第四章・第六話 「フィッシング」
この際、ジェームスが忙しくて帰宅が遅いのは幸いだった。
アパートへ帰ると、誠は買い物の度に取ってあるスーパーマーケットの袋を三重にして、その中に指の入った密封式のビニール袋を入れることにした。出来るだけ目を逸らしつつ三重の袋に放り込み、即座に小さく包んで梱包用のテープで巻く。それだけでは足りない気がして、デパートの小さな紙袋に入れて、冷凍庫の隅に押し込んだ。
その作業で神経がすっかりささくれ立ってしまった。
着替えもせずにベランダへ出て、誠は立て続けに煙草を吸った。この先、どれ程の事が自分の人生に起きようとも、バラバラ殺人だけは出来ないことがよく分かった。当分、肉は食べたくない。
思い立ってジェームスの職場へ電話を入れる。外食しないかという誘いに、ジェームスは嬉々として乗った。冷凍庫の件を打ち明けるには、食事を済ませてしまってからの方が良い。
自分のコンディションと懐具合を考えた上で、誠はほどほどの日本食レストランを挙げた。
銀鱈のソテーを頼んだのは決して間違いではなかったのだが、ジェームスの頼んだ鮨のセットを見て誠は青くなった。鉄火巻きは、気味の悪い食べ物だと生まれて初めて思った。それでも視線を逸らすことで何とか無事に食事を終え、日本酒が程良く回った状態で、誠は事の顛末を話し始めた。
ナナウエが持って来た証拠というのは、実は自分の小指で、という辺りからジェームスの顔が青くなった。勘が良いのは商売柄か。
「まさか、まさか、君……」
日本酒のグラスを震わせるジェームスに、誠は上目遣いで言った。
「ごめんよ」
僅かの間ジェームスは支離滅裂な事を言って取り乱した。
この男もバラバラ殺人は出来そうにない。
帰宅してからも「落ち着かない」を連発していたジェームスは、市販の睡眠薬をアルコールで流し込んで、ベッドに潜り込んだ。
「それ、まさかずっとそのままにしておく訳にもいかないだろう。ローランドがカフナを知ってる筈だから、お祓いをして貰って、どこかに埋めるなり、海に流すなりしたらどうだろう」
半分眠ったような声を出して、それでもアドバイスをくれた。
カフナというのはハワイに元々伝わる宗教の神官で、現在でもお祓いや土地の儀式では何かと頼りにされる人々だ。
なるほど、と誠は思った。誠自身、ハワイアンの知り合いは少ないので思い付かなかったが、お祓いというのなら、オアフ島に幾つもある日本の神社やお寺でも良さそうだ。埋めるのは場所の選択が難しそうだが、沖に出るのなら海に流すのはいいアイディアかもしれない。
ハワイの海は場所によって散骨が許可されている。
対処の仕方を思い付いたせいか、誠も穏やかな眠気に包まれた。しかし、少々物騒な夢を見て、寝汗は大分掻いた。
それからほぼ一週間の間、誠はさっぱり釣れない釣り人の気分を味わった。
ゴールデンの宿泊客に関する情報は、さっぱり入って来なかった。自分の接客した相手でも、時折ゴールデンに逗留している客はいたけれど、何処をつついてもドラッグのドの字も出て来ないような雰囲気の人ばかりだった。
元よりそう簡単に行くとは思っていなかったが、どこかで期待する部分もあっただけ、失望と倦怠が重なった。
「釣りって言っても、餌があるわけじゃないから、どっちかって言うと投網だな。丁度いい魚が通るまで、投げまくる訳だ」
釣り人の喩えを出した誠に、ジョージは投網と言って、ハワイアンの唄の一節を口ずさんだ。ハワイアンの地引き網のような漁を歌ったものだ。
ポピュラーな唄で、フラで踊りもつけられているから誠も知っている。歌いながらフラの腰つきをしてみせるジョージに、フロアに居合わせた女性客が笑った。
昼過ぎの店内は閑散としている。誠はジョージと一緒に一階担当だった。
誠もつられて笑いながら、焦っても仕方がないと気分が楽になった。そして、まだ冷凍庫の隅に眠っている例の物を思い出して、そちらを急ぐべきだと反省した。
週末は仕事で、ジェームスと時間が合わせられなかったし、自分の休みは、欠けた歯を何とかするために歯医者へ行ったりで、ナナウエの欠片は後回しにしてしまったのだ。
