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第三章・第八話 「居場所」

 次は緑のために、ホテルを確保しなくてはならない。

 アラモアナ・ショッピングセンターから少し離れて、アパートやビジネス・ビルの間にひっそり建っているホテルがいいだろうと誠は思った。あまり敷居の高くないホテルだ。

 電話を入れると、空いているとの即答が帰って来た。シングルはないので、ツインをシングル・ユースにして貰う。

 料金を尋ねると、カマアイナ・レートと呼ばれる地元民用の値段で八十ドルだと言った。チェックインの時間が三時というのが難点で、誠は追加料金を払う事にしてアーリー・チェックインを申し込んだ。

 煙突のように煙草を吸い続けながら、誠が電話をかけている間、緑は大人しくベンチに座っていた。時々バッグの中を覗いたり、化粧ポーチを引っ張り出して化粧を直した位だった。

「これでいいだろう。今晩必要な物の買い物でもしようか?」

 段取りは整えたものの、一体航空券とホテルの料金は誰が払うのだろうと、若干不安に思いつつ誠は立ち上がった。航空券は自分のクレジットカードで買ってしまっていたし、ホテルも誠の名前で取った。緑に支払えないと言われればそれまでだ。

「待って」と言って、緑も立ち上がり、近くに設置してあるATMを指差した。

「お金、下ろさなきゃ。でもさ、あれって四百ドルまでしか駄目なんだよね。小切手帳(チェック・ブック)はうっかりして置いてきちゃったし、どうしよう?」

 どうやら諸々の費用は自分が持つつもりらしい。誠は胸を撫で下ろしながら聞いた。

「クレジットカードとか、デビットカードはないのかい?」

「あたし学生だから、こっちでクレジットカード作れないし、お父さんの子カードは遣い過ぎて、奥さんに取り上げられちゃった。デビットカードも作ってないの。いつもはさ、ゴールデンで知り合うおじさん達がキャッシュでお小遣いくれるから、困んないのよね」

「ATMのカードは持ってるんだろう? じゃあ、銀行に行けば下ろせるよ」

「そうなんだ、知らなかった」

 ワイキキから離れた場所で、あまり人が多くない場所がいいだろうと、誠はマノア・マーケットプレイスに車を向けた。ハワイ大学マノア校よりも山の上にあるそこには銀行もあるし、スーパーマーケットもある。

 銀行で金を下ろし、スーパーマーケットで買い物をし、ついでに簡単に昼食も済ませた。その間、誠は何度か緑に塩田綾の件を尋ねたが、緑は頑なに首を振った。

「今晩、仕事が終わったらホテルに来てよ。その時、話す」

 塩田綾の話が出来なかったため、食事中の話題に困り、誠は緑自身の話を聞いてみた。

「何でハワイに来ようと思ったの?」

 オープン・エアのカフェで、向き合って食事をする二人は、傍目には微笑ましい恋人同士に見えるかもしれない。緑はうーん、と考えるようにしてから笑った。

「南の島って、憧れるじゃない? ハワイならお洒落だし、面白そうかなって思ったの。あたし高校出てから、ファッション系の専門学校行ってたんだけど、つまんなかった」

 緑の口調には、いつか君代が話してくれた時の、人生を変えたいというような真剣さは窺えなかった。年齢のせいもあるかもしれないけれど、ちょっと二泊三日の旅行にでも行くような気安さだ。

「それで、ハワイに来て、面白かった?」

 こんな状況で、これは愚問だろうとは思ったが、誠は聞かずにはいられなかった。

「最初はね、学校にも行ってたし、英語も頑張って勉強しようかと思ってた。でもさ、やっぱ英語分かんないし、日本人の知り合いできると、日本語ばっかになっちゃう。ゴールデンでパーティーやったり、芸能人と飲んだり、楽しかったけどそれだけだね。日本に帰ってあたしの人生、どうなっちゃうのって感じ」

