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第二章・第九話 「伝説」

 二冊の本に載っていた伝説は、ほぼ同じ内容だった。


 舞台はオアフ島ではなく、ハワイ島。ワイピオ渓谷の美しい娘に、鮫の王が恋をする。

 彼は自分の姿を、その特別な力で人間に変え、娘と結婚する。やがて時が経ち、鮫の王は海に戻らなければならなくなる。

 別れに当たって王は妻に、間もなく生まれる赤ん坊の背中には鮫の口があること、その子には、決して肉を食べさせてはならないことを言い渡して去って行く。

 予言通りに生まれた息子に付けられた名前は、勿論「ナナウエ」だった。

 東西の文化を問わず、こうした伝説で、禁忌は実によく破られる。

 幼い頃は母親が全てに注意を払う事が出来たが、成長するに従い、ナナウエは村の男達と食事をするようになって、肉を口にする。

 それから、村人達にとっての怪異が起き始めた。

 泳ぎに行った若者が帰らない。一人、また一人と村の人間が鮫の餌食になって行く。肉の味を覚え、自分の姿を自在に鮫に変える事が出来た、ナナウエの仕業だ。

 怪異が続く中、どんな暑い日にも上着を取らず、水にも入らないナナウエは次第に周囲の注目を引くようになる。示し合わせてナナウエの上着を剥ぎ取った若者達が見たのは、彼の背中にある異形の牙だった。


 子供向けの本では、ナナウエは海に帰り、彼の父はナナウエが二度と島へ近付かない事を約束する。

 もう一冊では、海に逃げたナナウエは放浪する。

 別の土地へ、島へ行き、人間として暫くの間生活する。そして村人達が鮫に襲われ始め、誰かがナナウエに不審を抱く。噂と警告は島の間を飛び交い、人喰い鮫を退治するのに乗り出した漁師達の手で、ナナウエは最期を遂げる。

 丘に引き摺り上げられた彼の体は、小さく刻まれて竈にくべられた。

 本文には「(シャーク)」とあるだけで、どの種類の鮫かは分からないが、誠はハワイの海に多いタイガーシャークだろうと思った。

 名前の通り胴に縞模様がある。パニック映画などで有名なグレート・ホワイトほどは大きくないが、以前マウイ島の水族館で見た一頭は、十五フィート、四・五メートルという大きさだった。

 タイガーシャークの外に、リーフシャークと呼ばれる鮫も何種類かいるが、それらに比べて格段に大きい。破壊力もありそうだ。

 モデルの鮫がどの種類にせよ、二つのエンディングの内どちらが、あのナナウエの頭に張り付いているかは言うまでもない。誠はやり切れない気分で、本を棚に戻し、本屋を出た。

 強い冷房で冷えた体に、外気が心地よかった。入り口近くに設置してあるベンチに腰を下ろし、「グレるよな、そりゃ」と独りごちた。

 一体、ナナウエの母は何を考えて彼の名前を付けたのだろう。子供向けのストーリーから善意に解釈するとしても、ハワイに居られなくなる事を望んでいたという事か。

 ナナウエが最初にその伝説を知ったのはどういう形だったかは、想像するしかないが、母親から聞かされたのだとすれば、恐ろしい体験だ。正に母親にかけられた呪いだ。

 体は暖まって来ていたのに、身震いしてしまった。

 ナナウエの支離滅裂な部分と子供っぽさは、呪いをかけられた時に成長を止めてしまった場所があるからだろう。

 伝説にのっとるならば、彼は父親と同じ日本人ではなく、母親と同じハワイアンを食い物にすべきだが、彼は日本人を憎んでいる。しかし、計画性もなく食い散らかしている点は同じだ。

