第四章・第五話 「証」
若干、残酷描写と判断される場面があります。苦手な方は、ご注意下さい。
顎をしゃくって、ナナウエは足元を示した。スーパーの青いビニール袋がある。十五センチ四方程のそれを誠は屈んで取り上げた。冷たい。
「氷が入ってるからよ。氷の中に、ビニール袋に入ってあらぁ」
言われた通りに氷を掻き分けて、驚愕のあまり誠は袋を取り落とした。氷の欠片が飛び散った。
「何、やってんだ」
慌てて後ろから手を出し、袋に氷を戻そうとしたジョージも凍り付いた。
密封式のビニール袋の中に入っていたのは、血に染まった人間の指だった。
ようやくナナウエがポケットから左手を出した。短くなった小指が、包帯でぐるぐる巻きになっている。
「親父の真似をしてみた訳さ。俺はヤクザの息子だからな。ヤクザってのは、ヘマしたり気持ちを伝えたりするのにこういう事をするんだろ?」
血の気が引いた。
「俺はゴールデンのくそったれ共と関係ねぇって」
棒立ちになった誠の脇で、ジョージが唾を吐いた。
「分かるもんか。お前があの可哀想な日本人の女の子にした事、知ってるぞ。ゴールデンの連中と変わりねぇじゃねぇか」
気丈さを保っていられるジョージに、誠は心から感謝した。
「だから指、切り落としたじゃねぇかよ」
ナナウエも顔が青い。木に体を凭せかけて、喋るのも苦しそうだ。
「ハロウィンの玩具じゃねぇのか?」
「そう思うなら見てみろや」
二人のやり取りに、誠は足元に置いたままになっている袋に手を伸ばした。あまりの事に絶句してしまったが、検分は自分がすべきだろう。こんな手の混んだ騙し方をするとは思えないが、もしそうだったら只では済まさない。
不気味さと忌々しさに奥歯を噛み締めながら、誠は密封式のビニールを開けた。
血の匂いが鼻を衝く。すっかり冷たくなってはいたが、人肌の感触だった。摘み上げて爪に触れ、切断面から覗く骨を認めた途端、胃液が逆流した。
大した量の吐瀉物ではなかったので、ユニフォームも、それからビニールの中身も汚さずには済んだが、罅の入った肋骨がひどく痛んだ。
誠が落ち着くのを待って、ジョージが自分の車から古いタオルを持って来てくれた。
「分かったか? その指は綾の家族にでも渡したらいい。じゃ、お前の計画とやらを聞かせて貰おうじゃねぇか」
手と口をタオルで拭って、誠はナナウエに向き直った。
「ああ、ただし何でそんなに聞きたがるのかだけは言ってくれ」
異常な物を見た驚きと気味の悪さで、思考は停止状態だったが、辛うじてその疑問だけは湧いた。ゴールデンと繋がっていないなら、何故ここまでして誠の計画を知りたがるのか。
「気分良くないからな。お前が何もしないってんなら、何か嫌がらせ位はしてやろうと思ったのさ。けど何かやるんだろ? なら俺は指も切ったし、これでサヨナラだ。ただ何をやるのかは聞いておきてぇと思ってよ」
彼の言っている事は支離滅裂だ。ゴールデンと関係はないという事を証明し、誠から計画を聞き出す為にこんな思い切った事をしたのではないか。指を切断した事と、ゴールデンとは無関係だという証明は論理的には成り立たないが、誠は仕方なく簡単に計画を説明した。
「警察に手蔓はあんのかよ?」
ナナウエの質問に誠は口ごもりそうになったが、ジョージがきっぱりと「あるさ」と断言した。
「そうかい、けど多い方がいいだろ? 俺も警察には結構知り合いがいるんだぜ、気が向いたら電話しろ。番号はまだ持ってるだろ?」
「あんたが、警察に?」
思わず甲高い声を上げてしまった。ナナウエは痛みを堪えた顔で苦笑した。
「でなかったら、何で今まで俺みたいのが、前科ナシでいられたと思うんだ?」
それで会話はお終いだというように、ナナウエは軽く右手を振り、木から離れて歩き出した。同時に駐車場内の離れた位置に停まっていた車が動き出して、ナナウエに近付いた。古い形のフォードだ。窓を全開にした運転席には、ハワイアンらしい男が乗っている。
誠達を振り返りもせずに、ナナウエは車の助手席に吸い込まれた。
フォードが走り去ってから、誠とジョージは顔を見合わせた。足元にはあの忌まわしい青いビニール袋がある。
誠が言葉を探している内に、ジョージは苦虫を噛み潰した顔で、「何か飲んで考えよう。喉がからからになっちまった」と提案し、誠は溜息で賛同の意を示した。
ひとまずビニール袋を車の下の日陰に置き、二人は近所のコンビニエンス・ストアで飲み物を買った。誠は口を濯ぎたかったのでよく冷えたソーダを買ったが、ジョージはホットコーヒーを買った。この暑いのに、という誠の顔を読んでジョージは笑いもせずに言った。
「さっきの見たら寒くなった」
駐車場に戻り、誰もビニール袋に触れた形跡がないことだけを確認して、日陰になっている縁石に腰を下ろす。ユニフォームの汚れを気にする余裕はなかった。
「彼の指、どうしよう?」
ソーダで口腔の嫌な感触を洗い、煙草に火を点けてから誠は口を開いた。先だってのように血と泥を流すよりはましだったが、どうにもこの所ついていない。
「嫌になっちまうな。ああ神様、あの男はどっかおかしいぜ。指なんか切り落とすか、普通?」
「彼女の家族に渡せって言われても、渡せないって。でも捨てるのも悪いしなあ」
いまだかつて、これ程処分に困る贈り物をされたことはない。誠が頭を抱え込むと、ジョージがいささか自棄気味に言った。
「とりあえず今は持ってろよ。その内いい処分の仕方を思い付くさ」
「持ってろって、どうやって?」
「うん、冷凍庫にでも入れて置けばいいだろう」
的確な保存場所と言えばそうかもしれないが、冷凍庫に人間の指を発見して倒れそうになっているジェームスが頭に浮かんだ。
「切り落とされた指と同じ所に入ってる食べ物を、食う身にもなってくれ」
誠のアパートの冷蔵庫はかなり大きいから、当然、指一本分のスペースが取れない訳はない。ただし冷凍庫には、常に買い置きの冷凍食品や肉が入っている。何となく、指と隣り合わせて置かれた肉を食べるのには抵抗を感じる。
「じゃあ、どうするんだよ? 下手な場所には捨てられないぜ。万が一見付かったら騒ぎになる」
涙が混じりそうな程情けない溜息を一つ吐いて、誠は頭を垂れた。
「しょうがねぇ、ジェームスには謝り倒すよ」
「気の毒なこった。アイスクリームなら奢ってやるからな」
誠の肩に手を掛け、軽く揺すりながらジョージが慰めた。どうも彼の家の冷凍庫にはそれしか入っていないようだ。