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第四章・第十一話 「後甲板」

「 Nanaue! It's me, Makoto. I'm here. Nanaue! Can you hear me!? 」

 最初の第一声は声が掠れたが、続いて出た声は自分でも驚くほど大きかった。

 答えは直ぐに返って来た。

「来たか? 待たせやがって」

 聞き覚えのある声がしたかと思うと、重い物を引き摺る音がし、日本人の男に銃を突き付けたナナウエが姿を現した。男は後ろ手に縛られ、猿轡を噛まされている。

 相当痛め付けられたらしい事は、腫れ上がった顔とあちこちに付いた血が示していた。

 彼がこめかみに当てられた銃口を嫌って、顔の角度を変えた際、誠はそれがゴールデンの金田だと気が付いた。

 ナナウエの銃は小型のライフルか散弾銃のようなものだ。肘まで届く大振りのそれを、ナナウエは慣れた風に扱う。別の拳銃がジーンズの腹に押し込まれていた。

 誠と視線を絡ませて、「よう、調子はどうだい?」と顎をしゃくる。

「ナナウエ、何やってんだよ? あんた流の復讐か? アヤ・シオタの?」

 地団駄を踏むような調子で誠は詰問した。船上のナナウエはひどくのんびりした風情をしている。それが金田の状態を脇に、グロテスクな感じすらした。

 恐ろしく緊張している誠と対照的なナナウエは、にやっと笑って低く唄いだした。

 ラジオで時々耳にするハワイ語の歌だ。サビの一部だけが英語で、「キスして誰にも言わないで」という歌詞のそれは、本来美しいファルセットが特長なのだが、今はナナウエの低い声が耳に響く。

 一節唄って止め、ナナウエは鼻で笑った。

「ああ、全く俺はどうかしちまってるぜ。お前に会わなきゃ良かったな」

 再びゆっくりした口調で誠に向かって言う。ドラッグをやっている訳でもなさそうだ。暗めの照明でも分かる程、彼の瞳は落ち着いている。

 視線を外すとナナウエは、金田に向かって何か囁いた。金田が唸り声を上げて身を捩る。その頬をナナウエは拳銃のグリップで無慈悲に殴った。

「止めろ、ナナウエ。もう充分だ」

 誠の叫び声を無視して、もう一度殴る。嫌な音が誠の所まで届いた。倒れそうになった金田の髪を掴んで支えると、ナナウエは彼に膝を突かせた。金田の荒い息が聞こえるようだ。

 金田の襟の後ろを掴んで、ナナウエは視線を誠の方に戻した。唇の端を吊り上げた皮肉な笑みが浮かんでいる。いつか見た表情だ。

 瞳は誠を見据えたまま、銃が誠の方を向いた。髪が逆立った。

 銃口がこれ程人間に恐怖を与える物だとは、今の今まで知らなかった。黒光りするそれの中心に開いた穴は、正確に誠の頭に向けられている。

 射程距離の短い拳銃ではない。ナナウエの指の力一つで、誠の頭はいとも簡単に吹っ飛ぶだろう。

 身動きも出来ず言葉も出せないで、誠は銃口を見やり、ナナウエに視線を戻した。人殺しというのはこんな目をしているものなんだろうか。生殺与奪の権を手にすると、人間は急に優しい目をするのかもしれなかった。ナナウエの優しい瞳を誠は初めて見た。

「殺すよ」

 実に優しい声だ。塩田綾にもこんな声で話しかけたのかもしれない。

 こんな時に限って命乞いの言葉が思い浮かばない。視線を動かすことも出来ずに、誠は目を見開いて心の中で叫んだ。「ごめんよ、ジェームス。俺、死ぬみたいだ」

「何でお前は騒がないんだ?」

 大仰な舌打ちと共に、ナナウエは銃を持った手を下ろした。

 誠の髪は逆立ったままだ。まだ口も利けない。

「お前は殺さねぇよ。警察に色々喋ってもらわなきゃならねぇもんな」

 ふいにナナウエは声の調子を変え、誠の後ろの警官達に向かって宣言した。

「もうすぐ人質を解放するぞ。警察はすぐに人質を収容してドラッグの検査をしろ。それと同時にこの船もすみまで捜査するように。すごい物が見付かるぜ」

 肩の力が少し抜けた。ナナウエは金田達の薬物使用を検挙させるために、こんな荒っぽい方法を採ったのだ。

 瞳を誠に戻したナナウエはちょっと悪戯っぽく笑い、誠も苦笑を返した。

「日本人にも色々いるってのが分かったのは悪くなかったな。誠、俺は……」

 呟くように言ったナナウエの瞳が一瞬強くなった。

 俺は何なんだと、問い返す隙はなかった。

 ナナウエの右手の銃が、金田の襟を掴んだ左手の方を向いて、乾いた音を数回立てた。塩田綾が落ちた手摺り越しに、誠は血飛沫が甲板に飛び散るのを見た。

 全てがスローモーションのように見えた。

 ナナウエの手を離れた金田の体は、そのまま甲板に突っ伏した。

 誠ともう一度視線を交わし、ナナウエは銃を捨て、ジーンズから拳銃を抜き取った。何の感慨もなさそうに銃口を口の中に入れる。


 誠は叫んだかもしれなかった。

 銃声は確かにしたのかもしれなかった。

 音が一切消えた空間で、誠は後ろに倒れて行くナナウエの体を見ていた。


 後甲板の手すり目掛けてジャンプしようとした誠を、誰かが後ろから抱き留めた。

「まだ仲間がいるんだ、危ない」

 抵抗虚しくパトカーの影に引き摺り込まれて、誠は脱力してしまった。たった今見た物は何だったのか、脳が認識することを拒否しているようで、何も分からず、ただ放心した。

 それから後は、無感動に船を眺めていた。

 ナナウエの発砲が合図だったかのように、共犯の男達三人はあっさり投降した。

 彼らもまた、ナナウエがした事を信じられないようだった。武器を捨て、挙げた両手を後ろに回されて、別々のパトカーに乗せられた。彼らが下船したのと同時に、銃を持った警官隊が船に乗り込んで行った。

 英語に混じって、日本語の悲鳴にも似た声が聞こえて、誠は人質が保護された事を知った。


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