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第三章・第十二話 「悪態」

 彼はカウンターの端の方に座り、テレビのバスケットボールの試合を眺めている。

 誠は無言のまま、ナナウエの隣に腰を下ろした。

「何だよ、おめぇ」

 驚いた様子のナナウエを無視し、ウイスキーのコーラ割をオーダーする。出された飲み物を一口飲んで、誠はナナウエの顔を睨んだ。

「言わなきゃならない事がある。ミス、アヤ・シオタの事だよ」

「その話なら、もう聞きたかねぇよ」

 鼻白んだナナウエの腕を、誠は掴んだ。ナナウエがあまりにも軽く「聞きたくない」と言い放った事で、昼間から溜まりに溜まった澱が腹の底で沸き立った。

「いいから、聞けってんだよ。あんた、彼女がバッグだの靴だのを売って、生活費に当ててたの知ってるか?」

「何だよ、それ? 知ってるぞ、あいつの家は凄ぇ金持ちじゃないか。そんな事する必要はねぇだろ?」

 まだうるさそうにナナウエは言った。

「援助は頼めない状況だったんだ。そうやって売り食いしながら、彼女が何をしてたか知ってるか? 金持ちのおっさんと付き合ったりしてな、ビジネス始める為のスポンサーを探してたんだ。ろくでもないオヤジ共がいるからな、彼女、薬やったりもしてたらしいぜ。それもこれもお前と、もう一遍付き合うためだったとさ。おかしいだろう?」

 畳みかけるように誠は言って、ナナウエの反応を見た。これでもし、彼が冷笑したり、無関係だと言ったりしたら、表に連れ出して殴ってやろうと思った。

 どう見ても体格では勝ち目がないが、たとえ倍殴られたって構わない。そんな事で塩田綾が浮かばれる訳もないが、知らん顔で惚けられては彼女も自分も可哀想だと思った。

「知らなかった。日本に帰ったと思ってた」

 しばらく絶句した後でナナウエはそう言った。誠はそれでもむっとした。

「帰ってなかったから、俺が捜し回る羽目になったんだろうが。彼女は帰ってないって、前にも言ったぞ。人の話はちゃんと聞けよ、馬鹿野郎」

 多分普段なら、馬鹿野郎などと呼ばれて黙っているタイプではないが、ナナウエは鼻から息を出しただけで、反論はしなかった。

「そんで、彼女は今、どうしてるんだ? 今度こそ日本に帰ったか?」

「へぇ、興味があるかい? 上等だ。でも、ここじゃ話せねぇ。外へ出よう」

 カウンターは混んでもいなかったが、他人に聞かせたい話でもない。誠は金をカウンターに置いて、ナナウエを促した。

「妙な作り話をして、俺を引っかけようってんじゃないだろうな」

 怪訝そうな顔のナナウエに、誠はけっと品のない笑い声を立てた。腹の中の澱が、毒になって口から零れている。

「あんたなんか引っかけて、一体何になるってんだよ。何様のつもりだ?」

 路地を海の方に向けて歩きながら、誠は勝手に緑から聞いた塩田綾の話をした。ナナウエに振られて自棄気味になっていた事、それでもナナウエとまた付き合いたいと言っていた事などだ。

「可哀想な人だから、って彼女は言ったらしい。可哀想てのはどういう事かな? あんたの生い立ちとか、それとも性格が可哀想って事かな?」

 返事を期待せずに乱暴な質問を投げかけた。深夜のカラカウア・アベニューでも明るい事は明るい。街灯の他に、砂浜との境の辺りに設けられているガス灯は、既に消されている。

 誠は消えているガス灯を一瞥して、砂浜に足を踏み入れた。

 それを待っていたかのように、ナナウエが口を開いた。

「彼女は何してるんだ?」

「死んだよ」

 間髪入れずに答え、誠はナナウエの正面に回って立った。

「言ったろう、スポンサーを探してたって。そういう相手と知り合う為に、彼女はゴールデンってホテルに出入りしてたんだ。オーナーが日本人でな、日本人学生なんか集めて怪しげな事をやってやがるんだよ。今から一か月位前だ。オーナーの船でパーティーがあって、彼女はアルコールと薬で調子悪くなって、海に落ちたんだ」