始めは騒いでいたジェームスも、二三日する内に馴れて来たらしい。さすがに冷凍庫の食材には手を付けないが、氷くらいは平気で使っている。誠はステーキこそ食べたくないが、ハンバーガーやフライドチキンなら大丈夫だ。
この慣れがいけない。誠は自分を叱咤した。
こんな事では自分のルーズな性格から言って、何年も同居しかねない。
しかし、お祓いをして貰うのはいいが、何処の海域に捨てればいいのか。それに沖まで出て行くには船が必要だ。ジェームスの同僚がヨットを持っているので、頼めば出してくれるという事だけれど、生憎その同僚は、ジェームス以上に忙しいそうだ。
いっそお祓いして貰って、山の方にでもこっそり埋めてしまおうかと乱暴な事を考えていた時、日本人の客が入って来た。
中年の男性と二十歳そこそこの女の子という組み合わせだ。娘と父親という関係でないことは、どことなく見て取れた。
男性の方は、サマーセーターにスラックスを合わせた無難な服装だが、ゴールドのブレスレットは頂けない。女の子の方はロウ・ウエストのジーンズから今にも下着が見えそうだ。
彼女が背を向けた時に、タンクトップの肩紐の間から蝶の刺青が覗いた。エアブラシなどで描く、インスタントではなく本物だ。
何かを探している風の女の子に、ジョージが笑顔と共に「女性物ですか?」と声を掛ける。女の子が答える前に、男の方が「両方だ」とぶっきら棒に答えた。
「女性物は二階になっております。男性の物はどういった物をお探しでしょう?」
ジョージは笑顔を崩さない。誠は先程スーツを二着も買った上客に恵まれたので、ここはジョージのアシスタントを勤めようと思い、後ろに控えた。
「書類鞄みたいなの、あんだろ?」
乱暴な調子の客は珍しくない。誠が速やかに何点かのブリーフケースをショウケースの上に並べると、ジョージが中を見せたりしながら流暢に説明を始めた。
客はその一々に難癖を付ける。「ここのポケットが気に入らない」とか「仕切りが多すぎる」といった具合だ。若い女の子の前で、「こだわりのある男」を演じているように見える。それはそれで可愛らしい事なのかもしれないが、言葉遣いがあまりに横柄で誠は内心鼻白んだ。
散々時間を掛けた末、客はブリーフケースではなく財布を買うことに落ち着き、女性物を見たいという女の子のために二階へ上がった。ジョージの担当という訳だから、彼も男の決めた商品を持って、二階に付き従った。代わりに二階担当の君代が降りて来る。
今日は全然ついてないと言う君代を慰めつつ、無駄話をしていると、マークまで降りて来た。ジョージを手伝おうとしたところ、客の男に誹られたとむくれている。
「何て? あんた日本語分かったのかい?」
からかい半分に尋ねると、マークは頬を膨らませた。
「『オカマ』っていう日本語位は僕も知ってるの。指なんかさされて、ムカついちゃった」
誠は君代と顔を見合わせた。ジョージは大変だろう。もう二階で頑張っているのは雪子一人だ。きっとセールを自分のものに出来ないか、とジョージの隙を狙っているのに違いない。
一瞬、助太刀に行こうかと思ったが、雪子が文句を付けてくるのは必至だと思い直した。
君代とマーク、それに警備員のジョシュアを相手に無駄話をし、時折入ってくる客を捌きながら誠は何度か時計を覗いた。三十分も経っている。
その間、客が二階へ行く度、君代とマークが代わる代わる二階へ上がって、接客がてら様子を窺い、その都度首を振りながら降りて来た。客は雪子に拐われ、ジョージはまだ件のカップル相手に悪戦苦闘らしい。
四十分を過ぎて、漸くジョージが客と一緒に降りて来た。女の子は肩から大きな袋を提げて嬉しそうだ。ジョージもそれなりに収穫があったということだろう。
最敬礼と共に、ふんぞり返った客を送り出すとジョージは心底疲れたような溜息を吐いた。フロアに客がいないことを確認して中指を立てる。
「嫌な野郎だったぜ」
本文中、登場人物が睡眠薬とアルコールを同時に摂取している場面がありますが、決して真似しないで下さい。