「このままハワイに居たら、もっとどうなっちゃうのって感じじゃないか?」

 口調をそっくり真似た誠に、そうだねと緑は笑った。ふいに誠は浅井友子を思い出した。緑と同じ位の年齢だからかもしれない。

「日本に帰って、なんかいいことあるかな?」

「いい事は自分で見付けないとね。いい話を見付けるんじゃないよ。ちょっと苦労して、頑張った方が味わい深いんじゃないか?」

 浅井友子の事が頭にあったせいだろう。柄にもなく説教めいた事を言ってしまった。ただ、浅井友子はそういう風にして「いい事」を自分のものにしているように感じた。

 誠の言葉には何も言わず、緑は椅子の背凭れに体を預けて、聳え立つコオラウ山脈を仰ぎ見た。マノアは、マノア渓谷(バレー)と呼ばれるように、切り立った山の間に位置している。いつもは雨が多いが、今日は青空が山の上に広がっていた。

「こんな風景も当分バイバイだね」

 さして感慨深くもなさそうに緑は言った。

 食事の後、ホテルに向かい、誠の名前でチェックインして鍵を緑に渡した。何があってもホテルの部屋からは一歩も出るなと言う誠に、緑はさすがに神妙に頷いた。そのつもりでスーパーマーケットでは、あれこれと食料も買い込んだのだ。

 別れ際、緑は「仕事が終わったら絶対すぐ来てね」と、くどい程に念を押した。


 大急ぎでアパートに戻ってユニフォームに着替えた。

 こんな事なら予めユニフォームを持って来るのだったと後悔したが遅い。飛ばしに飛ばして何とか遅刻は免れたが、ミーティングでスーパーバイザーのティムに、シャツのボタンをかけ違えていると笑われた。

 すでに一仕事終えた気分で、精力的に接客をする気になれない。あまり混雑しない事を誠は祈った。

 誰に祈ったという訳ではなかったけれど、とにかくその願いは空しいものになった。

 土、日に店が暇なのはいつものことで、普段なら週明けの月曜もそれ程ではない。ところがその日に限って店内は大変な混雑振りだった。いつもなら一時間貰えるランチ・ブレイクも、早めに切り上げてくれとマネージャーに泣きつかれたために、せっかく同じシフトに入ったトレイシーとは、ろくに話が出来なかった。

 混雑した店内では、客もセールスも一種の興奮状態になる。セールスが商品を勧める口調も熱を帯び、かつ短時間で客を捌こうとするから断定口調になる。客は客で、外の客がどんどん商品を決め、クレジットカードや現金が飛び交っているのを見ると、釣られるようだ。

 緑の目に映ったお洒落なハワイというのは、こういう部分もあるのだろうと誠は思った。

 ごく一部の客を除いては、ブランド・ショップで何百ドルもの買い物をするのを日常の事としていない。その非日常の部分ばかりが目に付くので、誠もこの仕事を始めた時は、世の中には金持ちが大勢いるものだと感心した。

 緑がどういう視点で捉えていたのかは知らないが、ホノルルにはこんなに金持ちがいて、それなら自分も何かおいしい話にありつけるのではないかという期待があったのかもしれない。

 裕福な人間は確かにいる。しかし下手にそのお零れに与ろうとすると、人間が卑しくなると誠は思う。

 客足がようやく緩やかになったのは、十時半を回った頃だった。

 元のディスプレイ場所から遙かに離れた場所に置かれたバッグ、試着の後でショウケースの上に乱雑に置かれた洋服など、滅茶苦茶になったフロアは、正に台風一過の趣があった。まだやってくる客を捌きながら、フロアを片づけ、小物等が盗まれていないかチェックする。

 幸い、警備員が十一時きっかりにドアを施錠する前に、全ての客が帰ったため、その後の閉店作業はスムーズに行えた。

 十一時半過ぎに全ての作業が終了し、タイムカードを押した時、誠は一度アパートに帰るかどうか考え、そのまま緑の部屋へ行く事にした。

 車の中からホテルに電話し、部屋に繋いで貰う。驚いた事にワンコールで緑が出た。これから行く旨を伝える。

 普通どんなホテルでも、建前上は宿泊客以外が部屋に入るのは困るという規約を設けている。とても観光客の宿泊客には見えない出で立ちで、フロントの前を通過するときは呼び止められるかと思ったが、フロント・マンは眠そうな微笑みを送って来ただけだった。


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