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第三章・第五話 「密談」

 隣のテーブルとの間に体を割り込ませるようにし、いきなり緑に向かって話しかけたので、通路側に座っていた緑の連れ二人は面食らったような顔をした。薄暗い照明の下でも分かる程、二人とも可愛い顔立ちをしてはいるが、そんな照明の下でも分かる程、荒んだ雰囲気がする。

「なぁに? いきなり」

 連れの内、ショートカットの女の子が眉を寄せた。緑は値踏みするような顔で誠を見ている。

 一瞬、彼女は約束を忘れ去っているのではないかと心配したが、万一そうでも、ナイトクラブで女の子をダンスに誘うのは、悪い事ではない。誠はセールス・スマイルを作った。

「いいじゃないか、踊ってよ」

 わざとらしく手を差し出すと、やっと緑が反応した。誠の手を取り、「しょうがないなぁ、ちょっとだけだよ」と、スツールから体を滑らせる。

 もう一人のセミロングの連れに何か耳打ちすると、緑は誠の手を握ったまま、ダンスフロアに向かって歩き出した。声をかけろという指示には従ったものの、本当に踊るとは思っていなかった誠は少々慌てた。

「約束、覚えてますよね?」

 大音量の音楽の中、耳元で話しても大きな声を出さざるを得ない。緑も誠の耳に噛み付くようにして言葉を返して来た。

「覚えてるけど、ちょっと踊ってから抜けよう」

 緑がどういうつもりでいるのかさっぱり分からなかったが、ここは言う通りにするより他ない。混雑するダンスフロアに引っ張り出され、緑としばらく踊った。

 ナイトクラブで踊る事自体は決して嫌いではないが、こういう状況では楽しいとは言い難い。緑は大分アルコールが入っていると見えて、時々誠が支えてやらなければならなかった。

 芋洗いのプールのようなフロアで三曲立て続けに踊ると、汗だくになった。これで緑も多少アルコールが抜けて、塩田綾の話をきちんと出来るのではないかと淡い期待を抱きつつ、誠は尋ねた。

「もっと、踊りたい?」

 額の汗を拭って、緑は首を振った。「出よう」とだけ言って、再び誠の手を取り、今度はエントランスの方に向けて歩き出す。店内は誠が入って来た時よりも更に混雑していて、人の間を縫って歩くのも困難な程だった。

 何とか外へ出ると、かなりの行列が出来て入場待ちをしている。思う存分新鮮な空気を肺に送り込んでから、誠は緑に話しかけた。

「どこか他の店にでも入る? 静かな方が話し易いよね」

 いつの間にか敬語を使うのを止めてしまっていたが、緑が気に留めるとも思わなかった。

「ここに来たのは、車で?」

 落ち着かない素振りで緑が聞き返した。外に出て初めて気が付いたが、袖無しのトップもスカートも、緑はかなり高級な物を付けていた。サンダルと斜めにかけている小さなバッグは、誠の勤めるブランドの物だ。腕時計とブレスレットに至っては、誠の車よりも高い。

 緑もいつかの由美のように、ゴールデンで知り合った「おじさん」と付き合ったりしたのかと、誠はあらぬ想像をしてしまい、それを打ち消して、「そうだよ」とだけ答えた。

「じゃ、それでどこかに連れて行って。早く行こうよ」

 言いながら緑の足は既に駐車場に向かっている。誠は驚いて後に続いた。

「俺と会うのを誰かに知られちゃまずいのかな?」

 駐車場のエレベーターに乗ると、ようやく息を吐いたような緑にそう尋ね、尋ねた後で間抜けな質問だと誠は思った。問題がなければ、こんな回りくどい方法は採らないだろう。緑はまあね、と言ったきり車に乗り込むまで黙っていた。

「古い車だね」

 口を開いたと思ったら、そんな事を言う。

「でも、ちゃんと走るよ。途中で壊れたりしないから安心しな」

 二十歳かそこらで全身ブランド物を身に付けるような女の子にすれば、誠の車など走る段ボール箱にしか見えないかもしれない。誠は苦笑して、愛車の弁護をした。

「ううん、こういう車に乗ってる人の方が信用出来る」

 お世辞にしても良く出来た一言を呟いた後、緑はどこか屋外で静かな場所に行きたいと言い出し、誠は頭を捻った。

 途中コンビニエンス・ストアでソーダを買い、誠は車をカハラに向けた。カハラに到着するまでに、簡単に塩田綾を探している理由と経緯を説明した。

 幸い緑は、誰が誠に彼女の名前を教えたかという事に関して、問い質すような事はしなかった。それよりも何か他の事を考えているかのようだった。

 ビーチフロントの豪邸が建ち並ぶカハラでも、ビーチ自体は公共の場所だ。私有地などに囲まれてアクセスが難しい場所はあっても、ハワイにプライベート・ビーチなるものは存在しない。カハラも豪邸の間に何ヶ所か細い間道があり、ビーチに行けるようになっている。

