんだろ」とこっそり私見を誠に洩らした。
彼らもまさかナナウエが自殺をするとは思っていなかったようだ。
人質が解放された時点で、既に薬物を発見していた警察は、ナナウエが言い残した通り、人質にドラッグ反応テストを要請し、全員が陽性という結果を得た。その中の一人、日本の歌手は薬物使用が大々的に報道され、再起不能かもしれないとインターネットに記事が躍った。
実は誠もテストを要請され、たった一人陰性の結果が出た。もっとも人質ではなかった事もあり、キャプテンも「そうだろうと思った」と簡単な感想を述べただけだった。
事件から三、四日して、ようやくナナウエの「義挙」の動機が報道された。誠が事情聴取の段階で告げた塩田綾の一件を、人質の一人だったミカが肯定したためだ。
しかし事実とは違い、恋人が悪事に染まって死んでしまい、その契機を作った人間達への復讐という美談めいたものになっていた。
とはいえ誰が何を言おうとも、塩田綾も、ナナウエもそして金田も反論することはないのだ。
塩田綾の名前が報道された直後に、兄がひどく慌てて電話をして来た。
「お、お、お前、知ってたのか?」
兄がこんなに吃るのを聞くのは初めてだ。正直に言えば、彼を怒らせるか傷付ける事になるかとも思ったが、精神的に疲弊していた誠はあっさり肯定した。
「黙っててごめん。でも言えなかったんだよ」
誠の名前がマスコミに流れた訳ではなかったから、知らなかったとあくまで言い張る事も出来た。けれども本当の事を言って、兄に甘えてみたいような気がしていた。
「そうか、そうだよな。俺、お前にえらい事押し付けちゃってたな、すまん」
兄は恐縮し切って何度も謝り、誠はいいんだ、と言う事で彼に甘えた。
一度帰省したらどうだ。有休使っちゃったんだよ、という会話の後で、兄は独り言のように「俺も一度ハワイに行ってみようかな」と言った。そして思い出したように、塩田文美の夫、徹が予定を繰り上げてハワイに行くからと告げた。
院長先生は周囲が騒がしくなって、とても「それどころ」ではないそうだ。
自分の全てを打ち明けた訳ではなくとも、労りと甘えが交わされる家族関係は誠をほっとさせた。おそらくいつかは家族に話さなければならない時が来るだろう。電話を切って、甘いような苦いような感情を味わいながら、誠は今じゃないだけだと自分に断りを入れた。
泣きながら電話をして来たのは緑だった。
泣きながらというよりは、誠の声を聞いた途端に涙が出たらしい。何回かけても留守番電話サービスに繋がるだけだったから心配したと前置きして、改めて帰国の手伝いをしてくれた礼を述べた。
ほんの僅かな時間しか経っていない筈なのに、緑の話しぶりは随分落ち着いていた。いつか緑と一緒に、塩田文美に会いに行こうという決心は、今やあまり意味のないものかもしれなかったが、誠は、こんな事を考えていたんだよと苦笑混じりに話した。
「行こうよ。あたし、綾さんの妹に会いたい。向こうはもう、ハワイにいた人間になんか会いたくないかもしれないけど、でもいつか会いたい」
いつかというのは便利な言葉だ。生きている限り有効の切符のような物かもしれない。使うかどうかは分からないが持っている、といった所だろう。
兄や緑からの電話を受けた後の一日、誠はキャプテンから呼び出しを受けて、警察へ赴いた。電話で、渡す物があるからと言われて、頭を捻りながら警察署のあるダウンタウンへ車を向けた。
意外に雑然としたキャプテンのオフィスで、誠は一通の封筒を渡された。
「君に宛てた物だったが、捜査に関わる可能性もあったんで検閲させて貰ったよ。悪く思わないでくれ」
あの晩から何度もキャプテンには会って、実は親切な人なのだという事も分かっていたが、その日は一際優しい目をしていた。誠は狐に摘まれたような気分で、草臥れた封筒を開けた。
中の紙は、よくある黄色の罫線紙だった。四つに畳まれたそれを開くと、ぞんざいで大きな肉筆が目に飛び込んで来た。
マコトへ
俺は死ぬ。
アヤには悪いことをした。彼女のことを愛してなかった。
俺のお袋が、もうちっとましな女だったら良かったのに。
俺が本当のシャーク・マンで、お前のことを喰っちまえれば良かった。
俺の指はお前が持ってろ。
さよなら。
ナナウエ
驚愕のあまり口が利けず、誠は何かを求めてキャプテンの顔を凝視した。
「うん、彼が、彼の遺体のポケットに入っていたんだ。それで質問なんだが、指ってのは何だい? 確かに彼の左手小指は最近切断されたようだったが」
幾分口ごもりながら、誠はまだ冷凍庫にあるナナウエの指の話をし、キャプテンは驚嘆の声を上げた。
「彼は、自分の父親がヤクザだから、自分も申し訳ない事をしたんで指を切り落としたって言ってました。必要ならお渡しします」
No, No, We don't need it. 大袈裟な手振りで断ってから、ふいにキャプテンは痛まし気な目をした。
「指を切るのは、ヤクザだけじゃないだろう? 意味は全然違うようだけど」
彼の言った意味が掴めず、何です、と聞き返した誠に、キャプテンは又手を振った。
「いやいや、何でもないよ」