 伝説の「ナナウエ」は将来をどう見ていたか知らないが、ナナウエは破滅するに違いないと思い込んでいる。

 彼がこれ迄どんな人生を送って来たのかは知る由もないが、精神的に満たされたものでなかった事は確かだろう。

 大穴の空いたようなそれを満たすには、じょうろで植木に水をやるような訳には行くまい。水道を出しっ放しにする位の愛情が要るだろう。徒労に終わるかもしれないけれど。

 塩田綾は、自分の水道を出しっ放しにしたのだろうか。

 誠はベンチから立ち上がった。ナナウエとは、もう会う事もないだろう。仮にどこかで出喰わしても、それだけだ。

 ああいう人間に、半端な同情を寄せても仕方がない。自分の人生を丸ごと差し出す気がないなら、関わらない方がお互いの為だと思う。

 携帯電話が鳴って、誠は慌ててポケットを探った。ジェームスからだった。

「やあ、今クライアントとの用事が済んだよ。放っぽったお詫びに、夕食は何かいいものを御馳走しよう」

 いいものと言われれば、誠の答えは決まっている。

「スシ」

「分かってたさ。君がそれ以外の料理を言った事ないもんな」

 笑いながら、じゃあこの次は焼き肉って言うよ、と誠は言い、やはり自分はハードボイルドには向いていないと思った。


 日曜はモーニング・シフトだった。

 前夜は鮨を食べた後、ジェームスと一緒にバーやナイトクラブを数軒ハシゴして遊んだ。食事に出掛ける前に、メールをチェックすると、兄から返事が届いていた。

 相変わらず生真面目な文面で、誠が「奔走」してくれた事を感謝し、近々立て替えた塩田綾の家賃の残額と礼金を送るとあった。塩田綾の父親からのメッセージは何もなし。兄もどう伝えて良いのか困惑しているのかもしれなかった。

 しかし、もう出来る事もないのだし、と誠は客の少ないフロアでぼんやり考えていた。

 今日は二階の受け持ちで、同じフロアにはジョージとジャネットが働いている。

 いつもの日曜と変わりなく、客足はあまり良くない。それでも人気のバッグや財布を求める客の相手をし、ジョージやジャネットと無駄話をしながら午前中を過ごした。ナイト・シフトは、モーニング・クルーが帰る直前に皆で一斉に食事に行くが、モーニング・シフトは交替で行く。

 その日誠は、一番遅い二時の食事に回された。一応店の二階のロッカールームには、小さな椅子とテーブルが置かれて食事が出来るようになっている。誠は近所のハンバーガーショップで食事を買い、ロッカールームで食べた。余った時間で昼寝が出来るので、このランチルームの存在は有り難い。

 あわや寝過ごしそうになったのを、ジャネットに起こして貰い、誠はフロアに戻った。

 いくら厚手のカーペットが敷いてあるとはいえ、床に転がって熟睡する誠をジャネットは信じられないと言う。

 マネージャーのポールが、ジャケットに皺が寄っていると小言を言った。枕代わりにしたからだ。

 ポールの小言から逃れる為に、誠は新たに二階に上がって来た客の方へ小走りに近付いた。

 流行りのイタリアン・ブランドのTシャツにミニスカート、踵の高いサンダルを履いた日本人の女の子は、誠が声を掛ける前に、「あらぁ」と大きな声を出した。

「お兄さん、ここで働いてたんだ」

 ナイトクラブで会った、由美だった。ナナウエの事を教えてくれたのは、彼女だ。

「そう。うちの店、贔屓にしてくれます?」

 愛想笑いを浮かべると、彼女も屈託のない笑いを返した。

「ここのブランドは大好きよ、でも高いじゃん。あのね、今日はお財布欲しいの」

 彼女を財布の並んだショウ・ケースへ案内し、いくつかを出して簡単なセールス・トークをする。由美はその中から茶色の革の一つに決めた。数多い商品の中でも、人気のシリーズだ。値段は三百五十ドル。

 ストックルームに新しい商品を取りに行こうとした誠を、呼び止めて由美は小さい声で尋ねた。

「ねぇ、綾さん見付かった?」

 無言で頭を振る誠に、彼女は上目遣いをしてみせた。

「てことは、まだ捜してるよね。あたし、ちょっとした情報あるんだ。教えてあげたら、

お兄さんの社員割引エンプロイー・ディスカウント使わせてくれる?」


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