 車をカハラ・アベニューに停めて、ビーチへ歩いて行けば充分静かだろうと考えた。もっと先にある、ワイアラエ・ビーチパークへ行くという手もあったが、そこは時々若者が溜まって騒いでいることもある。誠の提案に緑はあっさり頷いた。

 午前零時を回って、カハラの住宅街は静まり返っていた。路上駐車が禁止されていない事を確認して誠は車を道路の端に停めた。車の後ろに回ってトランクを開け、常備している古いバスタオルを出す。緑のために敷物にするつもりだった。

 自分達の邸は美しくライトアップしていても、公共の間道はどうでもよいのだろう。豪邸に挟まれた洞穴のような間道を通って砂浜に出るまで、誠も何となく黙っていた。風が少なく、潮の香りが僅かにする。

 半月だが、月が出ていた。

 人工の灯りのない場所で月を見ると、それがどんなに明るいものだったかと痛感する。半分に欠けた月が、穏やかに打ち寄せる波を朧に照らしている光景は、なかなかロマンティックかもしれなかった。

 間道からほんの十五メートル程離れた場所に大きめの木を見付けて、誠はその下まで緑を誘った。バスタオルを敷いて座る場所を作ってやり、自分もその隣に腰を下ろしてソーダの栓を開けた。

 大きめのボトルを一気に半分飲み干して、喉が乾いていた事に気が付いた。「ブルー・カレント」では何も飲まずに、汗だくになって踊っていたのだから当然なのだが、大きな溜息が出た。

「一昨日の夜、パーティーだったのね。それが、きつくてさ。何だかもう、いやになっちゃった」

 誠の溜息が合図だったかのように、急に緑が喋り出した。

「何だかなー、クスリ呑んでおやじの相手したり、あたし馬鹿みたい」

 脈絡のない事を言っているようだったが、誠は由美の話と照らし合わせて納得した。やはり緑の服飾品も、入手の経緯は由美と似たようなもののようだ。

「そういうお付き合いと、塩田綾さんの事は何か関係あるのかな?」

 元々その話を聞くために、言われるままに面倒臭い手順を踏んで、緑と二人きりになったのだ。悪いが、怪しげな付き合いの愚痴を聞くためではない。

「ねぇ、する? してもいいよ」

 緑が可愛らしく、多分本人はそのつもりで、首を傾げてみせた。最初、誠は何の事か分からなかったが、どうやらセックスの事を言っているのだと分かって、飛び上がりそうになった。これまで様々な誘われ方をしたし、屋外での経験がないとは言わないが、これ程唐突で、かつ露骨なのは初めてだ。

 屋外で静かな場所と指定があったにしろ、いかにもな場所に連れて来たのは自分だが、下心があったと思われるのは心外だ。 

「何、言ってるんだ。俺は塩田綾さんの話が聞ければいいんだよ」

「したくない? 普通、男の人ってそう聞かれたらしない?」

 生憎俺は「普通」じゃないからね、と内心毒吐きつつ誠は呆れた。緑はこれまで、ろくな相手と付き合って来なかったのに違いない。

「俺、ちゃんとした相手がいるから。するんなら、塩田綾さんの話にしてくれる?」

「じゃあさ、やくざの友達いない? あたしの頼み聞いてくれたら、綾さんの話するよ」

 脈絡のなさに面食らいながらも、今度は辟易してしまった。散々引っ張り回しておいて、交換条件を出してくるとは。

 由美の時もそうだったが、緑も何かをしてくれなければ情報は与えないという訳だ。しかも、今回は由美の時のように簡単なものではなさそうだ。

 もういいよ、と立ち上がって帰りたい気もしたが、どこか壊れているような緑を放り出すのは気が引けた。由美の言い草ではないが、後生が悪いとでも言うのだろうか。

 もう一度溜息を吐いて、誠は穏やかに尋ねた。

「何でやくざが必要なの? やくざって、日本のやくざ?」

「あのね、あたしゴールデンの人達と手を切りたいの」

 誠は内心首を傾げた。由美は、緑はオーナー、金田氏のお気に入りだと言っていたし、ゴールデンで初めて緑を見かけた時も、彼女はその立場を甘受して、むしろ積極的に楽しんでいるように見えた。

 第一そんな事に、何故やくざが必要だろう。自分で出入りを止めればいいだけの話ではないのか。

「どういう事かな? 話がよく分からないんだけど」

 説明を促すと、緑は肩を竦めてから口を開いた。


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