「誰も、助けなかったのかよ?」

 海を背にしていたから、逆光でナナウエの顔色は分からなかったが、彼の言葉は僅かに震えているように感じた。顔色も悪ければいい。

「すぐには気付かなかったんだ。落ちたんだろうって事になって、後は知らん振りを決め込んだのさ。あんたと同じだな。転げ落ちるような状況に追い込んで、落ちたら知らん顔だ」

「どうやってそんな事調べたんだ? まさか連中が警察に挙げられたわけじゃねぇだろう」

 誠はポケットから煙草を出した。風があるので火が点けにくい。何とか点火してから質問に答えた。

「もちろん違う。彼女が海に落ちた時、同じ船に乗ってた女の子から話を聞いたんだ。いずれ何とかして、ゴールデンのオーナーも追及しようとは思ってるさ」

 長い沈黙の後、ナナウエは囁くような声で何か言った。聞き取れず誠は、苛立って聞き返した。

「俺は、そんなつもりじゃなかった」

 やっと聞き取れたその言葉に、誠の中の澱は、勢い良く口から飛び出した。

「ふざけるな。じゃあ、どんなつもりだったんだよ? 手前の生い立ち語って同情引いて、彼女の事なんか何も知らなかったじゃないか。彼女はな、親に金くれって言えなかったんだよ。搾り取られて捨てられて、そんでもまだあんたの事を考えてたんだ。挙げ句が暗い海に落っこちてサヨナラだ」

 何か言おうとしたナナウエを誠は遮った。

「いいか、今度こそよく聞いておけよ。彼女はな、たった一人で真っ暗な海に流れて行ったんだ。お前のせいだ」

 くそったれが、と吐き捨てて誠は、海を向いた儘のナナウエの脇を通り抜けた。

 言いたい事はまだいくらもあったが、全部言っていたら朝になってしまう。ナナウエが追って来る気配はなかった。誠は砂浜から舗装された道路に戻り、さらに駐車場を目指して歩いた。

 ナナウエの反応から判断すると、多少は彼の心を殴りつけてやる事が出来たかもしれない。これから街のどこかで会って、その時まだ留学生のような日本人の女の子連れだったら喧嘩を売ってやろう。

 一日溜まった澱を吐き出して、すっきりした筈なのに、誠は泣きたいような気分になった。


 アパートに帰ってまず最初にした事は、キッチンへ行って濃い水割りを作る事だった。ジェームスはとっくに夢の中らしい。ベッドルームのドア越しに低い鼾が聞こえて来た。

 ユニフォームのままでベランダに出て煙草を吸う。

 あの男といることが、それほど塩田綾にとっては価値があったのか。彼女はナナウエの隣だとシャワーツリーのように唄えたそうだけれど、もう少し外に目を向ければ、もう少し自分の価値を認められれば、いくらでもなりたい自分になれる場所はあっただろうに。

 ため息が後からこぼれ出た。

 そのナナウエに会って責め立ててはみたものの、実際の懸案事項はそのままだ。

 空腹にアルコールが沁みるに従って、ゴールデンの件は、まずジェームスに相談してみる気になった。畑違いとはいえ、一応弁護士なのだから、少なくとも誠よりは的確な判断が下せる筈だ。

 リビングルームでユニフォームを着替える際、携帯電話の電源を切ったままにしてある事に気が付いた。電源を入れると、メッセージの表示が点いた。メッセージは緑からだった。

「今、伯母さんちに着いたの。すごく喜んでくれて、帰って来て良かったみたい。しばらくここにいて、学校に行くか、仕事を探します。また電話するね」

 明るい声だった。緑には前触れもなく戻っても、受け入れてくれる場所があるのだ。

 ほっとして誠はカウチにもたれ掛かった。頭の中で何度も緑の声を繰り返す。帰って来て良かった、帰って来て良かった。ささやかな慰めだが、それで今晩の安眠が得られそうな気がした。


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