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第四章・第二話 「計画」

 誠は無理矢理笑った。

「二週間や三週間じゃ、意味ないだろ? あんまり長く行ったらジェームスに浮気されちまう。それに、一遍脅しがあったって事は、こっちが何もしなければ口封じには出ないんじゃないかな」

 しばらくの間、三人は黙ってそれぞれの飲み物を啜った。

「それで、誠はいいの? あれだけ色々苦労して彼女を捜して、こんな怪我までさせられてパウなわけ? 確かにこれ以上、危ないことをするのはまずいけど……。店を出た時に、声をかけて来た男って、見覚えないの?」

 トレイシーが沈黙を破った。パウとはハワイ語で終わりを意味する。誠は唇を曲げた。その唇も所々切れていて、不気味なアクセントになっている事は鏡を見て知っていた。

「良かないけど、俺が警察に駆け込んでも証拠がなけりゃ相手にして貰えないだろ? 向こうが証拠隠滅するのは簡単だろうし、緑は自分もドラッグに手を出してたから、きっと証言しないよ。俺に声をかけて来た男は、全然見覚えがない。多分、俺の知らない男を使ったんだろう」

 遣る瀬ないという言葉が、今の気分には何よりも当てはまる。誠はテーブルに置いてあった煙草に手を伸ばし、火を点けた。ジョージにも灰皿を勧める。

「吸っていいよ。ジェームスいないから」

 気怠い風にコーヒーを啜るトレイシーに対して、ジョージは恐ろしい勢いで一本目を灰にした。間を置かず、二本目に火を点ける。と同時に妙な気合いを発した。驚いて顔を見ると、ジョージは勢い良く口を開いた。

「よし、何とかしよう。日本語で何て言うんだっけ? カタキウチ?」

「どうやってだよ? 今、警察には行けないって言ったばかりじゃないか」

 怪訝そうな誠に、ジョージは鼻から豪快に煙を出してみせた。

「現行犯で押さえればいいんだろう。長期戦になるだろうけどな。金田ってオーナーは日本から客が来ると、怪しげなパーティーを開くんだろ? いかにもそれっぽい芸能人か、金持ちが宿泊中にタレ込めばいいんじゃないか」

「ゴールデンに誰が泊まってるかなんて、どうやって分かるんだよ? それに、そんなんで警察は動くのか?」

 ジョージの計画はよく分からなかった。

「多分、分かるさ。そういう連中は、まず間違いなくブランド・ショップで買い物するからな。客に宿泊先を聞くのはうちだけじゃないし、これでも俺は色んな店に知り合いがいるんだ。トレイシーだって、協力するよな?」

 話を振られて、トレイシーは苦笑混じりの笑顔になった。

「何もしないよりはいいよね。私も他の店に友達いるし、知り合いの小父さんが、警察に勤めてるの。どういう形で報告すればいいのか、聞いておく」

 解決策めいたものが浮上したせいで、場の雰囲気はすっかり明るくなったが、誠は二人を巻き込んでしまったようで何となく心苦しかった。

 第一、実際にゴールデンに打撃を与えられるかは全く分からない。

「復讐に燃えてくれるのは有り難いけどね、特にジョージは、俺の連れだって向こうは知ってるんだし、気を付けてくれよ」

 友人知人に物を依頼する際にはくれぐれも慎重にと言い添えて、誠もやっと笑顔になった。

 初めからそのつもりで買い物をして来たと、トレイシーが食事の支度をしにキッチンへ入った頃には、ジェームスも帰って来た。

 どんな素晴らしい夕食になるのかと思いきや、誠の前にはおじやが置かれた。ジョージもトレイシーもにこやかにしている所を見ると、日系二世は病人にはこれしかないという信仰でもあるのだろう。

 これは一体何だ、という顔をしているジェームスに、ジョージは実に真面目に、これは日本の伝統的病人食でこれさえ食べればどんな病も治り、実際、自分も幼い時から病気の時にはこれを食べて治してきた、と説明した。大した奇跡の食べ物があったものだ。

 二人が帰った後、三日ぶりのシャワーを使った。

 裸になるとジェームスがキリンだと言った理由がよく分かった。情けない程あちこちに痣が出来ている。頭を洗うと結構な量の髪の毛が抜けた。

 遅くなるにつれて再び熱が出たが、シャワーでさっぱりしたせいか、それ程苦しいとは感じなかった。そして又塩田綾の夢を見た。


 強い太陽が照り付ける海で、誠は木製の小舟を漕いでいた。

 タンクトップとショートパンツという出で立ちで、持っている筈のない麦藁帽子を被っている。水平線しか見えないのに、水の色がエメラルド・グリーンをしている事から、随分遠浅な海だと思い、次いでここはハワイじゃないんだろうと思った。

 何かを待っている筈なのに、何を待っているのか分からない。

 小舟の船尾にある櫂が軋んだ時に、何故か「老人と海」を思い出した。してみると自分が待っているのは大きな魚かもしれない。しかし釣り竿もないのにどうやって、と一人で朗らかに笑った。

 やがて水平線の向こうから何かが流れて来た。鏡のように穏やかな海を、それは波も立てずに緩やかに小舟に近付いた。塩田綾だった。

 目を閉じて眠っているような表情で、両手を体の脇に軽く投げ出した格好だ。筋の通った鼻梁と額だけが僅かに水から出ている。クラシックなスタイルのワンピースは、膝の下辺りで大きく広がっていた。シフォンの生地に桃色の花があしらわれている。水の中に放り出された花束のようだ。

 「ハムレット」のオフィーリアをはじめとして古今東西を問わず、水に浮かぶ女性は多くの芸術作品に描かれてきたが、彼女程美しいものは一つとして有り得ないだろうと誠は思った。

 閉じた瞼の上を涼しげに水が流れている。長い睫毛も形の良い唇も、静かに調和して佇んでいた。

 なるほど、自分はこれを待っていたのに違いない。

 誠は小舟を横転させないようにバランスを取りながら、手を伸ばした。彼女の脇の下に手を入れて抱き起こすようにする。上半身を持ち上げた事で、下半身が水中に沈む。

 綾が身動きしたような気がして、誠は腕の中を覗き込んだ。

 額から水が滴り落ちている。睫毛が落ちた雫をはね除けるようにして動いた。ゆっくりと瞼が開く。大きな黒目に捉えられた時、突き抜けるような喜びが湧いた。

 良かった。俺は間に合った。

 朱色の唇が正に開こうとした時だった。塩田綾の体は誠の腕から滑り抜け、大きな水飛沫が立った。飛沫の中からほんの一瞬、灰色の生き物の姿が見えた。

 誠は躊躇せずに水に飛び込んだ。

 塩田綾を奪った生き物は、深い海の底へと潜って行き、水中に煙のような赤い軌跡が描かれて行く。彼女の血だ。

 遠浅だった筈だ、追い付ける筈だと誠は必死で水を掻いた。

 周囲の水がどんどん赤くなっていく。息が苦しい。もう追い付けない。誰か、誰かあいつを殺してくれ。破裂しそうな肺と殺意を抱えて、誠は気が遠くなった。


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